38. 濁った執着(※sideユーディア)
私室に戻るやいなや人払いをし、私はエヴァナの頬をしたたかに叩いた。
「ひぁ……っ!」
情けない声を上げ、エヴァナがよろめき床に尻をつく。頬を押さえ、怯えた眼差しで私を見上げるエヴァナに、私は苛立ちの全てをぶつけた。
「お前……もっとマシなことができないわけ!? この役立たず!! あんなあからさまな手を使って……! あの場に私がいなければ、お前は今頃牢屋行きよ。おかげでクリストファーに腹立たしい態度をとられたわ」
……思い返すだけで腸が煮えくりかえる。ずぶ濡れで震えるフローリアを、まるでこの私から守るように、こちらを睨みつけながら強く抱きしめて。あんなクリストファーの姿を見たことは、かつて一度もなかった。あの堅物が、女性の体に触れ、大切なもののように全身で抱きしめるなんて。
あのクリストファーが……!
「も……っ、申し訳ございません、王妃陛下……! お、お喜びいただけるかと思っ……きゃあっ!」
ビクビクしながら言い訳をするエヴァナに、今度は力いっぱい扇子を投げつける。見事に額に当たり、エヴァナが体を丸めた。
「あんな安っぽい手でこの私が喜ぶわけがないでしょう! あの二人の結束を固くしただけだわ。全く……所詮は田舎の下位貴族の娘ね。知恵を絞った結果があれだなんて、浅はかさに笑いが出るわ。妃殿下が庭園に行ったそうなので、面白いものをお見せしますわなんて言うから、何事かと思ったら……」
面白かったのは確かだ。途中までは。あそこにクリストファーが現れ、フローリアを庇うまでは。
「……私の役に立てないのなら、お前を辺境に送り返すわ。王族に対し無礼を働いたと、国王陛下にも進言する。もう二度と王宮には出入りできないでしょうね」
「っ! ど、どうか、お許しくださいませ王妃陛下……! 次こそ必ず、妃殿下を……!」
慌てて顔を上げ懇願するエヴァナを見下ろし、私は言った。
「お前さえもっとマシな頭があれば、ジョゼフは失脚することはなかった。あのフローリアから私の息子を奪い、厚かましくもその婚約者の座を得ておきながら、お前はただジョゼフの足を引っ張っただけじゃないの。邪魔者でしかないわ。お前さえいなければ、こんなことにはなっていないのよ……!」
「ひ……っ!」
怒りの全てをエヴァナにぶつけ、全身全霊で睨みつける。エヴァナは怯えきって震えながら、床に頭をつけた。
「……ねぇ。もう片田舎は懲り懲りなのでしょう? つまらないでしょう? 追いやられた辺境は。王都にいたいでしょう? 王宮で華やかに暮らしたいのよね? ……ならば役に立ちなさい。クリストファーとフローリアの仲を裂き、二人を離縁させるのよ。それだけでは駄目。フローリアには、あの小娘の評判を地の底にまで叩き落とす大いなる醜聞を。そして……クリストファーに愛されているという思い上がりもへし折ってやるのよ」
「し……承知いたしました……! このあたしが必ず、あの二人を引き裂いてみせますわ! ですからどうぞ、目をかけてくださいませ、王妃陛下……!」
「ふん……本当に厚かましいわね、お前。田舎育ちの、質の悪い小娘が。私におねだりする前に、一刻も早く次の行動に移りなさいよ」
そう。フローリアだけは絶対に許さない。
私の息子の心を繋ぎ止めておくこともできずに失脚を招いたばかりか、あのクリストファーを籠絡するだなんて。本当ならば死をもって償うべきなのよ。
クリストファー。この世で最も美しい、私の愛玩物。
私があの子を導いたのよ。女の全てを教えてあげたのは、この私なの。
それ以来、あの子は誰の手も取らなかった。
どれほど若く美しい令嬢たちに焦がれられようとも、恋の噂の一つも立たず、ダンスさえ踊らなかった。
あの子の纏う清廉な空気。きっと《《あれ以来》》、侍女や教育係との秘密の関係さえ持っていないはず。高級娼館に出入りしている噂も聞かない。
私だけ。あの子には私だけだったの。
拒むような態度を見せたところで、私との時間は忘れていないはず。心の奥底では、私だけを特別な存在として意識していると、そう思っていたのに。
フローリアを抱き寄せながら私に向けてきた、あの非難の眼差し。思い出すだけで、怒りに視界が眩む。
「……分かったわね!? 今度こそ本当に自分の存在が消される前に、あの女を王宮から追い出すのよ!」
滾る憎しみは、目の前の無様な小娘にそのままぶつける。エヴァナは再びひぃっと声を上げると、何度も大きく頷いた。