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国民的女優と俺という人間

 「対応終わったのか。お疲れ様」


 若干不機嫌な氷華に対して、俺はポンっと肩を叩く。

 どういう反応を示すのが正解なのかわからず、こんな微妙なアクションをしてしまった。

 疲れて不機嫌になっているのか、瑠香と距離があまりにも近かったことに対して怒って不機嫌になっているのか、わからないのだからしょうがない。

 少なくとも余計なことを口走るのに比べれば良いと思う。


 瑠香は責任を持って後始末をして欲しい。

 自分の席からあとは任せたみたいな顔をしてこちらを見つめるのは卑怯だ。

 俺は爆弾処理班ではない。


 「あんなのは『何も言えません』って答えつつ『学校遅刻したとして責任取れますか』と圧をかけておけば押し黙るから大丈夫だよ。あの人たちは批判が自分たちに向くことをもっとも警戒してるから」

 「なんて屈強な……」


 あの場面で堂々とそう返せる辺り凄いんだけどな。

 氷華は芸能界というああいうのがうじゃうじゃしている場所で揉まれてきたから、耐性があるのだろう。俺だったら絶対に怯んで、あたふたしちゃうな。


 「それよりもなんで瑠香とあんなに近くにいたの? 教室でキスでもしてたの?」


 一つ一つ丁寧に確認するように問いを投げる。

 丁寧さの中に言葉にすることのできない威圧感があり、この場から逃げたくなる。

 無論逃げ出せる訳もなく、氷華は笑顔を作ったまま顔をゆっくりと近付ける。


 「うーん、やっぱり私のものだってマーキングしなきゃダメかな。その口を塞いでね」


 人差し指を艶やかな唇に当てながら、俺の耳元でそう囁く。

 横目で見る氷華はあまりにも可愛くて、カッコイイ。二次元の世界から飛び出してきたのではと錯覚してしまうほどの美しさ。

 妖艶という二文字がここまで似合う女性は他に居ない。

 こんなカッコイイ顔しておいて滅茶苦茶ヤンデレなセリフを吐いていると思うとなんか興奮してしまうな。

 あれ、もしかして俺も耐性ついてしまったのか? そんなことないよな。


 「ふふ、冗談」


 氷華はすっと元の位置に戻ると、ニッと白い歯を見せる。

 茶色瞳からは本気度しか感じられないんですけど、本当に冗談なんですかね。


 「で、本当はなにしてたの?」


 つまらなさそうに自分の席に荷物を置いて、そのまま椅子に腰かける。


 「キスはしてないから」

 「そんなのわかってるよ。どっちにもそんなことする度胸がないのも知ってるし」


 氷華は柄に合わないケラケラとした笑いを見せる。

 珍しい。

 もしかしたら疲れているのかもしれないた。


 「澪にしかできないことがあるんだから、氷華を助けてやれよって言われた」

 「ふーん」


 頬杖をつきながら、ぶっきらぼうな相槌をした。


 「なにかしてくれるんだ」

 「俺になにかできることはあるかなって考えてたところ」


 氷華は数秒腕を組んだ後に笑みを零す。


 「澪は気にしなくて大丈夫だよ。澪にできることは私にもできることだから」


 思わずたしかに……と納得してしまった。

 氷華の気遣いであるというのは重々に理解できていたのに、その上で納得してしまったのだ。

 なんとなく負けた気分だ。


◆◇◆◇◆◇


 収まりかけていた噂話は再熱していた。

 取って付けたような噂話とは違い、大人たちが熱を持って取り扱っている。もはや噂という域を超えている。

 結果として「あれって嘘じゃなかったんだ」「演技じゃなかったんだ」となる。

 そして嬉々としながら会話の種として活用する。


 それが悪い事だとは思わない。

 仮に俺が氷華と関係を一切持っていなかったら、周囲と同じような反応をしていたはずだ。

 話の種にすること自体咎めるつもりは毛頭ない。

 氷華が嫌がるのであれば話は変わるが、彼女は彼女でこれを受け入れている。

 有名人であることの運命とでも思っているのだろう。

 わざわざそれは違うだろ、と卑屈な考え方に変える必要もないので、こちらからその考えについてとやかく突っ込むつもりはない。

 有名人にだってプライバシーの一つや二つはあるし、守られるべきだと俺は思うけどね。


 小銭を握りしめながら自動販売機へと歩く。

 廊下ですれ違う度に目線を追いかけられる。

 どうやら校内においては氷華だけでなく、俺までもが有名人になってしまったらしい。

 こんなことじゃなきゃ、照れるな……でへへ、と調子に乗れたのだが、流石にこの状況であれば調子に乗らない。調子に乗れるほど図太くない。

 むしろ視線を感じれば感じるほど表情は険しくなる。


 氷華は常にこれ以上の視線を浴び続けている。

 プレッシャーはとんでもないはずだ。

 今だって至る所で白眼視を向けられたり、指を差されながら嘲笑されたりしているのだろう。

 気の休まるところなんてない。

 教室でも、廊下でも、学校外でも、家の目の前でも。

 俺には耐えられない。


 自動販売機が設置されているスペースへと辿り着く。

 電子マネーでペットボトル飲料を一本購入するチャラチャラした男。

 その取り巻きたちはケラケラとなにやら笑っている。

 取り巻きの一人が俺のことに気付く。


 「おいおいおいおい。ヤンデレの彼氏が来たぞ」


 面白いとでも思ったのだろう。

 俺のことを指差して周囲に知らせる。

 取り巻きもその中心の人物も一斉に目線を向けた。

 ってか、中心の人物アイツじゃねぇーか。

 名前も知らないあの男。氷華の情報を全部ばらまいたあの男。


 「うおー、やめろやめろ。コイツに近付いたら鷺ノ宮さんに潰されちゃうぞ」

 「ちょ、マジでウケる」

 「逃げろ逃げろ。こっわ〜」

 「潰れてんのは鷺ノ宮さんだけどな」


 取り巻き四人はケラケラと大きな笑い声を上げる。

 周囲にいた生徒たちは一歩引きつつも、興味はあるようでチラチラと視線を向ける。

 関わりたくはないが、どうなるかは見守りたい。野次馬精神か。まあ、わからないこともない。


 「大変なことになってるみてぇーだな。お前はお前で辛気臭い顔してんな」


 アレは透かした顔を見せる。

 口調も腹立つが、顔がすげぇ腹立つ。


 「……」


 とはいえ、ここで相手の売り言葉を買ってしまっては思う壷だ。

 こういうのはこちらが冷静になって、大人な対応をすべき。

 なにか反論してしまえば同じ土俵に立つことになってしまう。

 ちょっとコイツと同レベルと思われるのは避けたい。

 屈辱的だ。


 一度静かに深呼吸をする。

 心を落ち着かせよう。


 「おお? この俺を無視とは良い度胸してんじゃねぇーか」


 無視するのは逆効果だったようだ。

 ペットボトルを取り巻きに渡してこちらへと近寄ってくる。

 とはいえ、気の利いた言葉は出てこない。

 氷華を守りつつ、この場を丸く収めたいってのは贅沢な悩みなのかもしれない。


 「……」


 ただ、どちらを捨てる気にもならない。

 氷華を下げるようなことを言えば相手は喜ぶだろうが俺の心は痛む、丸く収まらないような言葉を口にすれば俺の心は痛まないが体が痛むことになるだろう。

 それに騒ぎを大きくしたくない。

 変に騒ぎを大きくすれば、間接的に氷華の迷惑になる。

 今、変な気苦労をかけさせたくない。

 結果としてこうやって黙る以外の選択肢が見つからないのだ。

 情けないとは思うが、間違った選択をしているとも思わない。


 「とことん無視か。チッ……女が女なら、男も男だな。」


 ギロッと睨まれる。

 歯軋りさえも聞こえてきそうだ。


 「所詮自分の地位に驕り高ぶったクソ女と地位に縋るだけのクソ男だな。そうだな。とーってもお似合いだ。精々目が眩んだ者同士陰で静かにイチャイチャしてると良いさ」


 ふんっと鼻を鳴らすとくるっと体を反転させる。

 反論すべきでない。ここは耐えるとき。耐えるときなのだ。

 頭では……脳みそでは、そう理解しているのに。


 「なにもしらねぇーくせに良くもまあいけしゃあしゃあと言ってくれるじゃねぇ……言ってくれますね」


 グッと拳を作る。

 持っていた小銭は地面に落ちる。

 チャリンという音を鳴らしながら、勢い良く転がり、自動販売機の下へと潜ってしまう。

 たかが百円。どうでも良い。そう思ってしまった。

 俺の眼中には目の前の男しかない。


 「あまり調子に乗らない方が良いと思いますよ」

 「あまり調子に乗らない方が良いだぁ? 舐めたこと言いやがって。それはこっちのセリフだぁ!」


 眉をひくつかせながら男は振り返る。

 片手をぐわんと広げ、シャウトする。

 このスペースどころか廊下全体に声は響き渡る。

 ただでさえ視線を集めていたのに、より一層集めることになってしまう。

 叫んだ張本人はその視線を気にする事はない。

 むしろ気持ち良くなっているのか、満足気だ。

 気に食わない。


 「鷺ノ宮氷華の恋人だ!? んなもん知ったことか。どうせお前にはそれしか取り柄がねぇんだろ」

 「そんなこと言ってないですけど」

 「言ったか、言ってないか。そんな細かいことはどうだって良い。かんけぇねぇーんだよ」


 言葉を失ってしまう。

 暴論とかそういう域を軽く超えている。

 理不尽という言葉だけじゃ片付けられない。

 この男にとって自分に歯向かう鷺ノ宮氷華という存在、そしてその鷺ノ宮氷華が気に入っている俺という存在が気に食わないのだろう。

 八つ当たりも良いところだ。

 勢いだけは一丁前で、正論をぶちかましているように見えてしまう。

 周囲の目にもそういう風に見えているようで、なぜか俺に蔑むような目線を送られる。

 解せない。

 でも結局、なんとなく正しそうってのは正義なんだよな。


 「鷺ノ宮氷華は気に食わねぇがお前はもっと気に食わねぇ。お前は悲劇のヒロインか? ちげぇだろ。なにそんなウジウジしてやがる。気持ちが悪い」

 「気持ち悪いって……大体その原因作ったのは貴方ですよね」

 「そうだな。あぁそうさ。鷺ノ宮氷華を追い込んだのは間違いなく俺だ」


 誇るように脇腹に手を当てる。

 ドヤ顔だ。


 「だがそれはそれ、これはこれだ。そもそも鷺ノ宮氷華を追い込んだのは口約束の結果だ。あっちだってこうなることはある程度想定してたはずだ。少なくともお前にとやかく言われる筋合いは無い」


 イラッとしたような表情で髪の毛を触る。


 「鷺ノ宮氷華と付き合えたから主人公気取りか? 俺はその舐め腐った態度が気に食わねぇんだ」

 「舐め腐った……」

 「ああ、そうだ。舐め腐ってる。舐め腐ってるさ。お前みたいなやつを舐め腐ってると言わなくてなんと言うんだ。だからはっきりと言ってやろう」


 睨みつけるような視線と共にピシッと指先を向ける。

 固唾を呑んで、次の言葉を待つ。


 「お前は悲劇のヒロインを気取っているだけの気持ち悪い男だ。なんだ? お前はこの世の中の全ての悲哀でも背負っているのか? 抱えているのか? んなわけねぇーだろ。お前より辛い人間はこの世界にごまんといる。鷺ノ宮氷華だってお前よりよっぽど苦しんでるだろうな」


 ケッと笑う。


 「俺はお前の態度が気に食わない。その顔が気に食わない。なんだ? 『どうした大丈夫?』とでも言って欲しいのか? 馬鹿じゃねぇーの。本当に気持ち悪い」


 それだけ言うとあの男は取り巻きと共に立ち去る。

 野次馬たちの目線が痛い。


 え、俺ってそう思われてたの。

 マジで? 気持ち悪い……。ウジウジしてる。舐め腐ってる?

 ふざけんなよ。大体この状況になったのはお前のせいであって……お前のせいであって……そう、お前のせいであって。

 そもそも付き合ってねぇーし。


 「チッ……」


 野次馬からの視線を諸に浴びながら、俺は舌打ちして逃げるように教室へと戻ったのだった。


◆◇◆◇◆◇


 あの男の言っていることは無茶苦茶だ。

 自分で事を引き起こしておいて、俺に向かって文句を垂れる。

 お前がそんなことしなきゃ、今頃こうはなっていない。

 なら、そう反論すれば良かった。

 なぜ反論しなかったのか。

 氷華のため? いいや、違う。

 無茶苦茶な言い草でありながらも、その通りだと受け入れてしまう部分があったからだ。

 それでもアイツのせいであることに違いはない。


 「みーくん?」


 ソファに置かれていたクッションに顔を埋めていると、氷華がとんとんと俺の肩を叩く。


 「ふぁんに(なに)?」


 顔を埋めたまま反応をする。


 「喧嘩したの? なんか自販機のところで言い争してたって聞いたけど」


 どうやら情報はもう回っているらしい。

 そりゃそうか。

 あんだけ野次馬が居た。

 このことだけ都合良く皆黙っているわけがない。

 嬉々として語り広まるのだろう。


 「絡まれただけだ。別に喧嘩してた訳じゃない」


 クッションを抱きしめながら、顔を上げる。


 「そっか。それなら良かった」


 氷華は安堵したような表情を浮かべる。

 心配をかけてしまったらしい。


 ――。


 アイツのせいだ。

 アイツが余計なことをしなければ、こうやって氷華に心配をかけさせることもなかった。

 そもそもこんな悩むこともなかった。全ての元凶はアイツだ。

 なにもかもアイツが悪い。

 あんな出任せな言葉になにを惑わされているのか。

 例え一理あるのだとしても、大元を辿るのならば全てアイツが悪い。

 俺に至らない部分があった。それは認めよう。認めたとしてもアイツに言われる筋合いはこれっぽっちもない。

 解せない。


 「ちょっと眠いから先に寝るね」

 「え、うん……」


 一旦頭を冷そう。

 俺は寝室へと向かった。


◆◇◆◇◆◇


 昼休み。

 俺は三年生の教室へと足を運んでいた。

 教室を覗いては隣の教室へと移るという作業を繰り返す。

 そして、目的の人物を見つけ、足を止める。

 窓際の席で楽しそうに弁当を突っつく男の姿。

 太陽の光で髪の毛は茶色に見える。というか、茶色が更に茶色に見える。


 「おいっ!」


 名前すら知らない男だ。

 俺はそう叫ぶことしかできない。

 輩のような声に三年生の証である赤色のネクタイやリボンを身につけた生徒たちの視線が一斉に集まる。


 「っ……」


 狼狽してしまう。

 やはり注目を浴びるってのは得意じゃない。


 「おやおや。誰かと思ったら鷺ノ宮氷華さんの彼氏さんじゃあないですかー」


 あの男は俺に気付くと弁当と箸を机上に置いて、とんとんと軽い足取りでこちらへとやってくる。

 緩んだ頬に謎に強調した言葉。

 どれもこれもが癪に障る。


 「ここは三年生の教室だ。お前みたいなやつが来るようなところじゃねぇーよ」


 胸倉を掴んで、そのまま押される。

 たたらを踏んで、近くの椅子に足をぶつけてしまう。


 「用事があってきたので」

 「用事だあ? じゃあさっさと済ませろ。目障りだ」

 「お前に用事があるので」

 「お前だあ? はあ、どこのどいつのことだか」


 わざとらしく首を傾げると、キョロキョロと辺りを見渡す。


 「お前はお前だ」

 「俺はお前って名前じゃねぇ。そもそも先輩に向かってお前呼びはどうかしてんな。鷺ノ宮氷華さんの彼氏さんは常識のない残念な人間さんなんですね。あー、失望したな」

 「俺は……氷華の彼氏じゃない。幼馴染なだけだ。勝手に人を恋人に仕立て上げないでください」

 「ふーん、そっか。つまんねぇーの」


 腕を組み、教室後方の壁に寄り掛かる。


 「あと俺には天吹(あまぶき)って苗字があんだ。覚えておけ」

 「覚えませんよ」

 「まあ、どうだって良いな。で、なんだ。用事って」


 目を細め、つまらなさそうに口を尖らせる。


 「昨日は好き勝手言われましたので。今日はその反論にでもと思いまして」

 「チッ……本当に俺はお前が嫌いだ」


 嫌悪感をだだ漏れだ。


 「奇遇ですね。俺もですよ」


 わざとらしくニッと白い歯を見せた。

 何も考えずに突っ込んだ。

 ここからどうしようとか策なんて一つもない。

 ただあのまま言われっぱなしというのはどうも釈然としなかった。


 「昨日は俺の態度が気に食わないだのなんだのと散々言っていましたが、そちらも大概ですよね。片思いの拗れでこんな人様に迷惑をかけて。氷華にも俺にも、その周囲の人たちにも多大なる迷惑をかけている自覚はあるんですか? 後輩の俺でもそのことくらいわかってますよ」


 今俺が持っている手札はこれだけだ。

 最初の手札にして、切り札、最後の手札だ。


 「ふっ。なにか言い出したと思ったらそんなことか。結局お前はなーんにも変わらねぇーじゃねぇーか」


 嘲笑気味に鼻で笑う。


 「は、なにを……」

 「本質的なことは何にも変わってねぇーじゃねぇーかって言ってんだよ。お前の言ってること。即ち『お前が悪い』ってことだろ。違うか?」

 「……あ、ああ。そうですけど」

 「そうだよなぁ。おう、そうだよなぁ!」


 どう考えたってコイツが悪い。

 紛うことなき事実である。

 だから、若干戸惑いつつもしっかりと頷く。

 しかしコイツは俺の反応を見るなり、高笑いをした。

 教室中に響く大きな声で。それどころか廊下にも聞こえているようだ。

 野次馬が次々に集まる。


 「散々言っているが、俺はお前が嫌いだ。そのお前の態度が嫌いだ。お前のその顔が嫌いだ。お前の全てが嫌いだ」


 ズタボロに言葉で殴ってやろうとやってきたのに、主導権を握られてしまう。

 あまりの迫力に俺は言葉を失う。


 「恋人だろうが幼馴染だろうがかんけぇーねぇ。昨日も言ったがお前は鷺ノ宮氷華の知り合いということに。親密な関係であるということに縋ってんだ」

 「……」

 「鷺ノ宮氷華をヒロインとしてみているのか、鷺ノ宮氷華を主人公として見ているのか。そんなもん分からないがな。そもそも興味もない。ただわかるのはどうせお前は自分自身のことをストーリーの中心人物だとか思ってるんだろう。で、そのストーリーの中で、鷺ノ宮氷華に大きなトラブルが発生した。ストーリーの中心人物であるお前も困って苦しんでる。哀愁漂わせて悲劇のヒロイン気取り。ああ、本当に気持ち悪い。虫唾が走る」

 「気持ち悪いってなにがです……」


 声が震えている。

 慌てて喉仏に手を当てるが、震えは止まらない。


 「わかんねぇーのか。こんだけ言ってわからねぇーのかよ。まあ、わかんねぇーなら教えてやんよ」


 天吹は頭を抱えつつ、よいしょとこちらへ近寄る。


 「お前は周囲の環境に甘ったれて、努力を放棄して、自分の不都合なことからは全力で目をそらし、逃げ続ける甘えたクソ以下の人間だってことだな」

 「努力を放棄……」

 「そうだ。努力を放棄してんだ。俺が見てきたお前はいつも悲劇のヒロイン気取り。自分が一番不幸だとでも言いたげな気持ち悪い面をしていやがる」


 ゴミを見るような目。

 その視線が痛い。


「発生したハプニングや都合の悪いこと関しては全て人のせい。自分が悪いと鑑みることはない。自分はなにも悪くない。自分は被害者だ。そう思ってるんだろ。でもって、周囲に助けてもらうのを待つ。手を差し伸べてもらうのを待つ」

 「――」

 「努力を怠り、成長することを諦める。周囲に支えてもらい自立することさえない。己の怠慢であるにも関わらず、都合が悪いことは全て他人に責任転嫁。気持ち悪い以外の何物でもない」


 くっと天吹は口角を上げた。

 その瞬間、バチンという激しい音が聞こえ、頬に強い衝撃が走る。

 じんわりと継続する痛み。

 俺はゆっくりと頬に手を当てる。


 「甘ったれてんじゃねぇー!」


 天吹は叫ぶ。


 「俺はそういう甘ったれた根性のアホが嫌いだ。お前は不幸じゃねぇんだよ。何もしてない怠惰で救いようのない人間なだけだ。全力で努力して、苦しんで、もがいて、それでも救いのなかった人間が初めて自分は不幸だと嘆くべきだ。お前はただ甘えているだけだ」


 そう言うとシッシッと手で俺を払い、自分の席へと戻っていく。


 自覚はしていた。

 全て自覚していた。

 わかっていた。

 天吹の言いたいことも理解できる。

 心に刺さってしまう。きっとずっと自覚した上で見て見ぬふりをしていたからだろう。

 俺がただ甘えているだけの……シンプルに甘えているだけの人間であるということは言われなくてもわかっていた。


◆◇◆◇◆◇


 「どうしたんだ。生きてんのか? おーい、生きてんの? 死んじゃった?」


 放課後になり、静寂に包まれた教室。

 その中で声が響き渡る。

 顔を上げると心配そうに俺の事を見つめる女性の姿があった。

 透き通った水色の髪の毛はゆらっと揺れ、柑橘系のシャンプーの香りが鼻腔を擽る。

 リラックス効果でもあるのだろうか。

 荒んだ心が少しだけ安らかになったような気がした。

 気のせいかもしれない。気のせいでも良い。


 「生きてはいる」

 「そうかそうか。そりゃ良かった。てっきり屍にでもなったのかと」

 「ならねぇーよ。で、わざわざどうした」


 放課後に残って声をかけてきたということはなにか用事があったのだろう。

 気を利かせて話を戻してやる。

 瑠香は一度話が脱線すると中々戻らないからね。


 「氷華を助けてやれって話。なにか良い案でも見つかった?」

 「あー、それね」


 頭を掻きながら、微妙な反応を示す。

 そして視線を逸らす。


 「その反応じゃ何も答え見つかってないんだな」


 悟る能力が高過ぎる。

 ああ、そういうことか。

 なるほどな。

 これも天吹の言っていた甘えってやつか。


 「やることは見つかってない」


 天吹の指摘通りにはならない。

 アイツが間違っていると証明してやる。

 今から改善したって遅くはないはずだ。

 大事なのは過去ではなく、未来。これからである。


 「ただ俺は大の甘えん坊らしい」


 俺の言葉に瑠香はぽかんと口を開ける。

 お前何言っているんだと言いたげな眼差し。

 戸惑いながら、つんつんと俺のこめかみを突っつく。


 「ついにぶっ壊れたか?」

 「ぶっ壊れとらんわ」

 「じゃあ急になんでそんなこと言い出したの。会話のキャッチボールまともにできてないよね」

 「そうだな。あまりするつもりも無かったからな」

 「はぁ!?」

 「答えはまだ見つかってない。でも、俺という人間がどういう人間かは見つめ返すことができた」

 「私はどういう反応をすれば良いの」


 戸惑いを隠せていない。

 若干の呆れも交ざっている。


 「瑠香はどう思うか教えて欲しい。俺が甘えん坊かどうか」

 「なにそれ」


 苦笑を浮かべる。

 怪訝そうに俺を見つめるが、俺が本気で問うていることに気付いたのか吐息を漏らす。


 「澪は甘えん坊だよ。甘やかされて生きてきたある種のモンスター? 甘ったれモンスターかな」

 「そうか」

 「氷華が甘やかし過ぎているところもあるんだろうけどね。澪はなんか浮かない顔してるけど、私は一概にそれが悪いとも言えないと思う。甘やかしたい氷華と甘やかされたい澪。需要と供給が綺麗にマッチしてるんだから良いんじゃないのって思っちゃうな」

 「需要と供給……」


 甘やかしたい氷華と甘やかされたい俺。

 支えて、支えられる。

 聞こえはとても良い。

 でも根本は何も解決していない。


 「なんでそんなこと気にしてるのか分からないけど」


 瑠香は困ったように髪を触る。


 「甘やかされるのが気に食わないのなら今回は澪がしっかりと助けてあげれば良いんじゃない。困った時に手を差し伸べてあげる。ずっも甘やかされるだけじゃないって」

 「それじゃあ何も変わらない気がする」

 「二人の関係性はもう構築されてるわけだしね。小手先の行動で簡単に変わるわけないでしょ」


 弱々しい反論を一蹴される。


 「澪にしかできないことで支えてあげれば良いんじゃない。支えられるだけじゃなくて、支えられるんだって」

 「俺が支える……か」

 「そうそう。何かあるんじゃない?」

 「俺にしかできないことって何なんだろうな。前言われた時も考えたけどわかんねぇーんだよな」

 「深く考えすぎなんじゃない? 甘えるだとか甘やかされるだとか。迷走してるでしょ」


 天吹に指摘されただけで、考え過ぎたわけじゃない。


 「簡単なことで澪にしかできないことが絶対にあるはず」

 「でも氷華には何もしなくて良いって言われたけど」

 「氷華はそう言うしかないでしょ。澪に迷惑をかけてる自覚はあるんだろうし」


 俺はまた逃げ道を作ろうとしてしまった。

 こういう一つ一つが甘えているって言われる要因なのだろう。

 自覚はできてるんだけどね。

 こればっかりはもうどうしようもない。

 治したくて治せるのなら、とうの昔に向き合って治しているのだから。


 「仮に氷華が本当に助けを求めていないのだとしても、澪が本気で助けたいと思うのなら氷華は受け入れてくれるよ」


 俺の心でも読んだのか、俺が欲していた言葉を瑠香は俺に向ける。

 そういえば俺の心は読みやすいんだっけ。顔に出てるよとか言ってたな。

 丸裸にされているような気分になる。


 「根拠はあるのか?」


 手玉に取られているような気分がして釈然とせず、適当な言葉で誤魔化す。


 「根拠なんてないけど。でも、氷華ってそういう人でしょ」


 論理の欠片もない言葉であったが、納得してしまった。


 「もう甘えるのも逃げるのもやめるか」


 決心がついた。


 「で、急になんでそんな話になったの? 澪が急に自分甘えてる人間かもって思ったりしないでしょ」


 煽りかと思ったが、瑠香は純粋に不思議そうな表情を浮かべている。

 ただ疑問に思っているだけなのが明白だ。


 「氷華と喧嘩でもしちゃったの」

 「この時期に喧嘩するほど俺も鈍感じゃない。ただあの男に『お前は甘ったれた人間だ』って罵られた」

 「あの男って……昼休みに氷華が対峙してたあのチャラチャラした男?」

 「そう」


 俺がそう頷くと、瑠香は呆れたように溜息を吐く。


 「そんなの真に受けちゃだめだよ。確かに澪は甘えてるとは思うよ。でも、それが澪なわけだし」


 瑠香は俺の机に座る。


 「あの男が澪の成長のために指摘したと思う?」

 「いや、思わない」

 「答え出てるじゃん。アイツは澪のメンタルボロボロにするのが目的だったんでしょ。氷華みたいな人間を壊すにはまずその周囲……氷華の心の拠り所を壊すところから始めないと。ってなったら澪が狙われるのは必然だよ」

 「でも遭遇したのはたまたまだったし」

 「学校内だったらどこかしらで遭遇くらいするでしょ」

 「それもそっか」

 「だからあんまり気にすることないよ。甘えてるってのも個性なわけだし、氷華も嫌がってない。それで十分じゃん」


 そっか。そうか。それで良いのか。

 なんかもう色々考えすぎてしまった。

次話は7月31日です。


時間の余裕があまりなくてしっかりとした推敲ができていません……。誤字脱字報告物凄く助かっています。

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