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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夜の令嬢は東の初恋へ想いを馳せる

作者: 寺田ねね

夜の令嬢は東の初恋へ想いを馳せる

 セラ・フェイダルシアは社交界を統べる夜の女王であり、精霊でもあった。

 人間離れした美貌を持ち、所作や立ち居振る舞いは洗練されていて、豊かな教養は言葉を交わす人々を楽しませ、時には感嘆させた。

 王国の至宝とまで謳われた彼女は、日が落ちてから開催される夜会にのみ出席し、日が昇る前に帰っていった。

 どれほど引き止められようとも朝になれば姿を消していたし、たとえ王妃からの誘いであっても、昼間に開催されるサロンでのお茶会に姿を見せたことはなかった。


 夜にしか現れない美貌の令嬢。

 いつしか彼女は人間ではないのでは、と囁かれるようになった。


 社交界でどんな噂が流れようと、フェイダルシアの家は侯爵家として絶大な権力を誇っていたし、セラに近づきたがる人間が減るわけではなかった。

 セラも齢十八を迎え、婚姻を結ぶには適齢期だ。たった一席を我が物とするために、あらゆる貴族の令息や後妻を求める当主たちがこぞって贈り物をし、どうにかセラの心を射止めようと趣向を凝らした。

 日々届けられる贈り物の山や飾りきれないほどの花を見ても、セラは距離感を保ったままで、誰にでも当てはまるような言葉の形式的な礼状が返ってくるのみだ。


 貴族社会ではデビュタントを過ぎると婚約者探しが本格的になり、人生の伴侶を選択する期間に入る。

 本当に信頼できる人をパートナーに選ぶためによく相手を見定めなさいと父親は告げた。


 セラは体が成熟するにつれて、ただでさえ白かった肌はみるみるうちに透き通るほどになり、ダークブラウンだった瞳は燃えるような真紅へと染まった。

 もともと美しい少女ではあったが、美しさの中に妖しさを孕むようになり、目配せだけで周囲を魅了できるほどの美女へと成長した。

 その分日光に弱い肌はますます焼かれやすくなり、日中に出歩くことが憚られるほどになってしまったが、夜会にしか出席しないことでむしろ箔がついていいとすら思えるほどだ。


 男性はおろか、女性ですら魅了するのは簡単だ。だけど、信頼できる伴侶を見つけようと思った時、美貌ひとつに釣られてやってくる人間はあまり信用できない気がしていた。

 両親は貴族社会では珍しく大恋愛の末に結婚した。恋愛結婚が多いフェイダルシアの家系に生まれたセラとしても、できれば心から愛し愛される相手と一緒になりたいと思うのは当然のことだった。

 夜会で出会う相手は良くも悪くも貴族だから、心の上辺だけで話すことがほとんどだ。深くわかり合いたいと思える相手とは、今のところ出会えていなかった。


 運命の相手を求めて招待されるがままに夜会に出席していたら、王都にいる貴族とはほとんど顔を合わせてしまった。

 数多くの貴族たちと話しても、人生を共に歩みたいと思える相手は見つからない。セラは悲しみと諦めで胸がいっぱいになったが、それでもいつか出会えるかもしれないからと、夜会への出席はやめなかった。


 そうしてすっかり夜行性の体に成ってしまったセラは、ある朝夢を見た。


 遠い昔、まだ太陽の下を元気に走れていた頃の記憶だ。

 珍しい鉱石があるからと買い付けに行く父に我儘を言って、一緒に連れていってもらったのだ。一月半に亘る長い船旅の末に辿り着いたのは極東の島国で、初めて降り立った異国の地の景色や人々から目が離せなかった。

 到着した後は鉱山を管理する領主の屋敷でもてなしてもらった。年下の娘がいて、そうだ、確か名前は━━つかさ。数ヶ月滞在する中でとても仲良くなったのだ。

 艶やかな黒髪が美しくて、女神のようだと思っていたのに。


「どうして忘れていたんだろう……」


 目覚めたセラは眦にうっすらと涙が溜まっているのに気がついた。


 夢を皮切りにどんどん記憶が溢れ出してくる。高波で揺れる甲板、背の低い建物が並ぶ城下町、土足のまま屋敷に上がって使用人を困らせたこともあった。

 領主の屋敷で、宝石が織り込まれた布をたっぷり使った民族衣装を纏い、きらきらと舞ってみせた異国の少女。

 言葉は分からなかったけれど、幼い頃特有の通じ合える感覚があって、朝から夜まで一緒に屋敷の中を探検したり庭を駆け回ったりしていた。

 そうして、とてもとても仲良くなって……王国へ帰る頃には、寂しくて仕方なくて、泣きながら駄々を捏ねたっけ。


「……つかさに、もう一度会いたいわ」


 誰かに会いたいと思ったのは久しぶりのことだった。

 もう十年以上会っていない、今も交流があるのかすら分からない場所の相手に会いたいなんて無茶な話だとは分かっていたが、一度考えついてしまうと思いを巡らせるのは止まらないもので、セラは父親に思い出話を持ちかけてみることにした。

 社交シーズン真っ盛りであるこの季節は、日頃忙しなく王国内を飛び回っている父も王都の屋敷に留まり社交に精を出している。

 夕食の時間に夢の話を持ち出してみれば、父は懐かしそうに顎髭を撫でながら語り始めた。


 極東の島国━━東国には良質な鉱山があり、それはそれは素晴らしい宝の山だったそうだが、やはり流通経路の問題や東国の閉鎖的な風土によって成立とはならなかったらしい。

 あの時世話になった領主は王国との貿易に前向きだったようだが、東国政府からの許可が降りず、泣く泣く諦めることになったと語った。

 侯爵一行が王国へと帰りついた後も個人的に特産品を送り合っていたようだが、いつしか東国からの船がぱったりと消え、交流もそれきりに途絶えたままになっているという。


 セラは数年経って時勢も変わっているかもしれないと、一か八か、つかさへ手紙を出してみることにした。

 東国へ直通の船便はないが、近くの国へ向かう商人の船は出ている。どうにか届けてもらえるよう金子を握らせ、書斎の奥から引っ張り出してきた辞書と睨めっこしながら認めた手紙を祈るように預けた。


 つかさからの返事が届いたのは、それから半年経ってのことだった。


 本当に届くと期待していなかっただけに喜びはひとしおだった。その上返事が返ってくるなんて、まさに奇跡だと思った。

 東国特有のスクロール状になった手紙をゆっくりと開き、文字の一つ一つにゆっくりと目を通す。難しくて読めない字も多いが、つかさが自分のために手紙を書いて届けてくれた気持ちが何よりも嬉しかった。

 最後には王国の文字で一言「ありがとう」と書かれており、セラは目頭が熱くなるのを感じた。


 東国の文化に詳しい人の力を借りつつなんとか読み解いていくと、つかさもセラのことを覚えており、久しぶりに手紙をもらって大層喜んだことが綴られていた。

 また、最近の東国は周辺諸国との貿易を大々的に開放する動きが強まっていて、うまくいけば王国との貿易もできるようになるかもしれない、その時にはセラに会いに行きたいとも書いてあった。


 手紙を大切に抱えながら、成長したつかさの姿に思いを馳せる。

 目元がすっきりした可愛らしい女の子だったから、きっと美人に成長しているに違いない。遊んでいる時は快活な印象が強かったが、舞の時は別人のように艶やかになったのを今でも覚えている。

 手紙には書いてなかったけれど、同じくらいの年頃だからもう結婚しているかもしれない。


 記憶の中のつかさはいつまでもキラキラと輝いている。

 夢物語だと思っていた幼い頃の友人との再会が思いがけず手の届く場所にあると知り、一刻も早く現実にするために、セラは東国の言葉から改めて学ぶことを決めた。


 外出のできない日中に家庭教師を迎えて勉強し、夜の時間は変わらず夜会に充てていた。既存の貴族たちとの交流を深めつつ、東国へのパイプを持っている貴族はいないか探す目的でもあったのだ。

 残念なことに直接的な繋がりを持っている家はなかったが、近隣の国との交易ラインを持っている家はいくつかあり、いざとなった時に頼れるようさり気なく恩を売っておくことも忘れない。いつかのために使える駒は多い方が良いのだ。

 依然として婚約者はできないままだったが、商家の息子という友人ができて、それなりに話せるような間柄になれたことは僥倖だった。

 

「フェイダルシア侯爵令嬢は東国の姫君に恋をしていらっしゃるようですね」


 厚みのある封筒と贈り物の詰まった小箱を手に、ロナルドは微笑ましそうに言った。


 東国付近までの船便を出している商人の家の息子がロナルドで、つかさ宛の手紙を預けるために時折会うようになったのだ。

 平民だが礼儀正しく、商人の息子として得た観察眼や深い知見にセラは一目置いていた。

 初めのうちは手紙を預かってさっさと侯爵邸から退散していたロナルドだが、セラが世間話を持ちかけたことをきっかけに言葉を交わすようになり、今や夜会以外で話す貴重な友人の一人となった。


「恋……考えたこともなかったわ」


 確かに、多少の無理を通してまで手紙のやり取りをし、相手のために言語や文化を学ぶ姿は恋する乙女のように見えるだろう。

 つかさへ贈るプレゼントも手ずから刺した刺繍入りのハンカチやセラの瞳と同じ色の真っ赤なブローチなど、恋人に贈る定番の品ばかりだった。

 しばらく会えていないのだから少しでも気持ちを込めた贈り物をしたいという真心の現れだったが、セラは側からどのように見られているか完全に無自覚だった。


 その場ではなんとなく流れたものの、ロナルドの「恋をしているみたい」という言葉は胸に引っ掛かりを残し、つかさへの気持ちについて改めて考えさせるきっかけとなった。


 セラは恋をしたことがない。だから、この気持ちが恋なのかどうかは分からない。

 仲の良い人たちにはできる限りのことをしてあげたいと思うが、無理をして遠くまで手紙を運ばせたり、時間を削って相手の国のことを学んだりするのは、いささか度が過ぎているように自分でも感じられた。

 夜会でよく話すご令嬢には同じことをするだろうか? いや、きっとしないし、しようとも思わないだろう。

 セラの熱量はつかさにだけ向けられているものであるとようやく自覚したが、ただそれだけで、この気持ちを恋と結論づけるにはまだ早いような気がした。






 何度目かの手紙が届いた日。

 セラは今にも踊り出しそうなほど嬉しくてたまらない気持ちになった。

 つかさから、王国に行く目処が立ったと連絡があったのだ。


 どうにか王国に行けないかと奔走していたようで、他国との貿易が公に解禁となったのをきっかけに、いつも手紙を任せている船に乗り込めるようになったそうだ。

 解禁日になったらすぐに船に乗り王国を目指すため、手紙の返事は会った時に聞かせてほしいと記載されていた。上手くいけば一月ほどで到着できる見込みだとも。

 そして、会った時にはセラに謝らなければならないことがあると締めくくられていた。


 セラは少し不思議に思ったが、すぐさまロナルドや馴染みの商人たちに東国からの客人があることを伝え、何事もなく王国へ辿り着けるように毎夜神殿へ赴きつかさの無事を祈った。

 そして、再会が叶った暁には目一杯もてなしてあげたいと、王国の名物や土産の品の手配を迅速に進めていった。


 つかさからの手紙が届いてから、ちょうど一月経った頃だろうか。

 ロナルドから船が着く知らせを受けたセラは、昼間にも関わらず逸る気持ちで港へと馬車を走らせた。つかさが乗っている確証はなかったが、もしかしたらという気持ちが止められなかったのだ。


 日傘とグローブで徹底的に日除を施し港に降り立ったセラを迎えたのは、見知らぬ男性と話すロナルドの姿だった。

 彼も東国からやってきた人だろうか、見慣れない衣装を身に纏っている。高い位置で結ばれた黒の髪が、あの日のつかさを思い出させた。


「フェイダルシア侯爵令嬢」

「ロナルド、彼女は……? つかさは乗っていた?」


 焦っている気持ちを隠せないセラに、ロナルドはなんとも言えない表情で言葉を濁した。

 煮え切らない態度に、もしかしたら遭難したのかもしれないと不安が募る。ただでさえ白い肌が顔色を失っていくのを目の当たりにして、ロナルドは慌てて言葉を続けた。


「つかさ様については、ご本人からお伺いするのが一番かと! 私は離れておりますので」


 そう言い残したロナルドは、礼をして足早に船員室へと向かった。

 その場に残されたセラと見知らぬ東国人は、自然と顔を見合わせる。無礼と思いつつまじまじ見ていると、男の頬がみるみる赤く染まっていくのが分かった。


「ええと、あなたも東国からいらっしゃったのかしら? あの、女性を探しているのだけれど、つかさという名の少女で━━」


 なんとなく気まずい気持ちで話していたセラだが、つかさの名前を出した瞬間に男の瞳から大粒の涙が溢れるのを見てぎょっとした。

 切れ長の目元から、幾つも幾つも透明な粒がこぼれ落ちてくる。なぜだか別れ際に涙を流していた幼い日のつかさの姿と重なって見えた。


「セラ、様、お久しぶりです……」


 男はこちらを見つめながら、懐から大切そうに布で包まれた手紙を取り出した。それはまさしく、ここ半年間でやり取りしていたセラからつかさに宛てた手紙の数々だった。

 幼いつかさと重なって見えたのは当然だ。彼こそまさしく、つかさ本人なのだから。


 男━━つかさは涙を拭うと、これまでのことを語り始めた。


 東国の風習に、ある一定の年齢まで女の子として過ごすことで神様の伴侶として疫病や事故から身を守るというものがある。

 つかさの家も風習を大切にする習慣があり、セラが滞在していた数ヶ月間も女児として暮らしていたのだそうだ。


「騙していて申し訳ありません。ですが、どうしてもセラ様に嫌われるのが恐ろしかったのです」


 つかさは静かに話を聞いていたセラに向けて、地に頭をつけて謝罪した。慌ててセラが止めたがケジメだからと体勢を崩さないままで、周りの迷惑になるからと言うとようやく立ち上がり向き直った。


 目の前にいる精悍な男性があの日の少女だったとは。

 セラはどこか夢を見ているような気持ちになり、ぼんやりとつま先から頭のてっぺんまで眺め、黒髪は変わっていないんだなぁと思った。

 そして視線をつかさの顔へと移した時、じっと見つめる視線と交じり合い、心臓が跳ねるように高鳴った。


「と、とりあえず家に帰りましょう。せっかく訪ねてきてくれたのだし、ええ、それがいいわ」


 なぜか恥ずかしくて目を逸らしたくなる気持ちになり、踵を返して馬車の方へと歩みを進めた。

 後ろに着いてくるつかさの視線を背中に浴びながら、侍女の手を借り馬車に乗り込んだところで、女同士だからと一台しか馬車を用意してこなかったことを思い出した。

 今から馬車を手配すべきかと悩んでいるうちにつかさが対面の席に座り、侍女が素早く御者へと出発の合図を出す。セラはこの日初めて侍女が有能であることを呪った。


 屋敷へ向かう車内は気まずい沈黙に包まれていた。

 話したいと思っていたことは山ほどあるのに、つかさの顔を見ているとそわそわして、言葉が上手く紡げなくなってしまうのだ。

 つかさはそんなセラを見て申し訳なさそうな顔で押し黙る。

 侍女はもちろんセラの断りなく話題を提供することはしないし、そもそも家族に何て説明すればいいのかと考えながら、ひたすらに早く着くことを祈ることしかできなかった。


 一時間ほどかけてようやく到着した馬車を、両親は盛大に出迎えた。

 セラがつかさと交流を深めていたことも、東国からの船を楽しみに待っていたことも、父も母も知っている。待ち焦がれていた旧友との再会を祝おうと、両親もこっそりとパーティーの準備を進めていたのだった。


「東国からはるばるようこそお越しいただいた。どうか自分の家だと思って寛いでほしい」

「足りないものがあればなんでも言ってちょうだいね」


 少女だったつかさが青年となって現れたというのに、両親は少しも動じることなくにこやかに出迎えている。

 ひとまず応接室へ通すように使用人に指示を出しつかさが離れたことを確認すると、セラはすかさず父親に詰め寄った。


「お父様はご存知だったのですか? その、つかさが男性であることを……」


 未だに飲み込めていない様子の娘を見て、両親は目を丸くした。

 東国の風習で女装をしている男児であることは当時から知っていたし、セラもそのことを知っているものだと思い込んでいたのだ。

 つかさと文通していることもようやく娘にも春が来たのだと微笑ましく見守っていたため、まさか女性だと思っているなんて知りもしなかったのである。

 のほほんと語る両親の姿にすっかり毒気を抜かれてしまったセラは大きくため息をついた。


 正直なところ、旧友の真実については受け入れつつあった。

 

 もちろん驚きはしたが騙されていたという怒りはなく、胸にあるのはどう接したらいいか分からないという戸惑いのみだ。

 男性と接する機会は人並み以上にあったが、こんな気持ちになるのは生まれて初めてだった。


 待たせるのはよくないと促されたセラは、つかさの待つ応接室へと足を運んだ。

 大きく成長した体躯をこじんまりと縮ませ、緊張した面持ちでソファに腰掛けるつかさを見て、思わずクスリと笑みが溢れる。

 はっと口を抑えたが、それが緊張をほぐす弛緩剤となったようで、先ほどよりも幾分か落ち着いてつかさと対面することができた。


「さっきはごめんなさい。あんな態度をとってしまって……せっかく東国から来てくれたのに」

「いえ、セラ様のせいでは……言い出せなかった私が悪いのです」


 自分を責めるような表情で再び頭を下げる。セラは慌ててもう謝る必要はないと嗜めると、いつまで滞在できるのかを訊ねた。

 次に船が戻ってくるのは二か月先になるらしい。

 商人の船に乗り合わせて行き来するため、しばらくはゆっくりと王国を楽しんでもらうことができそうだ。


 つかさは王国の言葉をあらかじめ学んでくれたようで流暢に王国語を操り、想像以上にスムーズにコミュニケーションをとることができていた。

 セラも数ヶ月かけて学んだ東国語を使って話してみると心底嬉しそうに返してくれるため、嬉しいような恥ずかしいような気持ちでいっぱいになった。

 お互いが異国語で話している姿は側から見ると奇妙なものであったが、幼い頃の二人に戻るには十分すぎるくらいの時間だった。


「昔みたいにセラって呼んでほしいわ。敬語もやめましょう? 私たちは、お友達なのだし」


 一通り笑い合った後、セラは恥ずかしそうにふと切り出した。

 昔は言葉が通じなかったこともあり、何も気にせず名前で呼び合い気楽に話していた。大人になった今、名前で呼び合うことに気恥ずかしい気持ちもあったが、それよりも様づけで距離を置かれていることへの寂しさが優ってしまったのだ。

 セラには名前で呼び合うほど親しい異性の友人はいなかったが、初めてそんな関係になるのなら、つかさであってほしいと感じていた。


「……うん、そうだね。セラ」


 つられたのか照れたような笑顔で名前を呼ぶつかさを見て、セラは世界が明るくなったような気持ちになり、そうして自分が恋に落ちたのだと気づいた。

 上手く顔を見られなかったのも、やけに胸がそわそわしたのも、どう接したらいいか分からなくて戸惑ってしまったのも、全てはつかさに恋をしていたからに他ならない。


 ぼんやりと惚けている様子を心配するつかさに、セラは誤魔化すように故郷の話題を振った。

 王国の印象を楽しそうに話している姿を見て胸を撫で下ろすと同時に、先ほどとはまた違った感情がセラの胸に広がる。


 自分の気持ちが分からないのも困ったが、恋心を自覚するとそれはそれでどうすればいいのか分からない。

 何せ初めての恋愛感情な上に、十数年寝かせた年代物なのだ。持て余すのも仕方ないように思える。

 しかし、つかさに対してだけはいつも貴族相手に夜会でしている表面上だけの会話はしたくないと、本能的にそう感じた。


 ゆっくり言葉を選びながら話しているといつの間にか夕食の時間になっていたようで、この日はつかさのために王国の名産品や名物料理がたくさん振る舞われた。

 遠い東国とは食文化もガラリと変わるため口に合うか心配していた一同だったが、一品ごとに感動しながら美味しそうに平らげる姿を見て、料理人たちもすっかりつかさの虜になってしまったようだ。

 初めは異国人を遠巻きに眺めていた使用人たちも、人当たりの良さと控えめな態度に親しみを持って接するようになっていった。





 

 滞在して一週間ほどでフェイダルシア家にすっかり馴染んだつかさは、セラとともに夜の王都へと訪れていた。


 夏が終わり涼しい風が吹き始めた王都では、ちょうど女神の降臨を祝う催しが開催されている。社交シーズンの終わりに降臨祭を楽しんでから各々の領地に戻るのが貴族たちの慣わしだ。

 フェイダルシア侯爵家も例外でなく、降臨祭が終わったら父だけ先んじて少し離れた領地へと戻る手筈となっていた。


 王城へ続く中心の通りは酒や食事を振る舞う露店で賑わい、平民や貴族が入り混じって祭りを楽しんでいる。

 高位貴族は王城での夜会にだけ出席する者も多いが、セラは活気のある雰囲気も大好きだったため、いつも城下の祭りを楽しんでから夜会へと向かっていた。


「この日だけは平民も貴族もみんな一緒に女神様の降臨を祝うの。今日しか飲めないお酒もあるのよ」


 悪戯っぽく微笑むと、つかさも同じように眉尻を下げた。

 王国では黒髪や東国の衣装は目立つため、少しでもゆっくりできるように帽子で髪を隠し、王国風のシャツとスラックスを身につけている。

 セラもいつもの華美なドレスから下町風のシンプルなワンピースに着替え、二人で大通りを歩く姿は平民の恋人同士のようだった。


 大通りから道を一本外れると、セラがお気に入りのホットワインの屋台が見えてくる。

 たくさんのフルーツと共に煮込まれたホットワインは、程よい甘さとスパイスの刺激が冷えた肌を温めてくれる、垂涎の一品である。

 スパイスの調合なのか、それとも隠し味が入っているのか。屋敷で再現しようと思っても何故かできない、この日だけの特別なホットワインがセラは大好きだった。


「おや、貴族のお嬢さん。今年も来てくれたのかい」

「おじさまのホットワインが一番美味しいんですもの! 二杯くださいな」


 腰の曲がった老齢の店主は気をよくしてホットワインをカップに注ぐと、隣にいたつかさに手渡した。

 そしてトレーに置かれた二杯分の代金から半分だけ取ると、残りをセラの手へと握らせ、隙間の多くなった歯を見せてにっこりと笑った。


「彼氏の分はサービスだ、楽しんできな」

「おじさまってば……ありがとう、ご馳走になるわね」

「ありがとうございます」


 彼氏という言葉に恥ずかしさを覚えつつ、店主からのサービスをありがたく受け取ることにした。

 そういえばつかさも恋人ではないと訂正しなかったな、と思いながら少し離れたベンチに二人並んで腰掛ける。

 カップになみなみと注がれたホットワインを揺らすと、水面に映った街灯の灯りと月が仲良くゆらめいた。


「……僕たち、恋人同士に見えてたんだね」


 静かな沈黙を揺蕩う中で、つかさが不意に呟いた。


 驚いて咽せそうになりながらつかさを見やると、ホットワインを片手に満足そうに微笑んでいる。

 王国に滞在するうちに本来の口調で話すようになったつかさは、こうして時折セラをときめかせるようなことをぽつりと言うので、その度に鼓動が速くなって困ってしまうのだ。

 喜んでくれているってこと? それとも揶揄っているだけなのかしら? と逡巡しているうちに何も言えなくなり、じっとしていることしかできなくなる。

 しかし、今日は降臨祭の浮かれた雰囲気が背中を押してくれているような気がして、セラは俯いたまま静かに口を開いた。


「私は、そのつもりで来ていたわ」


 勢いのままに口に出した後、これではまるで告白ではないかとセラは思い直し、一気に心臓が冷たくなった。

 突然こんなことを言われたら困るに違いない。

 どうにか弁明しようと顔を上げると、頬を真っ赤に染めながらこちらを驚いた様子で見つめるつかさと視線が交わった。


「セラ、それって……そういうことだと思ってもいいの?」


 熱っぽさを孕んだ真剣な眼差しで見つめられ、言葉にならない声しか吐き出せないままで、セラは静かに小さく頷いた。

 静かにセラの頬に指が添えられる。幼い頃に繋いだ手とは全然違う、大きな大人の手だった。


「ねぇ、セラ。君が好きだよ」


 ストレートに投げかけられた愛の言葉に、胸の奥から湧き上がる感情が涙となって溢れてくる。

 返事をしなければと頭では思っているのに、心に溢れている気持ちをうまく言葉にできずに、瞳からこぼれ落ちるのを止められなかった。

 そんなセラのことを理解しているのか、つかさは目尻をそっと拭うと、小さく震える肩を恐る恐る抱きしめた。


「初めて会った時からずっとずっと好きだった。手紙を届けられなくなった時は絶望したけど、こうしてもう一度会えて本当に奇跡みたいだ」


 喜びを噛み締めるように、静かにつかさは呟く。

 涙でシャツを濡らしながらうんうんと頷く腕の中の少女を愛しげに見つめながら、ゆっくりと話を続けた。


 セラが王国へ帰った日から、いつか会いに行くために王国語を学んでいたこと。政策により外国との交流が絶たれ手紙が届けられなくなったが、大臣らへ貿易の重要性を説き数年かけて復活させたこと。

 セラからの手紙が届いた日、泣き崩れるくらい嬉しかったこと。慣れない船旅で死にかけたが、セラに会いたい一心で乗り切れたこと。

 港で対面した時に泣いてしまい、男らしい姿を見せられなくて申し訳なかったこと。


 つかさが語る思い出はその全てが大切なものであることが感じられ、言葉の一つ一つにセラへの深い恋慕が感じられるものだった。

 それは初めての恋に不安がっていたセラの心にすんなりと溶け込んでいき、確かな愛情として温かく広がっていった。


「私も、きっと初めて会ったあの日からつかさのことが好きだったんだわ」


 少し落ち着いたセラが、黒髪と同じ色の瞳を覗きながら愛を返す。

 見つめ合った世界はお互いだけを映していて、まるで時間が止まっているかのように感じられた。






 それから船が発つ日まで、二人は恋人として短いながらも甘やかな日々を過ごした。

 デートは決まって夜であり、二人で観劇に行ったり静かな庭園を散歩したりと、静かでまったりとした時間が二人を包み込んでいた。


 そうしてつかさが東国へ帰る数日前に、馬車でフェイダルシア侯爵領へと向かうことを決めた。

 初めて馬車に乗った時は気まずい空気が流れていたというのに、今や侍女とも気さくに会話を楽しみ、和やかなムードのままで旅路を楽しむ余裕が生まれていた。


 わざわざ王都を離れて侯爵領へと向かう理由はただ一つ。

 父である侯爵に、二人のこれからについて報告し、正式に求婚するためである。ちなみに母である侯爵夫人には交際初日に気付かれていたので、侯爵だけが二人のことを知らない。


 セラが東国へ行くのか、つかさが王国へと移り住むのかはまだ未定だ。

 つかさは父もまだ現役だし年の離れた弟がいるため跡取り問題は気にしなくていいと言われたが、大切な人の家のことなのだからしっかりと相談した上で決めるべきだとセラは考えていた。


 王都の屋敷よりもずっと大きな、城とも呼べる屋敷の門を潜り抜けて馬車は進んでいく。

 自分の故郷とは全く異なる景色だが、セラが生まれ育った場所というだけで愛しさすら感じられる喜びを、つかさは胸の中で噛み締めていた。

勢いのままに書き殴った作品となりました。

お楽しみいただけましたら幸いです。

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