国民的女優と通俗的友人
ヤンデレ気質な氷華ではあるが、外へ一歩出るとヤンデレは影に潜む。
国民的女優であり、皆が注目の的にしている理想の鷺ノ宮氷華へと早変わりするのだ。
周囲の目を気にしているのか、俺にベタベタくっつくこともない。
せいぜい隣を歩き、時折こちらに目線を配り、優しく微笑むだけ。
その裏側にいくつか恐ろしさは感じられようとも、表に出すことはない。
国民的女優なだけあって、周囲に本性を見破られることはまずない。
存分に演技力を発揮している。
高校へ登校中でさえも、皆が持つ理想の鷺ノ宮氷華を崩すことはない。
ヤンデレ以前に怠惰な様子でさえ一切見せないのだ。
隣で見ていて普通に尊敬の念を抱いてしまう。
同じことを何年も続けろと言われたって出来ることじゃない。
例え銃口を向けられ脅されていたとしても難しい。
氷華だからできること。
氷華じゃないとできないこと。
高校に入学してから一年と三ヶ月が経過したが、氷華への目線は変わらない。
まるで珍獣を見つけたかのような目線ばかり。
氷華をしっかりと人間として認識しているのは何人居るだろうか。
片手で数えられるくらい。
教師でさえ、一歩距離を置いている。
傍から見ていても疎外感を覚えてしまう。
それでも氷華は鷺ノ宮氷華を演じ続ける。
自分が求められていることを誰に言われることなく理解しているのだ。
「え、ほんとにいるんだ。鷺ノ宮さん。噂では聞いてたけど」
「ヤバ……サインとか貰えないかな」
「写真撮ってネットにあげちゃお。マジでこの学校にいるんだ。先輩とか言ってたけど、似てる人が居るだけかと思ってた」
高校近くの交差点で向かいからこそこそと話し声が聞こえてくる。
スマートフォンを構えるが、車に何度も遮られて諦めたのかスマートフォンを下ろし、学校の方へと歩いていく。
リボンの色は緑色。今年入学した子たちだ。
氷華はドラマの撮影が入ると長期間学校を休んだりする。
北は北海道、南は沖縄……と全国津々浦々で撮影しているので栓無きことなのだが。
たまたま今の一年生が入学したタイミングは長期の撮影で学校に行っていなかった。
だから、噂だけが先に進んでいたのだろう。
二年生や三年生がウチの学校には鷺ノ宮氷華が在学していると話のダシにして、それを聞いた一年生がクラスで話し、広がっていく。
しかし、この三ヶ月間彼女たちは氷華を見ることは無い。
だから日に日に疑っていく中で氷華を目の当たりにする。
結果としてこういう反応になるのだ。
「またこの季節だね。ピースでもしてあげた方が良いのかな」
スクールバッグを宙ぶらりんに持つ氷華は一年生たちを見つめながら、ポツリとつぶやく。
俺にだけ聞こえるような声で。
俺にすら聞かせるつもりなかったのではと思うほど小さな声だ。
「ああいうのに反応したら調子乗ってヒートアップするだけだよ。静観が正解だよ」
「マネージャーと同じこと言うんだね。やっぱりそうなのかな」
あっちは氷華のことを人だと思っていないし。
と、喉元まででかかったが堪える。
氷華がそれを言えばただの批判になるが、俺が言ってしまえばそれは悪口でしかない。
悪口を叩かれるようなことをしているの間違いなくあちらであり、こっちが一々配慮する必要もないと言われてしまえばその通りなのだが、悪口を言うってのは何となく後味が悪くて好まない。
「なんでみーくんそんな悲しそうな顔してんの? ほら、シャキッとしないと、シャキッと」
氷華は俺の頬をむにむにと触る。
傍から見ればただのカップルだ。
今の状況だけを切り取れば、俺の理想中の理想であり、一生このまま過ぎ去って欲しいと願える。
家に帰れば一瞬にして夢物語であることを痛感させられるのだが。
「んんん、わぁふぁりましぃたぁ」
「うん、よろしい」
氷華はぱっと手を離す。
温もりが突然無くなったように思えて寂しい。
正門を通り抜ける。
あいさつ運動とかなんとかで、正門に生活指導の教師が二人立っているが、氷華を目に入れた瞬間によそよそしくなる。
それでも氷華はしっかりと「おはようございます」と丁寧に挨拶していくのだから凄い。
絶対に腫れ物のような扱いをされていることに気付いているはずなのに、感情を一切表に出さないのだ。
演技力の賜物と褒めるべきなのか、慰めるべきなのか。
分からないから黙ってしまう。
いつものことだ。
教室に入る。
流石に皆慣れてきたのか、怪奇の目は向けてこない。
それでも誰が話しかけてきてよ。という雰囲気はぷんぷんに漂う。
その雰囲気を切り裂くように俺が話しかけても意味が無い。
俺は氷華の幼馴染であり、氷華のお気に入りという認識が広まっている。
それ故に俺と氷華が会話することそのものは自然なものだと見られてしまう。
誰かの中にはきっと氷華とは無関係という意味合いが込められている。
なんとまぁ自分勝手なと思ってしまう。
「どーもどもども」
机を挟んだ向かいに現れた一人の女性。
彼女は俺の机に両手を置くとわざとらしく「よいしょ」と声を出して、しゃがむ。
目線の高さが同じになった頃合で俺の瞳を凝視する。
黙って見つめられるとなんだか無性に恥ずかしくなり、思わず目を逸らしてしまう。
それが面白かったのだろう。
彼女は突然ケラケラと笑い始める。
なんというか騒がしい人だ。
今に始まったことじゃないのだが。
「なんだよ、話しかけてくんなよ」
ひとしきり彼女が笑いきったところで、不機嫌ですというアピールをしながら声をかける。
それすらも見透かされているのか、純粋にそういう言葉を気にしない人間なのか「えー、どーしよっかなー」と焦らす。
どうしようじゃねぇーんだよな。
この後怒られるの俺なんだよ。
ほら、氷華のやつめっちゃこっち見てるし。
今は穏やかだが、これが家に帰ったらどうなることか。
もう想像しただけで憂鬱だ。
「話すことないならマジで近寄んなよ」
「えー、ひっどー。友達なんだから近寄るのは当然のことだよね?」
「友達だったんだ俺たちって」
「ちょっと待って。それはね、流石にショックだわ」
彼女は苦笑しつつ、頭を抱える。
「すまんすまん、冗談だよ。それよりも本当になんなの。用事あったんじゃないの」
そろそろ氷華の目線が厳しいので、本題に移る。
「あ、そうだそうだ。ちょっと待ってね」
せっかくしゃがんだのに、立ち上がる。
なにやら準備があるらしい。
はてさて、なにをするのだろう。
訝しむように彼女のことを見つめていると、スタスタと歩き俺の隣にやってくる。
そして、またしゃがむ。
動いたり止まったり止まったり動いたり喧しい奴だなと思っていると、ふわっと水色の透き通った髪の毛から柑橘系の爽やかな香りが漂う。
うむ、許そう。
彼女は俺の肩に手を置く。そして距離をじりじりと詰めてくる。
とくんと心臓がはねる。
これは非常によろしくない。
ちろりと氷華の方へ目線を向ける。
ニコニコと微笑ましいものを見るような表情だ。
ドス黒いオーラが出ているとかではない。
決してそういうことでは無い。ないのだが、恐怖しか感じない。
無意識下で鳥肌が立ってしまうほどだ。
「瑠香……心臓に悪いからやめてくれ」
「また気にしてんね」
俺の捻り出した言葉など興味無いという感じで、無視しながら俺の耳元で囁く。
囁き終えると、まるで何も無かったかのようなすんとした表情で俺から離れていく。
緊張していたこっちが馬鹿だったと思ってしまうほどに綺麗な真顔だ。
「なにがだよ」
鼓動が落ち着いたのを確認するように胸に手を当てながら、瑠香に向かって問う。
「ううん、なんでもない」
フルフルと首を横に振る。
瑠香はそう言うが、とてもはいそうですか……と納得できる状況ではない。
周囲の目を気にすることなく俺に耳打ちをしてくる部分もそうだし、「まだ気にしてんね」というセリフだってそうだ。なによりも、声音がホラー映画さながらだった。
「じゃ、またね〜」
瑠香はチラッと黒板上にある時計を確認し、手を振りながら逃げるように自分の席へ戻っていく。
「おい、ちょ――」
逃げようとする瑠香を捕まえようと手首を掴む。
その瞬間に朝のホームルームの開始を告げるチャイムが教室に鳴り響き、俺の声は掻き消される。
「ざーんねんっ」
瑠香はニヤッとしながらそう弾むような声で口にすると、手を振り解いてそのまま自分の席へと戻ったのだった。