20. お忍びデート
「想像していたよりは人が少ないな。安心した」
「そうですわね」
大きなイベントのない時期だからだろうか、大通りは歩きやすい人口密度だ。クリス様が人並みに揉まれることにならず、少しホッとする。
見るからに貴族と分かる人たちもそれなりに歩いている。誰にも見つかりませんようにと祈るばかりだ。
「さて、まずはどの店に行く。弟君への贈り物はもう決めてあるのか?」
クリス様の問いに、私は頭を巡らせる。
「いえ、まだはっきりと決めたわけではないのですが……いくつか見たいものはあって」
「ふむ。たとえば?」
「そうですね、オーソドックスですが、羽ペンとインクとか、手帳とか。……あの文具店に入ってもよろしいですか?」
留学中の弟のことを思い浮かべながらいろいろと考えていると、ちょうど雰囲気のいい文具店を見つけた。クリス様が同意してくれたので、その店に入って文房具を一通り見る。
「そうか。学生だしな。文具はいくらでも使うだろうな」
「ええ。どれも素敵ですわね。でもよく考えると、ペンは一昨年も贈ったしなぁ……。悩みます」
「このレターセットなんかはどうだ? 君に手紙を送ってくれる頻度が増えるかもしれない」
「ふふ。いいですね」
クリス様は意外にも、私の買い物に上機嫌で付き合ってくださった。もっと淡々とした方だと思っていたから、こんな風に楽しそうな様子を見せてくれたことに驚く。思えばクリス様だって、毎日公務に追われ、王宮と各地の往復の繰り返し。空き時間は勉強や剣術などの稽古に励み、その上夜は私と閨を目指しての触れ合いレッスン。ゆったりとくつろいで過ごす暇なんてずっとなかったはずだ。
(……ただの思いつきだったけれど、このお忍びのお出かけは案外クリス様にとっても良かったのかもしれないな)
興味深げに文具の一つ一つを見ているクリス様の横顔を見ながら、私はそう思った。
その後は何軒かのお店を回り、手袋やストール、カフスボタンに懐中時計など、目についたものを次々に見て回った。こうして自由に街を歩くのは久しぶりで、すごく楽しい。隣にクリス様がいてくださるからかもしれない。体が触れてはいけない緊張感は常にあるし、決して恋人同士のような甘いムードではない。けれど、どうやら私は日が経つごとに、この方に対する好意的な感情が強くなってきているらしい。それも当然のことだ。人柄をよく知らない頃は、容姿端麗だが何だか無愛想で気難しそうな第三王子くらいにしか思っていなかったけれど、実際のこの人はそうではないのだから。
真面目に公務に臨み、民たちの暮らしに心を砕く誠実な王子。その上、やがては国王となる自分の運命を真っ直ぐに受け入れ、後継を残すために全力で努力しようとしている。
私のことを、大切にしようとしてくれている。
そんな人と夫婦になって、愛おしく思わないわけがない。
異性としてというよりは、おそらく人として、だけど。
いくつものお店を回った後、ようやく私はダニエルへの贈り物を決めた。
「やっぱり、さっきのショルダーバッグにしますわ。中にこっそりと手紙を入れて贈ろうと思います」
「ああ。いいんじゃないか。きっと喜んでくれる」
クリス様は微塵も面倒な様子を見せず、行ったり来たりする私に付き合ってくださった。素敵なショルダーバッグを見つけた高級雑貨商に戻ると、どうやら店主の男性に私たちの正体がバレてしまったらしい。客数は少なく、洗練された身なりの貴族たちが、奥の方で品物を見ているだけ。そこにさっき現れた帽子のカップルがまたやって来たら、そりゃ注目するに決まっているわよね。
あれ……? あの人たちさっきも来たな。……いや、ちょっと待て。もしかして、あ、あの人は……!
という台詞がつきそうなくらい分かりやすく表情が変わった店主が、慌てふためいた様子で私たちのそばに寄ってくる。クリス様はすぐに店主に目配せし、人さし指を唇に当てた。
「悪いが、お忍びなんだ。いくつか見せてほしい品物がある。奥の部屋に案内してもらえるか」
「もっ! もちろんでございます。どうぞこちらへ……」
緊張に顔を強張らせた店主は、私たちを店の奥にある特別ブースへと案内してくれた。
いくつかの鞄の中から、私は最初にいいなと思っていたバッグを選んだ。クリス様は、素敵な装飾入りのレターセットや、レターオープナーを何点か購入された。
「ふふ。クリス様、どなたかにお手紙を?」
私がそう尋ねると、彼はさらりと答える。
「いや、これは俺から、君の弟君に。バッグと一緒に送っておいてくれるか」
「えっ?……あ……」
(クリス様……もしかして……)
『このレターセットなんかはどうだ? 君に手紙を送ってくれる頻度が増えるかもしれない』
最初に入った文具店でクリス様が言っていた言葉を思い出す。ダニエルに、これで私に手紙を出してやってくれとでも伝えたいのだろうか。
(……優しい人……)
彼の心遣いに気付いた途端、これまでに感じたことのない喜びに胸がいっぱいになり、頬がじんわりと熱を持った。何だか無性にクリス様を抱きしめたいような、うずうずした気持ちになる。
「……お気遣いありがとうございます、クリス様。ダニエルも喜びますわ」
返事の代わりに柔らかな笑みを浮かべるクリス様に、ますます心が揺さぶられた。
するとその時、店員の女性たちが「失礼いたします」と挨拶しながら入室してきた。彼女たちはベルベット敷きのトレイや、ガラス蓋の付いたジュエリーボックスなどを抱えている。