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15. 最初の一歩

「…………」


 再び静まり返る寝室。互いの覚悟を伝え合い、改めて共に人生を歩んでいく挨拶を交わし、若干ほっこりしたところだったのに。

 ベッドを見つめた途端、二人の間に一気に緊迫した空気が走る。

 後継を成す。それはすなわち、閨を共にするということ。ここは避けては通れない。子を成す方法は他にないのだから。

 また押し黙ってしまったクリストファー殿下の様子に、たちまち動悸が激しくなる。


(……えっと……、この会話の流れからして、もう今夜からはさすがに防波堤を築くわけには……いかないわよね。たった今偉そうに「後継を産みます!」とか言っておきながら、そそくさと築きはじめたら絶対に白い目で見られるわ。……頑張らなきゃ。ほら、殿下だって頑張ろうとしていらっしゃる)


 この張りつめた空気が何よりの証拠だ。殿下は今、きっと手順を考えている。立ち上がり、私の手を取り、ベッドへと誘うのだろうか。……嫌だ。


(っ! い、嫌じゃないでしょう!? 舌の根も乾かぬうちに逃げ出すつもり? ……大丈夫。皆通る道。普通のことよ。それにこの方は、お父様やジョゼフ殿下のような汚らしい殿方じゃない。公務に誠実に取り組み、自己研鑽も怠らない、素晴らしい人物よ)


 白い結婚ではあったけれど、この半年間おそばで見てきてちゃんと分かっている。この方は真面目な努力家だ。王子として民の暮らしに心を砕き、災害被害を受けた地域や治療院、孤児院などへの慰問も積極的に行う。外交にも精を出し、王族会議には誰よりも前のめりな姿勢で臨むし、空いた時間には剣術や体術、乗馬の訓練まで怠らない。

 ただの見目麗しい王子様じゃない。勤勉で、誠実で、自らを高め磨き続ける、中身の伴った素晴らしい方だ。尊敬しているし、一人の人間として敬愛している。


 この方と無理なら、私は他の誰とも無理だ。


 必死で自分にそう言い聞かせているのに。どうしよう。さっきから何度も、幼い時に見てしまった父の気持ちの悪い顔が、ジョゼフ殿下とオーデン男爵令嬢の痴態が、脳裏をよぎる。

 何だか無性に泣きたくなり、喉の奥が震えた。気付けば膝の上で握り合わせていた指先も震えている。

 するとふいに、クリストファー殿下が深いため息をついた。思わずビクッと肩が跳ねる。


「……まぁ、その……、焦らずゆっくりいこう」

「……は、はい」


 その言葉に縋るように、私は同意を示す。殿下はベッドの方を見つめたまま、ぼそりと言った。


「……何も今夜からすぐさま、という必要はない。我々のペースで、少しずつ克服していく努力をしよう。それでどうだ?」

「はいっ!! 素晴らしいご提案でございます、殿下!」


 若干言葉を被せる勢いで飛びついてしまった。けれど殿下も安心したようだ。明らかにホッとした顔をしている。私はドキドキしながら、次の言葉を待った。


「……では……、今夜はまず……」


(ま、まず……? まず、何から? 何からどこまでいきますか? 殿下……!)


 まばたきもせず祈る思いで殿下を見つめていると、彼は意を決した表情でこちらに向き直った。


「今夜はまず、……互いを愛称で呼び合うのはどうだ」

「……へぇ?? ……あ、申し訳ございませんっ」


 拍子抜けて思わず変な声が出てしまった。愛称で呼び合う? そ、それだけ……? いや、それだけで済むのなら、ありがたいけれど。

 クリストファー殿下は至って真面目な顔で私を見ている。


「俺のことは……今夜からはクリスと呼んでくれ」

「はい。承知いたしました、クリス様」


 即座にそう返事をすると、彼はギョッとした顔をした。「え? すごいな君」とでも言わんばかりに。そして気まずそうに視線を逸らすと、軽く咳払いをする。


「……君のことは、何と呼べばいい」

「あ、私はあまり愛称で呼ばれることがないのですが……、母は私をリアと呼びます。よければどうぞ、そのように」


 そう返事をしながら、ふと思った。そういえばこの半年間、私はこの方を「クリストファー殿下」と呼んでいたけれど、この方からは名を呼ばれたことはないかもしれない。結婚前に一度謁見の席でフルネームを呼ばれた時以外は、せいぜい「君」と言われるか、あるいは呼びかけなしで話しかけられるか、そんな感じだった。

 今も私の返事を聞いて、また眉間に皺を刻み押し黙ってしまった。……どうやら私より、この方の方がよほど重症な気がする。この寝室で共に眠るようになってからしばらくの間も、クリス様の方は眠れていなかったようだし。


(この分だとまだしばらくは、閨の心配はしなくて良さそうね……)


 そんなことを思いながら待っていると、たっぷり時間を置いてから、ようやくクリス様がゆっくりと口を開いた。


「………………リア」


 困ったような、気まずそうなその様子が妙に可愛らしく思えてしまい、胸の奥がムズムズした。


 その夜は、クリス様が防波堤を築いた。

 







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