近づくもの
朝の空気は、昨日より重く感じた。
雲が低い。音も少ない。建物の中は、いつもと変わらないはずなのに、どこか落ち着かない。
食堂の前を通ると、人が増えていた。
声は小さい。笑っている人はいない。
私は、足を止めた。
壁際で、数人が話している。内容までは聞こえない。でも、表情だけで十分だった。良くない話だ。
少し離れたところに、タケトシがいる。
私に気づくと、何も言わずに近づいてきた。
「行かなくていい」
不意に、そう言った。
私は、顔を上げる。
「……え?」
「ここだ」
短く言って、顎で示す。
建物の外だった。
私は、何も言わずについていく。
裏口を出ると、空気が変わった。湿った匂いに、金属の匂いが混じる。
少し歩いた先に、人だかりがあった。
誰も近づこうとしない。遠巻きに、立ち止まっている。
私は、足を止めた。
地面に、荷車が倒れている。中身は散らばっていた。食料だ。
そのそばに、子供たちがいた。
一人ではない。二人、三人。皆、黙って立っている。泣いてもいない。声も出さない。
私は、息を詰めた。
腕に、力が入る。
タケトシが、私の前に立つ。
視界を、半分だけ遮る。
「見るな」
命令ではなかった。
でも、拒む言葉でもなかった。
私は、視線を逸らさなかった。
子供の一人が、こちらを見る。
目が合った。
その瞬間、胸の奥が強く引かれる。
知っている感覚だった。
島で、何度もあった。
何も言われていないのに、逃げられない場所に立ってしまう感覚。
タケトシが、低く言う。
「……ここまでだ」
それだけだった。
私は、頷けなかった。
言葉も、出ない。
子供たちは、まだ何もされていない。
でも、もう始まっている。
私は、指先を握った。
爪が、手のひらに食い込む。
戻れる場所は、まだある。
それでも。
私は、その場を離れなかった。
タケトシも、引かなかった。
二人とも動かないまま、そこに立っていた。
世界が、先に近づいてきている。
そんな気がした。




