39. どうにかしたい
互いの想いを伝え合った、あの日。
甘えるように膝の上に身を寄せるクリス様の背を撫でながら、私は満ち足りた幸福に包まれていた。
愛する人に、同じ想いを返してもらえる。その事実に私は夢見心地だった。クリス様に触れることにも、嫌悪感がない。このままいけば、きっと近いうちに、私たちは……。ううん、もちろんクリス様次第ではあるけれど……。
でも、やはり冷たい水の中に落ちてずぶ濡れになってしまったのがいけなかったのか、その夜から私は熱を出した。元々少し体調が悪いような気もしていたし、疲れが溜まっていたのも悪かったかもしれない。
クリス様は私を心底心配し、熱が完全に下がるまでの三日間、何度も私を見舞ってくれた。
「……クリス様。そんなに大袈裟な状態ではございませんので……。もう部屋まで来ていただかなくて結構ですわ。クリス様に風邪が移ってしまったら大変です」
公務に支障が出てもいけないし、何よりクリス様が寝込んだりしたら、私の方が心配でどうにかなってしまう。
けれど、何度言ってもクリス様は時間ができるたびに私の様子を見にやって来るのだった。
「夫が妻を見舞って何が悪い。俺は丈夫だから平気だ。今日は何か口にしたのか? 何か欲しいものは?」
そんなことを言いながら、私の額に手を当てたり、水を飲ませようとしたり、……指先にかすかにキスをしたり。
(こ、こんなことをされたら、余計熱が上がってしまうのですが……っ)
ついに初めて、クリス様に直に唇を押し当てられ、私の顔は真っ赤に染まったのだった。
そうしてついに全快した四日目。クリス様の愛を知った私は、もう元気いっぱいだった。そして頭が回りはじめると、あの日のことをまざまざと思い出し、怒りが再燃した。
執務室に向かうために王宮の廊下を歩きながら、私はポーカーフェイスの下で苛立ちを滾らせていた。
(絶対に許せないわ、ユーディア王妃陛下……! クリス様にあんなにも深い苦しみを残しておきながら、何もなかったかのようにのうのうと王宮で暮らしてきただなんて。このまま終わらせたくない……!)
そうはいっても、向こうは王妃。彼女の絶大な権力を前に、私に何ができるだろうか。その上クリス様は、母君である側妃のアイラ様の立場を守るためにも、また、余計な心痛を味わわせないためにも、過去の出来事を誰にも打ち明けずにここまできている。
(でもどうにかしたい……。私は絶対に、あの人を許すことはできないわ)
これからどう動けばいいか。そもそもクリス様のお気持ちを汲めば、私が下手に余計な動きをするべきではないのか。
頭を巡らせながら歩いていると、ふいに穏やかな声が私を呼び止めた。
「フローリア妃殿下。ご機嫌麗しゅう」
「……あら、ギルフォード伯爵。ごきげんよう。気付かなくてごめんなさい」
なんと、考え込むうちにギルフォード伯爵の前を素通りしようとしていたらしい。私から声をかけるべきところを。
ギルフォード伯爵は人の良い笑みを浮かべている。
「先日の舞踏会は素晴らしゅうございました。クリストファー王太子殿下と妃殿下のダンスもとても見事で。皆が一様に見惚れておりましたな」
「ふふ。ありがとうございます。楽しいひとときでしたわ。……伯爵、あの夜は母のことを気遣ってくださり、ありがとうございました」
父が一人でさっさと姿を消してしまったため、体の弱い母がダニエルと一緒に残されてしまった。ギルフォード伯爵は、母に付き添って会場のどこかにいる父のことを、わざわざ探しに行ってくださったのだ。
伯爵はいやいや、とにこやかに首を振る。
「すぐに見つかったのでようございました。そういえば、バークリー公爵夫人と隣国の大使夫人であるワイズ伯爵夫人とも、旧知の仲のようでしたよ。あの後公爵を探している時に広間の中で夫人とすれ違ったのですが、バークリー公爵夫人はとても嬉しそうにお話ししておいででした」
「あら、そうだったんですのね。知りませんでしたわ」
優しく穏やかだけれど、あまり社交的でない上に病気がちな母には、友人はさほど多くない。だからそんな話を聞くと、少しほっとする。
「ええ。ワイズ夫人がこちらの国にいる時にお知り合いになったようで。私も妻を通じて彼女とはご縁がありますし、今度ぜひ他の友人も招いて皆で茶会でも……という話になったのですが、バークリー公爵夫人は浮かないご様子でした。……公爵の許可が出れば、と仰っていましたが」
「……そうですか」
母が可哀想で、胸が痛む。きっと父はそんな茶会には同席してくれないと分かっているのだろう。自分は好きに出歩き、よその女性たちとも遊び放題の父だが、母のわずかな楽しみのことなど考えてくれる人ではない。ギルフォード伯爵には会いたくないだろうし、自分に利のない茶会など興味もないだろう。かといって、異性の参加する私的な茶会に、夫のいる公爵夫人が一人で行くのも世間体が悪い。
「せっかく素敵なお声がけをいただいたのに、母も残念でしょう。重ね重ね、ありがとうございます伯爵」
「いえ。……私にできることが何かあれば、いつでも仰ってください。妃殿下も、バークリー公爵夫人も、お心穏やかに過ごされることを願っております」
(……本当にお優しい方だな)
父とは大違いだ。改めてお礼を言おうとした、その時。
場にそぐわぬ甲高い声が、廊下に響き渡った。
「んまぁ〜。仲のおよろしいこと。お義父様と妃殿下ったら」




