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短編

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作者: 阿江

主人公が妹の彼氏を奪います。

 事が終わって煙草を吸いはじめた目前の男の白い背中を蹴った。筋肉の弾力と、びくともしない体躯に苛立ちが頂点に達して、膝をギュッと曲げ、パンと足を伸ばして思い切り勢いをつけ横腹を抉ろうとすれば、肌に当たろうという瞬間に足首を押さえられた。

 なんでこの男は許可なく足を触ったり、したいようにさせないのだろう。黙って蹴られとけよ、怒りがもたげて、「離せよ」と低く言った。

 柏木はちょっと困惑した表情をして、それから自分の手がつかんでいる足首に視線を下ろした。


「なんですか、突然」


 次の瞬間には困惑を消し去り、普段どおりの調子で私の顔を覗き込んでくる。そのとび色の瞳に、口が歪んだ女が映った。

 同時に薄汚れた寝台も。


 周りを見回せば、雑然とした汚い部屋で、これが自分の女の部屋であれば、絶対に結婚しないだろうと思わせる。まあ私の部屋だけど。1kの物件なので、開いた扉からキッチンが見える。キッチンは綺麗だ。私は虫が嫌いだから。


「突然じゃないよ」

 何か罵倒の文句を探しているうちに、面倒になった私は「まあいいよ帰れば。シャワーは使わないで、汚れるから」と言ってから、もう一度寝台に横になった。


 私がこの世で最も嫌いなのは自分のモノが使われることだ。シャワーを他人に使われるのは吐き気を催す。


 柏木は黙って煙草を吸って、「じゃあ帰ります。お姉さん、また連絡します」と一言だけ呟き、帰っていった。

 玄関で扉が閉まる音がしたので、私はゆっくり体を起こして鍵を掛けに向かった。


 

 

 妹がモデルになってから3年、私が会社を辞めてから1年たった。

 時折、雑誌や週刊誌で顔を見る妹は、見ない間に随分と垢抜けた。


 妹の顔が見たくなり、机の上に詰まれた雑誌を引っこ抜こうとして、このままだと雪崩が起きるなと思ったので、一番上の週刊誌を手に取った。


 真ん中辺りに、妹の顔と男の顔が映っていて、『真夜中の○○』と心底どうでもいい題がついていた。ゴシップだ。

 妹はよくこういう報道をされる。

 黙って白黒の写真を見つめる。スラリと背の高い女と、手を繋ぐ物憂そうな男が写っているのが辛うじて判別できる。どちらも知っている。記事の『本気交際か!?』の一文を、鼻で笑う。妹栗城(くりき)メグと男柏木君尋(かしわぎきみひろ)、その二人の手を組み合う様子が可笑しくて、一際高く喉奥で嗤った。


 ああ可笑しい。

 こいつらどちらも最悪で。

 ある意味お似合いだ。


 ベッドで笑い転げた。



 妹は年が離れていたのがよかったのか、そこそこ仲がよかった。私が6歳の頃に生まれた子供で、両親はどうにも可愛かったらしく、結構色々なことで差をつけられた覚えがある。

 でも、まあ可愛がって愛してくれていた。


 幼い頃から妹は生粋の美少女で、家族だと近すぎて顔の美醜は分からなくなると言うが、間違いなく妹の顔は整っていると、当時確信していた。

 ちょうど妹が生まれた辺りで、父は奮起して新興住宅地に一軒家を建てたのだが、隣の家族は新婚で、妹と同い年の男の子がいた。

 母は新婚夫婦の奥さんのおしとやかで控えめな態度に好感を持ったらしく、まだ育児が分からないその人に色々とアドバイスをして、仲良くなっていった。

 男の子の名前は光一といって、コウちゃんコウちゃんと可愛がられていた。

 まだ、自分の屑みたいな性格を嫌い、矯正しようとしていた頃。たぶん最後辺りだった、私がまともに人を好きになれた最後辺りの期間だったと思う。


 コウちゃんとメグは馬鹿みたいにかみ合わなかった。コウちゃんは色白で、ひ弱で自分の意見を言えない子供で、メグは真逆の性質をしていた。コウちゃんはメグの勢いに押されて、いつでも半泣きで、そして泣き止むと、私の近くで一生懸命お絵描きをしていた。


 どちらかというとメグよりもコウちゃんのことが好きだった。

 メグの頑として譲らない態度、決して折れない姿勢。メグが私のものを欲しいと言い、決して渡すつもりが無かったのに、いつも必ずメグのものになってしまう。両親は『喧嘩はメグのほうが強いわね』と笑っていたが、私はメグの態度が嫌いだった。


 コウちゃん――彼は、別に心優しい人間でもなかった。心弱い人間が優しいのはフィクションの中だけで、だからこそ、普通の人間だった。


 メグはコウちゃんのことを好きだった。だから意地が悪くなり、どこかへ行こうと思えば、手を強く引っ張りすぎてしまうのだ。

 その頃は――たぶん――微笑んで(わらって)見ていた。コウちゃんは強引な態度に不満そうで、だけどメグが美少女だから、少しいい気になっていた。


 微笑んでいたのは、コウちゃんがメグよりも私の方が好きだと言うことを知っていたからだった。コウちゃんが普通の人間と違ったのはただ一点、人よりも粘着質であったことだろう。初恋の人間に彼はずっと執着していた。


 その理由も、私は知っているのだ。

 中学生の頃、美術の作品が結構なコンクールで入賞して、それが県の寺に飾られることになったのだ。寺に何故飾られたかには色々経緯があるのだが、まあ今でもそこの坊主とは時折会う。

 

 私の家族はそれを見に行くことになり、ちょうどその日、隣の一家の旦那さんの休暇だった。母が気を利かせて『新婚さんでしょ。二人でどこか日帰り温泉でも行ってらっしゃいよ。コウちゃんは面倒見るからね』などと言って、コウちゃんも連れて見に行くことになった。

 

 寺は山の上にあるのだが、意外と面積が広く、絵は中央の本尊の渡り廊下に飾られていた。

 今でも不思議に思うのだが、絵の題名は中学生にしては中々センスがいいのだ。

 『夜陰の彩』、何かしら漂うものはあるものの、まあ結構気に入っている。


 コウちゃんはその絵にとりつかれた。それはたぶん正確な事実だったと思う。

 私は絵を描くのはは下手糞だったが、色塗りだけはやけに上手で、色作りにも自信があった。

 絵の題材はその寺で、色濃い闇に漂う白い靄と奥に目を凝らせば見えるほどの様々な色彩。画用紙の真ん中――宙に浮かぶ寺がある。寺は木材だったが、本来の色を無視して、滲んだ暗い色を塗った。背景よりも多少明るい程度、薄く浮かび上がるくらい寺。実はよく見ると背景の方が明るい。


 コウちゃんが絵から離れようとしないので、『コウちゃん、お家へ帰って絵を描いて。私は絵を描くのは苦手だから。描いてくれれば色を塗ってあげる』と宥めた。


 コウちゃんは私のことが誰よりも好きだった。たぶんコウちゃんの両親よりも。

 

 私は人から好かれたことが無かった。両親は愛してくれた。だけどそれは年を経るごとに、どういうものか身に染みて理解させられた。

 娘としては好きなのだ。夕食になると、ダイニングまで行く、親のいうことは大抵聞く。


 だけど両親は人間としての私を受け入れてくれたことはなかった。私は潔癖症ではなかったが、自分のベッドに人が触れることを許さなかったし、しかも寝ているときに触られると、ほとんど発狂した。そしてそれ以外のことに対して、私がほとんど感情を乱さないのを気持ち悪がっていた。


 それを直そうとしていた。だけど無理だった。両親も私が努力していることは知らなかったと思う。

 スクールカウンセラーに相談しに行ったと言えばどういうだろう。


 一応学校に友人はいた。でも彼女らも私のことを面白がっていただけだ。

『シズちゃんってホント変わってるよね~!』

 彼女らの期待に答えるように、少し変わったことを言えば、そういうキャラとして面白がられた。

 彼女達は私が多少でも普通の感性を持っていることを忘れているようだった。


 クラスで苛めが起こった。

 実はどうでもよかったのだ。苛める側も苛められる側も、本当にどうでもよく、普通の日常を送ってやろうと思った。

 だけど私はまだやる気だった。苛められる側についたのだ。これで何か変わる気がした。

 苛められた少女は私に心を許したようで、何でも話し、『シズちゃんがいてくれなかったら、寂しくて苦しくて、辛かったよ』と言った。

 私にも苛めの火が飛び火して、少々熱かった。

 

 何があったのかは知らないが、苛められていた少女は苛めていた側の少女と仲良くなり、というか元々仲がよかったらしく『苛めてごめん、ごめん』『もういいの』なんていうやり取りがあったのかは知らないけど、いつのまにか苛めはやんでいた。

 苛めていた人間は後悔したのか、苛められていた少女に謝罪していたが、私には何の反応も無かった。

 というか、苛められていた少女は友達が戻ってきた辺りからまったく私により付かなくなった。

『チエさ、シズと仲良かったよね。シズも苛められてたんでしょ?』

『ああ、なんかわかんないけど、優しくしてくれたね。なんでだろ。まあでも変人だよね、全然苛められても気にしてないんだもん。今思うと違う人種だよね』

 へーそうですか。たぶん私は少し傷ついた。それは喜ばしいことなのかもしれないけれど、ハッキリ言えば吐き気がした。


 何もかもが蹂躙される。こいつらの無神経さ、考えなしさ。


 でもこれが普通の人間なのだ。



 両親も、そしてクラスメイトもこれが普通の世間一般の人間。



 そしてコウちゃんは、時を経て、私が少し変わっていることに気付いても、『変わってますね』といいつつ、笑っていた。コウちゃんは変人であっても、私のことが好きだったのだ。


 その一方でコウちゃんとメグは思春期を向かえ付き合うことになった。コウちゃんはだんだんとメグのことを想うようになり、メグもまた支えてもらっているようだった。


 コウちゃんは画家になるという途方もない夢があり、メグは芸能界を目指していた。

 どちらの夢が巨大と言うわけでもないけれど、メグが上を向けていたのはコウちゃんのお陰であったと思う。



 大学生になり知り合ったのが、柏木だった。私の彼氏が主催していたスキー同好会に入会してきて、向こうは他にもいくつかのサークルを掛け持ちしていた。

 私の通っていた大学は有名私立で、スキー同好会はその中でも金持ちが多かった。彼氏は黒縁の眼鏡を掛けた暗い人間で、いつものように何か特殊な雰囲気を出しつつ、優しくしていれば、所有物扱いされるようになった。そういうものなのだ。


 人は与えられたものを粗末に扱う。決してそれが誰から与えられ、何かを犠牲にして与えられていることに気付かない。

 

 柏木はその頃、俳優としてやっていたから、サークルに入ってくる人間は多かった。そのうち、彼氏も後輩の可愛らしい子に慕われ、気持ちが傾いているのが見ていて分かった。


 色々あった。でもあまり重要ではない気がする。だから何も言わない。


 柏木と私は仲がよかった。主催の彼女であったから同好会の中で、発言権もあったし、意識して人との間を泳ぐように移動していたから、向こうも付き合いやすかったのだと思う。


 15歳でメグはモデルになった。

 そして勿論人は変わる。

 途方もないくらい残酷に豹変するし、そこには何の未練も無いように価値を見出さなくなる。


 妹は私が持てなかったものを簡単に捨てた。

 妹は浮気した。結構何度もしていたし、途中からコウちゃんはそれを呆然としてみていた。


 誰もが知ってはいたが、誰も何も言わなかった。

 両親はコウちゃんに悪い気はしつつも、モデルになっちゃったのね、くらいの気持ちだっただろうし、コウちゃんの両親も、モデルの子なんだからなあ、ぐらいの感じだったと思う。


 世間一般の感じ方はこんなものだ、本当に。それがもう分かっていたので、どうも思わなかった。


 はは、いや誤魔化すのはやめて言うなら、どうとも思えないのだ。



 結局のところ、経緯を省くのならコウちゃんは自殺した。


 


 そして私は今、無職で、そして妹の彼氏と隠れて会っている。どうでもいいのに、何かに執着して、それに心を動かされている振りをしないと生きていけない。妹、彼女の立場も言い分も、十分に理解できる。柏木、彼のことも理解できる。それは一部分の理解ではあるけど、私の気にしている部分についてなら分かるのだ。


 柏木が数日後に家に来たとき、オムレツを作ってくれた。私は料理が下手で、しかも外食が嫌いなので、卵のとろりとした口ざわりと、ホワイトソースに混じったキノコと鼻を突くチーズの香りの美味しいオムレツは嬉しかった。


 そうしていると、家のチャイムがなって、ああそろそろ時間だなと思って、椅子から立ち上がった。玄関の扉を開けるまでに、一定のリズムを刻んでいた心臓は、開けた瞬間に止まった様に感じられた。


 顔を真っ赤にした美しい妹がいた。私の表情を見て、華奢な肩を怒らせ、ブルブルと手を振るわせた。そして手を思い切り掲げて、頬に振りさげてくる。

 

 一方後に下がって避けた。メグは小さく息をついた。


「君尋!」

 怒鳴ってから、妹は土足で家に踏み入った。

 じっとその激昂した様子を眺め、なんだか妙にこういうものなのかなと思った。


 こういうもの。こういうもの。


 視線を感じると、柏木は妹を見つめる『私』を見つめていた。首をかしげた瞬間、乾いた音が響いて、柏木は頬を赤くしていた。


 柏木はまるで聖母の如く、優しい穏やかな表情で微笑んだ。


「別れようか。メグ、どうやら君は、嫌っていたお姉さんに男を寝取られたようだよ」


 どちらにも同情する気も無かったたのに。


 どちらも最低すぎて、後味が悪い。

 そして自分が意味の無いことをしたのだと改めて確認してしまった。


「最低」

 低くうなった後、

「言っておくけど、わたしの姉とまともに付き合えると思ったら大間違いだから。この人は本当に最低で、人の気持ちが分からない人だから」


「お姉ちゃん、あのさ、これってもしかしてコウのことでしたの? そうだとしたら鏡で自分の顔みてみなよ、全然怒りに燃えた顔でもないし、ホントどうでもよさそうにしてる。コウのことなんてどうでもいいんでしょ」

 最低、何度か吐き捨ててから、妹は突然携帯を取り出した。


「一応、私も覚えてるんだよコウのこと。ほらこれ、このストラップ、コウがくれたんだけど、こんな安っぽいの今でも付けてあげてるの」


 柏木はやり取りを無視して、オムレツを食べ始めていた。


「メグ、柏木とはもう会わないから、そのストラップを頂戴」

 顔を歪めた女は、まだ最低な男を思っているのか、ストラップを投げてよこした。



 コウちゃんは自殺しようとしたけれど、死にはしなかった。脳溢血だか覚えていないが、脳の血管が破裂したのかそんなので、精神年齢が6歳前後らしい。

 コウちゃんの両親に介護をしてもらって、生活している。


 コウちゃんは途中から、私よりもメグのほうを愛するようになっていた。

 人の心変わりを軽蔑するくせに、コウちゃんのことは軽蔑し切れなかった。


 私は何かを立ち入れる距離にいなかったし、立場でもなかった。だけど、した。メグが本当に柏木のことが好きだと知っていたから。そしてコウちゃんがメグのことを愛していたから。

 恋愛など、どうでもいいものだと思っていたけれど、なんだか酷いものだと今回のことで思った。

 あまりにも人間を動かしすぎる。感情とか情熱は制御できないものなのかもしれない。でも、それとこれとは別だ。


 何かをしたなら報いを受けるべきだと思う。だけど、私はもうそれを自分で受けた。一番私がいやなところまで落ちた。

 人のものを盗ったり、そういうこと。そして自分のベッドを人に使わせる。


 柏木と本格的に男女の関係になる前、コウちゃんのお見舞いで私の絵を見せた。コウちゃんは何の反応もしなかった。

 だけど、私がメグのストラップを見せた瞬間に、顔を輝かせて、そして絵を描き始めた。


 見ながら、これが赦しなんだと思った。


 赦す権利のある人は輝かんばかりの潔癖さで赦した。


 許しは何か感情とか怒りがある人が持てるものなのだ。持っていない人間が赦したところでどうにもならない。そして赦していいものかと、理性的に判断している時点で終わりだ。


 数ヵ月後、真冬の季節、柏木は私の家の前で待っていた。鼻は赤く、とび色の目は潤んだようで綺麗だった。


 無視しようとしたとき、柏木は「冬の季節、毎日ここで待ちます。僕が貴方を裏切っていたのは60時間くらいあります。60時間寒い中ここに座り続ければ赦してくれますか」と言う。

 私は始めて他人のことを変わっているなと思った。


 そして、中に入れてあげて、オムレツを作ってもらいたいたいと思った。



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