永久に咲く思い出の花
7月初め、武家の芦屋家長男孝之と鈴乃の結納が執り行われた。両家の間で挨拶が交わされ、2人の前に杯が出される。この杯を交わすのが夫婦になる儀式だ。
ふと鈴乃は隣の夫になる孝之を見る。蔵之助のような美男子とはほど遠い。
孝之は杯を手にとる。
「さあ鈴乃さんも」
鈴乃は渋々杯を手にとる。そして孝之と後に続き口に入れようとするが寸前でとめる。
「鈴乃さん、どうされたか?」
鈴乃は手に持っていた杯を落とす。
「私できません。この結婚なかったことにしてください。」
鈴乃の言葉に親族一同がざわつき始める。
鈴乃は立ち上がろうとしたが、孝之に取り押さえられる。
「鈴乃さん、勝手な真似をされては困る。そなたの家には貸しがあるのだから。そなたは黙って私の物になればよい。」
「いや、離して!!」
鈴乃の声を聞き芦屋家の家臣達が部屋中を取り囲む。
「鈴乃さん、そなたはもう逃げられぬ。」
「失礼致します!!」
扉が勢いよく明けられ公家風の男が入ってきた。高崎家の家臣である。
「こちらに十万両ございます。これでそちらの娘を自由にしてやってはくれぬか。」
家臣は孝之の前に出て千両箱からありったけの小判を出す。
「こちらの娘さんのご実家がそなたのお家に借金あると。この高砂家が全額返済致します。これでも足らぬなら何とぞ申し付け下さい。」
その日の結納はお開きになった。
「あの?」
鈴乃は高崎家の家臣に声をかける。
「あのお公家様が何ゆえわたくし達のような商人の借金を肩代わりなど?」
「鈴乃さんでしたね。追々お話します。私に着いてくるがよい。」
鈴乃は言われるまま家臣に着いていく。家臣は公家の屋敷へと案内した。
「こちらでございます。」
一室に通される。簾の奥に誰かいるようだ。
「久美子様、鈴乃様をお連れ致しました。」
家臣が下がる。簾が上がるとそこには美しい貴族の奥方がいた。凛とした顔つかが鈴乃の愛しい人を思わせる
「鈴乃ちゃん」
その低くも甘い声は鈴乃の愛しい人の声であった。
「蔵之助様?」
「もう蔵之助ではない。私は公家高崎家の一人娘久美子だ。」
「久美子様、公家に戻られたのですか?」
「ああ。」
時は遡ること数日前。
蔵之助はいつものように稽古を終えると芝居小屋の前に一人の女がたっていた。彼女は武家に仕える者で百合子の侍女をしていた。鈴乃が借金の肩に結婚させられるのを知って、百合子の使いで伝えに来たのだ。
母に借金の肩代わりをお願いする代わりに公家との結婚を承諾したのだ。
「久美子様は私のために」
久美子は鈴乃の傍に行き抱き締める
「鈴乃ちゃんが望まない結婚をしなくて良かった。」
だけどそのために久美子様は
「鈴乃ちゃん、役者なんて長くはできないと分かっていた。だから私の結婚は時間の問題だ。鈴乃ちゃんには自分の望む道を行ってほしい。どこにいても鈴乃ちゃんの幸せを願っているよ。」
そう言った久美子の唇が鈴乃の唇に触れる。鈴乃が受けた愛しい人からの最初で最後の口付けだった。
「鈴乃ちゃん良かったわ。また戻ってこれて。でも残念だったわね。蔵之助様とのことまさか女だったなんて」
鈴乃が花嫁衣装の仮縫いをしていると百合子が話し出す。あれから借金もなくなり呉服屋は無事続けられることになった。父も借金の肩に娘を嫁がせたことを謝り、今は何事もなく平穏な日々が戻った。
鈴乃は百合子の問いに答える。
「いえ、私はどちらでも好きでしたよ。蔵之助様でも久美子様でも。」
百合子の屋敷を出るといつもの橋に差し掛かる。蔵之助と会っていた橋だ。脇には紫陽花が咲いている。空からは雨がパラパラと降ってきた。雨は本降りになり頬をつたう。つたうのは雨だけではない。
「蔵之助様」
愛しい人の名前を呟いたが傘をさしてくれる人はいない。
鈴乃は涙をふき歩き出す。きっと鈴乃の心の中にはいつまでも咲いているだろう蔵之助様との思い出の橋と紫陽花の花が。
完
最終回なのでラスト長くなっちゃいました。




