動き出す影
灰鐘の拠点は、街の地下にあった。
古い施設を改装しただけの場所だが、内部は静かで整然としている。長い廊下の奥に、会議室の灯りがついていた。
「対象は少女一名」
机の上に資料が並んでいた。写真は一枚だけ。そこに写っているのは、ミリアだった。
「孤島事件の生存者」
「例の生存者か」
男たちは低い声で話していた。資料をめくる音だけが、部屋の中に小さく響く。
「倉庫街で確認された」
別の男が資料を指で叩く。
「昨夜、行動を開始している」
その言葉で、数人の視線が動いた。
倉庫街。
港に近い区域だ。物資の出入りも多く、人目も紛れやすい。
「確認された戦闘能力は高い」
「しかし制御不能の可能性あり」
「捕獲優先」
「ただし――」
ひとりの男が言葉を切る。
「排除も許可する」
その一言で、部屋の空気がわずかに重くなった。
そのとき、壁際に立っていた男が小さく笑った。
「へえ」
軽い声だった。
会議室の視線が、そちらに集まる。
「興味あるのか、サク」
灰鐘サク。
組織でも名前が通っている戦闘員だった。サクは椅子にも座らず、壁にもたれたまま資料を見ている。
「孤島の生き残りなんだろ」
視線は写真に向いたままだった。
「面白そうじゃないか」
男の一人が眉をひそめる。
「任務だ。遊びじゃない」
「分かってるよ」
サクは肩をすくめた。
そして、もう一度写真を見る。
ミリア。
その名前を見た瞬間、口元がわずかに歪んだ。懐かしい、という言葉だけでは足りない記憶が、静かに胸の奥から浮かび上がってくる。
蝿の音。
血の匂い。
倒れた子どもたち。
そして、死体の山の上に座っていた少女。
あの光景だけは、今も少しも濁らない。
サクは静かに息を吐く。
「まだ壊れてないんだな」
小さな声だった。
「何か言ったか?」
「いや」
サクは笑う。
「任務だろ?」
机の上の資料を指で軽く叩く。
「俺が行く」
部屋の空気が少し動いた。
「理由は?」
「簡単だよ」
サクは写真から視線を外さない。
「俺が一番、こういうの得意だからな」
その言葉に、誰も反論しなかった。
灰鐘サクは、組織の中でも最前線の戦闘員だ。近接も遠距離もこなし、任務成功率はほぼ完璧だった。
「いいだろう」
机の向こうの男がうなずく。
「灰鐘サク。ミリア捕獲任務を任せる」
サクは軽く手を上げた。
「了解」
短く答え、写真を取り上げる。
そこにいる少女は、昔と変わらない顔をしていた。けれど、目の奥にあるものだけは少し違って見える。
それが、余計に興味を引いた。
サクは静かに笑う。
「楽しみだな」




