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孤島で“鬼”になった少女は、文明世界で人の心を取り戻す ――Princess of the Flies――  作者: ベルモット
第1章 ここに、いていい

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文明世界の匂い(2)

 食事の時間だと、タケトシは言った。私は、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。島では、時間で何かが決まることはなかったからだ。腹が減ったら探す。見つからなければ耐える。それだけだった。


 運ばれてきたトレーの上には、皿がいくつも並んでいた。白い湯気が立っている。匂いが強い。嫌な匂いじゃない。けれど、身体が先に緊張する。


 私は、少しだけ身を引いた。


「無理に食べなくていい」


 タケトシは、私の反応を見て言った。声の高さは変わらない。近づきもしない。


「匂いを嗅ぐだけでもいい」


 匂いを、嗅ぐだけ。私は、ゆっくり息を吸った。温かい匂い、油の匂い、知らない匂いが重なっている。腐っていない。血の匂いも、獣の匂いもない。


 喉が、きゅっと鳴った。


 私は、自分の手を見る。細い。傷が多い。震えている。スプーンを持つと、思ったより重かった。島で使っていた石や骨より、ずっと重い。落としたら音がしそうで怖い。


 ゆっくり口に運ぶ。


 熱い。


 思わず息を吐いた。舌がびりっとする。驚きのほうが先に来て、味はすぐには分からなかった。


「……大丈夫か」


 私は、小さく頷いた。


 もう一口。今度は、少しだけ冷ましてから。甘い。塩の味もする。何かが、舌の上でほどける。頭の奥が、じんとする。


 涙が出そうになって、慌てて目を閉じた。どうしてかは、分からない。ただ、島ではなかった感覚だった。


 廊下の向こうで、誰かの笑い声がした。子どもの声だった。高くて、軽い。


 私は、反射で身体を固くした。背中が強張る。逃げる場所を探す癖が、勝手に動く。


「ここでは、子どもは泣かない。笑う」


 私は、タケトシを見る。意味は、よく分からない。でも、その言い方は断定じゃなくて、説明だった。


 遠くで足音が近づいてくる。白い服の人が通り過ぎる。視線が、一瞬だけこちらに向く。


 私は、目を伏せた。見られるのは慣れている。でも、意味が分からない視線は怖い。


「大丈夫だ」


 タケトシは、そう言った。それだけで何かが解決するわけじゃない。でも、その言葉は島の誰の言葉とも違った。


 食事は、半分も食べられなかった。けれど、無理に勧められることはなかった。


 部屋に戻る。ベッドに座ると、足が床に届かないことに気づく。ぶら下がったままの足先を見る。


 私は、自分の足を見つめた。汚れている。傷だらけだ。島の匂いが、まだ残っている気がする。


 ここにいていいのか。また、壊してしまわないか。考えが、ぐるぐる回る。


 窓の外を見る。夕方の光が、建物を赤く染めている。世界は、何事もなかったみたいに続いている。


 私は、その中にいる。


 それが、少しだけ怖くて、少しだけ、羨ましかった。

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