第二章♯16『飄剣』
「――シャル、左に!」
「分かった!」
シャルを走らせ、キマイラが繰り出した爪を刃で受け流す。相手は自分よりも何倍も大きな獣、そのパワーを真っ向から受け止めれば潰されてしまう。
キマイラの尾、蛇の頭がグッと首をもたげ毒を吐く準備動作に入る。瞬時に――、
「させない!」
ビュン、と空気を裂く矢が蛇の目を貫く。風の魔力を纏った一矢は刺さった箇所に大きな衝撃と裂傷をもたらす。大きく揺さぶられ口の端から猛毒を垂れ流す蛇頭に、次に狙い澄ましたロトの一撃が直撃し、無惨にひしゃげさせた。
「シャル! ウィルベルさん!」
キマイラは異常な再生力を備える魔物、あの蛇頭もすぐに再生するだろう。しかし、それを待つほどこちらの攻め手は甘くはない。
キマイラの噛みつきを躱し、真横にきたその太い首に剣を突き刺す。そして剣を介して一瞬、雷光へ変質させた魔力を流し込めば、キマイラは神経を破壊され全身を痙攣させる。
「とった……!」
その隙を待ち、左半身へと回り込んでいたシャルが脇腹から心臓へ向けて槍を抉り込んだ。
それが致命傷となり、キマイラは完全に沈黙する。
「ふぅ〜、やっぱり大したことないわ。所詮犬ね」
トドメを刺したシャルが手をパンパンと叩きながら言った。シャルは魔導書を抱え興味深そうにキマイラの亡骸を観察する。
「キマイラがどうしてこんなところに。野生というわけではないでしょうし……」
「きっと飼っていたんでしょう、コイツが現れる前に兵士達が引き上げて行ったし。これほど上位の魔物を飼い慣らしていたのは驚きだけど……それに他にもいるかもしれない、早く下の応援に行きましょう」
四人はウィルベルを先頭に牢獄の中へと侵入する。
◆◆◆
――プロフメーレ最下層大扉前。
「ふんッ!」
エルタランの一閃がケルベロスの首のひとつを斬り落とす。ゴトリと落ちた首が痙攣し、残っている二つの首は怒りを宿した目でエルタランを睨みつけた。
(やっとマトモな一撃……こちらはすでに三人が負傷している。このままだとジリ貧だな)
エルタランの背後には先頭不能になった部下が倒れている。まだ戦える部下はいるが、部隊が十全の状態でもこのケルベロスとはやや劣勢の戦いだった。
このまま時間を掛けていれば緩やかな破滅が待っている。エルタランの一撃で一時それを遠ざけたが、危機的状況であることには変わりない。
「ガアア!!」
「くっ……」
ケルベロスの飛び掛かりを避け、振り返りざまに斬りつける。しかし刃は通らない。これがこの戦いを劣勢足らしめている大きな要素だ。
針金のように硬い毛が密集しているケルベロスの身体は、生半可な一撃を通しはしない。渾身の力を込め、ヤツの皮に対して最適な角度で刃を入れなければ傷を与えることができないのだ。魔術か打撃系の武器を持つ者がいれば良かったのだが、革命軍の兵士の多くは騎士の端くれ、使用する武器は直剣がほとんどだ。
それに騎士は基本的に人と人との戦いに関する技術を極めた者。このような魔物相手は専門外なのだ。
「お前らは一度撤退して上の班と合流しろ! 首は残り二つ……俺が落としてやる」
エルタランは部下は指示を飛ばし、剣を握り直して走った。
これ以上部下達を危険に晒すわけにはいかない。上には英雄もいる。彼女の力があればこの魔物を倒せないということはないだろう。エルタランが為すべきは部下達が撤退するまでの時間稼ぎだ。
(舐めるな! 俺は"飄剣"のエルタランだぞ!)
鋭い爪を身を屈めて躱し、勢いそのままにケルベロスの腹下へと滑り込む。そして股下を抜けるタイミングで体を起こしながら反転、腰の捻りを加えた一撃を後脚の腱へと見舞った。
強靭な腱を切り裂く重い手応えと皮膚の下へとめり込む刃。それに気を取られた一瞬、エルタランは視界の外から太い尾で薙ぎ払われた。
「ぐあっ!」
なんとか急所を守りながら地面を転がる。すぐさま体勢を立て直し、追撃に備えんと前を――、
(やべえ、間に合わな……!)
獰猛な牙を剥き出しにして目前まで迫っていたケルベロス。エルタランはそこで身を固めてしまうような騎士ではない。頭はすぐに無傷での回避を捨て、いかに少ないダメージでこれを切り抜けるかにシフトする。
考えた、とも呼べないような一瞬の思考の末に出した結論は、しかしあっけなく打ち砕かれる。
――バチィ!!
「間に合った……生きてる、よね?」
「あ……ああ」
連続した予想外に、今度こそエルタランの思考がフリーズする。逡巡の後に出した、左腕を捨ててのガードという戦略。それをすぐさま実行するべく動かした体。その途中、一瞬の中の一瞬、蒼い閃光が走り、瞬きの後にはすべてが終わっていた。
「多分これでこの牢獄は制圧できた。後はこの奥の人達を解放するだけ……よね?」
ぐったりと横たわるケルベロスの巨体。それを踏み付け、首に深く突き刺さったサーベルを抜きながら、ウィルベルはエルタランを見下ろす。
「ああ、そうだ。とりあえず大扉を開けねえと……どこかに装置があるはずだ」
ウィルベルは頷き、辺りの捜索を始めた。半端な姿勢で片膝を付いていたエルタランは安堵やら痛みやらでドスンと腰を下ろした。
先程の閃光。エルタランが認識できないような速さであの英雄が駆けつけ、そして認識できないような速さであの魔物を仕留めたのだ、と理解するのにしばらくかかった。
こんなことは初めてだった。人間、戦いの中では個人差はあれど感覚は研ぎ澄まされ、まして命の危機となれば更に感覚は鋭敏となる。それほど張り詰めた感覚でも知覚できないような高みにあるのだ、あの英雄の武は。
(俺はこれでもそこそこ腕は立つが……)
多くの戦いを経て、苦し紛れでも生き抜いてきた。自分の実力に関して、過大評価も過小評価もしない。上には上がいるというのは分かるが、あれはあまりにも滅茶苦茶すぎる。
大扉付近を歩き回るウィルベルの姿を見て、エルタランは溜息を吐いた。剣を支えに立ち上がり、大扉を開く方法の捜索に加わる。
(どっちが化物なのやら)




