7. 白い結婚契約の提案
胸いっぱいに喜びと安堵が広がる。脳内にたちまち広がった爽やかな大草原を、白いワンピースを着た私がアハハウフフと笑いながら一人で駆け回りはじめた。素晴らしい。ナイスご提案だ。私はひとまず王族に嫁ぐことができ、体裁は保たれ、父の怒りも収めることができる。クリストファー殿下はどうやら嫌でたまらなかったらしい数多くの縁談から、そしてご自分を熱っぽく見つめてくる苦手な女性たちの視線からも、ある程度は解放されるだろう。何より、互いに嫌悪する異性との触れ合い、閨を共にするという地獄を味わわなくて済むということだ……!
人払いされたこの広大なサロンでくるくると踊りまわりたい欲求をぐっと抑えていると、殿下が再び口を開いた。
「バークリー公爵家には、後継となる男子がいたな」
「は、はい! 弟のダニエルは私の二つ年下で、ただ今十六歳。隣国に留学中にございます」
私がそう答えると、殿下は満足げに頷いた。
「非常に優秀な令息だと聞き及んでいる。そちらも問題ないだろう。……俺はゆくゆくは、臣籍降下することになると思う。叶うならばこの王宮で、宰相か、あるいは外務大臣の任にでも就き、ルミロの治世を支えたい」
すでに殿下の中で、次代の国王はルミロ第二王子殿下に決まっているようだ。
「構わないか?」
「もちろんでございます、殿下。殿下がどのお立場に就かれましても、私の持ちうる限りの知識を振るい、お支えしてまいります」
私も早速婚約者面をして、そう答えた。
「……では、フローリア・バークリー公爵令嬢」
彼はここで初めて、私の名を呼んだ。
「今の話、くれぐれも内密に。……そちらの侍女は、大丈夫なんだな?」
殿下が私の背後にいるラーラに、ちらりと視線を送る。
「はい、ラーラは私の事情を全て知っておりますし、口も固いです。私にとっては唯一相談事のできる、気心知れた侍女でもあります。……殿下、輿入れの際にはラーラも共に連れてくることを、お許しいただけますでしょうか」
「構わない。こうして我々の話を聞いている以上、むしろその方が安心だ。君はこれから二人で交わす白い結婚契約の内容を厳密に守り、俺の妃として相応しい言動を心がけてくれ。あとは自由に過ごすといい」
「承知いたしました。こちらの事情も汲んでくださった上でのありがたいご提案、心より感謝申し上げます、クリストファー殿下。精一杯努めさせていただきます」
一旦持ち帰って熟考、などすることは一切なく、私はこの尊いお申し出に飛びついたのだった。
殿下も心なしか満足げな表情だ。
「では、今日はこの辺にしておこう。細かな契約内容については、これから婚約期間中に互いに案を出し合い、擦り合わせて、まとめていくことにする。いいな?」
「はい。もちろん、それで大丈夫でございます。ありがとうございます」
私がそう答えたのを合図に、私たちは同時に立ち上がった。そして互いに相手に向かって一旦手を差し出し……全く同じタイミングでサッとすばやく引っ込めた。危ない危ない。高揚するあまり思わず握手を求めそうになってしまった。
「また後日会おう。君もよく考え、何か希望があれば次回の面会で言ってくれ」
「承知いたしました」
では失礼いたします、とその場を辞する前に……私はわずかに逡巡した後、勇気を出して尋ねてみた。私も話したのだから、きっと聞いてみても大丈夫だろう。
「あの……、クリストファー殿下にも、何かその……私のような理由がおありなのでしょうか。女性との触れ合いを嫌悪するに至った、深いご事情が……」
私がそう問うと、殿下はほんの一瞬目を見開き、そしてすぐにさっきまでの無愛想な表情に戻った。
「いや、特には。ただ昔から、こういう質だ。……それだけだ」
「……さようでございますか。失礼なことをお尋ねいたしました。お許しくださいませ」
「構わない」
私がそう謝罪すると、クリストファー殿下は短く返事をし、そっと目を伏せたのだった。