28. もどかしい距離
「……何ですの? ギルフォード伯爵」
王妃陛下が片眉を吊り上げそう促すと、ギルフォード伯爵が相好を崩して話しはじめた。
「ありがとうございます。……そちらの書物でございますが、王妃陛下の侍女が取り寄せた記録が、王宮図書館に残っておりますよ。手書きの帳簿も確認済みです」
(……え?)
突然の爆弾発言に、その場にいた皆の目が丸くなった。私も驚いてギルフォード伯爵の顔を見つめる。
伯爵はあくまでも穏やかな笑顔のまま話を続ける。
「私は王宮図書館の管理責任者もしておりますからね。購入履歴なども、もちろん定期的に確認いたしております。いや正直、また随分とアレな本をご購入なさったなぁとは思っておりましたが……。こういったことはあまり公の場で話すことではないとは思ったのですが、どうやら本日の茶会は随分とくだけた話題で盛り上がっているようでしたので。便乗し、王太子ご夫妻の名誉のために発言させていただきました。ですので王妃陛下、そちらの情熱的なご本は、あなた様のお近くのどなたかがお読みになっているもののようでございますよ。ははは」
「な……っ!」
王妃陛下のこめかみに青筋が立ち、彼女の侍女たちの顔が一斉に引きつった。そっと目を伏せたワイズ伯爵夫人も、そして茶会に参加していた王妃陛下の取り巻きの女性陣も、皆察しただろう。この騒ぎは王妃陛下による作為的ないじめであると。まぁ、最初からだいたい分かってはいたと思うけど。
(ギルフォード伯爵……!ありがとうございます)
感謝を込めて彼の方を見つめると、ギルフォード伯爵は私の視線に気付き、優しく微笑んでくれたのだった。
その後わなわなと怒りを滾らせている王妃陛下の前を辞し、私はクリス様とギルフォード伯爵と共に昼食をとった。食事の最中、クリス様は不機嫌そうに見えた。
そして夜。寝室に入ってきた彼は、開口一番こう言った。
「あれが初めてではないのだろう。なぜ今まで黙っていた」
その剣幕に、私は思わず怯んだ。想像していたよりもずっと怒っている。こんな強い口調で問い詰められたことは、これまでなかった。
私はクリス様の鋭い視線から逃げるようにそっと目を伏せ立ち上がると、ただ静かに謝罪した。
「……申し訳ございません。その……い、言おうとしたことはあったんです。ただ……タイミングが……」
……駄目だ。今さら何を言っても言い訳にしかならない。そう察し口をつぐむと、クリス様が深々とため息をついた。そして指先で、そっと私の肩に触れる。掠める程度に、ほんの少しだけ。
「……すまない。君に対して怒っているわけじゃない。話してくれるか。これまであの人に何をされてきたのか」
「……はい」
並んでソファーに座り、私はこれまでの王妃陛下とのことを全て話した。茶会での様々な嫌がらせ。不要だから持っていけと言われた埃まみれの大量の書物の中に、あの本が紛れ込んでいたこと。そして先日、王妃陛下の侍女たちが大量の贈り物を私の書斎に強引に入れたこと。おそらくはその時に、あの本をひそかに回収していったであろうこと。
「……王妃陛下の気が済めば、そのうち収まるのではないかと思ったのです。クリス様に相談すべきか、迷ったことはあったのですが……、そんなことより、今は公務やお披露目舞踏会に集中するべきだと判断しました。……もう二度と、隠し事はいたしません。ごめんなさい」
素直に謝ると、クリス様は私のことをじっと見つめる。……気まずい。どこぞの令嬢から弟のダニエルに送られてきた手紙の内容がどうしても気になり、おそるおそる弟の部屋に忍び込んで机の周りを探していたら、いつの間にか部屋に戻ってきていたダニエルが背後から私をじとーっと見ていた時より、もっと気まずい。
しばらくの沈黙の後、クリス様が静かに口を開いた。
「……リア。前にも言ったはずだ。何かあれば、必ず俺に相談してくれと。いまだに白い結婚から抜け出せずにいるが、それでも俺にとって君は、かけがえのない大切な妻なのだと。……それなのに、俺に何一つ打ち明けてくれず、君が一人で悩み苦しんでいたと知って、今俺がどんな気持ちが分かるか」
「……っ」
静かなその声が、私の胸を深く刺した。……たしかにそうだ。逆の立場だったら、私はきっとひどくショックを受けただろう。私は妻として、信頼されていないのではないかと思ったはずだ。
「……本当に、申し訳ございません、クリス様」
弱々しい声でもう一度謝り俯くと、隣にいるクリス様の雰囲気が和らいだ。
「こちらこそ、責めるようなことを言ってすまない。君の気持ちは分かっている。俺を気遣ってくれてのことだということも。だが、もうそんな気遣いはやめてくれ。俺は君に守られるより、頼られる方がはるかに嬉しい」
そう言ったクリス様の指が、そっと私の顎先に触れる。そしてすくい上げるように、彼の方を向かせられた。色っぽい仕草に、心臓が音を立てる。
その瞳にはもう、怒りの色は滲んでいなかった。
「……おいで、リア。ダンスの練習をしよう」
「……はい、クリス様」
熱に浮かされるようにそう答えると、私は彼と共に立ち上がり、手袋を着ける。そしてほんのわずか体が触れ合うような、もどかしいダンスの練習を始めた。
彼の指先が私のどこかに触れることが、最近随分増えてきた。
少しずつ進んでいくこの関係に安堵するような、嬉しいような。……それでいて、どうしようもないじれったさに、胸の奥がひどくざわめく。
この絡み合う視線のように、私たちの距離がもっと一気に縮まってしまえばいいのに。いっそわずかな隙間さえもなくなるくらいに。
ふいにそんな考えが脳裏をよぎり、私は慌ててクリス様から視線を逸らした。……自分のはしたなさに、頬が火照る。
(……一体何を考えているのかしら、私ったら。集中集中……)