視線の先
廊下を歩くとき、私はいつも壁側を選ぶ。無意識だった。背中を守れる位置、逃げ道が見える位置。島で覚えた癖だ。
タケトシは少し前を歩いている。振り返らない。でも歩く速さは合わせてくれている。廊下は明るくて影が少ない。それだけで落ち着かない。島では、影がない場所のほうが危険だった。
前から人が来る。白い服、押し車、知らない匂い。私は反射で視線を落とした。直接見られていないのに、見られていると分かる。島でもそうだった。狩られる前の感覚。
すれ違いざま、小さな声がした。
「……あの子?」
「そう。例の……」
続きを聞く前に足が止まりそうになる。タケトシが少しだけ立ち位置を変え、私とその人たちの間に入った。
「行くぞ」
短い言葉。命令じゃない。合図だった。私は黙ってついていく。部屋に戻ると息が一気に出た。胸の奥がじんわり痛い。私はここに属していない。その感覚だけが、はっきりしている。
しばらくしてノックの音がした。身体が固くなる。タケトシが扉を開ける。入ってきたのは白い服の女の人で、手に書類を持っていた。
「様子を見に来ました」
声は柔らかい。でも距離はある。私はベッドの端に座ったまま動かない。女の人の視線が私の腕、首、足へと移動する。傷を数えている。島で何度も見た視線だ。
「……触りません、怖がらせたくないので」
その言葉に少しだけ驚いた。怖がらせる、という前提。私は怖がらせる側だったはずなのに。
「ここでは、あなたを危険な存在だとは扱いません」
扱いません。言葉が胸に引っかかる。信じていいのか分からない。でも嘘とも決めつけられなかった。
「困ったことがあれば、このボタンを押してください」
女の人は壁の小さな装置を指さした。呼べば誰かが来る。その仕組み自体が島とは違う。女の人は深く踏み込まないまま部屋を出ていった。
扉が閉まる。静かになる。私はゆっくり息を吐いた。視線、噂、距離。ここにもある。でも島とは違う。誰も私を殺そうとしていない。それだけで胸の奥が少しだけ軽くなる。
窓の外を見る。人が歩いている。私を見ない人たち。それが少しだけ寂しくて、少しだけ、安心だった。




