私と結婚しなかったら……!!!!
勇者になって最初にやることといえば、始まりの草原でスライムを倒すことだ。
少なくとも、村の長老はそう言っていた。王都から来た神官もそう言っていたし、道具屋の親父も「最初は無理するなよ。スライムでも油断すると足を取られるぞ」と、薬草を二束おまけしてくれた。
だから俺は、村を出てすぐの草原で木の剣を構え、膝ほどの高さに伸びた草が揺れるのを待っていた。装備は木の剣、布の服、革の靴。所持金は銅貨三枚。レベルは一。勇者という称号だけは立派だが、実情は、昨日まで畑で芋を掘っていた村人と大差ない。
少し歩くと、草むらが鳴った。
「来たな、スライム……!」
俺は息を呑み、長老に教わった通り腰を落とした。最初の一撃を外すな。相手の体当たりを受ける前に叩け。もし青い個体ではなく赤い個体だったら逃げろ。そんな助言を頭の中で繰り返しながら、俺は飛び出してくる魔物を待った。
だが、草むらから現れたのは、ぷるぷる震える丸い魔物ではなかった。
黒いドレスの裾が、朝露に濡れた草を音もなく払った。夜を束ねたような長い髪、血のように濃い赤の瞳、白い額から伸びる黒曜石めいた二本の角。背後に広がる気配はあまりに重く、草原の風さえ彼女の許しを得て吹いているようだった。
俺は木の剣を握ったまま、喉の奥で変な音を立てた。
知っている。
絵本で見た。王都の壁画でも見た。村の子どもが悪さをした時、大人が「そんなことをしていると魔王が来るぞ」と脅す、あの魔王だ。
魔王ヴェルミリア。
この世界で一番、最初に遭遇してはいけない相手だった。
「勇者アルト」
女魔王は俺の名を呼んだ。呼ばれた瞬間、膝が笑いかけたが、俺はなんとか踏みとどまった。ここで尻もちをついたら、勇者として以前に人間として何かが終わる気がした。
「は、はひ……」
「ようやく会えたな」
「ええと、人違いでは?」
「昨日、王都の神殿で勇者の称号を授かったアルト。年は十七。出身は西の小村。好きな食べ物は焼き芋。夜更かしは苦手。寝相は悪い」
「最後の方はどこで調べた!?」
俺が思わず叫ぶと、女魔王は満足そうに頷いた。図星だと知って嬉しかったようだ。
ヴェルミリアは一歩、俺へ近づいた。草の上を歩いているはずなのに足音がしない。あまりの魔力に、周囲のスライムたちが草むらの中で震えているのがわかった。俺より先にスライムの方が死を覚悟している。
「それで、勇者よ」
「なっ、何でしょう?」
「私と結婚しろ。世界の半分をお前にやる」
草原の上を、のどかな風が通り過ぎていった。
鳥が鳴いた。
遠くで牛が鳴いた。
だが、俺の頭の中では何も鳴らなかった。理解が追いつかない時、人間の脳は意外と静かになるものらしい。
「……すみません、もう一回お願いします」
「私と結婚しろ。世界の半分をお前にやる」
「スケールがデカすぎる!」
俺は木の剣を構え直したが、構え直したところで何かが変わるわけではなかった。相手は世界を滅ぼせる魔王。こちらはレベル一。今の俺に倒せそうなのは、せいぜい機嫌の悪くないスライムくらいだ。
「なぜ黙る。世界の半分では不満か?」
「不満とかじゃなくて、初対面で結婚は無理です」
「では世界の三分の二ならどうだ」
「量の話でもないです」
「全てか」
「世界なんていりません!」
ヴェルミリアは本当にわからないという顔をした。その顔が腹立たしいほど綺麗だった。魔王というものはもっと禍々しく、見るだけで吐き気がするような怪物だと思っていたのに、目の前の女は人間の王女でもここまで整ってはいないだろうというほどの美貌を持っている。だが、その美貌から出てくる言葉が全部おかしい。
「人間の男は、権力と領土を贈れば喜ぶと聞いた」
「誰に聞いたんですか?」
「先代魔王の遺言だ」
「参考資料が最悪すぎる!」
俺は頭を抱えたくなったが、手にしている木の剣を離す勇気もなかった。離した瞬間に何か大事なものまで手放してしまいそうだったからだ。
ヴェルミリアは、そんな俺をじっと見つめていた。燃えるような赤い瞳なのに、そこにある感情は殺意ではない。もっと厄介なものだった。期待、緊張、そしてどう見ても好意。魔王の好意など、普通なら呪いより恐ろしい。
「勇者アルト。返事を聞かせろ」
「お断りします」
即答した。言った瞬間、自分でも驚くほど声がはっきり出た。
怖くないわけではない。むしろ全身が怖い。背中は冷えているし、手のひらには汗が滲んでいる。それでも、ここで曖昧に頷いたら俺の人生だけでなく世界の形までおかしくなると、本能が全力で叫んでいた。
ヴェルミリアの表情が、わずかに止まった。
ほんの一瞬、赤い瞳から光が引いたように見えた。玉座に座る魔王ではなく、欲しかったものを拒まれた少女のような顔だった。その顔を見た時、胸の奥に小さな罪悪感が生まれた。
「……そうか」
ヴェルミリアは目を伏せた。
風が止んだ。
草原に落ちていた朝の光が、じわじわと黒く染まっていく。彼女の指先に闇が集まり、空の高いところで巨大な魔法陣が開いた。雲が裂け、遠くの山が低く唸り、地面の下から何か途方もないものが目を覚まそうとしている気配がした。
「ならば、世界を滅ぼす」
「待て待て待て待て待て!」
俺は木の剣を投げ出しそうになりながら叫んだ。勇者としてどうかと思うが、今は剣より会話の方が大事だ。斬りかかったところで、俺の攻撃力では彼女のドレスの裾すら傷つけられないだろう。
「なんでそうなるんだよ!」
「お前が私と結婚しない世界に、何の価値がある」
「世界の価値を俺一人で決めるな!」
「では結婚するか?」
「しない!」
「では滅ぼす」
「選択肢が結婚か終末しかないの、やめろ!」
俺の叫びに応じるように、空の魔法陣がさらに広がった。王都の方角から鐘の音が聞こえる。たぶん警鐘だ。昨日勇者になったばかりの俺が、今日の朝には世界滅亡の原因になりかけている。勇者の仕事は想像よりずっと過酷だった。
ヴェルミリアは、悲しげな顔のまま言った。
「私はお前に全てを差し出すつもりだった。王座も領土も、魔王軍も、私自身も。それでも足りぬと言うなら、私にはもう何もない」
「愛が重い! 初対面で背負わせる量じゃない!」
「初対面ではない」
「え?」
「私は昨日、王都の神殿でお前を見た。膝が震えているくせに、逃げずに勇者の剣へ手を伸ばしたお前を」
ヴェルミリアの声が少しだけ低くなった。さっきまでの無茶苦茶な求婚とは違う、静かな響きだった。
「周囲の人間はお前を英雄だと称えていた。だが、私にはわかった。お前は強くない。怖くないわけでもない。自分が死ぬかもしれないと、誰よりも理解していた。それでもお前は、村や町が焼かれるなら自分が行くと言った」
俺は返事ができなかった。
確かに言った。言ったが、あれは勇気というより、周囲の期待と流れと、少しばかりの意地に背中を押されただけだ。断れば誰か別の人間が選ばれる。その誰かが俺より年下だったり、家族のいる人間だったりしたら、きっと一生後悔する。そんな格好いいとは言い難い理由だった。
「魔族は強きものを尊ぶ。私もずっとそうしてきた。けれど、お前を見た時に思ったのだ。弱いまま逃げないものほど、得難い存在はないのだと」
ヴェルミリアは俺を見つめたまま、ほんの少しだけ頬を赤らめた。
「だから私は、お前が欲しい」
その言い方はやっぱり魔王だった。けれど、さっきよりは少しだけ意味がわかってしまった。
俺は大きく息を吸った。空の魔法陣はまだ消えていない。遠くの鐘は鳴り続けている。草むらのスライムたちは、俺たちの会話が終わるまで息を潜めているようだった。
「ヴェルミリア」
名前を呼ぶと、女魔王の肩がわずかに跳ねた。
「な、なんだ」
「結婚はできない」
魔法陣がひときわ黒く輝いたので、俺は慌てて手を上げた。
「待て待て待て待て、最後まで聞け! 結婚はできない。だけど、お前の気持ちを笑うつもりもない。いきなり世界の半分を渡されても困るし、初対面で求婚されても無理だけど、ちゃんと話すことならできる」
「話す?」
「人間はな、結婚の前に段階があるんだよ。まず話す、相手を知る、一緒に飯を食う、町を歩く、喧嘩もするかもしれない。それで、それでも一緒にいたいと思ったら、恋人になる」
「恋人」
ヴェルミリアは初めて聞く魔法の名を復唱するように、その言葉を口にした。
「それは結婚より強い契約か?」
「いや、弱い。かなり弱い」
「ではなぜ必要なのだ」
「それは、相手の心の底を知るためだ」
俺がそう言うと、ヴェルミリアは黙った。空を覆っていた魔法陣の縁が、少しだけ薄くなる。どうやら、意味は通じたらしい。
「お前の心を、知る必要があるのか?」
「当たり前だ。こっちは今朝、スライムを倒すつもりで草原に来たんだぞ。そこにいきなり魔王が出てきて、結婚しろ、断るなら世界を滅ぼすって言われてるんだ。初対面で何も知らないのに結婚なんてできるか」
「……そうか」
ヴェルミリアは真剣な顔で頷いた。
「では、私はどうすればいい」
「まず世界を滅ぼすのをやめる」
「わかった」
空の魔法陣が消えた。あまりにあっさり消えたので、俺は膝から力が抜けそうになった。
「次に、人間の町を焼かない」
「焼かない」
「俺を監禁しない」
「……善処する」
「確約しろ」
「確約する」
「贈り物に領土を使わない」
「では城は?」
「城も駄目」
「魔王軍精鋭三万は」
「絶対に駄目」
ヴェルミリアは少し不満そうだったが、俺が睨むと素直に頷いた。世界を滅ぼせる魔王が、レベル一の俺の顔色をうかがっている。この状況だけ切り取れば、俺はとんでもない大物に見えるかもしれない。だが実際は、足が震えないよう必死に踏ん張っているだけだ。
「ならば私は、何を贈ればいい」
「普通は花とか菓子とかだろ」
「花。菓子」
「それと、まずは相手の都合を聞く」
「都合とは?」
「会いに来ていいかとか、話していいかとか、そういうことだ」
ヴェルミリアはしばらく考えたあと、背筋を伸ばした。その姿勢は魔王らしく威厳に満ちていたが、口から出た言葉は妙にたどたどしかった。
「それでは勇者アルト。私は今、お前と話してもよいか」
「もうだいぶ話してるけどな……まあ、いいよ」
そう答えた途端、ヴェルミリアの顔がぱっと明るくなった。
その笑顔を見てしまったのが、よくなかった。
魔王の笑顔なんて恐ろしいだけだと思っていたのに、胸の奥が一拍遅れて鳴った。世界を滅ぼすと言い出した女だ。常識はない。危険極まりない。関わらない方がいいに決まっている。なのに、俺の返事ひとつでそんな顔をするのかと思うと、完全に突き放すには少しだけ難しくなった。
その時、背後から馬の蹄の音が聞こえた。
「勇者殿! ご無事ですか!」
振り返ると、王都の騎士たちが数騎、草原を駆けてきていた。空の異変を見て飛んできたのだろう。彼らは俺のそばにいるヴェルミリアを見た瞬間、馬を急停止させて一斉に剣を抜いた。
「魔王ヴェルミリア!」
「勇者殿から離れろ!」
「ちょっ、ちょっと待ってください。今ちょうど話がまとまりかけていて」
俺が止めるより早く、先頭の騎士が叫んだ。
「勇者殿、なぜ魔王と並び立っている! まさか、すでに魔族に取り込まれたのではあるまいな!」
その言葉に、ヴェルミリアの気配が変わった。
鳥肌が立った。草原全体が沈み込むような気配が強くなり、騎士たちの馬が悲鳴を上げて後ずさる。ヴェルミリアは何もしていない。ただ、視線を向けただけだ。それだけで訓練された騎士たちの顔から血の気が引いた。
「私の勇者を侮辱したな」
「ヴェルミリア、待て」
「安心しろ、アルト。一瞬だ。痛みを感じる間もなく消す」
「安心できる要素がひとつもないな。やめてくれ」
俺は彼女の前に出た。たぶん無意味だ。彼女がその気になれば、俺ごと騎士たちを消し飛ばせる。それでも黙って見ていたくなかった。
「殺すな」
ヴェルミリアは俺を見下ろした。赤い瞳には怒りが残っていたが、その怒りの向こうに迷いが生まれたのがわかった。
「だが、奴らはお前を疑った」
「誤解されただけだ。説明すればいい」
「説明しても信じなければ?」
「その時も殺すな。我慢しろ」
「なぜだ。お前を傷つけるものを残す理由が、私にはわからぬ」
その声は冷たかったが、俺を責めているのではなかった。本当にわからないのだ。彼女は魔王として、自分の大切なものを傷つける相手を排除してきた。それが当たり前の世界で生きてきた女なのだろう。
「俺が嫌なんだよ」
俺はそう言った。
「俺のために誰かが殺されるのは嫌だ。俺を守るためだとしても、俺がそれを望んでないならやめてくれ」
ヴェルミリアは、しばらく黙っていた。
長い沈黙だった。騎士たちも動けず、風も止まり、草原の端で震えていたスライムまで静かになっている。その沈黙の中で、ヴェルミリアから感じる異様な気配が、ゆっくりほどけて消えた。
「……わかった」
その一言は、さっき世界を滅ぼす魔法を消した時よりも重かった。
「お前が嫌がるなら、しない」
俺は彼女を見た。
世界を滅ぼせる力を持つ魔王が、俺の言葉ひとつで怒りを飲み込んだ。怖い女だ。危険な女だ。けれどその力を俺に押しつけるだけではなく、俺の嫌がることを覚えようとしている。
胸の奥がまた、妙な鳴り方をした。
***
騎士たちへの説明は、かなり大変だった。
俺が魔王に操られていないこと、魔王が今のところ世界を滅ぼさないと約束したこと、そもそも魔王が俺を殺しに来たのではなく求婚しに来たこと。
話すたびに、騎士たちの顔色は青くなったり白くなったりした。最後の内容については、誰もまともに理解できていなかったと思う。俺だってまだ理解できていない。
それでもヴェルミリアが俺の後ろでおとなしくしていたため、ひとまず騎士たちは王都へ報告に戻ることになった。去り際、先頭の騎士が俺に小声で「勇者殿、ご武運を」と言った。魔王討伐に向かう時より切実な声だった。
騎士たちが去ると、草原には俺とヴェルミリアだけが残った。
いや、正確には、少し離れた草むらからスライムが一匹だけこちらを覗いていた。どうやら出てくるタイミングを完全に失ったらしい。
「アルト」
「なんだ」
「私の対応は、今ので合っていたか?」
ヴェルミリアは真面目な顔で聞いてきた。さっきまで世界を揺らしていた魔王とは思えないほど、答えを待つ目をしている。
「少なくとも、殺さなかったのは偉い」
「偉いか……」
彼女はその言葉を大事そうに繰り返した。
「お前は、私を嫌いになっていないか?」
唐突に声が弱くなった。
俺は返事に詰まった。嫌いかと聞かれれば、嫌いではない。怖い。ものすごく怖い。常識もおかしいし、世界を滅ぼすと言い出すところは絶対に直した方がいい。だが、彼女の好意が嘘ではないことも、俺の言葉を聞こうとしていることも、もう見てしまった。
「……嫌いではない」
そう答えると、ヴェルミリアは息を止めた。
「本当か?」
「本当だ。ただし、結婚はまだ無理だ」
「まだ、か」
「そこだけ拾うな」
「では、いつならいい」
「だから段階があるって言っただろ」
「段階……恋人か」
ヴェルミリアはまっすぐ俺を見つめた。
「私は、お前と恋人になりたい」
さっきの求婚より、ずっと静かな言い方だった。世界の半分も、魔王軍も、脅しもない。ただ、そうなりたいという願いだけが置かれていた。
俺は困った。
とても困った。
今朝の俺はスライムを倒しに来ただけだった。勇者としての第一歩を踏み出し、少しずつ強くなって、いつか魔王城へ行くはずだった。それが、始まりの草原で魔王と出会い、求婚され、世界滅亡を止め、騎士たちに説明し、今は恋人になるかどうかを迫られている。
人生は急展開にもほどがある。
「……俺は、まだお前のことをよく知らない」
「ならば知ればいい」
「お前も、俺のことをよく知らない」
「寝相は悪い」
「それは忘れろ」
ヴェルミリアが少しだけ笑った。小さな笑みだったが、さっきの魔王らしい威圧ではなく、ただ俺の反応を面白がっている顔だった。
俺はその顔を見て、観念したように息を吐いた。
「結婚は無理だ」
「うむ」
「でも、恋人からなら……始めてもいい」
ヴェルミリアは動かなかった。瞬きもしなかった。
世界を滅ぼす魔王が、レベル一の勇者の返事ひとつで完全に固まっていた。俺が少し不安になって「嫌なら」と言いかけた瞬間、彼女は顔を赤くして両手で自分の口元を押さえた。
「嫌なわけがあるか」
声が震えていた。
「世界を三度滅ぼしても足りぬほど嬉しい」
「滅ぼすな」
「滅ぼさない。お前が嫌がるから」
ヴェルミリアはそう言って、今度は俺に触れる前に手を止めた。さっき教えたばかりのことを、もう守ろうとしているらしい。
「アルト。手を取ってもよいか」
俺はその手を見た。
細く白い指だった。世界を滅ぼす魔法を生み出せる手。けれど今は、俺の許しを待っている。
「……いいよ」
俺が答えると、ヴェルミリアは壊れ物に触れるように俺の手を取った。冷たいのかと思ったが、意外にもその手は温かかった。彼女は俺の手を握るだけで、世界を手に入れたような顔をしている。その顔を見ると、胸の鼓動が激しくなった。
瞬間、頭の中で聞き慣れない声が響く。
《称号:女魔王の恋人を獲得しました》
《女魔王からの溺愛補正により、勇者アルトのレベルが一から九十九に上昇しました》
「待て待て待て待て!」
俺は思わず空に向かって叫んだ。
「俺、まだスライム一匹も倒してないんだけど!?」
草むらのスライムが、びくっと震えた。
ヴェルミリアは俺の手を握ったまま、満足そうに微笑んだ。
「これで少しは私と釣り合うな、我が恋人よ」
「釣り合い方がおかしい!」
「で、次は何をすればいい? 恋人は毎日会うものか? それとも一日おきか? 贈り物は花と菓子だったな……ふむ」
ヴェルミリアはしばらく考え込んだあと、顔を上げた。
「そうだ、近くの村でも歩くか?」
俺は村の方角を見た。
朝、俺は勇者として旅立った。目標はスライムを倒すこと。予定では、夕方までにレベル二になって帰るつもりだった。
だが実際には、始まりの草原で女魔王と恋人になり、なぜかレベル九十九になり、これから世界で一番危険な彼女に人間の恋愛を教えなければならない。
俺は深く息を吐いて、ヴェルミリアの手を握り返した。
「村へ行く前に、約束しろ」
「なんだ」
「誰も殺さない。何も壊さない。俺が止めたら止まる」
「わかった。約束する」
即答だった。
その素直さに、俺はまた少しだけ困った。こんなふうに頷かれると、怖いだけでは済ませられなくなる。
「あと、村の人にいきなり『我が恋人だ』って言うなよ。みんな倒れるから」
「では何と言えばいい」
「……友人、くらいからにしてくれ」
「恋人なのにか?」
「段階というものがある」
「なるほど。人間の恋は難しいな」
ヴェルミリアは真剣に頷いたあと、俺の手を握る力をほんの少しだけ強めた。
「だが、学ぼう。お前の世界を滅ぼさず、お前の隣に立つ方法を」
その言葉は、笑って流すには少しだけ真っ直ぐすぎた。
俺は顔をそらし、村へ続く道を歩き出す。隣を歩く女魔王は、草原の朝日に照らされながら、どこか誇らしげに俺の歩幅へ合わせている。
こうして俺の冒険は、始まりの草原で終わった。
そして、世界で一番危険な恋人との旅が始まった。
なお、その日の夕方、魔王軍から村に届いた正式文書には、こう書かれていた。
『勇者アルト様へ。魔王様とのご婚礼につきまして、日取りの第一候補を三百年分ご用意いたしました』
女魔王は段階を全く理解していなかった。
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