29. お披露目舞踏会
クリス様からは、「今後一切王妃の茶会には出席しなくていい」と断言された。けれどそうは言っても、クリス様やアイラ様への今後の影響も考慮したい。その私の気持ちを汲んでくださったクリス様が、先んじて王妃陛下に「フローリアは今いくつかの政策案件について助言を求められており、そちらの準備に注力せねばならない上、外交上の非公式会談も複数控えており非常に忙しい。よって、当面茶会への出席は遠慮する」ときっぱりと伝えてくださった。ありがたいことに、それ以来王妃陛下から私への茶会の誘いはなくなった。まぁ、先日のあの官能書騒ぎの後でもある。さすがの王妃陛下も当分は大人しくしてくださるだろう。……と思う。
そうしてついに、私とクリス様──新王太子夫妻のお披露目舞踏会の夜がやって来た。
会場となる王宮の大広間には無数のシャンデリアが輝き、まるで光の海だ。国内外の貴族たちのみならず、近隣の友好国の王子や王女、大使らまで集まり、大広間はこの上ない華やかさに満ちている。皆それぞれの国の正装に身を包み、今宵の宴に臨んでくださっている。
王太子夫妻の入場を宣言する声と共に開かれた扉から一歩足を踏み入れた私は、そのきらびやかな大広間を、クリス様の腕を取りゆっくりと進んでいく。……長い日数をかけてしっかり練習してきて本当に良かった。私が腕を組んでも、クリス様はもう嫌がるそぶりも見せない。恐ろしく整ったそのお顔に艶やかで優美な笑みを浮かべ、一歩ずつ堂々と歩く。時折私に向けてくださる優しい視線は、決して作られたものではなかった。安心して、私も自然と笑みを返す。会場のあちこちから、うっとりとした視線が寄せられる。
今日の私のドレスは、淡い水色。胸元に光るこのサファイアのブローチを最も引き立たせてくれるであろう色を選んだ。袖口やウエスト、裾に施された金色の刺繍は、クリス様の髪と同じ色味の輝きを放っている。
クリス様は純白を基調とした衣装を着ているが、そのところどころに翡翠色の刺繍が施され、ボタンなどの装飾品は栗色が多く使われている。こちらももちろん、私の瞳と髪の色だ。クリス様がそうしたいと言ってくださった。そしてクリス様の胸元に輝いているのは、私とお揃いのデザインの翡翠のブローチ。あの日、王都でデートした時に購入したものだ。こうして同じデザインのアクセサリーを着けて、私たちのお披露目の舞踏会に臨めることが、心から嬉しい。
国王陛下の挨拶に始まり、舞踏会は幕を開けた。会場中の期待に満ちた視線がビシバシと突き刺さる。いよいよファーストダンスの時間だ。
「……おいで、リア」
これまでのぎこちなさが嘘のように、今夜のクリス様はとても落ち着いていた。私の方がひどく緊張してしまい、激しい鼓動で胸が破けてしまいそうなほどなのに。やはり王子様だ。貫禄が違う。
「……よろしくお願いいたします、クリス様」
全てを彼に委ねる思いで、私は差し出されたその手の上にそっと自分の手を重ねた。クリス様はやはり手袋を着けているし、私も純白のオペラグローブを身に着けている。けれど、今夜のクリス様はこれまでで一番しっかりと、私の手を握ってくださった。
国王陛下、王妃陛下、アイラ様。そして何と今夜は、辺境の地に左遷されたジョゼフ様とその妻、エヴァナ嬢まで列席している。さらにルミロ第二王子殿下、私の両親、帰国して駆けつけてくれたダニエルに、私の友人たち……。
その全員が、まるでこの瞬間を待ちわびていたかのように息を呑んで見守る中、私とクリス様は手を取り合い、フロアの中央に進み出た。
静かに音楽が流れはじめると同時に、クリス様が私の手をそっと持ち上げ、私の瞳をじっと見つめる。そして。
(────っ!)
彼は私の視線を絡め取ったまま、手の甲にそっと唇を落とした。
きゃあっ、という小さな甲高い声が、フロアのあちらこちらから聞こえた。これまで一度もダンスを披露したことのない第三王子の、初めてのダンス。初めてのエスコート。目を輝かせる周囲の女性たちから漏れたため息が、いくつも重なる。私はクリス様の青い瞳を見つめ返しながら、熱に浮かされるように足を踏み出した。
音楽に合わせ、彼と呼吸を重ねて踊る。……私を見つめ続けるクリス様の瞳から、片時も目を離せない。さっきまでの緊張が嘘のように、不思議なほど心は落ち着き、もう周囲の視線など全く気にならなくなった。まるでこの空間に彼と私しかいないかのように。目の前で、優しく、そしてこれまでに見たことがないほど情熱的な視線を向けてくるクリス様に、私は完全に心を奪われていた。
こんなに近くにいるのに、クリス様の表情はとても穏やかで、そしてとても甘い。
今のこの時間は、私たちが今日までゆっくりと積み重ねてきた努力の結晶。クリス様がこうして私の手を取り、腰を抱いて踊ってくださっていることがどれほどの奇跡かを、私は知っている。
私はようやく、自分の想いをはっきりと自覚した。
目の前の夫が、愛おしくてたまらなかった。