不治の病に侵された薄幸のヒロインになりきる佐藤くんのふくふくとした奥さん。
ふくふくとした佐藤くんの奥さん。彼女が世界一、愛するスレンダー夫は時々にして、丸っこい彼女の要望に従い、勇猛果敢な騎士、ある夜は憂いをおびた黒髪の王子様、腕ききのコックさん、はたまた、イケメン黒マントの魔王様などなど、演じている。
彼女の気分で役割が決まっているのです。
☆
コホンケホン。ふくふくとした佐藤くんの奥さんは、せっかく髪をカットしたばかりの週末だというのに、少しばかり熱っぽく喉にはイガイガの存在。朝からベットに伏せっています。
昼食を食べに行く計画も中止になり、乙女チックな彼女の気分はすっかり……、今回は死を前にした幸薄い美女となりました。ぷっくりした手でふわふわな羽根布団を握りしめると。思考は妄想世界へと飛んでいきます。己の明日とも知れぬ運命を想い、はらはらと涙。
一方、夫の佐藤くんは洗濯物を干しながら、妻の妄想によりふられる役割は何なのかを考えつつ、
パンパン!ベランダの物干し竿にシーツをかけ、洗濯シワを伸ばすために叩きました。青い空、天気予報では今日は2月としては気温は高く、3月並みの陽気。それが当たっているのか、朝の日差しはキラキラと、小鳥がチチチッと舞い飛んでいます。
ワンワン!
干し終え部屋に入るとチワワ、何時もの大歓迎の舞。よしよし。かまえば、アップルヘッドの中のネジがピンと飛んだのか、ハッハと興奮マックスでリビング中をぐるぐる駆け回ります。途中、ピッピと鳴る玩具をくわえさらにヒートアップのチワワ。
ズザザザ、ピュイピーピー、ズザザザピッ。
駆け回る音と玩具のピーピー音も賑やかに。
……、さて。冷蔵庫内を覗き込み、何を作ろうと考える佐藤くんです。愛する奥さんの今は。果たしてどのジャンルの物語の主人公気分なんだろうと、手持ちのカードを繰り出します。
不治の病に侵され高原のサナトリウムに身を寄せる、乙女なのか。
魔法使いの呪いで病に倒れた、ナーロッパ王国の儚い王女なのか。
……、おかゆか、オートミールか?どうする。材料は……。
取り敢えず、この2つのどちらかだろうと予想を立て、残り野菜のだらけきった様子から、どちらに転んでも使える『刻み野菜のスープ』を作ることにしました。
ちょっぴり残っていたベーコンの切れっ端。4分の1個の玉ねぎ、半分のじゃがいも、人参のしっぽ、ブロッコリーの茎、キャベツの芯、中途半端に余ったマッシュルームや、身体を温める干からびかける生姜達を救出し、細かく軽やかにみじん切り。
トトト、トトト、トントントトトトト……
冷凍庫から袋の底にちょっぴり残ったコーン、冷蔵庫からバター。炒めるためのオリーブオイル。トロミをつけるための小麦粉にブイヨンキューブ。ローリエいちまい、塩コショウ。
ジュウジュウ、サカサカ、ジュウジュウ、サカサカ。
オリーブオイルを鍋にひとまわし。野菜を炒めて小麦粉をほんの少し振り入れ、焦げない様にかき混ぜて。水とブイヨンキューブ、ローリエをぷかり。
コトコト。グツグツ、コトコト。グツグツ。
煮込んでいきます。まな板を洗いながら佐藤さんは、コーヒーメーカーをオン!
ゴホゴホ、コポコポ
喫茶店の香りが立ち昇ります。
クタクタに煮えたら、ローリエを取り出して、塩コショウとバターをひとかけ。お玉をくるりと回します。
佐藤くん特性の野菜スープが出来上がりました。コーヒーをマグカップに注ぎこれから始まる奥さん劇場に備え、ゴクンとひとくち。赤いスープカップに、お玉でよそうと忘れないように乾燥パセリをパラパラ。かぜ薬の小瓶と冷蔵庫から出した、奥さんお気に入りの、高原の森の清らかな清水、ほんのりペパーミント風味のペットボトル。
匙を添えそれらをトレイにのせて寝室へ。走り回り過ぎて疲れたチワワがふわふわな自分のベットで、見事なヘソ天で寝転がっていたのですが、主の動きに気がついて慌てて起き上がると、佐藤くんの後ろをストーカー。
ノックは弱目に3回。強く1回、ベートーヴェンのリズムで。
役になりきった奥さんの儚げな様子な声、どうぞ。
そろりとドアを押し開ける佐藤くん。チワワの閃光が先駆け寝室内へと駆けていきます。
途端、チワワを寝室から連れ出すよう、うるうる涙目で夫に頼む佐藤くんの奥さん。理由は私達のかわいい我が子に病が感染ったらいけないから。
だいじょうぶだよ。と自身がどういう役なのかを探りつつ、食事を運ぶ佐藤くん。具合はどう?食事を運んできたと優しく言います。
「ありがとう。あなた。わたしはもう長くないわ」
佐藤くんは、『あなた』との単語から、夫である事を認識。『わたし』との単語から舞台は、ナーロッパ王国ではないなと確認。これまでの役割とコホケホ咳をしている様子から考えて、
『肺結核により、高原のサナトリウムにて療養する若妻』
と当たりをつけ、言葉を待ちます。
「もうすぐ〆切というのに……、チワワ子のお世話やわたしの食事の準備迄、させてしまって……」
……!!、はい?『〆切』とな!?
佐藤くんはニューパターン登場にびっくり。
……、やべぇ。役が見えん!
「だ、だいじょうぶだよ。うん、そうだ、やっぱりチワワ子を向こうに連れて行くね。ほら、だめだよ、お母さんは病気なんだから……」
対策をするために、佐藤くんのベッドの上で毛布を噛みまくっているチワワにかこつけ、当たり障りのない返事をすると、サイドテーブルに、ほんわかとスープの湯気が立ち昇るトレイを置いて寝室を出ます。もちろん、腕にはチワワを、ボストンバッグのように抱えています。
バタン、ドタバタ、キィ、バタン!チャッ!チワワリビングのフローリングに着地。佐藤くんは夫婦共有で使っているパソコンを開き、『小説をよもう』にログイン。そして奥さんがここ最近、何を読んでいるのかを、ダッダッダーと調べそれらしき短編に目をつけました。
……、えとぉ……、多分これ。新婚夫婦だしな。チワワ子はあいつのアドリブっぽい。ふんふん……。小説家なんだな。俺の役は。俺、読むのは好きなんだけどさ、皆目だぞ?単語のボキャブラリー超絶、少ないぞ?
どうする俺!佐藤くんは必死に考えます。スルーしても構わないのですが、面倒くさいと思いつつもなんだかんだで、奥さん劇場に付き合うのは嫌いではない、夫の佐藤くん。
割れ鍋にとじ蓋夫婦なのです。
……、作家、作家。作家といえば無口な気がするから、そのキャラで行こう!思えば今回の役は、台詞回しが超絶小っ恥ずかしい『ナーロッパ王国の憂いの王子』や『黒マントが似合うイケメン黒髪魔王』よりも俄然、イイ!
オヤツクレと尻尾をフサフサ振りまくりアピってるチワワに、ジャーキーを1本やり、寝室へと凸する、無口な作家役の佐藤くん。返すセリフは2つ、思いつきました。決め台詞は病気パターンのソレを使うことにしました。
ノックは弱目に3回。強く1回、ベートーヴェンのリズムで。
入るとスープカップは既に空になっています。
コホケホと弱々しく咳をする佐藤くんの奥さん。
「薬も飲みなさい」
「はい。ああ!ひとりでは起き上がれません」
くっ……重いと言えぬ夫のプライド。スープ飲む時は起き上がれただろうは禁句。そいやぁ!とファイト一発で、全体重を預けてきた、ふくふくと丸っこい奥さんを手伝います。そして2錠取り出して手渡す佐藤くん。
「お薬代はだいじょうぶですか?」
「だいじょうぶだ」
貧乏設定らしいのか、初めてのパターンで先が見えぬ会話を出してくる奥さん。受け取ると口に放り込み、差し出されたペットボトルの水を。
ゴキュゴキュゴキュゴキュ!と一気飲み。その様子に、何時ものように惚れ惚れ見つめてしまう、佐藤くんなのです。飲み終えると、潰せるペットボトルをクシャクシャに握りつぶす佐藤くんの奥さん。
「プッハァ!おいし~い♡はっ!いっけない!えっと。ありがとうございます。あなた」
「いいんだよ」
大慌てで役に戻る奥さんに、笑いが込み上げてきそうな佐藤くんなのですが、そこは何時ものように我慢一徹、込み上げてきそうな笑いを必死に堪えます。
「えっと。あ。チワワ子はだいじょうぶですの?」
「だいじょうぶだ」
「あなたばかりに苦労をかけてしまってすみません」
「いいんだよ」
「〆切はだいじょうぶですの?」
「だいじょうぶだ」
「そう、良かった。コホケホ……少し横になりますわ、ごめんなさい」
「いいんだよ」
ベットに横になった奥さんに、ふわふわな羽根布団をかける佐藤くん。
「ふう……。すみません。あなたのお仕事の邪魔ばかり情けないわ。妻らしい事が何もできなくて。チワワ子のことも任せきりです」
「だいじょうぶだ」
「あなたが好きだと言ってくれていた髪も、病気のために短く切らないといけなくなったし、悲しいの」
「いいんだよ」
シャンプーが大変だから、ショートカットにしちゃったぁ♡のはずだったが、と思いつつも奥さん劇場に付き合う、夫の佐藤くん。休日の良い退屈しのぎになっています。
「早く元気になりたい。コホケホ。早く良くなりたいわ」
「だいじょうぶだ」
「お薬代も大変なのに。ああ、どうしてわたしは治らない病気に……なってしまったのかしら。前世の行いが悪かったのね、きっと……会いするあなたに苦労ばかりかけてしまって。いけない嫁だわね……」
「いいんだよ」
ただの風邪なのですが、佐藤くんの奥さんの頭の中では不治の病と変化。そして無口な作家気分を満喫中の佐藤くんに爆弾発言。
「でも。ねぇ……、あなた。わたし。やっぱりふと……、最近、考えてしまうの。ほら、あの蔦の葉が落ちたら、ね。きっとわたしも世を去ってしまうんじゃないかと……」
「だいじょうぶだ」
……、ヒィィ!まさかの作家じゃないぞぉぉ。蔦の葉?何だそれ。昔、教科書に載ってた気がするぞ?蔦の葉が落ちたら死ぬって言うやつだっけ?どこからか脱線をした!いや。『だいじょうぶだ』『いいんだよ』で、きっと乗り切れる!
「本当に?本当にだいじょうぶかしら、ああ……いけないわね。あなたを信じなくっちゃ。病気がもっと、悪くなっちゃうわね。ごめんなさい」
「いいんだよ」
……ふぃぃ。あかん。そろそろ退場したい。佐藤くんは奥さんが風邪を引いて寝込んだ場合、〆に使うセリフを引っ張り出します。
「だいじょうぶだ。美味しい物を食べれば元気になるよ。何がいい?」
『美味しい物』ふくふくとした佐藤くんの奥さんにとって、最強のト・キ・メ・キワード。目がキラキラ、喉の痛みも少し気だるい気分も、スッパン!青空の遠い先に、ピュンと飛んでいった、ふくふくとした奥さんです。
「あの。あの……な、何でも。う……、もう終わり♡えっとぉ♡えっとね♡『豚とん亭のスペシャルひれカツ丼、野菜サラダと温玉スープ付』が食べたい!わたし、風邪引いたとき、あれ食べればすっぐに治っちゃうんだ♡えへへ~♡」
「うん、早速頼もっ!」
奥さん劇場は唐突におわり、ポケットから携帯を取り出す夫の佐藤くん。デリバリーをいそいそと頼みました。
そして、1時間後……。
リビングのテーブルの上に、豚とん亭のデリバリーが2人分。
1つは特盛ご飯、たっぷり枚数サクサクヒレカツの上にトロリとした半熟卵とえんどう豆がパラパラ、サラダ大にはすりゴマドレッシング、温玉スープ付。
1つは並盛ご飯、サクサクヒレカツの上にトロリとした半熟卵、えんどう豆がパラリ。サラダは無しで温玉スープ付。
「お腹すいた♡うわあ~♡美味しそう♡えへへ~♡、いただきます。ん!だめだよ。ねえ、お野菜食べないと身体に悪いよ。わたしの、少し食べてね。えへへ~♪」
ふくふくとした佐藤くんの奥さんは、サラダの器を手に取ると、世界一愛してる夫に食べるように、ふくふくとした笑顔で勧めました。
風邪はすっかり何処かに飛んでいった様子です。
終わり