救い
帰宅の路上、夕日で大地は金色に染まり、猛暑は下がりつつもミーンミンと蝉の鳴き止まない。結衣は彼らの存在が不可解に思え始めた。何もない土地からふっと湧き出るなんてね。進化論的に解釈できるが、やはり命の尊さは計り知れないものだ。きっと神様は色んな生命が見たかったんだろう。
立ち止まって、ぼーっと意識が飛ぶ。風景は相変わらず愛しい。農作する時期が終わって、田んぼの中には誰も居なくなった。人が居なくなったちょうどこの時期、遠くの池にコサギが現れる。運がいいと魚を食べる場面も見えるが、ここ最近は他のところにいらっしゃるようで、全く目にしない。結衣は失望して、目線を前に戻した。短いアスファルトの道の先は、砂利で埋もれていた。
ああ、一日が過ぎ去ってしまった、と彼女は思った。
数ヶ月前から、結衣の時間は止まっていた。前へ進もうとしても、気づくとそれはまた全く同じ一日であった。朝に家族の分のご飯を作り、一人で食べ、登校し、同種との交流を規則に従って処理し、帰宅し、家事と宿題をし、寝る。至って日常的だ、それでいいのだ、それが幸せだ。
踏切が鳴る。
正面には、長々と軌道が続く。透視図法のように、線路は一つの消失点へ収束しなかった。それもそのはず、線路は曲がっているのだから。小さい頃に曲線の概念を知らずに、何故線路の先が見えないのを不思議がってた時期を思い出して、彼女は思わず笑い声がでた。
電車は一向に来ない。
運が悪いのか、いつもこの時間で電車に止められる。約三十分で一回しか通らない路線では尚更だ。でも、これも含めて運命の内なのだ、と彼女は思った。
結衣は中学校で吹奏楽部に入ってたことを思い出した。地方の学校はいつも過疎であるから、部員は数人程度しかいなかった。勿論大会なんかには一回も行けなかった。でも人数が少ないこそのメリットもあった。それは思い存分に、上下関係を無視して、はしゃぐことが許されるからだ。部活終わりに、いつも調律されていないピアノで、踏切の警報音を真似して遊んでた。ああ、なんて単純で幸せな生活だったんだ。
神様はこうして、私たちが儚い日常を大切にするように導いてくれたのかな。
「今日も終わりか、楽しかったな。」
結衣はそう呟いた。近づく電車の音を耳にして、結衣は両膝を地面につけ、目を瞑って、両手を合わせた。
「救いがありますように。」
カーブから頭を出した電車がクラクションを鳴らした。急ブレーキがかかったため、ドップラー効果でその音程は不気味に下がって行っていった。そうなる一方で、轟音は段々、不可逆に大きくなる。
結衣は救われた。
この作品では、主人公の結衣を通して、「どれほど平穏で日常的に見える場面であっても、自殺は起こり得る」ということを世の中に伝えようとしています。
結衣が自殺に至った原因は、ひと言で言えば停滞感です。彼女は不幸だったからではなく、むしろこれ以上ないほど満たされた日常の中にいたからこそ、その終わりを自ら選びました。
少し強引な設定に感じられるかもしれません。しかし、私自身がうつ病に悩まされていることもあり、その発想にはどこか合理性を感じています。
そして作品中何度も出てきた神様ですが、存在しません。私が神聖な雰囲気を作るために勝手に主人公に言わせました。しかし、疑いがないのは、彼女は確実に救われました。
*この文章は自殺を推薦するものではありません。仮に心理的悩みがありましたら、必ずお医者さんに相談しましょう。




