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国民的女優と問題放棄

 「もういい。やめる。あんな人と付き合うなんて勘弁」


 氷華はスマートフォンを取り出すと、いそいそと操作し始める。

 まるでキーボードのエンターキーを押すかのように、勢い良くスマートフォンの画面を指で叩く。

 満足そうな表情を浮かべ、ゆっくりと顔を上げる。

 氷華は大きく息を吸い込んだ。


 「おしまいだーーーーー! ばーーーーーっか!」


 充実感、達成感。

 そんな雰囲気が氷華の全身を包み込む。

 勢いに任せて出した声はどこまでも飛んでいきそうな。そんな大声だ。

 流石に周囲のカップルもこちらへ目線を向けるし、四方に囲まれた校舎の窓からは何人もの生徒が顔を覗かせる。

 中には教師も混ざっている。


 流石女優というべきか。

 これだけ圧倒的な注目を浴びても臆することはない。

 彼女にとってこの程度の視線は朝飯前なのだろう。

 むしろ爽快感を覚えていそうだ。


 「えへへ。ブロックしちゃった。どうなっちゃうんだろう。こっから」

 「良い度胸だな」

 「嫌なもんは嫌だもん。それにみーくんを守る必要もなくなったし。あんな男に付き合ってる必要も無くなったから」


 脅しは即効性こそあるが、効果が無くなった時にこうやって掌を返される。

 一生縛り付けようとするのなら、とんでもない弱みを握るしかない。

 そもそも一生縛り付けようとする時に脅しなんかするもんじゃないってことなんだけどね。


 「でも本当にどうするつもりなの? 焚き付けた私がこんな事言うのはおかしいし、責任持てよって言われるかもしれないけどさ。写真とか音声とか拡散されるんでしょ? 大丈夫なの?」


 瑠香は心配そうに氷華を見つめる。

 女優人生が終わるかもしれない。

 少なくともスキャンダルという扱いにはなるはずだ。

 週刊誌には大きく掲載され、電車の中吊り広告には「『熱愛』『ヤンデレ』鷺ノ宮氷華が本当の幼馴染にだけ見せる裏の顔!」って売り文句が書かれ、ワイドショーでは持ち切りになり常に録音された音声が再生される。

 SNSでは【鷺ノ宮氷華 幼馴染と熱愛・同棲】という形で発信され『うわぁ……こんなこっつ』『俺には分かりきってたんだよなー。こういう顔のヤツはだいたいヤンデレなんだよ』『三次元でヤンデレとか無理なんだが。甘やかされてきたから現実みれねぇーんだろーな』『高校生なのに同棲とか! あんな売り方しておいて裏では幼馴染と年がら年中ヤりまくってました! ってか』と叩かれまくるはず、

 インターネット上には『鷺ノ宮氷華さんの幼馴染について調べてみました!』『いかがでしたか』とかいうクソ記事が量産されることになるだろう。

 とても大丈夫だとは思えない。


 「女優を辞めれば良いだけでしょ? 大きな問題じゃないよ」

 「えぇ……大きな問題でしょ」


 氷華の淡白な答えに瑠香は若干……いや、大分引いている。


 「CMとかの違約金とか発生しないの?」

 「しないでしょ。犯罪したわけじゃないし、不法行為をしているわけでもないんだよ。あくまでも親しいところを写真に撮られて、録音されただけ。むしろ盗撮の被害者だよ」

 「たしかに……」

 「仮に発生しても払えるよ。それだけお金もらってるから。使ってもないし」


 なんと頼もしい。


 「真面目な話どうすんだ? これに関しちゃ俺にできることなんてないぞ」


 成り行きを見守る他ない。

 誰に脅されていたのかは知らないが、太刀打ちできるとも思えないし、俺が顔を出したところで削除させるに至るとも思えない。むしろ、俺が挟まったら状況を悪化させる気がする。

 芸能界に人脈がある訳でもない。スキャンダルが出ますなんて根回しもできない。

 せめて出来るのなら、氷華の学校内での立場を守ることくらいか。

 それくらいなら陽彩に噂流しておいてくれと頼んでおけばどうにでもなる。


 瑠香は俺のことをジロリと睨む。

 なにか言いたげな様子だが、目線を返すとふいっとそっぽを向く。

 なんなんだ。なんだったんだ。


 「大丈夫だよ。みーくんは何もしなくて大丈夫。もし、私が女優業辞めて、みーくんも学校に居づらくなったらどっか遠くに逃げよう? 二人っきりで。お金は一生遊んで暮らせるくらいあるから」

 「どうしようも無くなること前提かよ」

 「私的にはむしろそっちの方が良いんだけどね。その方がみーくんと一緒に居られるもん」

 「居られるもんじゃねぇーよ」


 吹っ切れただけなのだろうか。

 氷華に焦りを感じない。

 本当に自分のことはどうでも良いんだな。全部俺基準で物事考えてるもんな。


 「キレたいのは痴話喧嘩聞かれる私なんだけど」


 瑠香がポツリと呟く。

 なにが痴話喧嘩だ。


 「何も起きなきゃ良いけど。どうだろうね」


 氷華は瑠香の言葉が聞こえていなかったのか、ただスルーしただけなのか、呑気なことを口にする。


 「何も起きないってことはないでしょ。写真とか音声とかで脅してくるようなクズ野郎なんでしょ。絶対なにかやってくるよ」

 「俺も同意見だ。何も起きないってことはないと思う。何されるかって言われると分からないけど。対処法も思い浮かばないな」


 現状じゃどうしようもないのが実情だ。

 相手方が動くのを待つしかない。

 焦れったいかもしれないが、どうしようもないのだ。


◆◇◆◇◆◇


 「みーくん。えへへ」


 帰宅すると氷華は俺の腕に抱きつく。

 頬を手の甲に擦り当てる。


 「やっぱり家でこうしないのはおかしいもんね」

 「いつもしてなかったじゃん。こんなスキンシップ」

 「しなきゃおかしいもんね」

 「あ、はい。そうですね……」


 圧力に押し負けた俺はこくりこくりと頷く。


 「私あれからずっと考えてたんだ。授業中も帰る時もずーっと」


 氷華は俺から離れたと思えば、キッチンの方へと数歩進む。

 そしてくるりと身体を反転させてこちらへ顔を見せる。

 へへと微笑むその姿はまさに天使で、神秘的で拝みたくなる。


 「なにを考えてたんだ?」

 「これからどうなっちゃうのかなって。私も、みーくんも」


 何も無いとは考えにくい。それは氷華も同じことを考えていたらしい。

 氷華は氷華なりに対策を講じてくれようとしてくれているのだ。

 俺にはできることが限られている。氷華が力を存分に発揮してくれるのなら、できることの幅は大きく広がる。

 少なくとも芸能界の人脈を活用できる。

 小さいようで大きい。


 「でね答えに辿り着いたんだ」


 氷華はまたキッチンの方へと進む。

 そしてガタガタと音を立てながら何かを探すように漁る。

 すぐにその音は止んで足音がこちらへと近付く。

 彼女の手にはキラリと光る包丁があった。


 「そっかそっか。で、なんで包丁を?」


 引き攣った顔のまま俺は問う。


 「やっぱりみーくんに辛い思いをさせたくはない」

 「俺は大丈夫だよ。覚悟は決まってるし。何言われるのか分からないけどさ」

 「ううん。違うの。みーくんは良いかもしれないけど、みーくんが悪く言われる……そんなの私が耐えられない」


 氷華は包丁の背を指でなぞる。


 「だったらみーくんが悪く言われる前に私の手でみーくんの命を奪ってしまえば良い。そうしたらみーくんは辛くない。私も辛くない。完璧だよ」


 なんたる暴論。

 俺の意思を一切尊重していない。

 あまりにも身勝手だ。

 今に始まったことじゃないが、飛び抜けている。


 「待って。考えて欲しい。たしかにそうかもしれないけど。今俺を殺したら氷華は一生俺に恨まれることになるんだぞ」

 「大丈夫。私も一緒に死ねば良いから」

 「なんでそうなんだよ!」


 説得を試みようと思ったが、無意味だった。


 「……死んじゃったらこうやって手と手を重ねることはできないよ。生きてるからこそ体温は感じられるし、肌と肌を重ねることだってできる。勿体ないと思わない?」

 「たしかに……」

 「だろ。俺は批判されることよりもこういうことが出来なくなる方が辛い。だから一旦落ち着こう」


 氷華の片手を握る。

 包丁が間近にあるので刺されてしまうかもしれないが、何もしなくても刺されるし。

 それなら一か八か。

 結果として正解だったようで、氷華は頬を紅潮させながら蕩けそうな表情を浮かべている。


 「じゃあやめるね」


 良かった。良かった。本当に良かった。

 どうやら俺はまだ生きることができるらしい。

 心底安堵した。


◆◇◆◇◆◇


 もうすぐ二十三時。

 薄いカーディガンのようなものを羽織、玄関の扉に手をかける。

 ガチャリという音と共に一歩外へと踏み出す。

 南から吹く緩やかな風は俺の短な髪の毛と裾を靡かせる。

 生暖かな風なのだが、モヤモヤした空気が一帯を覆っているせいで妙に涼しいなと感じてしまう。


 「暑いけどパジャマのまま出る訳にもいかないししょうがないね」


 俺に続いて出てきた氷華は若干顔を顰める。


 「そうだね。それにコンビニの中は寒いだろうし。着くまでの辛抱だな」

 「うん」


 氷華の頷きを横目にしながら、歩き出す。

 坂道を下ると夜空に満天の星が広がっているのが目に入る。

 手を伸ばしたら届きそうなほど燦然と輝く。


 「あれがデネブで、あっちがアルタイル。そんでこっちがベガ」


 氷華はほいほいほいと指差す。

 そしてその三つの星を線で繋ぐ。


 「これで夏の大三角」

 「良くわかるね。俺には同じ星にしか見えないけど」

 「ふふーん。この前、番宣で出たクイズ番組で出てきたんだよ」


 脇腹に手を当ててドヤ顔をする。


 「それに小学校でも習うでしょ。私は忘れてたけど」

 「デネブ、アルタイル、ベガと夏の大三角っていう単語は覚えてるけど、パッと夜空見てどれがどれだかって言われると悩んじゃうね」

 「悩んじゃいますか」

 「悩んじゃうねー」


 ふむふむとわざとらしく頷く氷華に共鳴するような形で俺も頭を縦に振る。


 「デネブとアルタイルは私っぽいし、ベガはみーくんっぽいよね」


 それぞれを指差しながら彼女は優しく微笑む。

 俺はこてんと首を捻る。


 「星にぽいなんてあるのか」

 「あるよ。あるある。んー、でも感覚だけどね」


 どうやら氷華は特別な感性を持っているらしい。

 俺には到底辿り着けない感覚だ。

 ヤンデレという時点で俺には到底理解することのできない領域なのだが。


 「こうやって見ると近くに見えるのに、実際は何光年も何億光年もそれぞれ離れてるんだよね。宇宙って広いよねー」

 「まだ宇宙は広くなってるらしいよ」

 「へー、すっご」


 興味があるんだが、ないんだか、微妙な反応を示しつつ、氷華はアスファルトに転がっていた手頃なサイズの石をポンっと蹴り飛ばす。

 とんとんと転がった石は勢い良く橋のコンクリートにぶつかり、コカンという気持ちの良い音と共に不規則なバウンドを見せて橋の下へと落ちる。

 数秒もしないうちにドボンという音が響く。


 「落ちちゃった」

 「落ちたね」

 「ねぇ、みーくん。暇じゃない?」

 「なにを急に。今からコンビニ行くんだから暇もなにもないでしょ」

 「道中暇じゃない? だってここからコンビニまで何分かかるの」

 「そうだね……」


 指を折って数える。


 「八分くらいかな」

 「あと八分もどうするの? 星の話じゃもたないよ」

 「大丈夫。宇宙の話もある。付け焼き刃だけど」


 良く動画サイトに上がっている雑学をまとめた動画を見た程度の知識だ。

 正確性すら怪しいが、話のネタという点においては有効である。


 「宇宙は興味ない」


 氷華に一蹴されてしまう。

 先に星の話をしたのはそっちなのに。

 ヤンデレムーヴされるよりは余程マシなのだけれど。


 「男女が深夜のコンビニへ散歩する。そういうときにすることと言えば決まってるでしょ」

 「決まってるんだ。初めて知った」

 「うん。手繋ぐしかないでしょ。だって、ほら。良く不良カップルとかがイチャイチャしながら深夜のコンビニに行くでしょ」

 「なんだその偏見」

 「偏見かな。結構そういうもんだと思うけど」

 「大分偏見だと思うよ」

 「でもホテルの近くのコンビニとか大体そんな感じだよ」

 「それ撮影地の治安が悪いだけなんじゃない」

 「そうかも……」


 氷華はにへらと笑う。


 「なに? 嫌なの? 手繋ぐの」


 恥ずかしそうに身体を捩る。


 「……嫌ってわけじゃないけど」


 俺は視線を逸らす。

 でも泳がせるわけじゃない。


 「じゃないけど?」


 氷華は急かすようにオウム返しをする。

 ぐいっと顔を近付ける。

 吐息が顔にかかるほどの近さ。

 多分だけど俺の顔は瞬間的に真っ赤になったはずだ。

 夜道で良かった。


 「あぁ……! もういいよ。繋げば良いんでしょ! 繋げば!」


 俺は退くように氷華から離れながら、氷華の手を繋ぐ。


 「ふふ」


 手を繋がれた氷華はただ笑うだけ。

 これが普通の女の子なら微笑ましいとか思うんだろうけど、氷華がそういう笑いをするとなんか変な怖さがある。

 なにを考えているのだろうかと勘繰って、勝手にあれやこれやと連想してしまうのだ。

 これは氷華の日頃の行いだよな。

 うん、俺は何も悪くない。

 そんなことを考えながら、コンビニへと向かった。


 コンビニへと到着する。

 駐車場の手前で光を放つ立て看板。

 赤色の矢印が寂しく点滅している。

 手前の道路は車が一切通らず、駐車場には端っこに車が一台停まっているだけ。

 この時間帯にいつも停まっている車なので多分従業員の車なのだろう。

 外から見た感じ、中にお客さんがいる訳でもなさそうだし。

 俺たちが前に立つと自動ドアの扉が開く。

 涼しい空気が俺たちを歓迎し、ファンファーレのような入店音が鳴り響く。

 店員さんの「らっしゃせー」という気怠げな声が店の奥から聞こえてくる。

 そして段ボールを抱えた店員がひょこっと顔を出す。

 どうやら仕事の邪魔をしてしまったらしい。なんかそのすみません。


 「ふふーん」


 氷華は調子良さそうに栄養ドリンクコーナーに留まる。

 カロリーオフで腹溜まりのようものを買いに来たらしい。

 本人曰く台本を覚えるには間食が大事なのだとか。俺には無縁の話だ。


 そうですか、いってらっしゃいと夜道に一人で送り出すわけにもいかず、俺も着いてきたってわけだ。

 特になにか用事があったわけじゃない。

 ただ何も買わずに帰宅するの忍びない。

 というか、勿体ない感が凄い。


 「適当にアイスでも買って帰るか。暑いし」


 俺はアイスコーナーで適当に安いアイスを二個手に取り、購入したのだった。

 コンビニを後にして氷華にアイスを渡したら「なに? 私を肥えさせる気? 太ったらマネージャーに怒られるんだけど」とか文句をぶつぶつ言いながらも美味しそうに食べていた。

 幸せそうな表情を浮かべる氷華をこんな間近で見ることができる俺も相当幸せ者だなぁ……。

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