聞いてしまった言葉
その夜は、静かだった。
灯りは落とされている。廊下を歩く足音も少ない。私は、水を取りに部屋を出た。
曲がり角の向こうで、声がする。
低くて、抑えた声だった。
私は、立ち止まる。
聞くつもりはなかった。でも、足が動かなかった。
「……次も、頼めるな」
一瞬、何のことか分からなかった。
でも、続く言葉で理解する。
「反応が早い」
「危険を察知できる」
「現場向きだ」
言葉が、静かに並ぶ。
私は、息を止めた。
名前は、出ていない。
でも、誰の話かは分かる。
「子ども相手でも、あれなら問題ない」
その一言で、胸の奥が冷えた。
問題ない。
私は、壁に手をつく。
昼間の光景が、浮かぶ。
子どもが、私を見なかったこと。
その目に、残っていたもの。
それでも、声は続く。
「使えるなら、使わない理由はない」
反論は、出なかった。
私は、音を立てないように後ずさる。
角を曲がる。
声が、遠ざかる。
水を取りに来たことを、忘れていた。
部屋に戻る。
扉を閉める。
静かになる。
私は、ベッドに腰を下ろした。
部屋は暗い。
いつもと同じはずなのに、今日は少しだけ狭く感じる。
昼間のことが、また頭に戻ってくる。
子どもが、私を見なかったこと。
その目に残っていたもの。
私は、膝の上で手を握る。
力は、使っていない。
でも、何かが動いた。
それが、怖い。
理由は、分からない。
どうして今、こんな感じがするのかも。
私は、息を整える。
深く吸って、ゆっくり吐く。
何も、起きていない。
それなのに、身体だけが落ち着かない。
今日は、もう終わったはずだ。
でも、終わった気がしない。
私は、目を閉じた。
眠るためじゃない。
ただ、この感じが消えるのを待つために。




