10. 白い結婚生活のはじまり
白い結婚式から三ヶ月。クリストファー殿下と私の白い結婚生活は、順調に過ぎていった。
第三王子妃として、私はクリストファー殿下と共に公務報告や予定確認の会議に出席し、孤児院や学校、治療院、修道院などの視察にも同行した。また、ご婦人、ご令嬢方を招いてのサロンも開き、外交行事にも同席。日々精力的に働き、大臣らや王宮の侍女、使用人たちとの信頼関係も良好に築けていた。
この数ヶ月間で二度ほど、夜会でのダンスタイムがあったが、一度はクリストファー殿下が剣術の稽古中に手を怪我してしまったため不参加という体をとり、もう一度は、またも私の体調不良でダンスは見学、として乗り切った。
「……クリストファー殿下。これ、毎回違う言い訳を立てて乗り切るのは無理がありますよね」
ある日私がそう尋ねると、殿下はしれっと答えた。
「まぁな。最初から分かっていたことだ。だがそもそも、俺が公の場で踊ったことは一度もない。皆“第三王子はダンスが嫌いなのだ”と、すでに思っているはずだ」
「……夜会でダンスが始まると、皆の視線をひしひしと感じます。新婚の第三王子夫妻のダンスに期待しているのが、嫌というほど伝わってきますが……」
「気にするな。そのうち皆の興味も薄れる。あそこは踊らない夫婦。その認識で定着するはずだ」
「……そうでしょうか」
「公務にしっかり取り組み、貴族たちや民の信頼を損ねさえしなければいい」
「……はいっ!」
クリストファー殿下がそう言い切るから、私も気が楽になった。そうだ。できないものはしょうがない。不審に思われないよう、仕事をしっかりやればいい。そう割り切って考えることにした。
こうして始まった私たちの順調な白い結婚生活だったけれど、王家自体は決して順風満帆ではなかった。
まず、ジョゼフ王太子殿下とエヴァナ・オーデン男爵令嬢の正式な婚約がなかなか成立しなかった。これはオーデン男爵令嬢の養子先となる貴族家が見つからなかったことが最大の原因だった。できれば侯爵家以上の家柄の養女にと言い張るジョゼフ殿下と、彼に対しいまだ怒り心頭の国王陛下。そんな陛下の意に反する縁組みなどしたくない高位貴族らは、すでにあのジョゼフ殿下の生誕祭の夜以降、彼が王太子の座を解かれることを危惧してもいるようだった。ジョゼフ殿下のご機嫌を汲んで男爵令嬢など養女にしたところで、自分たちに利はないかもしれない。皆がそう思っているのだろう。
そしてようやく選ばれた、というよりも、半ば強引に決定された養子先は、ギルフォード伯爵家だった。それを知った時、私は心底同情した。
ご当主のマイルズ・ギルフォード様は王宮の文官を務めておられる。口ひげをたくわえた、とても紳士的で優しいおじさまだ。なぜ彼の人となりを知っているかというと、十年ほど前まで、ギルフォード伯爵はうちの父とわりと懇意にしており、私が子どもの頃は時折屋敷にも顔を出していたからだった。けれど、ギルフォード伯爵はとても実直で誠実な方。うちの父が母をないがしろにして他の女性たちと好き放題遊んでいることに気付くと、なんと父に苦言を呈したようなのだ。格下の伯爵家当主から説教された父は大いに機嫌を損ね、それ以来ギルフォード伯爵との縁は切れてしまった。これらのことは、全て母と屋敷の侍女たちの会話を聞いて知った。母たちの会話を部屋の外で聞いてしまった私は、とても悲しかった。ギルフォード伯爵はご自身の結婚からわずか数年で奥方を病で亡くしており、子どももいない。だからなのか、私や母に対して、いつも優しい気遣いをしてくださっていて、私はひそかに大好きなお客様だったのだ。女性とコソコソと不気味な行為を繰り返す上にやたらと厳しい父と違い、ギルフォード伯爵はいつも私に優しく微笑みかけ、お勉強の進み具合は順調かな? 大変だろうけど、頑張るんだよ、などと声をかけては頭を撫でてくれたりした。この人がお父様だったらいいのになぁ、なんて何度も思ったものだ。
ご自身が早くに奥方を亡くしておられるからこそ、妻や娘を大事にしない父の姿を看過できなかったのだろう。本当に素敵な方だ。
そういうわけで、それ以来独り身を貫いているギルフォード伯爵は、ジョゼフ殿下に頼み込まれる形でオーデン男爵令嬢の養家となることになったらしい。男爵令嬢の主な教育は、伯爵の妹君が務めるとのこと。先日王宮の廊下で偶然伯爵とお会いした時に、少しお喋りしたのだ。
護衛や侍女たちもそばにいるので、「面倒なことに巻き込まれちゃいましたね」なんてとても口にはできないが、お優しいギルフォード伯爵と久しぶりに会話ができたことは嬉しかった。
「そうですか。オーデン男爵令嬢の淑女教育は、ノーランド伯爵夫人が施されるのですね」
ノーランド伯爵夫人とは、ギルフォード伯爵の妹君のことだ。伯爵は困ったように微笑んで答えた。
「ええ。ご存じの通り、私は妻を亡くしておりますしね。王太子殿下のご婚約者となられるご令嬢の淑女教育ともなると、やはり貴族家の女性に直接見させるべきでしょう。他にももちろん、教育係や家庭教師は雇うつもりですがね」
「……突然このようなことになって、大変ですわね」
思わずそう言うと、伯爵は私に優しい眼差しを向ける。
「フローリア王子妃殿下も、慣れるまではまだ何かと大変でしょうが、どうぞお体には気を付けて。何かお困りのことがあれば、私でよければいつでも相談に乗りますよ」
「ありがとうございます、ギルフォード伯爵。心強いですわ」
相変わらず温かい方だ。私が笑顔でそう答えると、伯爵は静かに頷いた。
あまり長話をするわけにもいかないと、そろそろその場を離れようとした時、ギルフォード伯爵が私に尋ねた。
「ところで、母上はいかがですか? お体の具合は……」
「ええ、大事ないようです。先日も手紙を送ったらすぐに返事が来て、のんびり過ごしているようでしたわ。刺繍の大作に挑戦しているとか、庭園に新種の花を植えたとか、そんな他愛もないことがいくつか綴られていました」
私がそう答えると、伯爵は安心したように微笑んだ。
「それはようございました」
その後私室に戻ると、侍女の一人が声をかけてきた。
「フローリア妃殿下、王妃陛下よりお呼び出しでございます」
(……また来たか……)
その言葉に、私の心はどんよりと沈んだ。