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46. フローリアの怒り

 開いた扉から室内に入った瞬間、嗅ぎ慣れない不思議な匂いが鼻をついた。すると突然、私の護衛が大きな声を上げる。


「妃殿下、顔を覆ってください! この香りはおそらく媚薬です……! 媚薬入りの香が焚かれている可能性がございます!」

「……っ!」


(何ですって……!?)


 私も他の者たちも皆、一様に袖口で顔を覆い息を止める。すばやく室内を見回したけれど、王妃陛下もクリス様も、誰もいない。

 扉続きの奥の間があることに気付き、私は迷うことなくその扉に駆け寄った。


「妃殿下! お待ちを……!」


 護衛の声が聞こえたけれど、私は無我夢中で扉に手をかけ、開け放った。


(────っ!!)


 中の光景に、頭が真っ白になる。

 椅子に座ったまま、驚愕の表情でこちらを凝視している王妃陛下。大きなベッドの上には、半裸のエヴァナ嬢。そして──


「クリス様っ!!」


 彼女の体の下には、ぐったりとしたクリス様の姿があった。

 上着のボタンが外され、上半身が露わになっている。


「──どきなさい!!」


 その姿を見た途端、目の前が真っ赤に染まった。

 突進する勢いでエヴァナ嬢に駆け寄ると、そのまま彼女の腕を力いっぱい引っ張る。


「きゃあっ……!! や、やめてよ!! 痛いっ! 痛いわっ!!」

「クリス様から離れて! 触らないで!!」


 この瞬間、冷静な思考はわずかばかりも残っていなかった。私の大切なクリス様が、こんな女に蹂躙されている。誰にも触れさせたくないクリス様が。

 手加減など一切せず、私はエヴァナ嬢の体を彼から引き剥がそうと引っ張り続ける。揉み合っていると私の護衛らがすぐさま加勢し、彼女はあっという間に取り押さえられた。


「クリス様……っ! 大丈夫ですか!?」

「……はぁっ……、はぁっ……」


 息を切らしながら呼びかけてみるけれど、クリス様の方がよほど苦しそうだ。頬も首すじも紅潮し、荒い呼吸をするたびに胸が大きく上下している。私の呼びかけに気付いたのか、とろんとした表情でこちらを見てくれたけれど、視線は全く定まっていない。


「……リ……ア……」

「ええ……! ええ! 私です、クリス様……!」


 朦朧としながらも、私に気付き名を呼んでくれた。そのことにかすかに安堵し、涙がこみ上げる。けれど、すぐに我に返った私は周囲を見回した。先ほど扉を守っていた王妃付きの護衛らが、呆然とこちらを見ている。


「あなたたち、すぐにクリス様を私たちの寝室に運びなさい!」

「は……、はっ!」


 エヴァナ嬢を取り押さえていた私の護衛のうちの一人も加勢し、シーツで即席の担架を作りはじめる。その間も、クリス様は苦しげに眉間に皺を寄せ、身をよじって悶えている。


「……どうして、クリス様がこんな目に……っ!」


 抑えきれない怒りが、体の中で暴走する。私は勢いよく振り返ると、顔面蒼白になり立ち上がってこちらを見ていた王妃と、そして護衛に両腕を捻り上げられてるエヴァナ嬢を睨みつけた。

 状況から見て、仕組んだのは間違いなく王妃だ。

 溢れ出す怒りのままに、私は王妃を激しく糾弾した。


「あなたはどこまで腐っているの。クリス様は、あなたの玩具じゃない!! 無理矢理支配して、心に深い傷を負わせておきながら、まだ満足できないの!? こんな風に触れて奪ったところで、クリス様の心は決してあなたのものにはならないわ。クリス様は私の大切な人よ!  こんなこと絶対に許さないから!!」

「……っ! お前……!」


 私の叫びを聞きながら愕然としていた王妃は、ふいに我に返り私を睨み返してくる。けれど怒り狂っている私は、その姿をもう微塵も恐ろしく感じなかった。

 ほどなくして出来上がった担架に、護衛たちがすばやくクリス様を乗せ、三人で彼を運び出した。


「ひ、人を呼んでばいりばす……っ!!」


 ずっと鼻を塞いでいたらしいラーラが、袖口からもごもごと叫びながら出ていこうとする。


「ラーラ、まずは侍医をクリス様の元に。そして近衛隊長をこの部屋にすぐ向かわせて。いいわね!?」

「承知しばしだっ!!」


 ラーラは一目散に駆け出した。……この部屋には変な匂いがしない。あの媚薬と思われる妙な香は、どうやら手前の部屋だけに焚かれていたらしい。けれど、扉を開け放った今、ここも危険であることに変わりはない。


「窓を全部開けなさい」


 鼻と口を覆いあ然として突っ立っている王妃陛下の侍女らに短くそう命じると、彼女たちは慌てて二部屋の窓を全開にした。その間に私は自分のもう一人の侍女を手招きし、香を回収しておくよう小声で伝えた。侍女は鼻と口を塞いだまま、すぐさま隣の部屋に戻る。

 真っ青な顔の王妃と、私の護衛に取り押さえられている半裸のエヴァナ嬢は、香の影響を受けていないのか意識ははっきりし、精神状態を保っているようだ。作用を防ぐ何かを使っていたのだろうか。

 ふいに、王妃のやけに落ち着きはらった声が室内に響く。


「……あなた、何か勘違いなさっているのではなくて? この私に向かって随分と傲慢な口をきくけれど、私は何もしていなくてよ。ただ、目を離した隙にエヴァナさんが彼に何をしたのかは知らないわ。突然クリストファー殿下の様子がおかしくなってしまっているのを見て、私も驚いたの。彼女からしっかり話を聞かなくてはね」


 腕を護衛にがっちりと摑まれたままの半裸のエヴァナ嬢が、目を見開いて王妃を見つめる。王妃はそんな彼女に、ほんの一瞬冷たい視線を向けた。私はすかさず言い返す。


「……それで彼女に口止めしているおつもりですか? エヴァナさんは全てをお話しになりますよ。だって、嘘の証言は重罪ですから。ねぇ、エヴァナさん」


 王妃以上の冷たい視線で、私はエヴァナ嬢を見下ろした。

 彼女はヒュッと息を吸い込み、大きく喉を鳴らした。







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