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第二話 闇に沈む日々

幼い頃から俺、御手洗みたらい きよしの体は病弱だった。それが先天的なのか後天的なことが原因なのかは分からない。ただ、ある決定的な出来事が俺の人生に深い影を落とした。


生後半年の頃、飼っていたミドリガメが口内に入り俺は急性腸炎にかかって数か月もの長い入院生活を余儀なくされた。


入院中の記憶はないが、その後遺症として、俺は極端に胃腸が弱くなってしまったようだ。物心がついてから俺の腹はいつも痛み、体はまるで俺自身を裏切るかのように不調を訴え続けた。


3歳のある日、まだ無邪気な心で歩いていた俺は、急にトイレに駆け込んだ。何の前触れもなく唐突に腹部に激しい痛みが走り、どうしても我慢できずに涙を流しながらトイレの個室に閉じこもった。

それが俺の日常だった。俺はあらゆる恐怖にいつも怯えていた。


出かけることが怖かった。トイレがないと漏らしてしまうから。

人と話すのが怖かった。腹痛に耐える苦悶の表情を見られることが嫌だったから。

動くことが怖かった。少し踏ん張るだけで脱糞してしまうことがあるから。

笑うことが怖かった。自然と放屁してしまうから。

食べることが怖かった。これが全部尻から出ていくことを想像してしまうから

寝ることが怖かった。寝る前におむつを履かなければならないから

朝起きることが怖かった。寝糞を片付けなければならないから。

並ぶことが怖かった。すぐにトイレにいけないという状況でパニックになるから。


トイレにいると安心した。ここでは周りの目も気にせず、漏らす心配がないから


俺の安息地はトイレだけだった。

便座の暖かさと孤独だけが俺を癒してくれた。


学生時代は地獄そのものだった。トイレに駆け込む俺の姿をクラスメイトたちは遠巻きに見て笑い、ひそひそと「あいつ臭くね?」「トイレに住めばよくね笑」「うんこ作るの得意なんだねー笑」と嘲笑する声が広がった。


小中といじめの主犯であった山本は特に執拗だった。彼は俺の身体の弱さを見抜くと、毎日のように「便所野郎」と罵り友達と一緒に俺を辱めた。


教室では、山本の先導で連中が集まり、俺は常に冷たい視線と笑いの的となった。


その屈辱と痛みは、ただの腹痛以上のものだった。幼少期から繰り返されるいじめの中で、俺は自分の存在が恥ずかしいものだと信じ込まされ、心に深い傷を負っていった。


誰も声をかけてくれず、ひとり取り残される日々。帰り道の薄暗い路地裏で、足早に歩く自分の姿に、いつも自嘲の念を抱いていた。


あの頃の俺は、ただ耐えるしかなかった。誰にも救われることなく、ただただ「便所」と呼ばれる呪縛の中で生きていた。


中学生になっても、腹痛は続いた。家に帰れば、母が「またお腹痛いのね」と心配そうに声をかけるが、母もまた貧困と苦悩に押しつぶされ、温かい言葉をかける余裕はなかった。


父は酒に溺れ、家計は底をつき、俺は学校でも家庭でも孤独な存在として扱われた。


教師たちの中にも、冷たく見下す者がいた。中村――その名は、俺にとってのもう一つの悪夢だった。彼は、俺の弱々しい姿を見逃さず、常に厳しい叱責を与えると同時に、無神経な言葉で俺の心をえぐった。「お前みたいな奴は、この世に居場所なんてない」と冷やかすその言葉は、今でも俺の胸に痛みとして刻まれている。


高校3年になると就活に励んだ。学力も低く、何の資格もない俺は何の期待も持たずに無数の面接会場へと足を運んだ。すでに心は折れていたが、家族は、俺にまだ可能性があると信じていたのだろう。しかし、100社以上の企業から返ってきたのは、ただひたすらに「不採用」の通知だけだった。面接官の冷たい眼差し、理由の曖昧な拒絶、そして「お前には能力がない」という暗黙のメッセージ。すべてが、俺が幼い頃から受けた屈辱の延長線上にあるかのように感じられた。どんなに足掻いても、俺には未来はない――そんな絶望が、心に深く根を下ろしていった。


 やがて、俺は手取りわずか10万円の派遣社員として、社会の隅に追いやられることになった。しかし、派遣先での現実はさらに過酷だった。おむつのライン作業に従事した俺はトイレを極限まで我慢し、不良で破棄するおむつを履きながら作業をしていた。休憩中に椅子に座ることはしなかった。自分の生暖かい便の感触を感じることがいやだったから。しかしその悪臭が問題だった。その臭いは同僚や上司の顔色を一変させるほどので、何度もクレームが飛び解雇の危機に晒された。


無能な上司はいつも俺を叱責し、苛立ちを隠せずにいた。ある日、会議中に俺が発作を起こし、上司が怒鳴り散らす光景は、会社中にその噂が広まった。俺の人生は、いつしか「使えない人間」というレッテルを貼られるだけの、無意味な存在になっていた。


俺は自分を慰める言葉を探していた。自身にヘイトが向けば、ほかにいじめられる人がいなくなる。

自身が嘲笑の的になれば、同僚は話のタネに困らず結束力は高まるだろう。

俺はそんな言葉でしか自分の存在価値を見出すことができなかった。


生活の糧すらままならず、薬すら買えない日々。働こうとしても、体は裏切り、腹痛が襲い、働けないからお金がない。死に物狂いで稼いだ金は、最低限の生活を営む費用に消えてく。


生活保護の申請を試みたものの、却下される始末。国は、俺のような屈辱に満ちた人生を送る者に、一切の救いを与えない。苦しみの中でただ、無力さと孤独に苛まれるのみだった。



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