第二章♯15『多貌の番人』
夜明け前、ウィルベルは木陰から息を潜めて眼下を眺めていた。その先にあるのはシラ最大の牢獄〝プロフメーレ〟。カルデラ湖の中心に聳える岩の城は、内からも外からも、あらゆる生き物の出入りを拒絶している。城に通じている道は橋がひとつだけ、当然ながら幾重にも検問が設置されていて、そこからの侵入は不可能だ。
「そろそろ夜が明けるよ。革命派の人たちも準備完了だって」
横に並んだセーナは、伝書鳩から受け取った紙片を読み上げた。難攻不落のこの牢獄、実は深く掘られた地下道が山の麓へと通じているらしい。革命派の騎士約百名はそちらのルートから侵入する手はずとなっている。
ではなぜウィルベル達がここにいるかと言えば、もちろん特別な方法で侵入するためである。革命の御旗として、看守と囚人の目を惹きつけるというのもアルチュールから提示された条件だった。そのためにわざわざ派手なことをしようとしているのだ。
「あの尾根から太陽が覗いた瞬間に突入するわ。三人とも落っこちないようにね。あと無理して怪我しないように、それと出来るだけ殺さないように」
「もー分かってるって!」
頬を膨らませるシャルの頭を小突いて、三人から少し距離を取る。ウィルベルは呼吸を整え、龍の姿へ。その神秘的な光景に三人は息を飲む。
青紫の光に包まれ、そこから紺青の鱗が露わになる。知性と魔力を併せ持つ神話の中の獣だ。
「すごい……古龍ってこういうものなの?」
『さあ? 四元龍はもっと大きかったけど』
ウィルベルにしてもこれまでに出会った古龍は水元龍アパスと邪龍ニーズヘッグだけだ。大きさはバラバラで、その中ではウィルベルが一番小柄だ。標準的な大きさなんて分からないのだ。
「し、四元龍!? その話あとで詳しくおねがいします……」
「ほ、本当に乗っていいの?」
おとぎ話に興味があるらしいロトとなにやらビクついているシャルに催促をする。
『は、や、く! ゆっくり飛ぶけど、ちゃんと掴まっててね』
三人が背中に乗ったのを確認して両翼を大きく広げる。翼で空気を掴み、後ろ脚で地面を蹴って一息に飛び立つ。
「わあー!」
風の中、シャルが感動の歓声をあげた。朝の空気を切り裂いて龍と三人が飛ぶ。
見張り番がウィルベル、もとい龍の姿に気づいたのだろう、牢獄で警鐘が鳴り始めた。それを合図として麓の部隊も動き始めたはずだ。
『中心の広場に降りるよ! みんな準備して!』
ウィルベルが背中の三人に告げ、降下の体勢に入る。牢獄の城壁から迎撃があったが、そもそも対龍兵器など用意されているはずもなく、人力で引ける弓で貫けるほど古龍の鱗は軟弱ではない。
衝撃を殺して着地して、三人が背中から降りるのを見計らって龍化を解く。
「何者だ!」
わらわらと集まってきた牢獄の兵士達はすばやくウィルベル達を取り囲んだ。各々の武器を手に威嚇しているが、彼らには明らかに動揺が広がっている。
セーナ達も無言で武器を構える。
「私はウィルベル・ミストルート。今は革命軍の一員よ」
しゃらん、と剣を抜きはなったウィルベルの発言は兵士達に広がっていた動揺を絶望に変えるに十分なものだった。
◆◆◆
「どうやら始まったようだ。俺たちも突入するぞ」
山頂から聞こえてくる警鐘の音を聞き、牢獄側の革命軍を任された騎士エルタランは同志たちを引き連れて地下道へと入った。アリの巣のように入り組んだ道を地図を頼りに進み、あらかじめ調べておいた地点へと向かう。そこは牢獄内部と隣接していて、薄い土を隔てているだけの場所だった。ここの壁をぶち抜いて内部へと侵入する。
「隊長! 爆薬の設置完了しました!」
「よーし、行くぞ!」
――ズガァン!!
地下道の崩落にも配慮した量の爆薬が壁に大穴を開け、そこからなだれ込む。計画通りそこは倉庫で人影はなかった。送り込んでおいたスパイから得た情報によると、現在位置は監獄のおよそ真ん中。ここから上へ向かえば軽犯罪者の牢や獄吏達の居住スペースがあり、反対に下へ向かえば政治犯やその他の重犯罪者達が捉えられている独房エリアがある。
「お前たちは上に向かって獄吏達を無力化しろ。必要ないとは思うが上のお嬢さんたちの応援もな」
「ハッ!」
部隊の八割ほどを副隊長に率いらせて上に向かわせる。エルタランが率いる残りの部隊は下だ。政治犯として捕らえられている同志達の開放が今回の目的である。下には獄吏も少ないだろうし、上は彼らに任せることにする。
「さて……」
エルタランは吹き抜けの階段を降りていく。外光が取り入れられないこともあって、牢獄内部は驚くほど暗かった。洞窟のように音もこもるし空気も淀んでいる、こんなところに居続けたら気が狂いそうだ。それが目的なのだろうが。
ともかく、吹き抜けと最下層の牢獄を繋ぐ大扉。その前にそれはいた。エルタランは片手をあげて、後続の騎士達を制止する。キュルキュルと耳障りな音を立てて檻が上がっていき、その暗闇の中から鎖を引きずる音が聞こえてきた。
「どこからこんなの仕入れてきたのやら……まったく悪趣味だぜ」
短い黒毛に包まれた強靭な四肢、人の頭ほどもあるおぞましい牙。そしてなによりもその頭。巨躯から生えているのは常世の生物にあるまじき三つの頭だ。三つの顎からひどい臭いの涎を垂らし、侵入者、つまりエルタラン達に唸っている。
ここを通るにはコイツをなんとかするしかない。なんとか無視して通れたとしても、戻るときにも鉢合わせするのだ。どちらにせよこの脅威を放置という選択肢はない。
プロフメーレの番人、いや……、
「――地獄の番犬ってわけか!」
◆◆◆
――同刻、プロフメーレ監獄上層
「お姉ちゃん、兵士達が撤退していくよ!」
セーナが弓を下げて振り向く、その言葉通り乱戦状態だった兵士たちが引き上げていっていた。おそらく撤退命令が下されたのだろう。ひとまずこの場で役目は…果たしたと言っていい。ウィルベル達の姿はあの兵士達の目に焼き付いたことだろう。
「はぁ……みんな大丈夫? 怪我はない?」
「当たり前じゃない、あんなザコ相手に怪我なんてするわけないでしょ」
シャルは不敵な笑みを浮かべてロトと手を繋いでみせる。
まあみんな腕は立つからもともと心配はしていない。それよりも麓から牢獄に入った革命軍が心配だ。急いで援護に行かなければならないだろう。
「みんな、今から牢獄内に入って……っ」
背後に殺気を感じて、咄嗟に近くにいたセーナを抱えて飛ぶ。直後に二人が立っていたところに青緑の液体が降りかかった。
「なっ……大丈夫ですか!?」
ロトが駆け寄り、ウィルベルとセーナを起こす。二人とも無事だ。体を起こして攻撃の主に目をやる。
「うん、平気……だけど」
「なんだアイツ……!」
三人の隙を庇うように立っていたシャルが驚きの声をこぼした。その視線の先には大型の獣。獅子の頭に山羊の胴、長い尻尾は蛇だった。先ほどの液体はどうやらその蛇が吐き出したものらしい。地面に垂れた液体は煙を立てて泡立っている。頭から被ればタダでは済まなかっただろう。
「あれは……キマイラ!」
ロトが声を張り上げた。その判断にウィルベルも同意だ。あんな奇妙な生き物、そういくつもいてはたまらない。
ウィルベルの知識によれば、あの魔物は西の山脈の向こう側にしかいないはず。それがなぜこんなところに、なんて疑問を挟む暇はない。今はとにかくアイツを退ける、それだけだ。
ブンブンと槍を回すシャルが先頭に立ってキマイラと対峙する。セーナとロトの後衛二人を下がらせ、ウィルベルはシャルの隣へ。
シャルはギリギリと歯を鳴らし、
「あんなのぶっかけようとしやがって、乙女の肌に傷跡が残ったらどうするつもりなのクソ犬が……犬? ライオン?」
「なんでもいいわよ……ただ、躾のなってないペットにはお仕置きしないとね」




