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国民的女優と強さ

 木々の隙間から零れる夕暮れの日差し。夏の訪れを感じさせつつ、どことない不気味さも同時に運ぶひぐらしの鳴き声。切なさもあれば、懐かしさもあり、暑いのに涼しささえも感じさせてくれる。そんな風情溢れる音色を奏でてくれる。

 ベンチに手を置くと掌に焼けそうなほどの熱さが走る。

 顔を顰めつつも、一息吐きたかったので諦めて腰掛けた。


 残した問題だらけ。山積みだ。

 多方面のことにちょっとだけ手を出して、処理をしなかった結果であり、まさしく因果応報である。

 自分にとって都合が悪くなったら見て見ぬふりをして逃げた結果だ。


 氷華を支える、天吹への抵抗、瑠香への答え合わせ。

 やることは溜まっている。溜まりまくって溢れそうなほどである。

 それでも成すべきことは決まっている。あとは実行あるのみだ。

 尤も、その一歩があまりにも重たく、足踏みしてしまうのだが。

 怖気付く。可愛い女の子なら様になるのだろうが、怖がっているのは冴えない男子高校生だ。需要の欠けらも無い。


 「甘えるな。逃げるな。隠れるな。誤魔化すな」


 頬を抓る。


 「俺ならできる。怖くない。何を怖がっているんだ。怖いものなんてなにもない」


 唇を噛み締める。

 血が出てこようが痛みが走ろうが関係ない。

 鉄の味を舌に染み込ませる。


 「できる。できるんだ。やれる。やれる。絶対にやれる」


 自己暗示をかける。

 俺に足らないのは勇気だ。

 勇気がないから甘えてしまう。勇気がないから逃げてしまう。勇気がないから弱気になってしまう。勇気がないから言い訳を考えてしまう。

 だから己に勇気を与える。

 自分は大丈夫だと。絶対に大丈夫だと。大丈夫に根拠など必要ないと。俺にならできると。

 そう言い聞かせる。


 とりあえず順序立てるところから始めよう。

 無鉄砲に突っ込めばどれこれも中途半端な形で終わってしまうのがオチだ。

 今までがそうだった。

 そろそろ学習しなければならない。学ばずして成長はできぬ。


 大きく分けるのだとすればやることは三つだ。

 細かく隔てるのならもっと数は増えるのだが。

 何でもかんでも上げていたら際限ないのでやめておく。


 まずは天吹への抵抗だ。反抗とでも言うべきか。

 ただこれは俺と天吹だけの問題であり、氷華や瑠香は関係ない。

 だから最初に片付けるべき問題であり、一人で立ち向かうべき問題だ。

 さっさと静かに片付けたい。


 二番目は瑠香への答え合わせだ。

 今俺が持っている思考の開示。

 それが正解かどうかを確認する。その上で実行することを約束する。

 ここまで助けて貰っておいて、何も言わずに実行するのはあまりにも不義理だ。


 三番目は氷華を助ける。

 俺ができる。いや、俺にしかできないやり方で氷華を助ける。

 氷華に手を差し伸べる。

 彼女が受け取ってくれるかどうかはわからない。

 でも、やるって決めたんだ。


 ……。

 うん、この順番で概ね問題ないね。

 簡単にスマートフォンへメモしておこう。

 頭の中で考えただけじゃ、忘れてしまう。

 人間はいとも容易く忘却してしまう生き物だ。

 せっかく計画立てたのに忘れてしまうのは勿体ない。


 「ふふふ。俺は最強だ。もう怖いものなんて何も無い。自分で敷いたレールを進むだけ」


 周囲に誰もいないことを確認して悪役のように叫ぶ。

 ふつふつと溜まっていたフラストレーションが一瞬にして解き放たれる。

 近くでずっと鳴いていたひぐらしもどこかへ飛んでいってしまい、周囲は一瞬にして静かになった。


 「もう夕方じゃなくて夜だな」


 ほとんど沈んでしまった夕日を眺めながらポツリと呟く。

 オレンジ色の光はどんどんと弱々しくなる。


 「帰るか……」


 ぽつりと呟きつつ、帰路についた。


◆◇◆◇◆◇


 とある日の放課後。

 学校のとあるスペース。

 生徒も教師も立ち寄らないような辺境の地。

 閑靜な空き教室だ。

 黒板は乱雑に消されており、前の筆跡が残っている。

 寂しげに並べられた椅子に俺は腰かける。

 誰もいない教卓と黒板を見つめ、小さく息を吐く。


 俺が物音を立てなければ何一つとして音はしない空間。

 そのせいか胸の鼓動が嫌という程聞こえてくる。

 胸の鼓動が聞こえるという事実を理解することで、さらに鼓動が早くなる。

 誰に言われなくてもわかる。緊張しているのだ。

 俺は小さく息を吐き、平静さを取り戻す努力をする。


 瞼を閉じ、瞑想まがいのことをしていると、とんとんという足音が聞こえてきた。

 その足音は徐々に大きくなっていく。

 目的の人物がやってくる。

 すぐそこまで足音の主はやってくると、パタリと音が聞こえなくなった。

 そして待つこと数秒、ガラッと勢い良く扉が開かれる。


 「懲りないな。お前」


 俺の天敵である天吹だ。


 今日こそは主導権を握らせない。

 三度目の正直ってやつだ。

 一度目も二度目も主導権を握らせてしまった。

 だから敗北したのだ。ズタボロに言葉で殴られてしまったのだ。

 それで終わりってわけにもいかない。


 やられたのならその分やり返せば良い。簡単な話だ。


 「俺は甘えもしないし、逃げもしない」

 「ふーん、ただの根性無しかと思っていたがそういうわけでもねぇーんだな」


 腕を組む天吹は少しだけ俺に興味を示す。

 毛が生えた程度の興味なのだが。


 「俺は貴方とは違いますから」

 「なにがだぁ?」

 「思い通りにならなかったら八つ当たりのように人を陥れる。そんな貴方とは違いますから」

 「人を陥れる……か。物は言いようだな」


 天吹は嘲笑気味に息を吐くと、扉をゆっくりと閉めた。


 「鷺ノ宮氷華のことを言っているのなら前も言ったが約束を果たしたまでだ。鷺ノ宮氷華が自らこの道を選んだ。それを陥れると表現しているのならばお門違いも良いところだな」

 「脅して約束したんじゃないですか」

 「過程はどうだって良いんだ。結果として約束した。その事実が大事なんだ」

 「それを陥れるって言うんですよ」


 脅迫して約束を強要させた。

 さも公正な約束であったかのような物言いは釈然としない。


 「そうかそうか。それならば俺は人を陥れた。それで構わない」


 面倒くさそうに髪の毛をムシャっと掻きあげる。


 「俺は貴方が言う通りであるのなら甘えて生きてきて、逃げてきて、努力を怠った人間なだけです。だけなんです。怠惰なだけです。貴方は傲慢で強欲だ」


 天吹という腐った人間と比較すれば俺なんて可愛いものだ。

 俺は人様に迷惑をかけていたとしても人様の人生を大きく狂わせるようなことは無い。

 一方で天吹は人様に迷惑をかけた挙句、人様の人生を大きく狂わせる。

 そんな奴にお前の全てが終わっていると言われてたまるか。


 「……態度も顔も。気持ち悪いのは貴方、いや、お前の方だ」

 「俺には天吹って名前――」

 「興味無い。お前はお前で十分だ。自己中心的な思考しかできず、他者の人生をはちゃめちゃにする。そんな奴お前呼びすら勿体ない」


 天吹は澄ました顔で机に座る。


 「それだけか?」


 机をとんとん指で叩きながらリズムをとる。


 「それだけか?」


 早く答えろ。

 そう言いたげな様子でもう一度問う。


 「お前は最低な人間だ」

 「そうかそうか。お前はそれが言いたかったんだな」


 俺の言葉に天吹はうんうんと大きく頷く。

 余裕そうだ。

 全くダメージが入っていない。

 直感でわかる。


 「お前の言う通り俺は最低な人間だな」


 今にも三段笑いを響かせそうな勢いだ。

 ダメージを負うどころか、元気溌剌している。

 見間違えたかな、聞き間違えたかなと目を擦ってみるがなにもかわらない。


 「最低で最悪でどうしようもない奸悪な人間だ」


 まるで誇るような声色である。


 「俺は今頗るテンションが高い。だから特別に、良いことを教えてやろう。俺にとって最低だとか最悪だとか、屑だとかそういう言葉は褒め言葉だ」

 「褒め言葉……」

 「ああ、そうだとも。最大限の褒め言葉だ」


 強がりとかではない。

 嘘偽りないと顔が物語っている。


 「最低? 最悪? そんなの性格が悪いと自覚している奴にとっちゃ褒め言葉でしかない。優しいねとか言われた方が惨めだ」


 ふと気付く。

 ヤバい、また主導権を握られてしまったと。

 こちらの言葉を遮り、譲ることはない。


 「そんな――」

 「どうせ『お前の方が最低だ』と俺にぶつけに来たんだろ。それで今までの恨みを晴らそうとか考えていたんじゃねぇーか? 知らねぇーけど。無駄だな」


 わざとなのかたまたまなのか、俺が口を開けば常に言葉を掻き消す。

 会話の主導権は完全に奪われてしまい、取り返すことも困難だ。

 何度も何度も同じことを繰り返して、失敗する。

 なぜ失敗するのか理解し、改善しようと努力する。

 しかしその努力も塵となる。

 報われることは無い。こうやって簡単に主導権を握られてしまうのだ。


 こちらの持っていた武器は折られてしまった。

 これ以上対峙しても得られるものは何も無い。

 素手と武器の戦い。当然ながら続けたって一方的に殴られるだけ。

 はっきり言って続ける必要性がない。

 諦めて帰ろうとしたその時、ガランと大きな音を立てて扉は開く。

 放課後の空き教室。誰かがたまたま来るとは考えにくい。あって見回りの教師だろうか。

 ただ見回りの時間はもっとあとのはず。


 「幽霊……」


 突先に浮かんだのは超常現象の数々。

 いや、そんなことないよなと自己解決するも、その他の選択肢もそんなことないよなと結論付けるものばかりで思考は迷子になってしまう。


 「幽霊じゃないんだけど。勝手に人を殺さないで」


 聞き覚えのある声が教室中に響く。

 俺はおそるおそる声の方へ目線を向ける。

 腕を組み、睨むような視線を送る。

 華奢で殴ったら簡単に怪我しそうなのだが、圧のせいで恐ろしささえ覚えてしまう。

 何気なく後ろ髪を梳くその姿は住む次元が違うのだと示すようだ。


 「なんだ、氷華か……」


 幽霊や超常現象でないことに安堵し、ポツリと彼女の名前をつぶやく。

 天吹はバツが悪そうに氷華の方へ目線を配る。


 「なに? 私じゃ悪かった?」

 「そんなことは言ってないよ」

 「口では言ってないけど、そういう顔をしてる」

 「多分元からそういう顔なんだよ」

 「私の脳内ギャラリーにいるみーくんたちは今みたいな顔してないよ」


 脳内ギャラリーってなんですか。脳内フォルダなら聞いた事あるけど。

 造語を作らないで欲しい。

 まあ、常日頃から写真撮られてないだけ良いか。

 撮られてないって根拠もないんだけどね。

 黙っているだけで、氷華のスマートフォンのギャラリーを見たら俺の隠し撮り写真が沢山ありました……みたいな展開も考えられる。

 尤も、そうだったら恐ろしいし、嫌だから確認すらしない。

 パンドラの箱は開かなきゃ何も無いただの箱だからね。

 確認しなきゃ未確定のまま過ごすことができる。

 怖いからしない。当然のことよ。


 「で、これはなんの集まり? 何をしてるの」


 俺と天吹の両方を見る。


 「知ったことか。勝手にコイツが俺を呼び出したんだ。呼び出されたら来るしかないだろ。用件は知らん」


 無関係であることを全力でアピールする。

 氷華の表情を見たら巻き込まれたくないと思うのも詮無きこと。


 ……。


 そうか、そうか。

 今の天吹にとって嫌なことは氷華に絡まれることなのか。

 俺と一対一で会話している時のような生き生きとした感じはもう息を潜めている。

 それが何よりの証拠だ。

 ならば、存分に氷華と絡ませてやれば良い。


 「みーくん。どういうつもり?」


 氷華はなぜかご立腹だ。

 眉間に皺を寄せ、引き続き腕を組む。


 「この人に暴言吐かれたから。二回も暴言吐かれてやられっぱなしってわけにもいかないなーって思ってさ」


 俺はわざと俯き、氷華からも天吹からも顔を見えないようにする。

 床の木目を見つめながら、淡々と抑揚弱く語るように喋る。


 「おい、待てよ。俺は別に暴言なんか吐いてな――」

 「いやー、あんなに暴言吐かれたら流石の俺もメンタル参っちゃうし。そのまま自分で受け入れて、自分で処理するってのも難しいし、やっぱり思い出す度に苦しくなっちゃうからさ」

 「本当にちょっと待てって――」

 「でも、誰かに相談するってのもなんか情けないなーって思うし、助けを乞うのも恥ずかしいから。それなら自分でどうにかしようって」


 天吹の言葉を全部遮って、悲劇のヒロインっぽさをこれでもかと演出する。

 強く意識しなくてもこういうことしていたらしいし。

 どうせならこの世の全ての悲哀を背負っている人間っぽさを全力で醸し出せば良い。

 今俺がすべきことは天吹を倒すことでは無い。

 氷華に同情してもらうことなのだ。

 「可哀想だね」とか「大丈夫?」とか「大変だね」とかそういう言葉を欲している。

 短所であったとしても、無理矢理にでも尖らせれば長所になる。

 短所と長所は表裏一体だからね。


 「……」


 氷華は口を開かない。

 ただ鋭い視線を天吹へと向ける。

 鋭利な針でも突き出ているかのような恐ろしい視線。

 傍で見ている俺でさえ、思わず身震いしてしまうほどのものである。

 そんなの浴びてしまった天吹は平然を装おうとしているが、若干顔を引き攣らせている。

 あまり褒めたくはないが、この視線を浴びておいてその程度の反応は中々に強い。


 「ねぇ、みーくんに何したんですか? 何言ったんですか?」


 ぐいっと体を近付け、圧をかける。

 氷華はとても大きく見え、天吹は小さく見えた。


 「誤解だ。誤解。俺は暴言なんか吐いてない」


 小物臭を漂わせながら、天吹は必死に顔を横に振る。

 さっきまでの威勢はどこへやら。

 上司の指示に従うだけの社畜みたいになっている。


 「嘘だったらどうなるかわかりますよね? わからないとは言わせませんよ」


 氷華はふふっと笑う。


 「嘘なんか吐かないから。暴言は吐いてないんだって」

 「ふーん、そうなんですね」


 一拍置いて俺の方へと目線を向ける。


 「って言ってるけど。どうなの?」

 「暴言吐かれたよ」


 徹底する。

 暴言かって言われると近からず遠からずという感じではあるのだが、こちらとしては暴言の方が都合が良い。

 間違ってはいないし。


 「……」


 氷華は俺のことを凝視する。

 なにか思案している様子だが、なにを考えているのかまではわからない。

 しばらくすると、目線を俺の方から天吹の方へと移す。

 吐息を漏らし、壁に寄りかかる。


 「みーくん。具体的にどんなこと言われたのか教えて欲しいな」

 「そうだな。お前の生き方は甘えてるだとか、努力を放棄してるだとか、お前は気持ち悪いだとかそういう暴言ばっかりだよ」


 少しだけ不安だったので暴言であるということをしっかりと主張しておく。


 「本当ですか」


 氷華は一瞬だけ眉をぴくりと動かす。

 深呼吸するように大きく息を吸って、吐く。そしてゆっくりとはっきりとした口調で質問をする。


 「本当だ。ただ暴言ではない。事実を並べただけに過ぎない」


 天吹は吹っ切れたのかなんなのか、堂々とし始める。

 胸を張り、少しだけ唇を前に突き出すように尖らせる。

 その唇がぐちゃっと変形するほどの勢いで、氷華は天吹の頬を掌で叩く。

 バチンという激しい音が教室内に響き渡る。

 天吹は想定していなかったのか、ゆっくりと頬を触り呆然とする。

 氷華は赤くなった掌を見つめ、満足感溢れる表情を浮かべていた。


 「私になにかするのは構わないです。どうぞご自由にしてください。それだけの覚悟はできていますから。ただ、みーくんに危害を加えないでください」

 「……鷺ノ宮氷華が高校生にビンタ。これが世の中に出回ったらどうなるかな」


 ビンタされた頬を抑えたまま、天吹は不敵な笑みを浮かべる。

 氷華は一切表情を崩すことない。


 「女優としての立場は完全になくなりますね。女優どころか芸能人としての立場すらなくなりますね。そうですね、場合によっては刑事事件にも発展するかもしれません」

 「ふっ、わかってんじゃねぇーか。良いのか? こんなので女優人生を棒に振って」


 氷華は一瞬だけ躊躇するような仕草を見せたが、すぐに笑顔で上書きをする。


 「みーくんの為なら女優とか芸能人とかそういう肩書き捨てて良いと思ってるので。どうぞ、自由にしてください。もちろんみーくんのために犯罪者になる覚悟だってできてますよ」


 さらっと氷華はそう言うが、結構重たい。

 俺のために犯罪者にはならないで。


 「覚えておいてください。みーくんに……澪に危害が加わった時の私は無敵ですから。怖いものなんて何も無いですよ。みーくんが望むのならその命奪うことだってします」

 「……」

 「ミステリードラマには何本も出演していますから。色んな殺し方知ってますよ」


 舌先をペロッと出し、笑うその姿は狂気そのものであった。

 脅しでもなければ、冗談でもない。本気の言葉であるというのは誰が見ても明白だった。

 天吹はもう押し黙る。


 純粋な暴力を振るわれ、呆然としている天吹を見てこれ以上ないくらいにスッキリしたし、スカッとした。

 もしかしたら俺も性格が悪いのかもしれない。


◆◇◆◇◆◇


 帰ろうか。帰りたいよ。帰れないよ。

 俺たちの教室に戻って時間を潰している。

 全ては氷華の一言が原因だ。


 「一緒に帰りたくない?」


 この一言のせいで帰りたいのに帰れなくなっている。

 とはいえ氷華は今日のヒーローであった。

 プロ野球だったらお立ち台に呼ばれているし、マイク片手に「最高でーす」と叫んでいる頃合だ。

 それくらいに大活躍だった。球団マスコット人形も贈呈されるほどの活躍だ。


 助けられたような形になってしまったが故に拒否するわけにもいかず、こうやって時間を潰しているのだ。

 別に氷華が別件でバタバタしていて待たされているわけじゃない。

 なんなら氷華は俺の机に座って、ぼけっーっとしている。

 何か考えているような、考えていないような、そんなあやふやな表情を浮かべている。

 じゃあ、なぜ待っているのか。

 単純明快だ。校門近くで待機し、氷華を狙う記者たちが退くのを待っているのだ。

 一緒に学校を出れば写真に撮られるのは間違いないからね。


 長針が12に重なると同時にスピーカーからチャイムが流れる。

 窓の隙間からはホイッスルが響く。サッカー部のものだろう。


 「ふふ、そろそろ帰れるかな」


 時計をチラリと見た氷華はそう言って立ち上がる。

 生暖かい机に一度手を置いて、俺も立ち上がった。


 「帰ろっか」


 重い足取りで教室から昇降口まで向かう。

 まだ記者やカメラマンが居たらどうしようとか、居たとして撮られたりマイクを向けられたらどう対処しようとか、考えうる中で一番最悪なものをどうしても想定してしまう。

 どうせ頭の中で思い描いた対処なんてできるはずないのに。

 悪い癖だ。


 ローファーを履いた氷華は昇降口の扉に手をかけ、顔だけ外に出す。

 目線の先は校門だ。

 三秒ほどすると体を戻す。


 「大丈夫そうかな。多分」

 「多分って。なんでそんなあやふやなんだよ」

 「壁の裏に居たらわからないから」

 「たしかに……って、そんな徹底的にやらないでしょ」

 「あの人たちは本当に頭が狂ってるから。数字が取れればなんでも良いと思ってる節あるし。倫理観とか求めるだけ無駄だよ」


 説得力が違う。芸能界で痛感する機会は山ほどあったのだろう。


 「とりあえず校門まで私一人で行くからここで待ってて。もし誰も居なかったら校門前で投げキッスするね」

 「なんで投げキッス」

 「私の物だってアピールしておかなきゃいけないからね」

 「俺って氷華の物だったんだ」

 「違うの? ねぇねぇねぇねぇねぇねぇ――」

 「そうですね、はい。そうだと思います。はい」

 「だよね」


 氷華はスクールバッグを肩に担ぎ、澄ました顔で校門へと向かう。

 トントンとローファーの音が響く。なんかカッコイイ。

 あ、あと周囲に誰もいないからってヤンデレ発動させるのはやめて欲しい。

 そのせいで今大変なことになっているのに。せめて学習してくれ。

 どこで誰が見てるかわからないから外でやるのは本当にやめて欲しいと切に願う。

 願うだけで直接頼めないんだけどね。頼んだらさっきみたいになるのは目に見えてるし。


 氷華は学校に面する道路へ一歩踏み出す。

 信号のない横断歩道を渡ろうとする小学生のように、わざとらしく右へ左へと顔を動かした。

 同じ動きを二度すると、くるっと体を回転させる。

 俺と目を合わせると、少しだけ照れるように微笑んで右手を唇に当てる。

 そして投げキッス。

 どうやら誰もいないらしい。

 頬がかーっと紅潮する。

 夕日に照らされているから……という言い訳は通用しないようなピンク色だ。

 恥ずかしいのならしなきゃ良いのに。

 そんなに恥ずかしがられると、されるこちらもなんか恥ずかしくなってしまう。


 「ん、帰るか」


 氷華の元まで歩き、なぜか緊張しながら声をかける。


 「帰ろっか。手繋ぐ?」

 「繋がねぇーよ。それこそ写真撮られたら面倒だぞ」

 「今更なーんにも変わらないよ。手繋いだところ撮られたって」

 「そういう問題でもないだろ」


 そんなことをあれこれ言い合いながら帰宅したのだった。




 家の近くには記者らしき人がうろちょろしていた。やっぱりと言うべきか、なんと言うべきか。

 収穫と呼べる収穫がないから居座っているのだろう。

 営業に出て、一件も案件取れずに帰れるかって言われたら難しいだろうし。そう置き換えるとこの人たちの気持ちもわからないことはない。

 気持ちを理解した上でウザイと思うのだが。


 呆れ顔の氷華は先に自宅の方へ出向き、記者やカメラマンの視線を奪う間に俺は帰宅する。

 ソファに腰掛けたのと同時に氷華も帰ってくる。

 リビングに顔を出すのと同時に小さな溜息を吐く。


 「何日も同じやり取りしてるのにあっちも諦め悪いよね」


 面倒くさそうな声色の氷華はスクールバッグを机の上に置き、リボンを解く。


 「で、みーくんはさ、なんであんなことしてたの」


 氷華の瞳の色が変わる。


 「あんなことって」

 「あの男の人呼び出したのはみーくんなんでしょ。違うの?」


 天吹のことか。


 「それはそうだけど。あの時説明した通りだよ。やられっぱなしなのは癪だからさ」

 「ううん」


 俺の説明に氷華は首を横に振る。

 なんか否定された。

 あれ、今氷華が否定する要素あった? なかったよね。そっちが否定するのはおかしいでしょ。


 「ううんって何がよ」

 「みーくんってそういうことしないから。基本的には。そういう厄介事は避けようとするでしょ」


 流石は幼馴染だ。

 しっかりと俺のことを分析できているらしい。

 こういう時だけ勘が妙に鋭くなるのやめてほしい。そういう分析ができるのなら、ヤンデレもやめてほしいのだが。


 「みーくんがこういうことをする時は大体なにか裏があるんだよ。誰かに指示されたとか、遂行しないと次のステップに進めないとか。まあ、なんでかなんて私にはわからないけれどね」


 氷華は苦笑しながら俺の隣に腰掛ける。

 シャツのボタンを緩めているせいで、ちらりと小さな胸元が見える。

 横目で胸元を見ていると、氷華から鋭い視線が飛んでくる。ひぃぃ、ごめんなさい。


 「でも、みーくんが感情的に動くような人じゃないのは知ってるから。感情が一つの要因になることはあるのかもしれないけれど。感情だけで動くことはないってのは私わかってるから」

 「……」

 「本当にみーくんは何をしたいの。なにを隠してるの。私に言えないようなこと?」


 氷華は探るような言葉をかける。

 俺の心を触って、撫でて、離れて、戸惑うようにまた触る。


 「私じゃできないの? 私じゃ頼りないの? 私じゃダメなの?」


 氷華は俺の肩に手を置き、顔をぐいっと近付ける。

 唇の潤いも、瞬きの時に動く睫毛も、息遣いも微細なところまで伝わる。

 背徳感がすごい。

 思わず息を呑んでしまう。


 「俺は……」


 彼女の言葉が走馬灯のように蘇る。

 否定された言葉ばかりが駆け巡り、同じことを繰り返すのだろうと思ってしまう。

 でも、それ以外の言葉を伝えるのならば全て嘘になってしまう。

 嘘でも良いのかもしれない。

 ただ氷華に嘘を突き通せるとも思っていない。

 相手は役者さんだ。その道のプロだ。

 その一瞬は大丈夫だったとしても、後々ボロが出て破綻する。


 「俺は氷華を助けたい」


 スマートフォンを握りしめる。

 四角い板が曲がってしまいそうなほど強く。

 氷華の顔は見れない。

 怖くて見れない。

 この何も喋らない間も怖い。

 なんてワガママなのだろうと思ってしまう。

 あれも怖い、それも怖い。本当にワガママだ。

 俺は一度目を瞑り、大きく息を吸う。


 「俺は氷華を助けたい。俺にしかできないことがあるから。俺にしかできないことが……」

 「みーく――」

 「だから、来て」


 俺のやること、やらなきゃいけないことなんてもう決まっている。

 タイミングと覚悟だけが足りなかった。

 想定していた順番でもない。

 でももう引き返せない。

 ここでやらなきゃうだうだと適当な理由をつけて逃げてしまうのも目に見える。

 だから自分を追い込む。

 俺は氷華の手を掴み、家を飛び出した。

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