魔法戦士フェニックス・アイ 読み切り版
夕闇深い摩天楼に悲鳴が木霊する。邪悪な影が街を覆い、人々はただ逃げ惑う。
「ハハハハ! さぁ、もっと恐怖して悲鳴を上げろ! それこそが我らの糧となり、力となるのだ!!」
青い肌と赤い瞳をした、レザーっぽい露出の高い服を着た女が高笑いとともにムチを振るう。その音に合わせ、全長3メートルはあろうかという、巨大なスライムモンスターが周囲に触手を飛ばして、建物を次々に破壊していく。
異世界【ダークネビュラ】からやってきた侵略者達。強力な力【魔法】を駆使するその存在に、人間は抵抗する術を持たない。
ただ、このまま逃げ惑うしかないのか。蹂躙の嵐が去るのを、ただじっと待つことしか出来ないのか。
答えは――否。
「待ちなさい!」
ビルの屋上。月を背負って二つの影が立つ。一つは鳥のような大きい翼を背に生やし、額に赤い宝石を持った蒼い獅子のような獣。
もう一つは若い女。背中まで伸ばした緋色の髪。腰に一振りの剣を差し、黒のインナーの上に朱いビキニアーマーを纏う。背に纏った翼をモチーフにした白いマントが、ビル風を受けて羽撃くように揺れている。
「家路を急ぐ人達の迷惑を顧みない破壊活動! 例え天が許しても、正義の炎が許しはしない! 帰宅ラッシュもなんのその! 魔法戦士フェニックス・アイ、ただ今参上!」
バシッと名乗りを上げ、ビキニアーマーガール――魔法戦士フェニックス・アイは剣を掲げる。
「現れたな、フェニックス・アイ! 今日こそ貴様の首を女王陛下に捧げてくれるわ!」
「いつもいつも同じ台詞ばっかりね、フェルモナ。ボキャブラリーが少な過ぎよ。クーリャン、保護結界よろしく!」
フェニックス・アイはビルの縁に足を掛け、一気に飛び降りる。
「ちょっと待って!? もう……保護結界、展開!!」
クーリャンと呼ばれた蒼い獣が空に向かって吠える。すると、光のドームが拡がって、逃げる人達の姿が消える。
保護結界――形成された戦闘フィールドの中では、特定の存在以外は干渉を受け付けなくなるのだ。
「こっちも急いでいるんだから、さっさと決めさせてもらうわよ! フェニックスソード!」
フェニックス・アイは柄に手を掛けて一気に引き抜くと、スライムモンスターに向かって一気に斬りつける。
が、強い弾性を持ったその体に刃が触れると大きくめり込み、その反動で思いっ切り弾き飛ばされてしまう。
「うわわっ? 剣が通らない!?」
「アーハッハッハ! その”グレートスライム”に物理的攻撃は一切効かない! さぁ、グレートスライム! フェニックス・アイを仕留めるのだ!!」
「うわっと!?」
フェルモナの指示を受けてグレートスライムが動く。槍の如く、針の如く、次々に襲いかかるスライムの触手をフェニックス・アイはダッシュで躱す。砕かれたコンクリートの破片の雨の中を駆け抜けながら、フェニックス・アイは左手甲に嵌め込まれている真紅の宝石【聖霊石クリムゾン・ルビー】を見やった。
宝石の中には炎が揺らめき、力強い光を放っている。
「魔力はまだまだ充分あるわね。なら、一気に仕掛ける!」
フェニックス・アイはキッと敵を睨むや、一気に飛び上がった。そのまま街灯の上に降り立つと、更に襲いかかってきた触手攻撃をジャンプして躱す。
地面に降り立ったフェニックス・アイ目掛けて、グレートスライムの攻撃が迫る。触手では当たらないと判断したのか、自分の体の一部を散弾のように飛ばしてきた。
広範囲を抑えこまれ、逃げ場は一切ない。しかしフェニックス・アイに焦りの色はない。高々と左手を空に掲げる。
「フェニックスシールド!」
その腕に炎が渦巻き、折り畳まれた翼を模した、朱い盾が出現する。
翼が開くと、赤いドーム状のバリアが出現した。散弾の雨が激しい音と共にそれにぶつかり、消し飛ばされていく。
フェニックス・アイがバリアを維持したまま、ソードを引くように構えると、その刀身に紅蓮の炎が渦巻いた。
「これでも喰らえ! ヒート・ブレイズ!」
散弾の切れ目を狙って、フェニックス・アイの魔法が炸裂する。突き出されたソードから勢い良く炎が噴き出し、グレートスライムを一瞬で呑み込んだ。
「ハーッハッハッハ! グレートスライムは魔法に耐性があるのだ。お前の炎など通用するものか!」
「さぁて……どうかしらね?」
フェニックス・アイは不敵に笑い、更に炎を放ち続ける。そしてしばらくの後、炎を収めて残った残滓を振り落とした。
轟々と燃える炎のその向こう側を見やれば、グレートスライムはその表面を焼かれてひび割れているが、未だに健在であった。
「駄目だ。やっぱり効いていない」
「いいえ。これで充分よ」
顔をしかめるクーリャンにフェニックス・アイは自信満々に返した。
「ハハハハ! 表面を焦がした程度、痛くも痒くもないぞ! さぁやれ、グレートスライム!!」
それを負け惜しみと見たフェルモナは、鞭を振るってグレートスライムに命令した。
だが、グレートスライムは身動ぎはすれど何故か攻撃をしない。
「何だ? どうした、グレートスライム!? 何故攻撃しない!?」
「しないんじゃなくて、出来ないのよ」
「っ!?」
フェニックス・アイの言葉にフェルモナがグレートスライムを改めて見た。そして気付いた。
グレートスライムは炎によってその表面を焼かれていた。それによって硬質化した体表面は、ガラス状になって固まっていたのだ。
グレートスライムの攻撃は全て表面から自身の体を変形させて行うものだ。それが表面が固まってしまったことで全て封じられてしまっていた。
勿論、高い生命力を持つスライムである。すぐに再生を始め、表面が徐々に元の流動体に変わりつつある。
しかし、その僅かなタイムラグこそがフェニックス・アイの狙いであった。
「フェニックスソード、チャージアップ!」
天に向かって構えられたソード。フェニックス・アイの足元から吹き上がる紅蓮の炎がその刃に向かって集束していく。ソードがその炎を吸収し、明々と輝いた。
ヒュン! と、刃を返してソードを構えると、背中のマントが大きく開き、鳳翼となる。翼が強く羽撃いて、フェニックス・アイは一気に空へと飛び上がった。
「劫火一閃! コロナ・ブレイカァアアアアアアッ!」
フェニックス・アイは、眼下にグレートスライムを捉えると、迷う事無く急降下。振り上げたフェニックスソードを全力で叩きつけた。
超高熱を内包した刃は、やすやすとグレートスライムの体を両断。その切り口は一瞬で発火し、90%以上を水分で構成しているその体を、轟音とともに爆発四散させた。
その衝撃波はすさまじく、周囲のビルの窓は勿論の事、飛び散った破片が壁や床、至る所に破壊の爪痕を刻みつけた。
それはグレートスライムの近くにいたフェルモナも同じで、衝撃に吹き飛ばされていた。
「くそ……っ! 覚えているがいい、フェニックス・アイ! 次こそは貴様の首、いただく!!」
ギリギリと憤怒と憎悪に歯軋りし、フェルモナは地面に現れた闇色の穴の中へと姿を消した。
「まーた同じ捨て台詞。ダークネビュラの連中って、本当にボキャブラリー少ないわね」
戦いは終わり、フェニックス・アイは剣を収めた。見回せば後には壊れた町並みが映る。
「クーリャン、修復魔法を展開するわよ!」
「了解。術式解放。魔力回路接続……確認。いつでもいいよ」
クーリャンの言葉を待って、フェニックス・アイは左手甲のクリムゾン・ルビーを掲げる。
「修復魔法【リバース・レッド】発動!!」
クリムゾン・ルビーがまばゆく輝くと、周囲を赤い光が埋め尽くし、破壊されたものがその中で次々、元あった形へと直っていく。
そうして全ての建築物が直ったことを確認すると、クーリャンは保護結界を解除。同時にフェニックス・アイと共に空高く飛び上がって、夕闇色の空へと消えていった。
そうして全てが終わった街には平穏が帰り、いままで起こった出来事にざわつきながらも、人々は家路へと着くのだった。
◇ ◇ ◇
夜。どこにでもあるとある一軒家のリビング・キッチンでは父、母、長女、次女の四人家族が食卓を囲んでいた。
「どうしたの、藍。今日は一段とよく食べるわね~」
「え……そうかな? 今日はちょっと運動したせいでお腹空いているかも………あははは」
母の言葉に長女である日野森藍が箸を止める。大皿にガッツリと盛られてあった筈の野菜炒めは、食事開始7分で陥落寸前であった。
藍は肩まで伸ばした髪をおさげに結んだ。顔立ちも整っていて、スタイルもウエスト以外は実に良いし肌にはシミもなく、「藍ちゃんは後は痩せるだけで完璧なのにねぇ~」と友達に心の底から残念がられる自称ポッチャリ系――実際軽いおデブ少女であった。
別に彼女の食生活に問題があったりした訳ではない。その肥満の原因の殆どが脂肪を貯めこんで太りやすい彼女の体質故であった。
「お姉ちゃんさぁ、そんなんだから痩せられないんだよ? 付き合わされて玄米やら食べさせられるこっちの身にもなってよ。まぁ、あたしはダイエットする必要もなく痩せられるから良いんだけどさぁ~」
「ぐぅ……っ」
妹の辛辣な言葉が胸に突き刺さった。妹の茜はスレンダーなスタイルをしておる美少女であり、おおよそ姉妹とは思えない程にスタイルの差があった。
既に4年目に突入する家族協力ダイエットレシピも、効果もないままに時だけが過ぎ去っていた。
今日、食卓に上がっている野菜炒めも油から肉から、太り難いようにと気を使ったメニューになっているのだ。
「藍。気にすることはないぞ? お前が悪いわけじゃないんだから。それに父さんもメタボにならないから、むしろありがたいぐらいだ。はっはっは」
そう言って笑う父に、藍はただ「あ、ありがとう。お父さん」と、複雑な思いで返事をした。
『――ということで、世界一大きいシフォンケーキでした。さて、次のニュースです。再び◯◯市に怪物が出現しました』
「また怪物騒ぎ? ……あ、フェニックス・アイだ」
「ぶほっ!!」
「ちょっと!? 汚いじゃないのよ、お姉ちゃん!!」
「ご、ゴメン……ゴホッ、変なとこに入った……」
リビングのテレビは、夕方に現れたグレートスライムが街を破壊する様子。そして、そこに現れた魔法戦士フェニックス・アイの映像を流していた。
保護結界を展開された後。結界表面がシャボン玉のようなマーブルを描いていた。しばらくしてそれが解除され、すっかり元通りになった街と、飛び去る直前の一人と一匹の姿までの映像が流れされると、映像を見ていたスタジオのコメンテーターが口を開いた。
『しかし、あれですね。この怪物といい、それをやっつける魔法戦士……でしたか? まるで特撮ドラマみたいですね』
『フィクションと違って、こっちは現実ですが……蓑原さんは如何ですか?』
『いけませんね。もっと警察が――』
魔法戦士フェニックス・アイの活躍。春から数えて既に三ヶ月になろうかというそのニュースは、今ではすっかりお馴染みのものになっていた。
「それにしても、このフェニックス・アイって誰なんだろうね? あんなコスプレもどきの恥ずかしい鎧なんて着てさ。そんだけ自分のスタイルに自信あるってことかしらね? どう思う……お・姉・ちゃん?」
意味ありげに口角を釣り上げて、妹が笑う。
「……ごちそうさま! 行くわよ、クー」
バシン! と、箸を叩きつけるように置いて、足元にいた三毛猫を呼ぶと、藍はズカズカと床を踏み鳴らしながらリビングを出て行ってしまった。
「うわぁ……マジ怒りだ」
「……茜。どうしてそうからかうような事を言うんだ? あとでちゃんと謝っておきなさい」
「はーい」
茜は父の言葉に生返事を返し、ご飯をパクリと口に放り込んだのだった。
一方。二階にある自室へと戻った藍は、部屋に入るやいなや足元にあったクッションを鷲掴みにすると、思いっ切りベッドへと叩きつけた。
「あーもう! いちいちいちいち……ウルサイのよ、茜は!!」
イライラのままにガチャリとドアに鍵を掛けて、とカーテンを閉める。そして左耳に付けた朱いイヤリングを、指先で小さく弾いた。
するとどうしたことか。藍の体を赤い光が包み込んだかと思うと、彼女の体型にピッタリだった筈のルームウェアがズルリと落ちてしまったではないか。それどころか、まるで樽のような体型だった藍の体は、別人のように変わってしまったのだ。
首も腕も、足も細くなり、腰もキュッと引き締まったくびれラインを生み出している。胸周りはもともと88であったものが、84ぐらいに変わっていた。
藍はすっかり変わってしまった自分の姿を姿見に映し、深く溜め息を吐いた。容姿の変貌もそうだが、特筆すべきは姿そのものあった。それは髪の色や長さを除けば、フェニックス・アイと名乗った少女そのままであったからだ。
「フェニックス・アイはあたしなのに……こっちが本当の姿なのに……どうして! いつまでも! 太ったままじゃないと! いけないのよ!!」
どすん! どすん! と、クッションを殴りつけながら憤りを吐き出す藍。本来ならば階下にも伝わってしまうそれらだが、部屋全体を防音結界で囲んでいるせいで音漏れは一切無く、気兼ねなく叫び暴れられるのである。
「アイ……まだそれを言うッチ?」
足元で三毛猫が口を開く。が、その色はあっという間に三毛から青い毛並みへと変わった。そしてその背中には小さな羽が生えていて、尻尾の動きに合わせてパタパタと動いている。
日野森藍とクーリャン。
彼女たちこそ、魔法戦士フェニックス・アイとその使い魔として日々、ダークネビュラと戦い続ける者達であった。
「理屈なら分かってるわよ! でも、何度でも言うわ! どうして、いつまでも太ったままじゃないといけないのよ!!」
「それは、周囲のを誤魔化すためッチ。最初の変身で魔力素を使い切って、その姿になっちゃったんだッチ。人間の体型が一日で正反対になるなんて、異常事態にも程がるッチ。だから態々、変身魔法を使って以前と同じの姿になっているんじゃないッチか」
「えーそうね! そもそも、この姿じゃ体つきとかですぐに正体バレるからね!」
実際問題として、鎧や髪の色だけで正体を隠し通せる筈もない。元の太っていた姿に変身するのは必須である事は、藍も嫌というほど理解している。だが、問題はそこだけに留まらない。
成り行きとはいえ魔法戦士となった藍には、過酷な現実が待ち受けていたのだ。
「とりあえず、これ。家の食事がヘルシー寄りなせいで、カロリーが全然足りてないッチからね」
クーリャンがそう言って、器用に前足を使って差し出してきたのは【スティッカーズ】というチョコバーであった。
しかしこれは只のチョコバーではない。ナッツ&アーモンドバターがたっぷり入っているのだ。
これを一本食べれば一日の摂取カロリーの七割をまかない、脂質に至っては、棒高飛びの金メダリストがガードレールを本気で飛び越えちゃうぐらいのレベルでオーバーしてしまうという恐ろしさ。
そのくせ、味は超美味いという、正にダイエットの天敵。彼女にとって悪魔の食べ物だ。
「……うぅ。またこれだぁ……」
藍はこれでもかという程に眉をひそめ、心底嫌そうな顔をしながら、それを受け取った。これを食べるという事がどういう事か分かっていても、それでも藍にはこれを食べなければならない理由があった。
封を開けてパクリと一口。ねっとりとした甘さの中にナッツの歯応えがアクセントになって、非常に美味である。
「むぐむぐ……美味しいよぉ~」
涙を流しながら食べ続ける藍。その前に、更に三本が差し出される。
「………後で食べるから、置いておいて」
◇ ◇ ◇
闇のグラデーションが全てを包み込む空間。その中心に石造りの、円錐状の巨大な建造物があり、そこの頂上には一体の女神像が置かれてある。
頂上から伸びる階段の下には、フェルモナが膝を付き、頭を垂れていた。その表情は不安と恐怖によって歪められている
「申し訳ございません、クイーン・ダークネス様。またしても魔法戦士に……!」
『光の国の魔法戦士……想像以上の成長を遂げているようですね。ですが、まだまだ青い』
「……は?」
てっきり叱責されるとばかり思っていたフェルモナが、呆けたように顔を上げた。
『グレートスライムを倒した手練はなかなか。しかし、グレートスライムの生命力を侮ったばかりに……』
「っ……! 直ちに出ます!」
フェルモナは立ち上がると一礼し、フロアにある巨大な門を潜っていった。石造りの門扉はフェルモナが通り過ぎると、ゆっくりと閉じた。
同時刻。フェニックス・アイの戦闘が行われた場所近くの下水道。そこには無数のゲル状の何かが集結しつつあった。
◇ ◇ ◇
翌日。藍の通う高校の昼休み。彼女のお弁当は母特製のヘルシーサンドイッチであった。
マヨネーズは当然、カロリー3分の1。具材もレタスやポテトなどの野菜系中心で、可能な限り脂質を減らしたもの。炭水化物は夕食で軽減するので、昼は少しなら問題ないのだ。
一つを口に入れれば、レタスのシャッキリとした歯応えが実に心地よい。
ゆっくり、しっかりと噛みながらサンドイッチを完食すると、背中から声を掛けられた。
「よーす。こりもせずダイエット継続中か?」
「裕美……また、いっぱい買い込んだわね。そんなに何処に入るのよ?」
パンを両手で抱えてやってきたのは、同じクラスの御手洗裕美であった。バレー部所属のアタッカーである彼女は消費するカロリーも相当で、毎食毎食がこれでもかという程の量である。
「ほら。叶わないダイエットなんて止めて、もうちょっと食えって」
などと言って、メロンパンが目の前に落ちてきた。藍が頬をヒクつかせて裕美の顔を見れば、邪気の欠片もない素晴らしい笑顔であった。
彼女なりに、藍の体を気遣っているのだ。そんな裕美の優しさに対して藍は――。
「あ、ありがとう……裕美」
――ただ、涙を流しながらパンを食べることで応えるしかなかった。それが感涙ではないことだけは確かである。
◇ ◇ ◇
夕方の街。誰もが帰る道を急ぎ、またはこれから夜の街を行く人達が流れている。
変わらない日常。その光景。そんな中に異変は起こった。
「あれ?」
ピチャン。と、OLのヒールが水を踏んだ。足元を見れば、水溜りがあった。
最初は気にも留めずに歩いて行った彼女だったが、ここ数日雨が降っていないこと。そしてそこが側溝から離れた歩道であることに気付き、何かおかしいなと振り返る。
「ひっ……!」
そして短く息を呑む悲鳴を上げた。彼女が見たのは地面に壁にと張り付いてもぞもぞと動くゲル状の何かであった。
その悍ましい光景に女性が思わず後退ると、それに反応したかのように、それらが一斉に動き出した。
「き……キャアアアアアアアッ!」
響く悲鳴。だがそれはすぐに呑み込まれた。
◇ ◇ ◇
「はぁ……お腹すいたなぁ」
深い深い溜息を一つ吐いて、藍は空を仰いだ。昨日渡されながら、結局は食べなかったスティッカーズがバッグの中に入っていることを思い出し、手を伸ばしかけて――止めた。
藍は太りやすい体質で、だからこそ人一倍食事には気を使っていた。そのお陰で、多少なりとも痩せ始めていたのだ。
だがしかし、今はどうだろう。痩せた姿を誰にも見せられず、それを見せるときは魔法戦士になる時だけだ。
そして魔法戦士として戦えば、体が餓鬼の如く食を欲するのだ。想像してほしい。この体型で大食をすると、見る者にどういう印象を与えてしまうのか。
デブの大食い。ただその一言に尽きる。不摂生で太ったならまだしも、自分に非がない――少なくとも暴飲暴食もしていないし、運動も普通にやっていた筈だ――のにそう言われるのは、年頃の乙女としてドレだけ苦痛か。
「食べたくないのに食べないといけないって……地獄ね」
藍は肩を落として零した。その哀愁に満ちた表情は夏の夕焼けに照らされて、赤く染まっていた。
「キャアアアアアアアッ!」
そんな時だった。藍の耳に悲鳴が届いたのは。
「何――!? これは……ダークネビュラの反応!?」
耳に揺れるイヤリングが一度、澄んだ音を響かせる。それはダークネビュラの魔力波動をキャッチした反応であった。
藍はすぐさま地を蹴って駈け出した。幻影であるその太った体は軽やかに舞い、人気のない場所へとスルリと飛び込んだ。周囲に人がいない事を再確認し、藍はイヤリングを弾いた。
「ウェイクアップ、フェニックス・アイ!!」
藍の言葉に反応し、イヤリングが強い輝きを放った。そしてその光の中で藍が変わっていく。
朱い炎が渦を巻き、偽りの姿を焼き尽くす。真実の姿を晒した藍の前に、炎の鳥が舞い降りた。
聖霊【フェニックス】。藍に力を貸す光の国【ホーリーランド】の守護者の一体である。
フェニックスがその翼を大きく広げると、その炎の下から真紅の鎧が現れる。そして鎧から光の帯が現れ、藍の体を包み込んだ。
帯はインナーへと変わり、そして鎧が藍の体に次々に装着されていく。
装着を完了し、藍の全身を炎が包み込んで髪を紅蓮に染め上げ、背中に翼型のマントを装着させる。
そしてイヤリング――【不死鳥の瞳】が一本の剣へと変じ、藍の腰へと備えられた。
最後に光の幕を砕いて、藍は魔法戦士フェニックス・アイへの変身を完了させた。
「フロートフェザー!」
僅か0,7秒の変身を終え、フェニックス・アイは大きく翼を広げて飛翔した。あっという間に天高く飛び上がった彼女は、飛び込んできた光景に絶句した。
「こ、これって……何なの!?」
眼下に広がる街を埋め尽くすスライムの海。それに呑み込まれる多数の人や車。夕焼けの街は地獄の様子になっていた。
「スライム……まさか、昨日のやつ? でも、確かにやっつけた筈なのに……どうして!?」
「フェニックス・アイーッ!」
「クーリャン?」
呆然とする藍の元に、クーリャンが飛んできた。クーリャンは街の惨状を目の当たりにして、低く唸った。
「これは昨日のスライム……増殖して街を飲み込んでいるのか?」
「でも、コロナブレイカーは完璧に決まってた筈なのに……どうして?」
「スライムっていうモンスターは、体の中心に核を持っているんだ。それがある限り、何度でも再生する。でも、あの攻撃を受けて核を壊せないなんて……」
スライムは広範囲に広がってしまっている。この中から核を見つけ出すのは不可能だ。
「フェニックス・アイ。こうなったら【浄炎】を使うしかない」
浄炎とは、聖霊フェニックスの持つ聖なる炎を借り、邪悪な存在のみを焼き尽くす広域殲滅魔法である。
ただし強力な反面、全魔力を消費してしまう為に滅多に使うことが出来ない。まさに奥の手であった。
浄炎ならば、人に被害を与えること無くスライムを一掃できるのだが、フェニックス・アイは渋い顔をする。
「浄炎……でも、あれは」
「今は迷っている時じゃない。さぁ、行くよ!」
「っ……。仕方ないか……クリムゾン・ルビー!」
フェニックス・アイは左手を空に掲げ、クリムゾン・ルビーの全魔力を開放する。宝石の奥に揺らめく炎が激しく揺れ、一気に噴出した。
「聖なる浄化の炎よ。邪悪なる力を打ち祓い給え! 広域殲滅魔法【浄炎】!!」
噴出する炎を地面目掛けて叩きつけるように放った。炎は真っ直ぐに向かい、スライムに触れると瞬く間にそれを呑み込んで焼き払っていく。スライムの海は、あっという間に火の海へと変わった。
「よし。これで………なっ!?」
クーリャンが目を見開いた。スライムを焼き払っていた炎が、消失したのだ。およそ七割を消滅させたが、スライムは未だにそこにあった。
「フェニックス・アイ、一体どうしたの!? フェニックス・アイ?」
「……ゴメン。魔力が足りなかった」
フェニックス・アイは悔しそうに言った。魔力を示すクリムゾン・ルビーは光を失い、くすんでしまっている。蓄えられていた魔力がゼロになったのだ。
「どうして!? いくら昨日大技を使ったからって……。フェニックス・アイ、まさか君は……?」
クーリャンは何かに気付き、目を見開いた。
「………」
その視線に耐えられず、フェニックス・アイはそっと顔を背けた。
「藍。あのチョコバーはちゃーんと、食べたんだよね?」
思わず呼び方が戻ってしまう程、テンパるクーリャンのジト目が突き刺さる。
「………」
「食べたんだよね!?」
「……アハ」
「アハじゃなーーーーーーーーい! 何で!? どうして食べなかったの!?」
「だって、しょうがないじゃない! こちとら花も恥らう十六の乙女なのよ!?」
「だから何!? 君の魔力の源は熱エネルギー、つまり”カロリー”だって分かってるでしょう!? 高カロリーなものを食べないと魔力を回復できないっていうのに、何で食べなかったの!?」
「うっさい! あの体型でいっぱい食べるようになって、皆の呆れ半分哀れみ半分の視線に晒される惨めさが……あの居た堪れなさが分かってたまるかーっ!」
フェニックス・アイはあらん限りの声を上げた。天空高く響くそれは正に、青春を生きる乙女の慟哭であった。
魔法の源――魔力は、確固たる力である。それは使えば失われ、故に補充しなければならない。
魔力とは力を借りる聖霊の属性によって決まり、それを摂取することで聖霊石が魔力へと変える。火を司る聖霊フェニックスは熱を生み出すもの――直接ならば火が妥当である。しかし、生身の人間が火を摂取するなど不可能である。
なので、熱を生み出すもの――食べ物に含まれるカロリーや、人間の体脂肪を燃料とすることで、フェニックス・アイは魔力を生み出しているのだ。
だが、食べるということは物が胃に落ちるということだ。けっして口にした瞬間、消えてしまうのではない。そして魔力のために多く食べれば、胃に多く落ちれば、胃が拡がってしまう。
そうすると必然的に食べる量が増えてしまう。そうなればまた、空腹になりやすい体になってしまう。
これは単なる体質変化であり、仮に魔法戦士でなくなった後に戻るわけではない。年頃の少女にとって、これがどれ程の悪夢であるか。
だからこそ、少なくても高カロリーを摂取できるスティッカーズなのだ。
「とにかく、今はすぐに魔力の補充を……っ!?」
クーリャンがハッとして振り返る。直後、漆黒の電光が二人めがけて襲いかかった。
「うわっ!」
「これは……ダークネビュラの魔力!」
「フフフ。面白いことになってるじゃないか。しかも、憎きフェニックス・アイは魔力切れときた」
間一髪で避けた二人の前に、フェルモナが姿を現した。口元を愉快そうに歪めて、
「今までの失点、全てチャラにしてもお釣りが来るねぇ! アハハハ!!」
高笑い、鞭を振るって襲いかかるフェルモナ。フェニックス・アイはすぐに腰のソードを抜き放って、その一撃を防ぐ。
鞭と言いながら、その一撃はまるで良くしなる棒撃のように、受け止めたソードを激しく揺さぶる。
その苦痛に顔を歪ませながら、フェニックス・アイは毅然とフェルモナに向かっていく。
「フェニックス・アイ!?」
「コイツはあたしが引き受けるから、クーリャンはスライムに捕まった人達と、核の捜索をお願い!」
「………分かった。ムリしないで!!」
一瞬、逡巡の色を見せたクーリャンであったが、自分の力ではダークネビュラの幹部クラスには太刀打ち出来ないと、フェニックス・アイに任せ、地上へと降下していく。
「悪いけど、邪魔はさせないわよ」
「邪魔? フフフ……むしろ好都合ね」
ビュン! と、唸りを上げて鞭が空を切る。その音だけで打ち据えられた時の痛みが全身を駆け抜けた。
「今まで散々邪魔をしてくれたお礼を、今日はたっぷりさせてもらうわ!」
「そんなの、のし付けてお断りするわ! やぁあああああああっ!」
ちんたら戦っている余裕はない。残る魔力をフルに回して、フェニックス・アイはフェルモナに向かって突撃する。
「はぁっ!」
対するフェルモナも、小細工無しで真っ向から挑む。激突する互いの武装が火花を幾度と無く散らす。
「っ――!」
ビュオッ! と、鞭がフェニックス・アイの顔スレスレを抜ける。ここぞとばかりに、フェニックス・アイはソードを突き出した。
「おっと!」
フェルモナはそれを躱し、カウンターで足を振り上げた。それがフェニックス・アイの顎を捉え、頭が跳ね上がる。
「ぐっ……! あぁ……ぁあああああっ!」
更には鞭が腕を、足を、体を次々に打ち据え、フェニックス・アイは防戦に回り始める。だが、フェニックス・アイの瞳に動揺はない。
元々、残り僅かしかない魔力を使うしかない以上、狙うのは乾坤一擲の一撃しかない。
防御しながら、フェルモナが止めを刺そうとするその一瞬を堪えて待ち構える。
そして、その一瞬が来た
「そらそら! これでおしまいにしてやるよ!!」
フェルモナが止めとばかりに大振りの一撃を放つ。その瞬間、クワッと目を見開き、フェニックス・アイは動く。
元々、魔力の残り少ない状態での戦いだ。相手の隙を狙い、更にカウンターで直撃を叩きこむ以外に勝機はない。
「ファイヤースパイク!」
一撃を躱し、ソードをフェルモナに突き出す。切っ先に集中させた魔力が一瞬で紅蓮の塊へと変わり――爆ぜた。
ゴァアアアアアアアアアアアッ!!
響く爆音。轟く爆風。残る魔力すべてを使って撃てる最大級の一撃。防御も間に合わない完璧な一撃だった。
だがしかし――。
「おいおい。何だ、この炎はぁ?」
炎の向こう側からフェルモナが姿を現す。その手でソードを握り留め、ピクリとも動かない。
「そんな――っ」
「こんな程度で、この”雷霆のフェルモナ”様をどうにか出来るとか……舐めてくれるじゃないか!」
怒号と共にソードに亀裂が奔り、刀身が握り潰される。そして、フェニックス・アイの腹部に衝撃が走った。
「がはっ……!」
フェルモナの拳が腹にめり込み、軋むような音が聞こえた。そしてフェルモナはそこから膨大な魔力を解放させた。
「ボルテックランサー!」
「きゃああああああっ!!」
突き抜ける雷撃がフェニックス・アイを大地へと叩き落とす。そのままビルへと叩きこまれ、壁を床をぶち抜きながらフェニックス・アイは落ちていった。
「フフフ……さぁて、どうしてやろうかねぇ?」
粉塵が上がる中、フェルモナはゆっくりと、弱った獲物を狙う獣のように、ビルへと降下していった。
フェニックス・アイの落ちたビル内は瓦礫や物が散乱していた。
グレートスライムの侵攻でパニックを起こした人達が我先にと逃げ出し、そこら中に物が散乱してしまったのだ。そこにフェニックス・アイが落ちてきたせいで、既にまともに修復できる状況ですらなくなってしまったのだ。
「ぐ……ぅう……!」
粉塵が視界を隠す中、フェニックス・アイはどうにか立ち上がる。残滓魔力によって何とか死なずに澄んだが、全身はボロボロで、アーマーも破損し、額や腕、足からも出血している。
フェニックス・アイは朦朧とする意識の中で、周囲を見回した。
円形のテーブルと椅子が並び、フォークやスプーンなどが散らばっている。
「ここは……レストラン? なら、魔力を……何か、何でも……」
足を引き摺るようにしながら、魔力の源になる食べ物を探す。
キュルルルゥ……。
「あはは……こんな状況でも、お腹は鳴るのね」
誰もいないレストランで照れ笑いを浮かべながら、フェニックス・アイは顔を上げた。すると、上に揺れるプレートが目に入った。
「これって……もしかしたら?」
フェニックス・アイはゴクリと喉を鳴らした。
大きく開けられた穴を抜けて、フェルモナが緩やかに降りてくる。そのまま音も無く着地すると、右から左へと視線を滑らせた。
「隠れても無駄だ。大人しく出てきたら……楽に殺してやるよぉ?」
ニヤリと嗤いながら、手にする鞭を振り下ろす。床に敷き詰められたカーペットが、無残にも切り裂かれた。
「……出てくる気はない、か。じゃあ、仕方ないねぇ!」
フェルモナは左前方――植え込みに向かって、雷撃を叩きつけた。レンガが砕け散り、土と植物が飛び散る。そして向かって鞭を振るった。
バシィイン!
「っ……!?」
何かに当たった感触。しかし、どういう事か鞭がピンと張ったまま戻らない。まるで何かに引っ掛かってしまったかのようだ。
「まさか……フェニックス・アイ!?」
土煙の向こう側から、緋色の髪が揺れるのが見える。フェルモナに背を向けたまま、鞭を左手で受け止めている。
「………」
ゆっくりと、フェニックス・アイが振り返った。力のある鋭い眼光。そしてリスのように膨らんだ頬。
「……は?」
「もぐもぐもぐ……おふぉふぁっふぁははい」
「何言ってるのか全然分からねぇっ! あと、口の周りがクリームまみれじゃねー……か?」
フェルモナは思わず叫び、そして言葉を止めた。フェニックス・アイの口周りがまるで、ナポリタンスパゲティを食べたちっちゃい子みたいになっていたからではない。もっと重要なことに気が付いたからだ。
「もぐもぐ………っ。随分とゆっくりだったわね?」
咀嚼し、飲み込んでから、フェニックス・アイは口元のクリームを指で拭った。
「はぁ……美味しかった。凄く凄く美味しくて……一気に全部食べちゃったわ」
フェニックス・アイは天を見上げ、そして涙した。足元にはクリームやチョコの付いた大型トレーが転がっている。一枚や二枚ではない。15、6枚はあろうか。
「何時かやってしまうんじゃないかとずっと恐れていた……ケーキバイキング制覇。まさか、こんな形でやってしまうなんて。フェルモナ、あたしの怒りは今まさに、頂点に達したわよ!!」
ゴウ! と熱を帯びた強風が吹き抜ける。それが粉塵を吹き飛ばし、視界を一気にクリアにした。
考えてみてほしい。年頃の乙女がチョコレートケーキ、ショートケーキ、チーズケーキ、スフレなどなどを際限なく食べる姿を。美味しくて止まらなくて、何より食べる大義名分がある。
数にして100以上を食べ尽くしてしまったフェニックス・アイの涙は、果たして憐憫のものか、慟哭によるものか。
「くっ……なんてバカ魔力だ。だが、魔力が高かろうと……くたばれ! サンダーエクスキューション!」
フェルモナは全ての力を込めた雷撃を撃ち放った。だがしかし。
「フェニックスシールド!」
フェニックス・アイの呼び出した盾が真っ向から受け止める。バチバチと余波が周囲を破壊し、その威力を物語るが、しかしフェニックスシールドの防壁は揺るがない。そして、ついにはサンダーエクスキューションを防ぎ切ってみせた。
「そんなバカな……!」
「忘れたの? あたしの聖霊はフェニックス。その特性は炎と――」
「超回復……!」
「そういうことよ!」
フェニックス・アイの声と共に、噴き上がる炎。それは瞬く間に彼女の体を包み込んで、ダメージを回復させていく。
「さぁ、覚悟しなさい! フェニックスソード!」
フェニックス・アイが右手を突き出すと、そこに炎が渦巻いて紅蓮の剣が生み出される。砕かれたフェニックスソードが、再び命を吹き込まれたのだ。
「プラス、フェニックスシールド!」
更にフェニックスシールドの中心にあるスリットにソードを差し込み、高々と天に掲げた。クリムゾン・ルビーが力強く輝いて、二つの力を一つへと変えていく。
生み出されたのは巨大な剣。柄にはフェニックスを象った装飾が施され、刀身は緋色の中に金色が揺らめいている。
「フェニックスソード・オーバードライブ!」
フェニックス・アイが刃を振るうと、焔の波がフェルモナに襲いかかった。そびえる紅蓮の壁はあっという間にフェルモナの退路を塞いでしまった。そしてフェニックス・アイは背中のフロートフェザーを開き、火の海を滑るように一気に飛ぶ。そして手にする必殺の刃を振り上げた。
「おのれぇええええ!」
「火輪一閃! フレア・ザッパー!!」
フェルモナが全ての力を掛けた反撃を撃つ。しかし、フェニックス・アイの一撃はそれごとフェルモナを斬り裂いた。
「が……ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
断末魔の悲鳴を上げながら、フェルモナが豪炎に焼き尽くされた。ブスブスという焦げる臭いさえ、風に流されて消えた。
「……さて、あとはスライム退治ね」
元に戻ったソードを仕舞い、フェニックス・アイは今度こそスライムを打倒するべく飛翔した。
◇ ◇ ◇
無事にスライムを退治し、ダークネビュラの幹部フェルモナを倒した日から数日が経った。
街は修復魔法で元通りとなり、元々人の恐怖を集めるのが目的であったことから、人的被害も怪我人が出たぐらいである。それもフェニックス・アイの魔法で街ごと治っている。
後は精神的なものだけであるが、こればかりは藍にはどうしようもなく、傷心が少ないこを祈るしかなかった。
精神的なものといえば、フェニックス・アイが落ちた場所――ロイヤルパークホテルにあるレストランでは再びケーキバイキングが行われていた。
非常事態とはいえ食い逃げ同然の行為をしてしまった気不味さから、なんとなく様子を見に行った藍が目にしたものは、人間のたくましさであった。
『魔法戦士も目がない! スペシャルケーキバイキングデー!』
「………」
と書かれた看板に、生きていた防犯カメラに記録されていたらしく、美味しさに涙を流し、一心不乱にケーキを食べる様がプリントアウトされていセットで張られていた。
「藍、これでおあいこって事で、良いんじゃないッチか?」
「……そうね。むしろ気にしたこっちがバカだったわ」
ショルダーバッグからヒョッコリと顔を出したク―リャンに、藍はがっくりと項垂れて答えるのだった。
◇ ◇ ◇
「フェルモナがやられたようだな」
長身でがっしりとした体躯の男が言う。
「だが所詮、あいつは幹部の中でも最弱。それも当然の結果といえるわ」
まるでドレスのような衣装を纏った女が言う。
「ニヒヒ。今度はオイラの出番かな~?」
幼差を色濃く残した、少年のような少女のような子供が笑う。
「お前ら……そういうのは、アタシのいない所で言えェエエエエエエッ!!」
と、三人の囲むテーブルの真中――クリスタルに似た八面体の中にいる、ちっこくなったフェルモナが叫んだ。
「ふむ。こういうのはお約束と学んだのだが……違うのか?」
「違わねぇけど、それを本人目の前にして言うなっつってんだよ!!」
「ウルサイわねぇ。せっかく消滅しそうだったのを拾ってやったのに……また捨ててこようかしら?」
「お? なになに? フェルモナ捨てるの? 燃えるゴミ? 燃えないゴミ?」
「……萌えないゴミ、ってことろかしら?」
「オッケー! じゃあ、いってくるーっ!」
「ちょっ、おま……やめろぉおおおおおおおおおっ!」
ドタタタタ……。
音源二つが消え、部屋に静けさが帰る。
「――それで、次は誰が出るの?」
「俺が行く。光の魔法戦士に、真なる闇の恐ろしさを教えてやらねばならんからな」
幹部フェルモナを倒し、街を襲った危機は去った。しかし、ダークネビュラの魔の手は未だ衰えていない。
新たなる幹部の襲来が街を、人々を狙う。
立ち向かえ、日野森藍。変身せよ、炎の魔法戦士フェニックス・アイ。
「さぁ、今日もしっかりと魔力補充ッチ。この前の分と合わせてしっかり食べるッチ!」
「だからって、十本も食べられるかぁああああああっ!」
戦え、魔法戦士。カロリーは君の味方だ。
現題:魔法戦士フェニックス・アイ
旧題:魔法戦士は痩せられない
魔力の源が大気中の魔力素? 勇気や希望が力に変わる? 何言ってるんですか、ファンタジーじゃあるまいし。