守り守られ見守られ
レンガ造りの街並み、アイアンチェアのテラス席。アイリスは友人とアイスカフェラテを飲みながら談笑していた。
栗色のボブカットは小顔のアイリスに良く似合い、ぱっちりとした焦茶色の瞳が小動物を思わせる。アイリスはもう大学生だが、高校生と言われても通用するほどの童顔だった。身長も平均より低く、屋台で食べ歩きをすれば大抵の人がおまけをしてくれる。
子供扱いされることを嫌がる本人はたいそうご立腹だったが、頬を膨らませて怒る姿もまた愛らしく、護衛の任務に付いているジェイクは口元がニヤけそうになるのを堪えなくてはならなかった。
ジェイクはアイリスの斜め後ろに立ち、常に周囲を監視している。この街最大のマフィアであるロンダニールファミリー、その首領の愛娘アイリスの専属ボディガードになって早二年。初めのうちはアイリスに傷を付けて物理的に首が飛びそうになったこともあったが、今では最低限、アイリスを守れるようになっている。はずだ。
ふと感じる殺気に、ジェイクの身体がほとんど反射的に動いた。アイリスの頭を庇うように抱き寄せ、地面に伏せる。アイリスの座っていた椅子に銃弾が弾かれる音がして、ジェイクは腕の中の少女をひょいと抱えた。
「お嬢、掴まっててくださいね」
「もう少しで飲み終えたのに……」
グラスに残るアイスカフェラテ。アイリスはいつだってティータイムの邪魔をされる。もっと警備が厳重な店に入ればもちろん最後まで楽しめるだろうが、そういうことではないのだ。気の置けない学友と、街中のカフェで、他愛のないおしゃべりを楽しみたいだけ。
もっと力があれば、アイリスが危機を感じることさえなく敵を制圧できるだろうに。ジェイクは己の力不足に心の中で舌打ちをしながら、アイリスを抱えて走る。
街灯や建物、花壇、通行人までもを盾にして、屋敷まで。アイリスは慣れたもので、ジェイクの身体から自分のスカートの裾さえ出ないように小さく丸まっている。この時ばかりは、無駄に大きくなった図体に感謝した。普段はドアというドアの高さが足りず、シングルベットのホテルでは床で寝る羽目になる邪魔な身体も、アイリスをすっぽりと覆えるならそれでいい。
低い位置で一つに括った金髪を揺らしながら、ジェイクはその図体に似合わぬ軽やかさで街中を駆けていく。
「んー、ちょっと最後、衝撃あるかもしれません」
「大丈夫よ?」
「いや、なんとかします。俺が嫌なんで」
「過保護ねぇ」
銃弾は変わらず自分を狙ったままだというのに、アイリスはジェイクの腕の中でクスクスと笑った。ここにいれば絶対に安全なのだと、そう思われている確信がジェイクの動きを更に研ぎ澄ませる。
「よっと」
周辺にファミリーのボディガードたちがいるのは気配で分かっている。いつでも敵を制圧できるにも拘らずそうしないのは、首領の指示だった。ジェイクはそれを自分への試練だと思っている。アイリスを一人で守れずに何が専属ボディガードだと。
地面に転がっていた空き缶をコンと蹴り上げる。アイリスを包み込むように抱きしめながら回転し、宙を舞う缶を勢いよく蹴り飛ばした。
「追い付こうと躍起になって近付きすぎたな、バーカ」
缶は襲撃犯の腕に当たり、呻き声を上げた男の手から銃が滑り落ちる。ジェイクは腰のホルスターから銃を抜き、躊躇うことなく脳天を撃ち抜いた。もちろんアイリスには何も見えない角度で。
「終わりましたけど、あとちょっと歩いて帰ります?」
情け容赦なく敵を屠る冷たい視線を瞬時に緩めて、ジェイクは腕の中のアイリスににっこり微笑んだ。
「このままでいいわ」
「仰せのままに」
丸まっていた身体を伸ばし、アイリスの両腕がジェイクの首に回される。よくできましたと言わんばかりに笑ったアイリスは誰よりも愛おしい。
「首領が見たら怒りそーだなぁ」
「なぁに?」
「なんでも。お嬢、筋肉付きましたね」
「本当? 寝る前の筋トレ、効果あるのね」
「お嬢はふわふわもちもちのままでいいのに」
「パパに言うわよ」
「なしなしなし、今のなし!」
和やかな会話を交わす二人の少し後ろ、最新のドローンがほとんど音もなく飛んでいる。
ロンダニールファミリーの拠点である巨大な屋敷の一室。ドローンから送られてくる映像を巨大なスクリーンに映し出し、ウイスキーを飲みながら歓談している二組の男女がいた。
「はァァァァ尊いわぁ……」
「おい、もうちょっと頑張れジェイク、わしもアイリスはふわふわもちもちがいいんだ。怒らんから、もう一声」
革張りのソファに腰掛け、ハンカチで口元を押さえながらぷるぷると震えるのはアイリスの母。アイリスと同じ栗色の髪は長く、緩やかなウェーブがかかっている。隣に座ってジェイクを応援するのはアイリスの父、すなわち首領である。シルバーグレーの髪を丁寧に撫で付け、眼光鋭くスクリーンの向こうを見つめている。
「今日も特に進展はなかったな」
「いい蹴りだったわね〜」
アイリスの両親が座るソファと並んで置かれた布張りのソファに座って渋い顔をしているのはジェイクの父。白髪混じりの黒髪をやはりきちんと撫で付けて、銀縁の眼鏡を掛けている。その隣で頬に手を当て、のんびりとした声で話すのはジェイクの母だった。金の髪を編み上げ、清潔感のある出立ちをしている。
ジェイクの父は、この街最大の銀行の頭取であり、アイリスの父とは幼い頃からの友人でもあった。母親同士も元々知り合いであり、それもあって同じ年に産まれた子どもをよく一緒に遊ばせていたのだった。
物心つく前から一緒にいた二人の間に、友情よりも深い感情が芽生えたのに最初に気付いたのはジェイクの母だった。幼い頃から度々命の危険に晒されていたアイリスを、自分以外の男が守ることが許せない様子の息子に、陰ながらそれは恋というものよ、と思ったものだった。
それとほとんど同時期に、アイリスの母もまた娘の変化に気付いていた。今までは気にしたこともなかったのに、ジェイクと遊ぶ時に鏡を頻繁に確認するようになったのだ。いろいろな角度から自分を映し、笑顔の練習までする娘に、陰ながらハンカチを濡らした。アイリスには兄が二人いるのだが、彼らも妹の変化に思うところがあったらしく、その頃からジェイクに対する当たりが強くなっていた。
「父さん、俺、アイリスのボディガードになりたい」
ジェイクが父に頭を下げた日、ジェイクの両親はついにこの日が来たと思った。すぐさまアイリスの父に連絡をし、了承を得たが、専属ボディガードとして認められるまでにアイリスの兄二人から何度も死地に送られることとなる。
「ジェイクが、私の専属……?」
兄たちの試練を乗り越えたジェイクが正式にボディガードになった日、アイリスは目を瞬かせてジェイクを見た。他のボディガードたちと同じスーツに身を包む幼馴染は精悍な顔つきをしていて、胸がときめかぬはずもなく。
けれど、二人の仲はそこから進展しなかった。守る側と守られる側。雇う側と雇われる側。明確になった二人の立場が、主従の関係が、二人を縛るようになったのである。
物理的な距離が縮まればさっさとくっ付くに違いないと思っていた親たちは狼狽えた。何としても互いの好意を自覚させ、膨らませ、想いを伝え合ってもらわなくてはならぬと奮起した。
そうして立ち上がったのが、この『アイリス・ジェイクをくっ付け隊』だ。
主な活動としては、ドローンによる二人の観察。そして、アイリスに対する暗殺業務である。何を隠そう、ジェイクが専属ボディガードになってから定期的に現れる襲撃者は全て、彼らの依頼によるものなのだ。
ジェイクのボディガードとしての能力向上、守り守られることにより肉体的・心的距離を縮めること、ひいてはこの街を拠点とする邪魔な無法者の撲滅まで出来てしまうという画期的な作戦なのであった。
とはいえ、この作戦を始めてからもう二年になるが、二人は未だ一線を越えようとしない。仲が良くなってはいるし、親だけでなく周囲の人間たちから生暖かな視線を送られるくらいには分かりやすい二人なのに。
「私はもうしばらくこのままでもいいわよ。友達以上恋人未満の時って一番キュンキュンするんですもの」
「いや、だがあの二人のあれを見ていてなおアイリスに言い寄る男が後を立たないんだぞ、さっさと交際してくれれば毎日膨大な郵便物を送り返さずに済む」
「交際の事実がなくとも虫を寄せ付けんことくらいできるだろう」
「そうね〜、ジェイクちゃんそのへん甘いのよね〜」
今日の襲撃事件の映像をスクリーンで最初から見直しながら、四人の作戦会議は続く。卓上のモニターには屋敷内に仕掛けられた監視カメラの映像が映し出され、アイリスとジェイクが並んで歩く姿の映るものが自動で拡大された。
胸キュンの気配を感じ取ったアイリスの母はスクリーンの映像を止めると、みなの視線をモニターに集める。
「ぶえきしっ!」
「あら、風邪?」
「いえ、どっかで誰かが噂でもしてるんですよ」
「前髪切って格好良くなったって言われてるんじゃない? ねぇ、やっぱり前髪伸ばして、ジェイクの顔は私だけが見ればいいと思うわ」
「ん、じゃあ後で前髪増やしてくる」
「そうして」
バタン!
テーブルに突っ伏して震えるアイリスの母を放置して、三人の会話は続けられた。次に依頼する人間と次回集まるスケジュールの調整を終えた四人は、今までの緩んだ顔など微塵も感じさせない威厳を纏って部屋を出る。
「今日もすごいな……」
「ああ、一体なんの話をされているんだろうな……」
極秘裏に進められている『アイリス・ジェイクをくっ付け隊』の活動は、まだまだ続くのだった。