呼ばれた名前
次の日も、同じ部屋の前を通った。
通るつもりはなかった。気づいたら、足がそっちへ向いていた。自分でも理由が分からない。ただ、昨日の場所が、頭から離れなかった。
扉は、少しだけ開いていた。
中から、音がする。転がる音。小さな笑い声。胸の奥が、きゅっと鳴った。
私は、立ち止まる。
入っていいのか、分からない。昨日は、たまたまだった。今日は、違う。自分から近づくことになる。
後ろを振り返る。
廊下の向こうに、タケトシがいた。離れた場所に立って、こちらを見ている。呼び止めない。近づいてもこない。
私は、息をひとつ吐いて、扉の前に立った。
中にいたのは、昨日の子どもたちだった。床に座って、何かを並べている。私がいることに、すぐには気づかない。
私は、音を立てないように一歩入った。
そのとき、ひとりが顔を上げた。
「……あ」
短い声。
もうひとりも、こちらを見る。
視線が、重なる。
昨日と同じ。なのに、昨日より、少しだけ違う。逃げたい、よりも、ここに居たい、が勝っている。
「ミリア」
名前を呼ばれた。
呼び捨てだった。でも、乱暴な感じはしない。ただ、確認するみたいな声。
私は、頷いた。
「きょうも、きた」
それは、質問じゃなかった。事実を並べただけの言い方だった。
私は、何も言えない。
子どもは、少し考えてから言った。
「すわる?」
指で、床の空いている場所を指す。
私は、床を見る。自分の足を見る。逃げ道を探す癖が、少し遅れて動く。
ゆっくり、腰を下ろした。
床は、冷たくない。
子どもが、並べていたものを見せてくる。色のついた積み木だった。角が丸い。ぶつかっても、痛くなさそうだ。
「これ、いえ」
積み木を積み上げる。倒れる。笑う。
私は、見ているだけだった。
見ているだけで、許されている。
それが、不思議だった。
しばらくして、もうひとりの子が、私の腕を見る。じっと、見る。
私は、身体を固くする。
でも、その子は、怖がる顔をしなかった。
「……いたい?」
短い言葉。
私は、少し考えてから、首を振った。
嘘ではなかった。もう、痛みには慣れていた。
「そっか」
それで終わりだった。
理由も、評価も、なかった。
積み木が、ひとつ転がって、私の足元に来る。
拾う。
子どもに渡す。
「ありがと」
その言葉が、当たり前みたいに落ちてくる。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
扉の外で、誰かの足音がした。
子どもたちが、そっちを見る。
私は、反射で身構えた。
でも、何も起きない。
誰も、私を見ない。
私は、その場にいる。
ただ、ミリアとして。
それが、昨日よりも、少しだけ、自然だった。




