35. 仕組まれたいじめ
「午後に謁見を控えているの。少しお手伝いしますけど、見つけるのが無理そうでしたら、部屋に戻らせていただくわね」
最初から無理だと思ってはいたけれど、私は一応そう言って噴水の中を覗き込んだ。エヴァナ嬢は何も答えず、ただ私の隣に立っている。
少し離れたところで、王妃陛下がこちらをじっと窺っている。
跳ね返る水で徐々に胸元を濡らしながら片手で水を掻き回すそぶりをしている私に、ふいにエヴァナ嬢が言った。
「……ねぇ、妃殿下。上手いことなさいましたのね、本当に」
「……何のお話?」
彼女の顔を見ると、エヴァナ嬢は水面を見つめたまま、自嘲するような笑みを浮かべている。
「……領地の村でジョゼフ様から声をかけられた時、あたし有頂天になりましたわ。冴えない男爵領の田舎娘が王太子妃になる夢のようなストーリーが、頭の中に広がって。ああ、ここからあたしの本当の人生が始まるんだって、そう思いました。あなた様には悪いけれど、ジョゼフ様があたしを選んでくださったのは、あなたにはない魅力を、このあたしに感じたから。魅力の足りなかったあなたにも問題があるって、そう思ったの。あなたって潔癖で真面目で、全然面白みが無いって、ジョゼフ様もいつもおっしゃってたし」
「……」
何が言いたいのだろう。
返事をする気にもなれなくて、私は無視して水面を適当に触る。……そろそろいいかしら。ネックレスらしきものの光さえ見えない。
「ジョゼフ様が生誕祭にあたしを招いてくださって、その場であなたに婚約破棄を宣言して、あたしとの婚約を発表してくださった。あの時は、人生で最高に幸せな瞬間だったわ。それなのに……あの人はあっという間に、王宮から追い出されちゃった。王太子の座まで第三王子に奪われて。巻き添えくったあたしまで、あんな何もないド田舎の辺境の地に連れていかれた。……第三王子と、あなたのせいで」
(……クリス様と、私のせい……?)
私は顔を上げ、思わずエヴァナ嬢を見つめる。黙っていられず、ついに私は反論した。
「一体誰に向かってそんな口をきいているの? エヴァナさん。あまりにも無礼だわ。私は王太子妃、あなたは準男爵の奥方。もう王族扱いですらないのよ。口を慎みなさい。それと、あなた方が今の立場に追い込まれているのは、断じてクリストファー王太子殿下と私のせいではないわ。ご自分たちの招いた結果でしょう。私たちは一切関係ない。よほど悔しいようだけれど、逆恨みは止めてちょうだいね。不愉快だわ」
言ってやった。エヴァナ嬢の表情が分かりやすく変わる。こめかみに青筋を立て、礼儀の欠片もない傲慢な目つきで私を思いっきり睨んでくる。奥にいる王妃陛下の空気まで変わった。
すると突然、エヴァナ嬢が私から視線を逸らし、水面に目をやると声を上げた。
「あらっ? ありましたわ! あれ、あたしのネックレスよ! きっとそうだわ。ね、妃殿下、ご覧になってぇ」
「……どれ? 私には何も……」
見えないけれど。そう言おうとした、その時だった。
エヴァナ嬢は突如私の二の腕を強く摑み、水面の方へと強引に引っ張った。慌てて踏ん張ろうとするけれど、目の前の縁石に足が当たり上手く力が入らない。エヴァナ嬢がもう片方の手で私の背中をぐっと押した。
「ほら! あそこですわ! ちゃんと見て」
「ちょっと……止め……っ」
次の瞬間、エヴァナ嬢は私の腕から手を離し、ふらつく私の背に体重をかけ、両手で力いっぱいドンッ! と押した。
(────っ!!)
ほんの一瞬の出来事だった。目の前に迫ってきた水面を、信じられない思いで見つめたのも束の間、私の体は水の中へと落ちていった。
息が出来ず、頭が真っ白になる。
けれどそれは、本当にわずかな時間のことだった。
次の瞬間には、私は大きな手に腰をがっしりと摑まれ、すごい勢いで水面に引き上げられたから。
水から顔を出した瞬間視界に飛び込んできたのは、私の護衛たちの顔と、両手で口元を覆い真っ青な顔をしているラーラだった。
「妃殿下! 大丈夫でございますかっ!?」
「貴様……何ということを……!!」
慌てて駆けてきたのだろう。二人の護衛たちはすぐさま私を噴水から庭園へと引き上げると、エヴァナ嬢を射殺す勢いで睨みつけ、抗議する。けれど、彼女や王妃陛下、そしてその侍女たちは、ただ楽しそうに声を上げて笑っているばかりだった。涙目で駆け寄ってきたラーラが、私の体を強く抱きしめる。
「フローリア様……っ!!」
「やだぁ、妃殿下ったら……まさか噴水に落っこちちゃうだなんて! あたしびっくりしちゃいましたわぁ! そそっかしいところあるんですのね。うっふふふふ」
エヴァナ嬢は目尻に浮かんだ涙を拭いながら、草の上に手を付き呆然としている私を見下ろす。王妃陛下まで、扇子を広げ顔を隠しながら、クックッと肩を揺らす。
「見事に真っ逆さまだったわね。なんとまぁ無様な……。大丈夫かしら? お風邪など引かないよう早く着替えなくてはね。ふふふ……。庭園の噴水に落ちるような失態を犯した王族が、過去に一人でもいたのかしら」
「おほほほほほほ……」
王妃陛下の言葉に、彼女の侍女たちが高らかに笑いだした。湧き上がる怒りで、全身がガタガタと震える。
その時、目元に怒気をたたえたラーラが、雷のような勢いで立ち上がりエヴァナ嬢に食ってかかった。
「何を笑っているの!! あなた……今明らかにわざとフローリア様を落としたでしょう!? ご自分のやったことがお分かりですの!? 不敬よ! 暴行罪だわ!!」
ラーラのその叫び声に、今の今までゲラゲラと笑っていたエヴァナ嬢や王妃陛下の顔色が変わる。
「……何ですって? エヴァナさんが、わざと? いいえ。私はずっとここで見ていたわ。エヴァナさんはただ妃殿下にネックレスがある位置を教えていただけじゃないの」
「な……っ!!」
ラーラが言葉を失う。あ然としつつも、私は理解した。これは最初から仕組まれていた事態なのだと。王妃陛下はエヴァナ嬢を使って、私を虐めている。はなから私を噴水に突き落とすつもりで、彼女とここにやって来たのだ。
「妃殿下がただ足を滑らせただけでしょう。なのにあなた、侍女の分際で私が面倒を見ているご令嬢に抗議なさるの? あなたの方がよほど不敬よ。弁えなさいな」
「……っ!! そんなはずが……!!」
もう何を言っても無駄だ。王妃陛下が違うと言えば、誰も逆らえない。私はラーラを制しようとした。
その時だった。
「リア!!」
(……え?)
切羽詰まった叫び声がし、私はぼんやりと後ろを振り返った。
クリス様が、私の方へと走ってくるのが見えた。