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国民的女優と対立

 不安はあれど後ろめたさはない。

 心配はあれど一緒に学校へ行かない理由はない。

 義務はあれど俺に拒否権などはない。

 うだうだ言ったが簡単にまとめると、一緒に学校へ登校している。それだけ。


 生徒間では鷺ノ宮氷華に関する噂が流れている。

 ただ具体的なものではない。

 鷺ノ宮氷華に恋人ができた、彼氏ができた。

 そんな抽象的で出処もどこかわからないような不鮮明な噂である。

 ただ、思春期真っ只中な高校生たちにとっては発信源などどうでも良い。

 高嶺の花であり、背伸びをしても届くことの無い女性の恋的噂話が回ってきたという事実に浮かれるのだ。

 腹を空かせた鯉のように噂話へパクパクと食いつき、感染力の高いウイルスのように瞬く間に噂話は広がっていく。

 そうして、一日もすれば「鷺ノ宮氷華に恋人、彼氏ができた」という噂は全校生徒の九割が認知する。

 しかし認知しているのは「恋人、彼氏ができた」という部分だけ。

 誰と付き合ったとか、そういった具体性は一ミリ足りともない。

 噂は所詮噂であり、信憑性すらない。 


 そんな噂が流れ始めてから一日が経過したわけだ。

 一緒に登校しているのは俺で、鷺ノ宮氷華の隣に立っているのも俺、鷺ノ宮氷華が素の笑顔を向けるのも俺。

 傍から見れば「鷺ノ宮氷華はこの人と付き合い始めたんだ」と考えるはず。

 俺が噂だけ知っている立場であれば間違いなくそう考える。

 実際に「鷺ノ宮さんあの人と付き合い始めたんだ」とか「あの人ってこの前も一緒に居た人だよね。写真撮っちゃおっかな」とか「ヤバ……ちょーうける」と、名も知らぬ後輩たちは話のネタにする。


 「なんか勘違いされてっけど、今の俺たちにとっちゃ好都合だな」

 「そうだね。あんな男と付き合ってるだなんて噂が流れ始めたら私の株と評価が暴落しちゃうもん」

 「いや、俺とだったとしても株下がるかもしれないぞ」


 まるで俺となら暴落しないみたいな言い方。

 あまりにも俺のことを買いかぶり過ぎだ。


 「そんなことないよ」


 氷華はぶんぶんと激しく首を横に振る。

 そんなに全力で否定しなくてもわかるよ。伝わるよ。伝わるから。


 「みーくんと付き合い始めたって噂が流れて私の株が下がるのなら、一緒に居る時点で下がってないとおかしいもん。高校一年生の時からずっと一緒にいるのに下がってないってことは認められてるってことだよ。自信持って!」


 なぜか氷華は誇らしげだ。

 セリフと表情が噛み合っていないような気がするのは気のせいだろうか。

 多分気のせいじゃないと思う。


 「それにみーくんと付き合ってるって噂が流れることで下がる株とか評判はいらないから」

 「いらないのかよ」

 「そんなのいらないよ。みーくんのためならなんだって捨てられる。女優って肩書きすら捨てる覚悟あるんだよ。株とか評判、名声だって投げ捨ててあげる。ふふ、今から捨ててあげても良いよ」

 「しなくて良い。しなくて良いから」


 声は大きくないので周囲に聞こえることはない。

 多分周囲に届く前に車の排気音に消される。

 だからとはいえ、外でそんな重たいこと言わないで欲しい。反応に困ってしまう。


 「でも、あの男のために捨てたいとは思わない。不快」


 一言がとても重たい。


 「不愉快」


 氷華はなぜか言い直す。

 俺は苦笑する以上の適切な答えが分からなかった。


 「こんだけの人に勘違いされたんなら新しい噂として広がっていきそうだね」


 隣を歩く氷華はニヤニヤする。

 言いたいことは何となくわかる。


 「俺と付き合ってるってことがか?」

 「そう。だって今、私が誰かと付き合い始めたって噂で持ち切りでしょ」

 「そうだな」

 「なら広がる要素しかないよ。今ある噂話に追加情報が出てきた! なんて、皆食いつくでしょ」

 「ま、俺も同じこと思ってたよ」

 「ってことはさ、あの男の耳にも入ってくるよね」

 「だろうな。嫌でも入ってくるだろうね」


 俺だって話を仕入れるつもり無かったのに、氷華が付き合い始めたって噂流れてきたし。

 交友関係ゼロとか、余程のど陰キャとかじゃないと噂を耳にしないってのは無理だろう。

 ぼっちでもたまたま耳にするとかあるかもしれない。

 教室で陽キャたちがワイワイ騒いでいて耳にする的なパターン。そういうのだって有り得る。


 「そうなると……あの男がなにか手を打ってくるのもそう遅くないのかもしれないね」

 「そうだな……って、待て待て。なんで氷華そんなに他人事なんだ。影響一番受けると間違いなく氷華だろ」

 「えー、だってさ。みーくんが殺されないのなら、なにされてもどうにかなっちゃうなーって。あの写真と音声が拡散されたからってみーくんが死ぬわけじゃないでしょ?」

 「や、まぁ……そうだけど」

 「ね、殺されないし、死なないなら大丈夫、大丈夫」


 氷華この状況を心底楽しんでいる。

 まあ変に不安がってしまうよりは幾分か良いだろう。


 「流石に殺されはしないでしょ。そんな犯罪に手を……染めるような……ことはしないとは限らないな」


 冷静に考えてみれば考えてみるほど、不安になる。いや、だってさ、簡単に犯罪を犯すようなやつだよ。

 氷華と付き合うために氷華を脅そうとするやつだよ。

 倫理観の欠片すら心に存在しないやつが、自制心を持って人殺しをしないと言い切れるか。

 そりゃ人殺しに手を染める確率そのまのは低いだろうが、絶対にしないとは言い切れない。普通の人間なら流石にそこまではしないよと言い切れるが、この場合に限っては例外だ。

 この世の中には信じられないほどヤバいやつが存在している。しているからこそ、殺人事件というものは無くならない。

 そのヤバいやつにそいつが該当している可能性は大いにあるだろう。


 「でも実際に殺されるよりも社会的に殺される可能性の方が大きいんだろうけどな」


 実際に殺されるイメージはあんまりできない。刺される? 首を絞められる? 崖から落とされる? 駅のホームに落とされる? うーん、どれも鮮明に想像することは難しい。

 そんなのできる人の方が少ないだろうけど。

 ただ社会的に殺されるイメージは結構容易だ。

 メディアやインターネットに晒され、あのヤンデレ女優の彼氏というレッテルを貼られて、常に後ろ指を指されるのだ。

 どこへ行ってもそういう目で見られ、時には弄られるのだろう。

 ほら、簡単に想像できちゃう。


 「みーくんが社会的に死ぬってことは私も社会的に死んでるはずだから大丈夫だよ。死ぬ時は一緒だから」

 「なにが大丈夫なんだ? なにも大丈夫じゃないと思うけど。二人とも死んだらまずいだろ」

 「ううん。大丈夫だよ。二人とも社会的に死んだらどっかの田舎に逃げ込もうね。お金はあるからのんびり暮らせるよ」


 社会的に死んだから田舎に逃げてスローライフ……か。悪くないのかもしれない。

 人の金でするスローライフほど幸せなものはないだろうし。


◆◇◆◇◆◇


 俺たちが想像していた通りのことが起こった。想定か。まあどっちでも良い。

 やはりな……と格好つけられることでもないし、手を叩いて喜べることでもない。

 むしろ、想定通りにならない方が良かった出来事だ。

 しかも昼休みという至福の時間を奪われている特典付きである。

 そんな特典いらないんですが!


 「約束したよな……したよなぁ! 覚えねぇとは言わせねぇーぜ」


 人気のない別棟にて、制服を乱して着る男は語気を荒げる。髪の毛か茶色く見えるのは光の加減なのか、髪の毛を染めているのか。どっちでも良いか。俺には関係ないし。

 それよりも今にも氷華へ手を出しそうな勢いだ。パチンと頬を叩く幻聴が聞こえる。

 しかし、男の向かいに立っている氷華は動揺する様子も狼狽する様子もない。

 じーっと男を見つめ、なにやら思案している。


 「おい、なにか言えや。お前のその口は何のためについてんだ。あぁん?」


 男はむしゃくしゃしているのか、髪の毛をグワッと掻く。

 あの触り方じゃ頭皮が傷つきそうだなぁとかどうでも良いことを考えてしまう。

 あまりにも氷華が余裕そうな表情をしているので、陰で様子を見ているこちらもなぜか余裕を持ってしまうのだ。まあ悪いことではないのだが。


 「演技しかできねぇーのか? 台本しか口にできねぇー人間のなり損ないか」


 瑠香は心配そうに氷華を見つめている。

 昨日のいたずらっぽい表情は一切見せない。

 放っておいたら飛び出してしまいそうなので、俺は瑠香の襟を掴んでおく。

 手出したら助けに出た方が良いのだろうが、今はまだその時じゃない。

 今顔を出したところで場が混沌と化すだけだ。


 「チッ」


 男は舌打ちをする。

 廊下に響き渡る。


 「まぁ、良い。今なら、見逃してやる。今すぐにあのヘンテコな男と離れろ。そして俺と真剣に付き合え。良いか?」

 「……? ヘンテコな男……? ですか」


 氷華はこてんと首を捻る。


 「先輩すみません。ヘンテコな男って心当たりあまりなくて。申し訳ないです。どなたの事か教えていただけますか」

 「ヘンテコな男はヘンテコな男だ。今付き合ってるって噂になってるあの男だ。わかるだろ」

 「あー、澪のことでしたか。なるほど」


 氷華はポンっと手を叩く。


 「……そうだ。そいつだ」

 「先輩にはヘンテコに見えてるんですね」

 「アイツはヘンテコだろ」


 そんなにヘンテコヘンテコって言われると、俺ってヘンテコなのかもって思ってしまう。

 割と常識人側だと思ってるんだけどなぁ。

 普通に凹む。


 「そうですか。見る目がないのですね」


 氷華は興味無さそうに答える。

 ぶっきらぼうな反応の中にちょこっと煽りを入れると、相手の男は一瞬だけ顔を顰める。


 「なんでも良い。離れろ」

 「離れるつもりはないですよ。離れる理由ないですもん。むしろ、そちらが私に絡むのやめて頂けませんか。不快です。とても不愉快です」

 「な……チッ。てめ……おい、俺に刃向かって良いのか? こっちはお前の弱みを握ってるんだからな。あまり舐めるんじゃねぇぞ」

 「はぁ……弱みですか。なんですかそれ」


 氷華の態度になぜか男の方が焦り始める。つーっと額から頬へ汗が垂れるのが見えた。

 グッと拳を作って、ギロッと氷華を睨み、垂れた汗を拭う。


 「ほぉーん、良いんだな。写真と音声を拡散されても。今まで築き上げてきたもの全てぶっ壊れるぞ。これが日本中にばら撒かれたらな。お前の立場はなくなる。全部壊れちまうな」

 「はぁ、そうですか。でも先輩が思ってるほど世の中甘くないですよ」

 「甘くないだぁ? それが貴様の強がりか。ふん、面白いじゃねぇーか」

 「ふふ、しっかりと拡散されれば良いですね」

 「チッ。言ってろ。最後の勧告だ。俺と付き合え。あの男と離れろ。さもなければ写真と音声を週刊誌に売り付けてやる。そうだな。SNSにも流してやろう」

 「どうぞ。好きにしてください。先輩のやりたいようにしてください。SNSに流して信用してもらえると良いですね」


 先輩とやらは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 写真と音声で氷華を手玉にとったつもりだったのだろう。

 氷華を懐柔し、自分の好きなように動かせると過信していたからこそ、その手札が無くなった時にどうしようもなくなり、こうやって焦ることしかできなくなる。

 鋭い視線を氷華に押し付けることで体裁を保とうとするが、氷華は全く動じない。


 「拡散されてから泣いて頭下げてもおせぇーからな! 人生無茶苦茶になっちまえ! 泣き顔を見るのが楽しみだ」

 「ご心配ありがとうございます。そちらもインターネットに拡散して誰かに見つけて貰えると良いですね」


 氷華は満面の笑みを浮かべる。

 先輩とやらは大きな舌打ちで氷華を威圧してからその場を去る。

 取り残された氷華は先輩の背中を見送ってから、くるっと身体を反転させて、俺たちの方へやってくる。


 「お待たせ。暴力振るわれたら助けてもらおうと思ったけど大丈夫だったね」


 氷華はにひひと笑みを浮かべる。


 「大丈夫ってか、むしろ煽ってたろ。ビックリしたわ。あそこで煽るのは流石というべきかなんというか」


 苦笑いする他ない。


 「なんかみーくんのこと悪く言われるのはね。解せなかったから」

 「ちょっとヒヤッとしたよ。殴られるのかと思った。あんまり俺らをビビらせるようなことはするなよ。心臓が何個あっても足らない」

 「怒るの」


 氷華は不満げにつーっとジト目をする。

 頬はむうと膨らませ、不満であることを全力でアピールしてくる。

 


 「ふーん。私のこと心配してくれてるんだ」


 氷華はなぜか嬉しそうに微笑む。

 臆さない演技をしているだけかな……とか思っていたが、純粋に気にしていなかったようだ。


 「怖くないの? めっちゃ威圧感すごかったけど……」


 瑠香も気になっていたようで、こてんと首を捻りながら問う。

 氷華は瑠香の問いに苦笑しながら答える。


 「あんな貼って付けたような威圧は怖くないよ。目線の動き、手足の動き、声の強弱、息遣い。全部が芝居っぽかったし」

 「そ、そうなんだ……」


 瑠香はそうだった? と言いたげな様子でこちらを見つめる。

 俺ならわかるとでも思ったのだろうか。残念ながら、俺にだってそんなものわからない。演技に関しては完全な素人だ。精々氷華の台本読みに付き合うくらい。演技すらまともにできないのに、見抜くことなんてできるはずがない。

 だからふるふると首を横に振る。知らないものは知らないのだ。


 「現場で一緒になる強面のベテラン俳優さんの演技の方がよっぽど怖いよ。ヤクザ役じゃなくて本当にヤクザなんじゃってくらいに怖いし」


 比較対象が可哀想だなと思わず同情してしまう。

 プロと比較しちゃ誰も勝てないよ。しかもベテランなら尚更だ。

 いや、氷華に演技しちゃうも方もどうかしてるんだけどさ。


 「でも、大丈夫? なんか拡散するって言ってるけど。氷華にとっちゃ都合悪いんじゃないの?」

 「大丈夫、大丈夫。どうせ週刊誌に売られたところで揉み消されるだろうし。みーくんに覚悟があるなら大丈夫」

 「ふーん。って、揉み消される?」


 瑠香は首を傾げる。


 「うん。だってこれでも……自分で言うのはやっぱり気恥しいけど。私、引っ張りだこな女優だよ。犯罪してる訳じゃないし、事務所が週刊誌に圧かけるよ。圧かけられたら週刊誌は出せなくなるから記事」

 「そういうもんなんだ」

 「そういうものだね。それにSNSだって何億って投稿の中に紛れるんだから。まともに拡散されるとは思えないよ」


 氷華はケラケラと笑う。

 どういう展開に転んだとしても、彼女としては痛くも痒くもないのだ。

 むしろ、女優という重荷を降ろすチャンスとさえ考えているのではないだろうか。


 「仮に見つかったとして、信用されるとも限らないし。私の今まで積み上げてきたものを考えれば信じない人の方が多数だと思うよ。ま、別に拡散されても、真に受けられても私としては構わないんだけど」


 腕を組み、勝ち誇ったような表情をうかべる。


 「氷華って達観してるよね。私よりもよほど大人だ」


 瑠香は尊敬の眼差しを氷華へ送る。


 「そうかぁ? ただ負けず嫌いなだけな気もするけど」


 俺がボソッと呟くと、氷華から凄まじく鋭い視線が飛んでくる。

 ゆっくりと視線を逸らし、こほんとわざとらしい咳払いを挟んだ。


 「どうなるかなんてなってみないとわかんないし。覚悟もしてるし、さ」


 虚空を見つめ、溜息を混じらせる。

 その姿は宝石のように眩しく、芸術品のように繊細で、お人形さんのように可愛らしい。

 場違いにも程があると理解はしているのに、見蕩れてしまう。


 「なるようになるから大丈夫だよ」


 氷華は瑠香を安心させるために笑顔を見せる。

 自分にも言い聞かせているようにも見えた。

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