40. 無礼なエヴァナ
声の主を見て、一旦鳴りを潜めていた私の怒りが再燃した。……エヴァナ嬢だ。まだ王宮にいたのか。
二人の侍女と共に現れた彼女は、嫌な感じの挑発的な笑みを浮かべ、私たちの元に近寄ってくる。
「……これはエヴァナ嬢。王妃陛下の元で、粗相などはないですか? 日々つつがなく過ごしておるかな」
養父であるギルフォード伯爵がそう声をかけてあげたのに、エヴァナ嬢は返事をすることもなく、私に向かって勝ち誇ったように言う。
「王宮の廊下で、二人きりの密談中ですの? ふふ。以前から、王太子妃殿下はお義父様とやけに親しげだと噂で聞いたことはありましたけどぉ……。もう少し周囲の目を気になさった方がよろしいんじゃなくて? お義父様……ギルフォード伯爵は、独身でいらっしゃるのですよ? あたしでなくても、皆よからぬことを疑っちゃいますわぁ〜。うふふふふ」
(……いや、ちょっと待ってよ。その前に、数日前の噴水事件のことは? 何か私に言うことはないわけ? ……ないか。あるわけないな、この人に限って)
先日は大変失礼をいたしました、フローリア妃殿下。あたしのせいであんなことに……無礼な振る舞いを、深く反省いたしております。その後お体の具合はいかがでございますか? ……なんて、この人の口から出るわけがないけど。
それにしたって、何か一言あってもいいんじゃないの? 私あなたのせいで噴水に落ちたんですけど、噴水に!
「……どこを見ておっしゃっているの? エヴァナさん。ここにいる私の侍女や護衛たちの姿が見えていらっしゃらないのかしら。この状況のどこが密談だと? 失礼だわ」
「んまぁ、そんなにムキにならないでくださいますぅ? 妃殿下ったら。ますます怪しいわぁ」
わざと挑発しようとでもしているのか、エヴァナ嬢は腹が立つほどわざとらしい喋り方をしながら体をくねくねさせ、ねちっこい笑みを浮かべている。さすがのギルフォード伯爵も声を荒らげた。
「よしなさい、エヴァナ嬢。一体何のつもりだ。無礼だぞ。君は今、何のためにこの王宮に滞在している。王妃陛下の格別のご厚意により、妃陛下の元で淑女教育を学び直させていただいているのだろう。立場を弁えなさい。君の振る舞いが、妃陛下のご尊顔に泥を塗ることになりかねないのだぞ」
いつも温和なギルフォード伯爵の厳しい声と顔色に驚いたいけれど、まぁ当然のご指摘だ。伯爵にとっては一応義娘なのだから。
けれどエヴァナ嬢は不貞腐れたような表情をし、そのまま去っていったのだった。……信じられない。何なの? あの人。
「……申し訳ございません、妃殿下。よく言って聞かせますので」
困りきった様子で謝罪する伯爵が不憫で、私は慌てて笑みを浮かべる。
「ギルフォード伯爵のせいでは……。それにしても、本当に不思議ですわね。ジョゼフ様と共に準男爵領にお移りになったエヴァナさんが、こうしてわざわざ王妃陛下の元で再教育を受けていらっしゃるなんて」
先日の噴水事件は、伯爵の耳には入っていないようだ。私にとって下手に不名誉な噂話が広まらないよう緘口令を敷いてあると、お見舞いに来てくださったクリス様が言っていたっけ。
伯爵は少し眉をひそめた。
「ええ。私も事後報告を受けた時には驚きました。エヴァナ嬢はうちでの教育にも全く前向きではなく、ほとんど何も身につかぬままに王都を去りましたから……。まさか王妃陛下が手ずからあの子を教育してくださるなど、思いもよりませんでした」
「そう……。伯爵は王妃陛下から、直接その理由を?」
「はい。教育が必要ならば養家である我が家でいたしますからと申し出たのですが、妃陛下は、エヴァナ嬢の誠実さや優秀さは、ジョゼフ様から聞き及んでいると。彼女の将来のためを思いご自分が支援してやろうと決めたと、そのように仰ったのです。廃太子とされ王宮を去った王子の妃など、自分の監視下にでも置かない限りは戻してやれないから、と」
「……そうなのですね」
絶対に嘘だと直感した。あの王妃陛下が、そんな慈悲深い理由でエヴァナ嬢をわざわざこの王宮に呼び戻したりはしない。
(一体何を考えているの、あの人は……)
嫌な予感しかしない。クリス様への、過去の歪んだ執着。私への辛辣を極めた態度。先日の庭園での、王妃陛下とエヴァナ嬢の陰湿な笑い声。
私にだけなら、まだいい。でも、もしもクリス様に対してよからぬことを企んでいるのなら、ただじゃおかないわ。
ギルフォード伯爵と別れ執務室へと向かいながら、私の中に再び、彼女たちへの怒りが渦巻いていた。