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孤島で“鬼”になった少女は、文明世界で人の心を取り戻す ――Princess of the Flies――  作者: ベルモット
第1章 ここに、いていい

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鬼と呼ばれても

 廊下の空気が、少しざわついていた。


 人の数が、昨日より多い。足音が重なり、行き交う気配が絶えない。私は、自然と壁側を歩く。視線を落とし、音だけを拾う。


 前方で、大人たちが立ち止まっている。白い服と、制服。声は低く抑えられているけれど、完全には隠れていない。


 私は、歩く速度を少し落とした。


「……あの子のことだけど」


 耳が、勝手に反応する。


「噂、聞いた?」


 胸の奥が、少しだけ硬くなる。


 私は、立ち止まらない。ただ、距離を保ったまま、足取りだけを緩める。


「島で、生き残ったって」


「一人で?」


 短い沈黙。


「……人じゃなかった、って話もある」


 言葉が、背中に当たる。


 痛みはない。でも、冷たい。


 私は、歩き続ける。足は、止まらない。止めない。


「鬼、みたいだったって」


 その一言で、頭の中が一瞬、白くなる。


 島の匂い。血の色。音。それらが重なって、戻ってくる。


 呼吸が、浅くなる。


 私は、廊下の角を曲がった。視界が切り替わる。壁に手をつき、立ち止まる。


 息を整えようとする。でも、うまくいかない。


 鬼。


 そう呼ばれたことは、ある。島では、別の言葉だった。でも、意味は同じだ。


 足音が、近づく。


 私は、反射で身構えた。


「ミリア」


 名前。


 タケトシの声だった。


 私は、ゆっくり顔を上げる。タケトシは、少し離れた場所に立っている。近づかない。でも、逃げ道は塞がない。


「聞こえたか」


 私は、頷いた。


 嘘は、つけなかった。


 タケトシは、一瞬だけ目を伏せる。


「あれは、全部じゃない。お前の、全部じゃない」


 それだけ言った。


 否定もしない。正しもしない。


 私は、壁から手を離した。


「……わたし」


 声が、思ったより低く出た。


「こわい?」


 質問の形だった。でも、答えは、分かっている。


 タケトシは、すぐには答えなかった。


「怖いと思う人もいる」


 正直な言い方だった。


「でも、名前を知っている人もいる」


 名前。


 ミリア。


 呼ばれた名前。


 私は、胸の奥に手を当てる。そこは、まだざわついている。でも、壊れてはいない。


 遠くで、誰かが笑っている。子どもの声だ。


 私は、そちらを見る。


 さっきまでいた場所。積み木のある部屋。


 戻れる場所。


 私は、もう一度、息を吸った。


「……いく」


 小さな声。でも、はっきり言った。


 タケトシは、何も言わなかった。ただ、私の進む方向を空けた。


 私は、歩き出す。


 鬼と呼ばれる声があっても。


 ミリアと呼ぶ声が、あるから。

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