国民的女優と決意
家を出て早々に記者やカメラマンたちと遭遇することとなる。
あちらも俺たちが出てくるとは思っていなかったのか、持っている缶コーヒーを乱雑においてカメラを構えたり、マイクを慌てて持ち替えたり、荷物を地面に置いてあーでもないこーでもないと部下に指示出しをしたりしている。
慌ただしい人たちだ。お仕事大変ですね。ずっとこんななんの変哲もない住宅街に張り込んで。自動販売機すら近くにないのに。本当に大変ですね。
俺たちはそんな可哀想な人たちを横目に走り出す。
というか、氷華を引っ張る。
「え、ちょっ、どうするの」
氷華は吃驚しながら声を上擦らせる。
「逃げるぞ」
「え、逃げるの? どこに」
「あの人たちが追いつけないくらい遠くに逃げよう。遠くに。人気のない遠い場所に」
大人に追われている。
その事実を忘れさせてくれるような笑顔を氷華は見せてくれる。
俺はその笑顔に勇気付けられて、手を引く力をより一層強めた。
追いつかれないように。追いつかれてたまるかと自らを激励しつつ。
満点の星空に照らされながら、俺たちはただただ走った。
しばらく走ってから足を緩める。
目の前に見えるのは小さな公園だ。
ブランコと鉄棒、あとは遊具じゃないがベンチもある。
その裏側には大きな柵があり、向こう側には山が聳え立っめいる。
柵には『この先私有地につき立ち入り禁止』『防犯カメラ作動中』という注意書きがされている立て札は雨で錆だらけでちょっとだけ不気味だ。
そんな特徴があるんだが、ないんだか良くわからないような小さな公園に足を踏み入れた。
一応こんなんでも公園は公園なわけで、しっかりと整備されている。市の管轄なんだね。
数少ない遊具たちは汚くないし、ベンチも汚くはない。
あくまで汚くないだけである。
雑草もちょろっと生えているだけで、気になるほどではない。
誰かがエアガンで遊んでいたのか、BB弾が四方に転がっているのが若干気になるくらいかな。
「流石にここまでは追いかけてこないね」
「ここまで追いかけ回すようじゃただの犯罪だから」
「でも倫理観の欠片もないんだろ。あの人たち」
「倫理観はなくても限度はあるよ。その線引きが壊れてるだけ」
氷華は膝に手を当て、ふぅふぅと肩で息をする。
少しだけ何もない公園をぐるっと歩き、端の方にあるベンチに腰掛けた。
俺も彼女の元へ歩き、しゃがむ。
「お隣よろしくて?」
「どうぞ」
わざとらしく問うと、氷華もわざとらしくぽんぽんとベンチを叩く。
二人で見つめあって、ケラケラ笑ってから俺は腰掛けた。
「急に連れ出されたんだけどどうしたの? ここが目的地? 何がしたいの?」
不思議そうに首を傾げる。
矢継ぎ早に言葉を繰り出すが、怒っている様子はない。純粋な疑問を率直にぶつけているという感じだ。
実際、何も告げずに無理矢理連れ出したのは紛れもない事実である。
氷華が抱いた疑問は当然なものであり、非難することはできない。
むしろ俺がもっと怒られるべきなのだが。用件も言わずに連れ出しているのだから。
「たまにはデートでもしようかなって。最近はバタバタしてて二人で出掛けたりできなかったでしょ」
「ふーん。デートね……」
デートって言葉を出せば喜ぶだろという安易な思考。
それが読まれていたのかなんなのか、氷華は微妙な反応をする。なんなら怪訝そうにこちらを見つめる。
公園の街灯に氷華の顔は照らされ、ホラーみたいになっている。
もしかしたら自惚れていたのかもしれない。
そういう恐ろしさもふつふつと湧いてくる。
「で、本当は?」
見透かしてるぞ、と言いたげな様子だ。
つんっと俺の額を突く。
「本当にデートしたいだけなんだけどなぁ」
一応本心だ。
そりゃデートだけが全てじゃないが、デートがしたいというのも理由の一つである。
それにデートはこの先の行動に必要不可欠なのだ。
とはいえ、ペラペラとこれからどうするつもりだ……とは言えない。
言っちゃったら意味をなさないからね。
「デートにこんな公園を選ぶなんて嫌われちゃうよ。何もない小さな公園で喜ぶ女の子なんて本当に少ないよ」
「そうかな。夜の閑静な公園って味気があって俺は良いと思うけど。ほら、夜特有の謎の涼しさとか感じられるでしょ」
「でも、こんな虫がバチバチって音立てながら飛んでるところ女の子は嫌いだよ。ほら灯りに群がってるじゃん」
「でも公園なロマンはあるでしょ。夜の公園ってなんかカッコイイし」
「ロマンとかカッコ良さだけじゃ片付けられないこともあるからね」
「うーん、じゃあ氷華はここ嫌なの?」
「残念。こういう環境には慣れてるから。私は平気」
「なら何も問題ないね。俺は氷華とデートしたいから」
言っておいて恥ずかしくなってくる。
柄でもないことは言うもんじゃないね。
本当に恥ずかしい。
ああ、顔が火照っているのは熱いからか、恥ずかしいからか。もうわかんねぇーな、これ。
「氷華はやりたいことある?」
「やりたいこと?」
俺の言葉に氷華はこてんと首を捻る。
「そう、やりたいこと」
「難しいね」
氷華ははにかむ。
「女優としてこれ以上活躍したいとか、ハリウッドデビューしたいとかそういう欲はないの。有名になりたいとかもないし」
今やりたいことは何かあるかという問いだったのだが、壮大な質問だと捉えられてしまった。
まあ、氷華の将来設計に関しても気になるので茶々を入れることなく黙って頷く。
「成り行きでここまで来ちゃっただけ。たまたま演技力を持ってただけだから。本当に女優というポジションに拘りはないの。だから、やりたいことって言われても難しいよね」
贅沢をしなければ一生暮らしていくだけのお金はもう既にある。
というか、多少遊んだって余るだろう。
少なくともサラリーマンの生涯年収は貯金しているはずだ。
今「女優辞めます!」と高らかに宣言しても十分に暮らしていける。
周囲の人間が困るだけで氷華は全く困らないのだ。
だから尚更女優として高みを目指そうとか思わない。
気まぐれと周囲の説得でなんとなく続けているのが現状だ。
尤も、俺もその説得している人間の一人なわけだが。
「敢えて言うのなら、このまま何事もなく順風満帆に生きていきたいかな。そんなの難しいし、夢物語ってのはわかってはいるけどね。語るだけなら無料だから」
彼女の演技力はピカイチだ。
前も言ったような気がするが、日本の宝である。
そんな宝を捨てるのは勿体ない。
大きな損失だ。
って、そんなの今はどうだって良い。
「それじゃあ今やりたいことはなにかある? ここでずっとだらだらと話すってのも面白いかもしれないけど。せっかくだからさ、なにかしたいよね」
逸れた話を元に戻す。
八割くらい俺がいけないんだけど。残りの二割は勘違いした氷華ね。
「今やりたいことね」
氷華は唇に手を当て、うーんと唸る。
目を瞑ったと思えば、ぽかんと口を開け、こてんと首を捻って、髪の毛を触る。
忙しない。
「何気ない時間を何気なく過ごしたいかな」
彼女の出した答えはイマイチ掴みどころのないものだった。
つまりどうしたいのか。
一度俺の中で考えてみるが、すっと答えは出てこない。モヤモヤする。
そもそも何気ない時間ってなんなのか、それに何気なく過ごしたいってなんなのか。
考えれば考えるほどどツボにハマる。
沼から抜け出せなくなるような感覚ってこういうことなのか……とか思ってしまう。
顔に出ていたのかもしれない。
氷華は苦笑しながら、ピンッと人差し指を立てて唇に持ってくる。
「どっか高級レストランに行きたいわけじゃないし、遠くの絶景を見たいわけでもないの。ブランド物のプレゼントが欲しい訳でもないし。私がしたいことはこうやってただただゆったりとした時間をみーくんと過ごすことだから」
そうは言うものの、それじゃあ格好つかないと思ってしまうのが男だ。
普段から格好つけたいが、常に気を張っているのは疲れてしまう。
だが、こういう大事な時、重要な時くらいは格好つけさせて欲しい。男の夢であり、理想であり、憧れだ。
まあ、かといって、イタリアンのコース料理が食べたいとか、回らないお寿司が食べたいとか、ウン十万とするような財布が欲しいとか、平凡な高校生じゃ手が届かないような所を要求されても困っちゃうんだけどね。
「カッコつかないじゃんそれじゃあ」
「カッコつける必要なんてないでしょ」
氷華から返ってきたのは想像を遥かに超える言葉であった。
慰められるのかなとか思っていたから驚いてしまう。
「みーくんは何のためにデートするの?」
「何のためにって……」
考え込んでしまう。
答えはある。目的を遂行するためだ。
とはいえそうとは言えない。
それっぽい言葉を探そうと必死になる。簡単に見つからないのだけれど。
「カッコつけるため?」
氷華は俺の顔を覗き込む。
「デートって大事なのは楽しむことと一緒に居ることだと思うんだ。他の人が聞いたらそんなの違うよって言われちゃうかもしれないけどね」
照れくさそうに笑う。
「楽しむための、一緒にいるための手段としてカッコつけるのであって、カッコつけるのが目的になっちゃうのはカッコ悪いよ」
たしかに。
無理にカッコつける必要はないのか。
そもそも氷華に金銭面で見栄を張るのはあまりにも馬鹿らしいな。
俺がヒイヒイ言いながら高級レストランに連れて行ったとしても、氷華からすれば端金なんだろうし。
「それじゃあ」
それならお金がかからずにカッコつける方法。見栄を張る方法をとれば良い。
簡単な話だ。
離れ離れになるわけじゃないから、氷華の要望もしっかりと汲んでいる。
もしかしたら……もしかしなくても俺は天才なのかもしれない。
「行きたいところがあるんだ」
「行きたいところ?」
氷華はこてんと首を捻る。
「そう。行きたいところ」
深くは語らない。
どこに行くと語ったら面白くないし、カッコつかない。
こういうのは直前までドキドキさせるのが最高に楽しいのだ。
俺は氷華の手を握る。
氷華はすかさず指を絡ませ、恋人繋ぎとやらにする。
いつもなら突っ込むのだが、今日はすんなりと受け入れる。
そういう日だから。
◆◇◆◇◆◇
自然に囲まれたハイキングコース。
少なめとはいえ、アップダウンはあり、普通に疲れる。
夜ということもあり、明るさもない。足元もまともに見えないので更に歩きにくくなっている。
繋がれた手は温かい。
後ろから吐息が聞こえる。
一人でつかつかと歩いてしまったことに気付き、少しペースを緩めた。
氷華は握っていた手を引っ張る。
「大丈夫。着いてこれてるからペース緩めなくて良いよ」
「いや、息切れしてるじゃん」
「してない」
氷華は否定してみせるが、流石にそれは無理があるんじゃないですかね。
だってはぁはぁって聞こえるよ。
様子を伺おうと振り返るが、暗くて表情が良く見えない。
言葉の真意を掴みかねる。
どうしたもんかな。
でも、氷華がそう言うのなら配慮する必要性はないのかもしれない。
変に気遣われる方が氷華は嫌だろうし。
「じゃあペース戻すよ。でも、あと少しで目的地に着くから疲れたら声かけてね。焦る必要も無いし」
「分かってる。疲れたら言うから大丈夫。私そんなに頑固じゃないから」
「そ、そうか……」
思わず苦笑してしまう。
どの口が言っとんじゃと突っ込みたくなる。
無論、言ったら氷華が不機嫌になるのは目に見えてるので心に秘めるだけなのだが。
目的地へと到着する。
こじんまりとした建屋と心許ない柵。
その向こう側には市内の夜景が広がっている。
久しぶりに足を運んだが、やはり綺麗だ。
こんなしょうもない街であるが、夜になればこうやってきれいな夜景を見せてくれる。
捨てたもんじゃないなと思う。
「綺麗……」
氷華はポツリと呟く。声を漏らしたという感じだ。
月夜に照らされているからか、歓喜あまっているからなのか、どっちかは不明だが、キラキラと目を輝かせる。
後者であるのなら連れてきた価値があるってもんだ。
「穴場スポットだよ。穴場。だーれも知らないんじゃない?」
「私も知らなかったし」
同じに期間住んでいる氷華でさえ知らない。本当に穴場スポットだ。
気分転換したい時にここへは良く来る。
まあ、一年に一回来るか来ないかというペースなのだが。
少なくとも俺がここへ足を運んだ時に、誰かと遭遇した……という経験はない。
人は遭遇したことない。
タヌキは何回かあるけど。
「おいで」
氷華の手を離し、柵の方まで歩いて、柵に手を当てながら氷華を手招きする。
なにカッコつけてんだとやりながら思うが、今だけはカッコつけさせて欲しい。
黒歴史の一ページにこれが刻まれるのもなんとなくわかってはいる。
眠る直前にふと思い出して悶絶することになるのだろう。
それでも構わない。
氷華はなにを言う訳でもなく、ただコクリと小さく頷いてこちらへやってくる。
さっきまでの歩幅はどこへ行ったのか、一歩一歩がとても小さくここまでやってくるのに時間がかかるように思えてしまう。
目を瞑り、天を仰ぐ。パッと瞼を開けると満天の星空が包み込む。
太陽のように輝く月は手を伸ばしたら届きそうで、でも手を伸ばしたら届かない。
あげた手を降ろそうとすると、氷華は俺の手を握った。
「誰とここに来たの? 一人で来るようなところじゃないよね。女? 女だな。女だよな」
俺の手を握りつぶすんじゃないかってほど強く握る。
「なんでそうなるんだ。他の女とここに来るような時間今まで無かっただろ。それは氷華が一番わかってんじゃないのか」
「わかんない。そんなのわかんない。えへへ」
氷華は気持ち悪い笑みを浮かべると、もう片方の手も握る。
そして顔を近づける。
ヤバい。
このままだとキスされる。
俺の本能がそう叫ぶ。
慌てて氷華を引き剥がそうとするが、剥がすことはできない。
むしろ力が強くなる。
「なんで? ねぇ、なんで? なんで逃げようとするの?」
足を踏まれる。
ここから逃してくれないらしい。
勘弁して欲しい。
ここでキスされたら全てが台無しになる。
「こんなの見られたら面倒なことになる……だろ」
咄嗟に浮かんだ言い訳を口にする。
氷華は俺の言葉に臆することなく、力を強める。
「ここって人来ないんでしょ? 穴場スポットなんでしょ?」
さらに顔を近づける。
首だけで無理矢理距離をとるがもう限界だ。
「誰も見てないから大丈夫。誰かが見てたとしても、みーくんは私のものだって意思表示しなきゃ。だから大丈夫」
果たして今のどこに大丈夫な要素があったのか。
ぜひ説明していただきたい。
「こんな雰囲気のあるところじゃあ何もするなって方が無理だよ。あ、もしかしてそういう焦らしプレイ? 悪くは無いけど、こういう雰囲気の時は焦らしプレイじゃない方が嬉しいかな」
「なんでそうなるんだよ。違うよ、違う」
どうしようもないので一度氷華を押し出す。
たたらを踏みつつ、俺の手を離す。
そのうちに距離をとる。
「ふーん、そういうことするんだ。みーくんは誰の者か教えなきゃいけないかな」
舌をペロッと出し、また距離を縮める。
俺は裾を掴む。
服が破れるんじゃないかってほど強く。
そして氷華を見つめる。
「なぁ、氷華。ほら、落ち着いて夜景を見てみてよ。綺麗だろ。ほら、空を見てよ。今日は月が綺麗だな」
「それって――」
「夏目漱石の訳だな。有名だもんな。本当は俺もそういう洒落たこと言いたかったんだけど、思いつかないから。氷華は綺麗だな」
ポカンと口を開ける氷華に対して俺はコホンとわざとらしく咳払いを挟む。
ちょっと洒落たこと言おうとして失敗してしまった。
色んな恥ずかしさが交じり頬が火照る。
お湯でも湧かせるんじゃないかってくらい熱い。
だが、ここで逃げるのはさらに恥ずかしい。立ち向かえ。
「恋人という方向から俺に氷華の人生を彩らせて欲しい」
「はい。お願いします」
どかんというデカイ衝撃と共に俺は倒れ込む。
力強い抱擁。
今日俺にとんでもなく美少女な彼女ができました。
今までのヤンデレっぷりを考えると、この先とんでもないことになりそうな気もするが、今日だけは考えるのをやめて素直に喜ぼう。
まだ色んな意味でスタートラインに立っただけだから。
助けることもできてないから。
次話は8月6日です