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32. ベッドの上の二人

 一瞬にしてパニック状態に陥った私の緊張を知ってか知らずか、クリス様は至って落ち着いた様子で、優しく微笑みかけながら私に手を差し伸べる。

 手袋を外した手で。

 尻込みしているのは、私の方だった。さっきまでハーブティーを味わっていたというのに、喉は干上がったようにカラカラだ。差し出された手を見つめながら、私はどうにか声を絞り出す。


「……で……ですが、どうか……、ご、ご無理なさらず」

「無理などしていない。今夜君とああして踊り、美しい君の姿を見つめながら、改めて思った。俺は君と共に生きていくのだと。隣に君がいてくれることに、心から満足しているし、感謝している。……リア、」


 そう言うと、いつまでも手を取らない私に痺れを切らしたのか、クリス様の方からこちらへ一歩近付き、そっと私の指先を拾った。


「……っ!」


 初めて直接触れ合った指先。体が硬直し、全身が茹だったように一気に熱くなる。ど、どうしよう……。

 彼は少し身をかがめ、私のそばで甘く囁いた。


「君と一緒に、ベッドに入りたい」


(〜〜〜〜っ!!)


 一瞬気が遠くなり、クラリとめまいがした。

 ほ、本気だ……。クリス様が本気を出してきた……!

 いよいよだ。今夜なんだ。

 今夜、私たちは……!!


「さぁ、おいで」


 石像のようにガッチガチに固まる私の手を少し強引に引き、クリス様がベッドの方へと歩き出す。心臓が口から飛び出しそう。どうしよう。は、早く心の準備をしなきゃ……!

 もはや自分の感情がよく分からない。どうしてこんなに震えているんだろう。気を抜いたら、涙も出そう。緊張なのか、喜びなのか恐怖心なのか、分からない。心臓が暴れ続けているせいで、胸の辺りが痛い。その上、こんな時にまた父やジョゼフ様の気持ちの悪いシーンが頭をよぎる。もう止めて。今それどころじゃないの、私。もう私の邪魔をしないで。

 今から好きな人とベッドに入るの。後継を産まないといけないのよ、私。


(ああ、誰か助けて……!)


 混乱のあまり脳内でそんな弱音まで吐きながら、私はついに辿り着いたベッドの上に、おそるおそる横になった。


「灯りを落とすぞ」


 これまでの躊躇の日々は何だったのかと思うくらいに、クリス様は落ち着いている。私の方が置いてけぼりだ。動悸が激しすぎて若干吐き気までこみ上げてきた。

 薄暗くなった部屋の中で、クリス様がベッドに横になった。いつものように片端に横たわっている私は、慌てて目を閉じる。もう無理。何も見られない。耳の奥で鳴り続ける自分の荒い鼓動を聞きながら固まっていると、マットレスがわずかに揺れ、クリス様の気配が近くなった。

 ああ……!!


「……リア、もっとこっちにおいで」

「…………」


 低く優しい声で呼び寄せるクリス様。私は観念し、横になったまま少しずつそばへとにじり寄っていく。薄目を開けてちらりと見ると、クリス様はこちらを向いて私のことを見つめているように見える。……怖い。

 泣きそうになりながらマットレスの真ん中辺りまで移動すると、彼も同じように私のそばに寄ってきた。……どうしよう。万が一にも、パニックになってクリス様をひっぱたいたり突き飛ばしたりしてしまったりしたら。おしまいだわ。頑張らなきゃ……頑張らなきゃ……!

 必死に自分に言い聞かせ、神に祈り、私は固く目を閉じた。余計なことは考えては駄目。すぐに終わる。きっと一瞬だわ。

 ひたすら自分を洗脳していると、すぐそばでクリス様の落ち着いた声がした。


「……うん。やはり俺は大丈夫そうだ。君がよければ、今夜はこの距離で眠ってみよう」

「……。…………え?」


 そっと目を開けて隣を見ると、大人一人がゆったり横になれそうな距離を開けたところに横になっているクリス様が、私の方を向いて微笑んでいた。


「……こ……、このまま、眠るのですか……?」

「ああ」

「……それだけ?」

「ああ。それだけだ」

「……」


(よ……よかったぁ〜……)


 心底安堵し、思わずはぁーっと深く息をつく。そんな私を見て、クリス様が片手で自分の顔を覆いクックッと楽しそうに笑った。


「そこまで露骨に安心されると、それはそれで複雑な気分だ」

「だ、だって……!! ……すみません」


 さすがに失礼な態度だったと気付き、私は慌てて謝罪した。だって……! クリス様が行けるところまで行こうなんて言うものだから、てっきり《《する》》のかと……!

 違ったらしい。どうやら私たちの「行けるところ」はここまでだったようだ。

 何がそんなにツボにはまったのか、クリス様はまだ笑っている。こんなに笑っているのを見たのは初めてだ。暗くてあまりはっきりとは見えないけど。

 ひとしきり笑った後、クリス様は息をついてから言った。


「いや、俺だってさすがにまだこれ以上一気に進む自信はない。君と手を取り合って踊れたくらいで、これまでの自分の苦手を完全に克服したなんて、到底思えないからな」

「さ、さようでございますか……」

「どうやら君もまだ、その覚悟が十分にできているとは言えないようだしな」


 そう言ってこちらに体を向けたクリス様のからかうようなその声に、私は思わずウッと唸った。


「す、すみません……。いえでも、いざとなれば……はい」

「ははは」


 ぐじぐじと言い訳する私のことを、クリス様は楽しそうに見つめている。


「……大丈夫だ。この速度でいいと思わないか。最初の頃には考えられなかっただろう。こんな俺たちの姿は」

「……ええ。本当に。私たち今、同じベッドの上に横になって、こんな距離でお喋りしているんですよ」

「ブランケットの仕切りもなしにな」

「そうです」


 クリス様はまたくすりと笑い、小さな声で私に言った。


「……こっちに手を伸ばしてくれるか」


 私がそっと片手を伸ばすと、同じように手を出したクリス様が、私の指先にそっと触れた。……また体が熱くなる。


「……今日は大儀だったな。ゆっくり休んでくれ」

「……はい、ありがとうございます。クリス様もどうぞ、ごゆっくりお休みくださいませ」


 触れ合ったままの指先を意識してしまい、とてもすぐには眠れそうにない。それでも私は彼の方に体を向けたまま、瞳を閉じた。

 しばらくして、クリス様の静かな声がした。


「リア、俺は君と過ごす時間が好きだ」

「……」


 その言葉に胸が甘く疼き、返事の代わりに、私は触れ合った指先を絡めるように小さく動かした。振りほどかれないことに安堵しながら、眠ろうと努力する。


「……君といると、何もかも忘れられそうな気がする」


(……何をそんなに忘れたいんだろう……)


 その夜のクリス様の最後の呟きは、私の心をかすかにざわめかせた。





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