国民的女優を取り巻く噂
いや〜な雰囲気は今回までです。
炎天下の中、学校へ登校する。
歩いているだけで汗だらけになってしまう。
こんな中学校へ行くなんてどんだけ偉いのか。
自分で自分のことを褒め讃えたくなる。
「わっ」
校門に差し掛かったところで、背中から声をかけられる。
ふと振り向くとつまんなさそうな表情を浮かべた陽彩が立っていた。
グローブを頭に乗っけて、睨むようにこちらを見ている。
「もっと良いリアクションを期待してた」
陽彩はそんなことを口にする。
俺のことを芸人かなにかと勘違いしているのだろうか。
そういうのは専門外だ。他を当たって欲しい。
「確認だけどさ」
陽彩はさっきまでのおふざけは嘘かのように真面目な表情をする。
真っ直ぐな目線に俺は黙ってこくりと一度頷く。
「氷華ちゃんと付き合い始めたのか?」
「俺が? 氷華とか?」
「おう」
「付き合ってなんかないけど。急にどうしたんだ。なんでそんな話に……」
「やっぱそうだよな。なんか違和感すげぇーなって思ってたんだよ」
陽彩はグローブを手に取ると、顔を顰めながら髪の毛をむしゃっと触る。
「なにが? なにがよ」
「朝練中に噂が回ってきたんだよ」
「噂?」
「そう、噂」
良く聞いておけよ、というような目をして歩き始める。
置いてかれないように陽彩の後を追いかける。
「鷺ノ宮氷華が付き合い始めた。どうやら彼氏ができたらしいって噂」
「へー……は? ごめん。なんか聞き間違えたわ。もう一回教えてくんね」
「そういう反応にもなるよなー」
苦笑しつつ、もう一度教えてくれる。
その内容はさっきと全く同じものであった。
氷華が付き合い始めた? 彼氏ができた? んな、馬鹿なことが有り得るか。
あれ、もしかして俺知らない間に付き合ってたっけ。
そんな都合の良い展開は無い。
「噂は所詮噂だからなー。その様子だと寝耳に水って感じだし、どっかで話が盛られたりして回ってきたんだろうな」
陽彩はそんな気楽なことを口にするが、俺は気が気じゃない。
その噂とやらは事実なのだろう。違ったとしても事実に近しいのだろう。
火のないところに煙は立たない。
氷華は昨日告白されていた。
帰宅してからずっとよそよそしさがあった。
そして、今日一緒に登校することを拒否された。
要素としてあまりにも揃い過ぎている。恐ろしい程に揃っている。
むしろ、噂だと一蹴する方が馬鹿げている。
「……そうかもな」
俺は無理矢理笑顔を作り、小さくそう答えることしかできなかった。
教室。
ざわざわした空間の中、俺は机に突っ伏せる。
俺はどうやら自惚れていたらしい。
氷華は俺に惚れている。俺に好意を寄せている。そう確信していた。
だから、他の人と付き合うこともない。
ずっと俺を追いかけるのだ。追いかけ続けるのだ。
そう思っていた。
自分の価値を測り間違えていたのだ。馬鹿だ。笑って欲しい、叩いて欲しい。殺して欲しい。
もしもタイムマシンで昨日以前に戻ることが出来るのなら俺自身のことをぶん殴ってやりたい。
自惚れてんじゃねぇーぞ、と。
氷華が俺に好意を寄せている確証なんてどこにあったのか。
ヤンデレなところ? そんなの証拠にはならない。
友達として愛が重かったと言われればそれまでなのだから。愛情ではなく友情によるヤンデレだっただけ。
「おーい」
顔を上げると目の前には瑠香が立っていた。
「なんだよ」
「氷華に彼氏できたってほんとっ?」
「みたいだな。俺にはそれしか知らん。事実かどうかも知らん。ただ事実なんじゃないの。少なくとも俺はそう思ってる」
「もしかしてと思ったけど本当に澪が相手じゃないんだ」
怪訝そうに俺を見つめる。
何か知ってんだろ、もっと暴露しろと言いたげな目線。
俺は小さく息を吐く。
「そんな顔されても。知らないものは知らないし。話せることもなにもない」
「ふーん。にしても、どういう風の吹き回しなんだろうね」
瑠香は俺の机に座る。
「そもそも氷華が澪以外の男を選ぶってのも考えにくいし……でも、噂が噂でしかないなら氷華は必死に弁明しそうだし。一体なにがどうなってんだろうね。これ」
「でも、俺以外に良い男なんて幾らでもいるしな。だいたい、氷華なら選び放題だ。中身を除けば超がつく優良物件だから……な。そんな驚くことでもないだろ。誰かと付き合い始めたって」
外面だけを見れば引く手数多だ。
わざわざ俺に固執する必要もない。
「そんなのわざわざ言われなくたって知ってんよ」
慰めてくれとは言わないが、傷を抉らなくたって良いじゃないか。
そんな真っ直ぐな瞳で肯定しなくても。
「でも、それはあくまで世間一般的な意見はでしょ」
「なるほど? 意味がわからない」
「なんでわからないの……比較的そのままだと思うんだけど」
眉間を押さえ、ふぅと深い溜息を吐く。
「表の氷華は確かにそうかもね。引く手数多だよ。でも、裏の氷華が澪を捨てるっていう選択をするとは思えない。多分じゃない。絶対に」
真剣な眼差しを向けられる。
慰めでも同情でもない。
信じて疑わない素直な者の目をしている。
「人って簡単に変わるからなぁ」
「でもその中でも簡単に曲げられないものってあるでしょ」
「そりゃ……」
信念に近しいもの。
曲げることもできなければ、譲ることも許されない。
そこを譲ってしまえば自分が自分ではなくなってしまうもの。
そういうものがあるのは理解している。
理解はしているが、俺への想いがイコールになるとは限らない。
氷華にとって俺への想いが譲ることの出来ないものであるという確証がどこにもない。
別に現状に不貞腐れて適当な理論を並べているわけではない。
人の心の中なんて、外から見た人間にはわからない。
きっと、瑠香だって俺が今心の中でこんなに文句を垂れているだなんて思ってもいないだろう。
本人が口にしたことでないのに、周囲が決めつけるのは些かおかしい話だと思う。
焦燥感にかられており、冷静さが欠けているからそういう思考に至るのだと言われればそうなのかもしれない。
でも、間違っているとも思っていない。
「仮に付き合ってないとしようか」
とはいえ、本人が言ってないでしょと口にするのはあまりにも野暮だ。
水掛け論に発展するのがオチである。
意味も無く意見を交わすつもりは毛頭ない。
そんなところに神経を使うつもりもない。
「じゃあなんでこんな噂が立ってると思う?」
「そんなの私には知らないけど」
「俺はね、火のないところに煙は立たないと思ってるんだよ。今回の件だって同じ」
「噂は確かにそうだけど。昨日告白されてたんでしょ。それを見た誰かが勘違いしたって可能性も大いにあるでしょ」
「それはそうかもね」
氷華が振った。それを見ていた誰かが、どういうわけか告白を受けたと勘違いをし、噂として拡散した。
噂の拡散力は非常に強力だ。一度噂として飛び立ったものは自由にどこまでも飛んでいく。
家での氷華の態度がなければ、噂に尾ひれがついて出回ったものであるとすんなり受け入れられたはずだ。
これだけだったら……だ。
「でも、氷華は素っ気なかった。家じゃこっちから話しかけないと会話が始まらないし、目もまともに合わせてくれない。それどころか一緒に学校行くことすらもあっちから拒否される始末。少し前だったらありえないよ」
心の中に留めていたものを全て吐いてしまう。
無論周囲の目は気にして、声はできるだけ小さいが感情だけは大きい。
「家でも変化あったの?」
「あったよ」
「だとすると確かにおかしいね。澪がそんな萎れるわけだ。でも、氷華が澪を捨てるのも同じくらいにおかしいんだよなー。何かが変なんだよこれ」
「変って言われたって……」
変って具体的になんなんだよと嘆きたくなる。
「そもそも氷華に聞いたの? 告白受けたのか、なんでそんなに素っ気ないのか。ただ態度だけ見て、勝手に勘違いしているだけとかじゃない?」
瑠香は机に手を置いて、ふぅと息を吐く。
「聞いたけど答えてくれなかったよ」
告白の噂とかは知らなかったが。
とはいえ聞いたのは聞いた。
これ以上追求する気はないし、するべきでもない。
関わるなというスタンスをあちらがとるのであれば、こちらとしては一歩引いておくのが正解だ。
「そうなんだ。何回も聞いたの?」
「一回だけだけど」
俺の言葉を聞くなり、瑠香はぐぐぐと顔を近づける。
睨むような視線が刺さった。
思わず顔を顰めてしまう。
「一回だけなの!? もっと何回も聞かないと。女の子ってそういうのだよ」
溜めて出てきた言葉はそんな説教に近しい言葉であった。
「何回も聞いて欲しいの。女の子ってのは構って欲しい生き物なの。何回も何回も何回も!」
面倒だな。女の子ってのは。
瑠香はギッと鋭い目でこちらを睨む。
「今めんどーって思ったでしょ」
「思ってない。思ってないから。でもさ、あっちが遠ざけてるのなら聞かない方が良いでしょ。そういう配慮が必要だよ。気遣いがね」
「配慮? 気遣い?」
瑠香は冷笑する。
「本気でそう思ってる? それなら考え改めた方が良いよ」
スパッと一刀両断される。
首を傾げる程度の反応を見せることしかできない。
「澪のやってることは氷華への配慮でもなければ気遣いでもないよ」
「……じゃあなんだよ」
「逃げてるだけ。どうせ嫌われるのが怖いとかそんなしょーもないこと考えてんでしょ」
「……」
俺は黙ってしまう。
逃げている。怖いだけ。そういう鋭利な言葉が心に深く深く刺さった。
自覚があったかと問われると大きなものはなかった。
だが、無意識下で怖気付いて、逃げていたのかもしれない。
そう考えてしまう。
「沈黙は肯定だかんね」
俺は瑠香を睨む。
瑠香は俺の睨みに対して臆することない。
前々から思っていたが、この人かなり肝が座っている。
「はぁ……」
瑠香は深々とした溜息を吐く。
俺を見る目は駄目男を見るような目であった。
そんな目をしないで欲しい。
「ちょっと待ってて」
瑠香はスマートフォンを取り出すと、滑らかにスクリーンを触る。
しばらくすると、俺に画面を見せつける。
『今すぐ教室に来て。今すぐに』
『今すぐ?』
『今すぐに!』
『わかった』
氷華とのやり取りが記録されている。
日付は今日。時間は一分前。
まだ時間としては早い。
野球部が朝練を終えて少ししたくらいの時間だ。
朝のショートホームルームまではまだ時間がある。
それなのにもう学校に到着している。
その上で一切教室に姿を見せない。
噂に対する答え合わせみたいなものであった。
「私も近くに居てあげるから。しっかりと聞いて」
「知らないうちに下の名前で呼び合う仲になってるのなら瑠香が聞いてよ」
「はぁ!? なんで私が聞くの。それじゃあ意味が無いでしょ。澪が聞かなきゃ。わかった? ほら、返事は」
「……はい」
説教混じりな瑠香の言葉に項垂れるように頷く。
そして、氷華が来るのを静かに待ったのだった。