貴方とダンスを
エイダン様が私の婚約者となった。
それは、あまりにも現実味がなくて、とても不思議な感覚だった。
その後、一週間ほどでエイダン様はボールドウィン家の養子に正式に承認され、それと同時に私との婚約も発表された。
「シャノン、婚約おめでとう」
旧校舎の図書館の個室。忙しいであろう合間を縫って、アシルがやってくると声をかけてくれた。
最近は、本当に会うことができない。聖女様と一緒にいることが多くてここには来なかったのだが、今日はどうやら聖女様はお休みらしい。一緒にアリアナもお休みなので、おそらく教会でなにかあるのだろう。
「ずいぶん遅いお祝いだな」
ちょっとばかり嫌みっぽくユーグが言った。
「ごめん、ごめんって! ほんと、忙しくてさぁ……」
「分かってるわよ。すれ違ってもすごく疲れてる様子は見てたし、気にしないで。ユーグも私気にしてないから」
たしかに、婚約が発表されてから一週間以上経っているが、本当にアシルは忙しそうだ。アリアナとも、全然話せない。
「それで、ボールドウィン家の養子ってどんな奴なんだ?」
「え……その、優しいかた……だけれど」
「へぇ……」
しどろもどろになる私の様子を楽しそうに見るアシルは、完全にこちらをからかっているようだった。
「見てみたいなぁ」
「嫌でもいつか見ることになるわ」
エイダン様は伯爵家をいづれ継ぐことになるが、その前に城で文官として働くらしい。城勤めになれば、アシルと必然的に会うことになるだろう。
「そうだったな。今度のパーティーに招待したから、二人で来る予定だもんな」
「……き、聞いてないんですけど?!」
まさに寝耳に水だ。最近、こういうことが多い気がする。
どれだけ驚けば良いのだ。
「あ、招待状、まだ届いてなかった?」
「届いてないし……その……アシル……まだ、喪中よね?」
恐る恐る、私はアシルに聞いた。
「おい、オレも聞いていない。こんな時期に、パーティーってどういうことなんだ?」
ユーグも眉をひそめて問う。
ジスラン王子がお亡くなりになって、まだ二ヶ月だというのに、王宮でパーティー? 毎年恒例のパーティーのようなものではないはずだ。
「ほんと、だよな……」
ぼそりとアシルがつぶやく。
「まあ、最近良いこともないし、気晴らしにやるらしい。気にせず来れば良いと思うよ。……どうせ、開催されるんだし」
「気にせずって……」
そうは言われても、とても気になってしまうのだが。
気晴らしに喪中にパーティーだなんて誰が考えたのやら。アシルは絶対あり得ないし、ユベール王子が行なうとも思えないし、国王様もそんなヒトではないのだが……。
「っと、そろそろ行かないと。じゃあ、またな」
そういうと、アシルはすぐに行ってしまった。
「まったく、正気の沙汰か?」
ぶつぶつとユーグが文句を言う。
「そうね……」
あと一月もすれば年末。年始には盛大にパーティーや祭りが行なわれるが、今年はジスラン王子のこともあり、縮小されて行なわれると発表があったばかりだというのに、どういうことだろう。
それに、エイダン様とパーティーを楽しめるかと言われれば、分からない。
婚約者となった彼と、どう関われば良いのか分からなかった。
「シャノン?」
ユーグが心配そうにこちらの顔をのぞき込んだ。
「どうした」
「……」
なんだかんだ気遣いしてくれるユーグは、実は年下の婚約者がいる。来年この学園に入学してくる予定のミリア様だ。最初の婚約は政略であったというのに、二人は仲が良いと評判のカップルだ。
「ユーグは、婚約者様と仲が良くて良いわね」
「そりゃ、ミリアとは長い付き合いだし……もしかして、あまりうまくいってないのか?」
「……」
うまくいっていない、訳ではないと思うのだが、それでもしエイダン様がこの婚約にどう思っているのかが分からなくて、申し訳ないのだ。
私は、小さい頃から貴族であることを理解してきたけれど、エイダン様は……。
「エイダンとかいったっけ? 彼に何か問題が?」
「違うの。エイダン様に問題があるのではなくて……エイダン様は本来は常緑の森に住んでいたから、私達のルールで、政治的取引で、私と婚約しなくてはなかったのを、どう思っているのかしらって」
「……ふーん」
ユーグは私をじっと見て、そして少し切なそうに笑った。
「エイダンさんを、好きなんだな」
「え……?」
エイダン様を、好き?
ユーグをまじまじと見返した。
「そうだろう。もし、お前が本当に政治的取引だと割り切っているのなら、エイダンさんの思いなんて関係ないだろ。好きだから、相手が自分をどう思っているのか、どんなことを考えているのか、気になって、そのヒトが傷ついているのではないかと心配しているんだろう?」
「……」
エイダン様と出逢ってからの記憶が過ぎ去っていく。助けてくれた彼を、優しく微笑んでいた彼を、慌てて寝癖を直してきた彼を、姉に振り回されながらも楽しそうに笑う彼を。
そうか……私は、彼が好きだったのか。
だから……この胸が痛むのか。
「ったく、なんでオレがこんなことを話してるんだか……こういうのは、アリアナの出番だろうに」
「はは……でも、ユーグ、ありがとう。少しだけ、気が楽になった気がする」
「こんなことで? なにも解決していないと思うけれど……まぁ、シャノンが良いなら良いけれど」
「うん」
その数日後、王宮からのパーティーの招待状が届いた。エイダン様の元にも。
パーティー当日。私の屋敷にエイダン様が迎えに来た。少しヒトの中では目立つ濃緑の髪と翡翠の瞳を隠すように、彼は髪を茶髪に染め、瞳を魔術で茶色に変えていた。いつもと違う姿に、私は思わずドキリとした。
今まで、兄様と共に行っていたが、婚約者ができたので今回からは二人で行くことになる。
実は、婚約を交わしてから、こうして二人で会うのは初めてだった。何度か屋敷ですれ違ったのだが、仕事中だったようでなかなかお話はできなかった。
手紙も、色々考え、最終的に無難なことしか書けなかったか、どうにか書いて送ったのだが、戻ってこなかった。
やはり、エイダン様はこの婚約は望まぬものだったのだろうか。そんな不安があった。
エイダン様のことを、好きだと私は自覚したけれど、だからどうすればいいのか、このままでいいのか、ずっと悩んでいた。だが、私にはなにも思いつかなかった。ただ、この思いをエイダン様に告げる、それくらいしか。
このパーティーで、もしくはその後で、この思いを……エイダン様にどう思われようとも良いから、告げよう。そう、出発の前から、それだけは決めていた。
どこかぎこちない、当たり障りのない話をしながら、私達は王宮へと向かった。
王宮は、多くのヒトであふれかえっていた。
パーティーはこの時期にしては異例な大規模な物で、賑わっている。
楽団達の美しい演奏に、ダンスが始まっている。
遠くに、アシルとアリアナが聖女様、ユベール様といらっしゃるのが見えた。この分だと、こちらに来ることはおろか、こちらに気付くかも分からない。
ユベール様は婚約者がいたはずだが、いいのだろうか。
ユーグも居るのが見えたが、ユーグの父様と共に挨拶回りで忙しそうだ。
とりあえず、私達はパーティーを開催した国王様に挨拶をして、一曲ダンスを踊ろうかと様子をうかがっていると、女性から声をかけられた。
「あら、エイダンじゃない」
その明るい声に、エイダン様はぱっと顔を明るくした。
「オリーヴィア! 久しぶり、元気だったかい?」
私は、オリーヴィアと呼ばれた女性を見て、思わず身体がこわばる。
笑顔のすてきな女性だった。赤い唇が蠱惑的で、その所作も美しい。思わず見とれてしまう。
「えぇ、おかげさまで。あら、かわいらしい子。この子は?」
私とは違いする彼女に、私は思わず下を向いてしまう。
彼女の笑顔は、眩しすぎて見ることができなかった。
エイダン様ととても親しくて、この容姿だ。もしや……なんて思ってしまう。
「オリーヴィアにはまだ伝えていなかったね。実は、この前婚約した、シャノン・アルフィー嬢だよ」
「えぇっ? エイダンの婚約者? ……まって、シャノン? シャノンアルフィー?」
チラリと見ると、彼女はじっと見定めるような視線で私を見ていた。
なにか、私に変なところがあっただろうか。
「ちょっと。エイダンこっちに来なさい。シャノンさん、ちょっとまっててね」
「……あ、オ、オリーヴィアその……あのことは……」
何やら慌てだしたエイダン様を、彼女は止める暇もなく強引にどこかへと連れて行ってしまった。
「……え」
一人、残されてしまった私はぽつりと立ち尽くす。が、棒立ちしていたら邪魔になる。
少しばかり固まってしまったが、とりあえず私は壁際へと向かった。
やはり、彼女はエイダン様の……。そんな想像が止まらない。
ふと、こそこそと周囲のヒトがこちらを見ているのに気付く。
先ほどのやりとりを見られていたのか、それともエイダン様の婚約者ということで注目されているのか、アルフィー家だからなのか。どんな理由だか分からないが、思いあたることが多すぎる。その視線が、いつもなら耐えられるのに、今日は少し辛かった。
どうせ、エイダン様はいないのだ。私は、そっとそこから離れると、外へ向かった。
踊り疲れたヒトや、パーティーで出逢ったヒトと交流を深めたいヒトが美しい庭園を散策している。
私は、庭園には行かず、建物の物陰に隠れるように立っていた。
まだダンスも踊っていないのに、疲れてしまった。
「嫌だなぁ、私」
あのオリーヴィア様とエイダン様の姿が頭から離れない。
その時、優しい風が吹いた。少し冷たい風が、頬を撫でる。
「こんなところでどうしたの? もしかして、気分が悪いの?」
思い悩んでいたせいか、そばに来ていたヒトに気付かなかったようだ。
「い、いえ。大丈夫です」
顔を上げると、アシルとユベール王子とともに居たはずの聖女様だった。
まさか、彼女がここに居るとは思わず、すぐに姿勢を正して挨拶をする。
「申し訳ありません。まさか、聖女様とは思わず。お気遣いありがとうございます。少し疲れただけなので、大丈夫ですわ」
聖女様は、どこかエルフのように自由で奔放だ。この前も突然声をかけられたことを思い出しながらそう言うと、彼女は首をかしげた。
「そう? そうだ、私、シャノンに聞きたいことがあるの」
「は、はい」
一体何を聞かれるのか。ドキドキする私とは裏腹に、彼女は何事もないように聞いてくる。
「アリアナって、どういう子なの?」
「アリアナ様ですか?」
アリアナ達と仲が良いのはあまり表だっては言っていない。知っているヒトは知っているが、だからといって言い回ることでもないし、下手に知られることで四人の楽しみを奪われるのも嫌だからだ。だから、聖女様もアリアナと私の関係は知らないはずだ。
「侯爵家のご令嬢で、聖女様ではないかと言われるほどの神術の使い手、学園でも成績優秀で人柄も良く、とても素晴らしい方ですわ」
当たり障りのない、学園での彼女の評判を言うと、聖女様はつまらなそうに頷いた。
「そうなの。彼女、婚約者って居たっけ」
聖女様は貴族ではないけれど、とても自由な振る舞いをするので、大丈夫なのだろうかと不安になる。彼女は聖女として他の王国のヒトとも会っているはずだ。マナーがなっていないと叱られはしないだろうか。少し不安になりながら、私は答える。
「いいえ」
「偉い貴族なんでしょう? なのに、へんねぇ」
ドキリとする。
アリアナは、好きなヒトが居る。だから、婚約をしていない。もちろん、そんなこと堂々と公表していないけれど。
ちらりとアシルの顔を思い出す。
「そうですか?」
「だって、きれいだし、婚約の打診とかたくさん来てそう」
その通りなのだが、まあ彼女に真相を私が伝えるようなことは絶対にない。だから、曖昧に笑う。
「確かに。もしかしたら、もう内々に決まっているのかもしれませんね」
一体、どうしてアリアナの事を聞いてくるのだろう。
そう思っていると、ばたばたと走ってくる音が聞こえた。
「シャノンっ」
「エイダン様?」
息を切らせてやってきた彼は、聖女様を見て思わず固まるが、すぐに私の元へと駆け寄った。
「すまない、待たせてしまって」
「いえ……聖女様、こちらは私の婚約者であるエイダン・ボールドウィンです」
「へー、婚約者なの。よろしくね」
そう言うと、聖女様はじいっとエイダン様を見つめた。そして、何を思ったのか、私から距離を取った。
「そろそろ行かないと。ユベールが心配するからね。ばいばい」
そう言うと、聖女様は慌ただしく去って行った。忙しいヒトだ。いや、そもそも聖女様なのだから、私みたいな伯爵令嬢が気軽に話せる相手ではないのだが。
「聖女様? あの、ヒトが……?」
不思議なものを見た、とでもいうような様子でエイダン様は彼女を見送る。確かに、彼女が聖女様だと言われても驚くだろう。
エイダン様は初めての聖女様との邂逅に困惑している様子だった。
「はい。本人ですよ」
「でも、なぜ聖女様が……何か、ありましたか? もしや、私のことで」
「いえ。エイダン様のことではありません。学園で友人の事を聞かれたのです」
正確にはアリアナの事だが、説明すると長くなってしまうので今は良いだろうと簡単に話す。
困惑していたエイダン様だったが、私が聖女様と同じ学園で学んでいることを知っていたのでそうなのかと話を聞いてくれた。
「そうだったのですね……」
そう言うと、エイダン様は不自然に黙り込む。私も、何を話せば良いのか分からず、無言になってしまった。
婚約する前……常緑の森のエイダン様の家で、時折すれ違う我が家で、もっといろいろ話していたのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
エイダン様は、何かを言おうとして、しかし言う前に口を閉じてしまう。そんなことを繰り返した後、彼はようやく私に告げた。
「……すみませんでした」
「エイダン様?」
なぜ、謝るのだろうか。
不思議でエイダン様の顔を見上げると、彼は思い詰めた様子で口を開いた。
「……オリーヴィアに怒られてしまいました」
「え?」
先ほどのエイダン様の友人に? どういうことだろう。
「婚約者に贈り物などはしているのか、手紙でも渡しているのか、ちゃんと交流しているのかと……」
あの時、オリーヴィア様が私を見ていたのは、もしや私の服装や装飾品などを見ていたのだろうか。
「贈り物など思い当たらず、シャノンさんからの手紙も返信せずに……」
「エイダン様……婚約して、すぐですし、それに、忙しいと聞いています。私は、気にしていませんわ」
それに、手紙も何を書けば良いのか思い当たらず、とにかく送ろうと当たり障りのない事しか書いていない。私の方も、至らないところがある。
「いえ。私が気にします。私は、ここの常識に疎いところがありますが、義父や友人にもっと尋ねておけば良かった……本当に申し訳ない」
そう言うと、私の手を取った。
「それに……すみませんでした。……突然、やっかいな私と婚約することになってしまって」
「……?」
それは、一体何を謝っているのだろう、と首をかしげた。
「私は、自分が幸運だと思っています。この国は恋愛結婚を否定せず、ある程度の自由がありますが、貴族は結婚にどうしても政治的な思惑があるモノ……意に沿わぬ政略結婚が多く、会ったこともないヒトと結婚することも……その中で私は、政治的なものだったとしても好ましいと思うかたと婚約しているのですから」
エイダン様は、驚いた様子でこちらをみたが、その時の私は気付かなかった。
「むしろ……私は、幼い頃から貴族として受け入れていましたが、エイダン様は違うことでしょう」
貴族のルールなんて、本来彼には関係なかったはずなのだから。
なのに、彼は突然口元を押さえて笑い始めた。
「そっかじゃあ……すみません。勘違いをしていました」
「え?」
「手紙をくださったでしょう。その時、何を書けばいいのか……ちょうど良いからと貴女の婚約者になってしまった私が、何を書けば良いのかと悩んで結局返せなかったのですが……よかった。貴女が、私との婚約を嫌がっていなくて」
「私が、嫌がる? まさか、どなたかから聞いたのですか?」
まさか、と私は慌てて聞く。そんなこと思っていないのに。
「いえ。私は、小心者だったので、貴女の事を知ろうと踏み出せず、勝手にそう思っていました」
ほっと、一息つく。なら、良かった。しかし、エイダン様がそんなことを考えていたなんて。
私達は、同じようなことを考えていたのだ。
ふと、好きなのだと告げなければと思い出す。今なら、この流れで言えるのではないか。
思わず早口になりそうになるのを押さえながら、私はこの思いを伝えようと口を開いた。
「……私は、むしろエイダン様の事が」
「シャノンさん……私は、いえ、私も貴方と婚約できて、幸運でした」
好きだと言おうとして、その前に彼に言葉を遮られてしまう。
優しい笑顔に、私は赤面して……それ以上言葉を紡ぐことができなかった。
「シャノンさん。遅くなりましたが、私と一曲踊っていただけますか?」
「はい……よろこんで」
初めての婚約者とのダンスは、まだぎこちなくてボロボロだったけれど、とても楽しかった。