41. 初めての口づけ
それはそれとして、気持ちの通じ合ったクリス様と私は今、新たな局面を迎えていた。
恋する二人の男女は、互いに想い合っていると分かった時、さらにその想いが燃え上がる。
大好きだからこそ、湧き上がる感情。この人に触れたい。触れられたい。もっと深く知り、愛し合いたい。
一晩中そばにいたい。片時も離れたくはない。
抑えきれないその想いから、恋人たちは夫婦となり、共にベッドに入り、やがて子を成す。
(……それは分かってるんだけど!!)
その夜も夫婦の寝室で、私は心臓をバクバクと高鳴らせながら、身を固くしてソファーに座り、膝の上で作った自分の拳を見つめていた。
クリス様は時折小さく咳払いをしながら、離れたところでうろうろしている。お水を飲んだり、本棚の本を見たり。
もうお互い、どうしていいのか分からないのだ。いや、違う。分かってはいる。でも……私たちは互いに異性との触れ合いを完全に拒絶して生きてきた、二十歳と十八歳。
夫婦となった。どうにかダンスができるほどに触れ合えるようにはなり、抱き上げてももらったし、素手で手も握り合った。指先に、キスもされた。夜も毎晩、同じベッドで眠っている。
さらに、お互いを好きだと知った。
その上、王太子夫妻としての大いなる責任も自覚している。
もうすることは、一つだけ。
(分かっているからこそ余計に、ベッドに入りづらいのよ……!!)
自分の大きな心臓の鼓動を聞きながら、私は静かに大きく息を吸い、吐き出した。何回目だろう。水を飲んでも喉はカラカラだ。
きっと今、クリス様も私と同じことを何度も自問自答しているはずだ。
私たち、本当にできるのかな。お互いに想い合っていると分かった上で、それでもどうしても無理だったら、どうしよう。
緊張し、プレッシャーを感じれば感じるほど、脳裏をよぎる記憶もある。あの女が今、王宮をうろついているから余計に……。
エヴァナ嬢の勝ち誇ったような、あの腹立たしい笑みを見るたびに、あの夜のジョゼフ様と彼女の姿がよみがえる。それと連鎖して、父のことも。
私以上のトラウマを抱えたクリス様は、なおさらのことだろう。
(……どうなんだろう。あちらでうろうろしてるクリス様は今、どっちの意味で逡巡なさっているのかしら。深く触れ合うことに対する嫌悪感? それとも……私との初めての閨に対する緊張?)
私の風邪が治ってからの、この数日間。共にベッドに入る前、毎夜こんな風に何とも言えない緊張感漂う時間を過ごし、そして結局ベッドに入ってからは、そのまま指先をそっと絡めて眠る。その繰り返しだった。
(……結局今夜も、そうなるかな……)
固唾を呑み、再び静かに息を吐いた時。少し上擦った声で、クリス様が私の名を呼んだ。
「……リア」
「ひっ! ……は、はい」
心臓が口から飛び出すほど大きく跳ね、私の体も思いっきり跳ねた。おそるおそるクリス様の顔を見ると、彼は意を決したように真剣な眼差しで、唇を固く結び、私を見ていた。そしてゆっくりと、私のそばまで歩いてくる。
「……おいで」
間近で見るクリス様の瞳には、いつもと違う熱が宿っていた。彼が私の指先をそっと握ったのを合図に、私は立ち上がり、そのまま彼に手を引かれベッドへと向かう。
(何だかクリス様……昨日までと雰囲気が違う)
今夜こそと、覚悟をお決めになったのかもしれない。それならば私も、あとはクリス様のお気持ちに従うだけ……。
クリス様が灯りを落としている間に、覚悟を決めてベッドに上がり、横になった。もういい。こうなった以上、早く済ませてしまった方が、お互いの精神衛生上絶対にいい。毎晩この緊張感が続くのでは身が持たないもの。とにかく、最初の一夜さえ越えてしまえば……!
部屋が薄闇に包まれると、クリス様もベッドに入ってくる。……案の定、昨日までとは違い、彼は私の体に触れるほどすぐそばに横たわった。
「…………」
外の宵闇から梟の鳴き声が聞こえてきそうなほど、静まり返った室内。寄り添う私たちの腕や足はかすかに触れ合っていて、それだけでめまいがするほどに緊張する。思わずこくりと喉を鳴らした。クリス様の漏らす熱い吐息が、私の額をそっと掠める。その感触に、私の全身が敏感に反応し、甘く痺れたような不思議な感覚がした。
彼は無言のまま、私の指先に自分のそれをそっと絡め、胸元へと誘った。
クリス様の胸に押し当てられたその指から、狂ったように高鳴る彼の鼓動が伝わってくる。私の心臓も今、同じように暴れている。緊張のあまり潤んだ瞳で彼の顔を見上げると、クリス様はその青く澄んだ目に壮絶なまでの色気を滲ませ、私のことを見つめていた。絡み合った視線から、全身に熱が広がっていく。
「……嫌じゃない?」
そう問いかけてくるクリス様の声は、まるでこれまでの彼とは別人のようで。
かすかに震えるその低い囁きは、ぞくりとするほど妖艶に私の耳を撫でた。私は大丈夫、あなたは? そう問い返したいのに、息が詰まって言葉が出ない。小さく頷くだけが精一杯だった。
「もう少し触れても、構わないか」
「……っ」
もう心臓が、破裂しそう。全身を火照らせながら、私はもう一度小さく頷き、目を閉じた。
すると。
彼の香りと気配がより近くなったと感じた途端、私の唇を柔らかな感触が掠めた。
(……今の、って……)
反射的に目を開けると、視界に入ったのは、大好きな人の美しい瞳。
唇にかかる彼の吐息は、火傷しそうなほどに熱い。言葉にできないほどの幸福感と緊張の中で、私は全てを彼に委ねるように、再びゆっくりと目を閉じた。
「……君が好きだ、リア」
そう囁いたクリス様の唇が、二度、三度と軽く押し当てられ、そのたびに脳の奥が痺れるような感覚がした。触れ合うたびにその痺れが全身に拡散し、体が溶けてしまいそう。何度も喉を鳴らしながら、二人の息が徐々に上がっていく。
何だろう、この感じ。何も考えられなくなって、まるで自分が自分じゃなくなるみたい。不快さはなく、余計なことも頭をよぎらない。
ただ、目の前のクリス様が、愛おしくてたまらなくて。すぐそばにいるはずなのに、この距離さえももどかしい。そんな焦燥感にも似た熱が、私の体を満たしていた。
(……私もです、クリス様。あなたのことが大好き……)
その夜、唇を重ねるだけのキスを何度も繰り返した私たちは、やがてその距離のまま眠りについた。
緊張の時間が続いたことで、私は身も心もすっかり消耗してしまっていた。けれど、ふと夜中に目を覚ますと、視界いっぱいにクリス様の美しい寝顔があり、完全に目が冴えてしまった。
結局その後は朝まで眠ることができず、翌日は睡眠不足でフラフラだった。