3. 父の怒り
────パァンッ!!
深夜。屋敷に帰宅するやいなや、玄関ホールで父の容赦ない平手打ちが飛んできて、私はその場に倒れ込んだ。
「……っ、」
両手をついて上体を起こすも、ひどいめまいがしてすぐには立ち上がれない。共に帰宅した母と私の侍女ラーラが、すぐさま飛んできてくれる。母は私を父から庇うように間に立った。
「あなた……! お止めくださいませ」
「お嬢様……っ」
母のドレスの陰で、ラーラが私の両肩を抱き寄せる。どす黒い怒りを感じる、父の恨みがましい声が降ってきた。
「どけ、ベネデッタ。……よくもまぁ、この私に大恥をかかせてくれたものだ。幼少の頃からあれほど徹底的に教育を施し、他の追随を許さぬ完璧な賢女に育て上げたつもりであったが……。まさか王太子殿下が、男爵家の令嬢ごときに心をお移しになるとは。お前のせいだ、フローリア。お前に魅力がないから、こんなことになったのだ。バークリー公爵家の娘が、あのような大規模な祝賀の場で王太子殿下から婚約を破棄されるなど……、この、面汚しが……!」
「フローリアのせいではございませんわ! もしも本当にフローリアにご不満がおありになるだけならば、我が家に次ぐそれなりの家柄のご令嬢を、次の婚約者としてお選びになったはずです! ですが、ジョゼフ王太子殿下がお決めになったお相手は……。殿下があのご令嬢に恋情を抱かれた、それだけの理由に違いありません。あなただって本当はお分かりのはずです! その証拠に、あのクリストファー第三王子殿下がすぐさまフローリアをご所望になったではありませんか! フローリアが他家の令嬢方とは一線を画す才があると、その価値を分かってくださっているからですわ!」
普段は物静かで控えめな母が、必死で父に反論してくれている。私を庇うために。頬を打たれた痛みよりも、その母の優しさに涙が滲んだ。
しばらくの沈黙の後、父が再び口を開いた。
「……ふん。第三王子殿下……。我々の意向も聞かず、勝手な真似をしてくれたが……まぁ、このまま王家に婚約を破棄された傷ものの娘を抱えるよりは幾分マシか。第三王子は優秀な方だ。今後に期待は持てる。……修道院送りにならずに済んでありがたかったと思え、フローリアよ。二度は許さん。今度こそしっかりと、王子殿下を繋ぎ止めておけ」
父は最後にそう吐き捨てると、従者を連れ自室へと上がっていった。
「フローリアお嬢様、お立ちになれますか?」
「……ええ……。ありがとう、ラーラ」
ラーラに支えられながらどうにか立ち上がると、私は母に向かって告げる。
「お母様、ごめんなさい……。こんなことになってしまって……」
「何を言うの、リア。あなたが謝ることは一つもないわ」
すぐさまそう答えてくれる母の手と声は、小刻みに震えていた。私のために、あの恐ろしい父に歯向かってくれたのだ。ただでさえ気弱な上に病弱で、体調を悪くしがちなのに。こんなに興奮させてはまた寝込んでしまう。
「リア、あなたは本当に立派で素晴らしい娘よ。自分を責めないで。それよりも……前向きに考えましょう。ね? あのクリストファー第三王子殿下が、あなたをお望みなんですもの。すごいことだわ。これまでたくさんの婚約の打診がおありになったのに、どなたともお決めにならなかった方なのよ。それなのに……あの場ですぐにあなたをご指名なさって。よほど買ってくださっているのね。近いうちにお父様も王宮に上がって、国王陛下とお話しになり正式な手続きをするはずだわ。だからあなたは……」
「ええ、ええ。大丈夫よお母様。ちゃんと分かっているわ。私はこれまで通り、王子妃教育をしっかり続けますから。さ、今夜はもうゆっくり休んで。庇ってくださって本当にありがとう。……母をお願い」
少し離れたところで見守っていた母の侍女にそう告げ、私も自室へ上がろうとした。母はまだ心配そうな顔で私に言う。
「頬、ちゃんと冷やしてねリア。……お願いしておくわね、ラーラ」
「はいっ。お任せくださいませっ」
互いの侍女に互いのことを託す私たち。ラーラが元気よく答えると、母はようやく少しホッとした顔をして、部屋へと戻っていった。