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死体の山で蝿に囲まれていた少女は、“蝿の王女”と呼ばれながら人間になることを学んでいる  作者: ベルモット
第3章 使われる力

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触れた手

 ミリアが踏み出した一歩は、とても小さい一歩だった。


 それでも、彼女にとっては戦うときの一歩よりもずっと重かった。


 子供は後ずさる。


 壁に背中が当たる音だけが、倉庫の静けさに響いた。


 逃げ場はもうない。


 それでも子供の視線は、ミリアから外れない。


 恐怖で縛られたように動けなくなっているのを見て、ミリアはそこで足を止めた。


 これ以上近づけば、壊してしまう気がした。


 理由は分からない。


 だが今までとは違う感覚だった。


 壊したくない。


 その思いが、胸の奥で形になり始めていた。


「……名前は」


 言葉が、うまく出てこない。


 声が少しだけ掠れた。


 子供は答えない。


 ただ震えている。


 タケトシが後ろで静かに言う。


「無理に聞かなくていい」


 ミリアは小さく頷いた。


 そしてゆっくりと膝を折る。


 視線の高さを合わせるためだった。


 子供の呼吸が一瞬止まる。


 それでも逃げなかった。


 ミリアは自分の手を見る。


 この手でどれだけ壊してきたのかは分からない。


 数えたことも、意味もなかった。


 だが今は、その手がひどく重く感じられた。


 ゆっくりと手を差し出す。


 子供の目が見開かれる。


 触れれば、壊れるかもしれない。


 それでも、ミリアは言った。


「……来るか」


 声は小さかった。


 だが、はっきりしていた。


 子供はすぐには動かない。


 視線がミリアの手と顔の間を揺れる。


 長い沈黙のあと、ほんの少しだけ前に出た。


 震える指先が、ミリアの手に触れる。


 その瞬間。


 胸の奥に、今まで知らなかった感覚が広がった。


 温度だった。


 戦いの熱とも、恐怖の冷たさとも違う。


 ただ、確かにそこにある温もり。


 ミリアは目を伏せる。


 逃げたくなる衝動が、一瞬だけ胸をよぎる。


 だが手を引かなかった。


 子供の指が強く握る。


 必死に、離れないように。


 その力が、逆にミリアを引き留めていた。


「……大丈夫だ」


 後ろからタケトシの声。


 だがそれは子供ではなく、ミリアに向けられていた。


 ミリアは顔を上げる。


 倉庫の外の空気が、わずかに動いた気がした。


 誰かに見られている気がした。


 だが振り向かなかった。


 今は、この手の感触を離したくなかった。


 子供はまだ震えている。


 それでも、もう逃げようとはしなかった。


 ミリアはゆっくりと立ち上がる。


 小さな手は、しっかりと握られたままだった。


 初めてだった。


 守るために、この手を使うのは。

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