この奇蹟は誰がために
やらなければならないことがある。
私は、破けたワンピースも、怪我の状態も見ずに歩き出した。
後ろで、エイダン様が制止する声が聞こえるが、聞かないふりをする。
それよりも、やらなければならないことがある。
歩いていたが、少しずつ早足になる。だんだんと足は速くなって、いつしか、走っていた。
賑やかな場所から離れた道を私は行った。
とにかく、時間との勝負だ。
私がなぜ過去であり未来である記憶を持っているのか、あの時の感情すらもありありと思い出せるのか分からない。
あの記憶が、未来でありながら過去であると不思議な確信を持っていることも、よく分からない。
だが、過去のシャノンはもう一度やり直すことを望んだ。
聖女の凶行を止めるために、大切なモノを守るために。
もうちょっと早めに思い出していれば、なんてちらりと思ってしまったが、こんな事態が起こったことが奇跡なのだから、それは望みすぎるだろう。
とにかく、脚を動かす。
向かうはレギナルド様の居るはずの場所。父と話しているはずだ。
思い出した瞬間思ったのは、自分一人では未来を改変することは難しいということ。
自分には聖女に対抗する武器がない。剣も魔術も得意ではない。あるのは、知識だ。
未来の知識。
そして、その知識を集めた末の結論。
だから、レギナルド様に私の知識と協力を願う。それしか道はない。レギナルド様が、私の知っている中で数少ない聖女に対抗できる方だろうから。
しかし、突然未来の記憶を持っていると言っても信じられないだろう。だから、早くレギナルド様の元へ行かなければならない。
レギナルド様は、この後父様と兄様が一緒に居るときにファーガスト王国の宰相であるオスカー様から手紙をもらって聖女様の降臨を知ることになる。
だから、その手紙が来る前に、会うのだ。聖女様の降臨について話すのだ。
ファストリアに居なければ知らないはずの情報を常緑の森にいた私が持っているという矛盾。その私が未来について話せば信憑性がある。
話を、少しでも聞いてもらえるはずだ。
レギナルド様と父様、兄様がいるであろう場所へ行くと、エルフ達が困惑した様子でいた。
すでにレギナルド様と父様はいない。
まさか、もうオスカー様からの手紙が来てしまったのだろうか。
「シャノン、何処に行って……どうしたんだ、その格好は?!」
兄様が……真っ黒ではない兄様が、驚いて私の元へ駆け寄ってきてくれる。
それだけで、涙が滲んでくる。
兄様が、生きている。
そうだ。この時間は、まだ誰も聖女のせいで死んでいない。
「そんなことよりも、レギナルド様はどちらにっ」
私の気迫に押され、兄様は城の方を指さした。
「突然、ネイロさん達を呼べと言って城へ行ってしまったけれど……ほんと、どうしたんだ」
「オスカー様からの手紙が来たのですかっ?」
「いや……どういうことだ?」
まだ、手紙が来ていないのに城へ?
記憶とは少し違う。いや、もしかしたら記憶が間違っているのかもしれない。
とにかく、レギナルド様が城へ向かったのならば、私も向かわなければ。まだ、手紙は届いていないうちに。
再び走り出す私に、兄様が追いかけてくる。
「シャノン、止まれ! 何をしでかしたんだ」
「ごめんなさい、兄様。後でお話しします!!」
城に着くと、異様な雰囲気に包まれていた。
城の入り口で、レギナルド様と父様、ミラ様、ネイロ様、何人も集まっている。
「お待ちください、レギナルド王!! 突然、どうしたのですか」
「そうよ。いきなり戦えるモノを集めろなんて……戦争でも起こすつもり? なぜ、突然」
ネイロ様とミラ様の話で、うっすらとこの騒動の理由が分かる。
「あぁ……戦争を起こす、それも良いかもしれないな」
「レギナルド様っ、一体、どうしたというのですか?!」
「ヒトもエルフも、そんなこと望んでいないわ。お願い、レギナルド……」
父様とミラ様の必死の制止が続く。
もしや、と私は思い至る。が、確証はない。
「レギナルド様っ」
私が名を呼ぶと、レギナルド様以外の方達が私の方を見た。
場違いな来訪者に、父様はどうしてここに来たのかと怒りの表情を見せ、ミラ様やネイロ様は戸惑っている。レギナルド様は……こちらをゆっくりと何かを見定めるように暗い眼で見た。
初めて、こんなレギナルド様を見た。それでも、勇気を振り絞って言葉を紡ぐ。
「聖女様がファーガスト王国に降臨しました」
私の言葉に、レギナルド様以外が驚く。
まだ、オスカー様からの手紙は届いていなかったのだ。
「知っている」
だと言うのに、レギナルド様は当然のように頷いた。
やっぱり、そうだったのかと納得する。
レギナルド様も、同じなのだ。未来に起こる記憶を、思い出したのだ。
「どうか、私の話を、聞いてください」
「必要ない。聖女は、私が殺す」
その発言に、誰もが声を失った。
冗談だと笑うには、あまりにもその声は真剣すぎた。
聖女様を殺せば、絶対に王国と戦争になる。それでも、レギナルド様はこのままでは一人でも聖女様を殺しに行ってしまうだろう。
だから。
「では……兄様の、アルバスの名に免じて、私の話を、お聞きください」
「え、なんで?」
後ろから困惑した声が聞こえてくるが、無視をする。
レギナルド様は、静かにミラ様を見た後、大きなため息をついた。
「……いいだろう。アルバスの名に免じて聞いてやろう」
「え? え、え?」
今の兄様には悪いが、レギナルド様には通じてくれたようだ。
兄様は……ミラ様を庇って死んだ。
ごめんなさい、兄様。心の中で謝りながらも、レギナルド様へどう話すかを考えていく。
「待て、シャノン。一体、どうしたんだ。やめなさい」
父様が戸惑いながら、私を止めようとする。だが、今はそれどころではない。
「ごめんなさい、父様。後で……」
後で、話せるだろうか。
レギナルド様は、無表情で周りに指示を出していく。どうにか、戦える者を集めることは止めてくれたようだ。ミラ様に怒られながらも、彼は淡々としていた。
そして、私を小さな一室に連れて行った。
「それで」
レギナルド様の冷たい声が響く。
レギナルド様に連れてこられた部屋に入ると、殺風景な部屋だった。書き物をするための机と椅子が一つ。あとは膨大な数の書籍が収められた本棚が並ぶだけ。レギナルド様の執務室だろう。
レギナルド様が手を振ると、暗かった部屋に明かりが灯る。
窓が大きく、昼間は日当たりの良い部屋なのだろう。今は、暗い森と夜空が見える。
「それで、お前の話とは、なんだ」
怖い。
レギナルド様が、怖い。
今まで、そんなことを考えたことなどなかったのに。
とても、恐ろしい。
「私は、私が処刑されるまでの記憶を、保持しています」
「だろうな」
「だから、今、聖女様を殺しても意味がない事を、知っています……」
「……続けろ」
これから話す、笑われても仕方がない考察に、私は一瞬ためらった。
物証がない、あるのは状況証拠だけだ。それでも、私はその考察があっていると確信していた。
あの時、過去の私を殺す瞬間の聖女の姿。あれが、真実だと。
「私達、繋ぎの一族を殺し、エルフ達を魔王の手先として迫害した聖女は--偽物です」
「証拠は」
「聖女様は、ジスラン王子と親しくされていたそうです。ですが、聖女様が降臨されてから4日目の夜に、お亡くなりになった。その日、ジスラン王子は様子がおかしかったそうです。これは、アシルから聞きました」
普段のアシルが嘘を言うようなヒトではないことは何度か会っているレギナルド様も知っている。
「ジスラン王子がなくなられたその日、町で火災もありました。出火場所は持ち主が長年放置していた空き家。そこに、身元不明の女性の遺体があったそうです。焼け焦げ、身体の芯まで真っ黒な炭になった女性の遺体が」
「……」
「レギナルド様は、私の兄……アルバス・アルフィーの遺体をご覧になられましたか」
「あぁ」
アルバス兄様の最期の姿……。あの光景を思い出すと、息ができなくなる。辛くて、苦しくて、言葉が出なくなる。
人の姿をしただけのモノになった兄様。折れた手だったモノの断面から見えたのは、もはや炭となった身体だった。
「まさか、その死亡したヒトが聖女だと?」
「はい。そのまさかです。私を処刑したのは、おそらく、偽の聖女。本物の聖女様は、降臨して4日目に殺されています」
「その根拠は? まさか、その話だけで聖女が偽物と変わっているとでも言うのか? ジスラン王子の情緒不安定、アルバスと同じ状態で発見された女の遺体、それだけで?」
「……聖女は、おそらく魅了か洗脳の魔法を使って周囲にいる者達を操っています。しかし、初期の頃から側に居たアシルには効かなかった。おそらく、側にアリアナが居たからです。アリアナは女神エメニエスの祝福を受け、周囲にも加護を与えることができます。アシルとアリアナは非公式ながらもお互い将来を誓い合った仲……おそらく、その加護がアシルを守っていたのでしょう」
だから、アリアナが行方不明に……聖女によって殺された事で加護がなくなり、彼女の手にかかった。
「もしも、聖女が本物の聖女様であるならば……洗脳など、行ないますか? エメニエス神の聖女である彼女が、同じくエメニエス神に祝福されたアリアナと敵対するでしょうか? 彼女の行動は、エメニエス神の聖女であるようには見えないっ」
穴だらけの物証のないただの考察。
けれど、私は、死に際に彼女に問いかけた。
『貴女の名前は、なに? 魔王』と。
彼女は、答えずに私を殺した。その時の表情が、全てだと思った。
長い沈黙。
レギナルド様は私の話を聞いた後、ずっと外を見ていた。
やはり、ダメだっただろうか。
それとも、私が間違っているのだろうか。
恐ろしいほど静かな時間が過ぎていく。
諦めかけたときだった。
「過去……いや、紛らわしいな。アレを一巡目の世界と呼ぶぞ。……一巡目の世界であの聖女が偽物であると、私達はすでに確信していた」
レギナルド様は、静かに言った。
「ヒトにとって昔のことでも、エルフにとってはほんの少し前の事……前代の聖女の事を覚えているエルフが何人か居る」
それはシャノンの知らないこと。だが、あり得ない話でもなかった。魔力の量によってエルフの寿命は前後する。彼等がどれほど長生きなのか、すでに何百年も生きているレギナルド様を見れば分かる。
「彼等と、かつての記録……ヒトは、前代を初めての聖女と誤解しているようだが、聖女と同じ存在はすでに何度も降臨していた。彼女らの記録から、今代の聖女は偽物であり、魔なる者の眷属だろうと、判断した」
「……」
「そうだな、例えば聖女は戦う力を持つ者は少ない。持っていたとしても、聖なる存在である彼等は魔術など使えない。アルバス達を焼いた炎は、聖なる炎などではなかった……」
「だから、聖女様をすぐに殺そうとしたのですね」
「……理由の一つではある」
レギナルド様達はすでに彼女を偽物の聖女だと分かっていたのか。
自分の穴だらけの推論を聞いて、レギナルド様はどう思っただろうか。少しばかり恥ずかしくて、思わず下を向いた。
しかし、こんな展開になるとは思っていなかった。
自分以外にも過去の、いや一巡目の世界とレギナルド様に倣って言おう、一巡目の世界の記憶を持っている者が居るとは思っていなかったし、それがレギナルド様で、かなり聖女についての情報を持っているのも嬉しい誤算だった。
「だが、シャノンの言うとおり、これから聖女が偽物にとって変わられるのならば、本物の聖女がまだ死んでいないのなら……本物の聖女を、救出する」
「レギナルド様っ!!」
よかった。本当に、良かった。
まだ、問題はいっぱいある。
もしかしたら、偽の聖女も一巡目の記憶を持っているかも知れない、そもそもその正体がまだ分かっていない。ジスラン王子もこのままでは殺されてしまう。
でも、少しだけこれでどうにかなるかも知れないと、安堵して--ほっとした拍子に、脚が震えてそのまま体勢を崩して倒れてしまった。
「す、すみません……」
慌てて立ち上がろうとするが、今更になって木から落ちた時の怪我が酷く痛んでくる。
「怪我を……?」
まさか、酷い怪我をしてそのままここに来たなんて思っていなかったのだろう。私も、隠していたから。
レギナルド様が私の怪我の状態を見ると、眉をひそめた。そして、すぐに治癒術をかけ始める。
「すまない。ニアラを呼ぼう」
「そ、それは、どうかおやめくださいっ!」
ニアラ様と関われば、その弟であるエイダン様とまた関わる事になってしまう。
それだけは、避けなければならない。
一巡目の世界で、聖女は私を処刑した。苦しむ私を見たあの笑顔、そして、まるでわざわざ私を傷つけるようにアリアナの死や一人だけ生き残っていることを告げたあの聖女は……私を、憎んでいるように感じた。
聖女に対して私は特になにもしていない。聞かれたことに答えた程度。でも、彼女は明らかに私を苦しめようとしていた。
理由が分からない。今回も同じように彼女は私を苦しめようとするかも知れない。その時、エイダン様がいたら……彼女はエイダン様をまた殺すかも知れない。
もし、また彼が殺されたら。
考えたくない。けれど、考えてしまう。
だから、私はエイダン様と関われない。
「……分かった」
そう言うと、レギナルド様はそのまま治癒術をかけ続けてくれた。
「私では、痕が残ってしまうかも知れない」
「痕なんて、良いのです。……ありがとうございます」
怪我をしてから時間も経っているし、痕が残るくらいどうということはない。
ニアラ様の時よりも、長く治療の時間がかかる。
「あの、レギナルド様……私は、いえ、私とレギナルド様は、どうしてもう一度やり直しているのでしょうか」
治療を受けながら、私は思わず聞いていた。
死の間際、私はもう一度やり直したいと願った。そしたら、みんなを守るのに、と。
その願いを、誰かが叶えてくれたのだろうか。
レギナルド様は、私の胸元をチラリと見て、言った。
「……お守りを、持っているだろう」
「お守り……?」
思わず首に手をかける。
まさか、ここに在るはずがない。在るはずが、ないのに……鎖を見つけて、ソレを胸元から引っ張り出した。
きっと、一巡目の世界でいつもつけていたから、その重さがあるのが普通だったから、気付かなかったのだ。
まだ貰っていないはずなのに、ここに在るはずがないのに、そこにはエイダン様から貰ったお守りがあった。
「……う、そ。なんで」
ただ、雫の形をして少し緑かかった青く美しい宝石は、赤黒く濁ってしまっている。
「ソレは、特別なモノだ」
ミラ様からも貴重なモノだから大切にするよう言われたことを覚えている。
とはいえ、これが過去に戻ることができた原因とは思いもしなかった。
「……ソレは、世界樹の側に広がる湖の底で採れる貴石だ。我等の神、世界樹の祝福が込められている。その貴石に己の子の安全と幸せを願い、魔力を込めて贈る親が多い。エイダンの持っていたソレも、エイダンの両親と、ニアラ、エイダン達の魔力を込められていた」
小さな宝石に、そんな思いが込められていたなんて、知らなかった。確かにこれは、お守りだ。
エイダン様は私にこれを贈ってくれた。それは……私の幸せを願ってくれたから?
目元が熱くなる。
「ソレが、願いを世界樹の神へ繋げた」
そう言うと、レギナルド様は懐から小さな指輪を取り出した。その指輪には、やはり小さな宝石がついている。
私の持っているお守りと同じ、赤黒く濁ってしまった宝石が。
「レギナルド様も、願ったのですか。もう一度、やり直したいと」
「あぁ……だから、だろうな」
だから、こんな奇跡が起きた。
この世界には、様々な神様がいる。ファーガスト王国で信仰されているのは慈愛神エメニエス様。もちろん、エメニエス様を信仰している国もあるが、他の神様を信仰している国もたくさん在る。エルフ達は、世界樹セムナディア様を信仰している。
セムナディア様は、信仰もしていない私の願いを叶えてくれたというのか……。このお守りがなければ、きっとあり得なかっただろう。
「これから数日、この城に泊まっていきなさい。キニス達には言っておく……聖女を救助するのならば、あと4日……いや、もう今日も終わる。あと3日だ。これからの事を話し合う必要がある」
「……はい」
シャノン・アルフィー。
彼女もあの過去からやり直してきた存在。
そのことをレギナルドは、知っていた。
知っていて、あんな態度を取った。
レギナルドに呼ばれ、ミラが様子をうかがいながら執務室に入ってきた。
胡乱げにレギナルドを見ると、口を開く。
「突然戦争しようとしていると思ったら、次は何?」
「……すまない」
一巡目の世界の記憶を思い出し、だいぶ混乱をしていた事をシャノンと会話したことで気付くことができた。かなり暴走していたと自覚もあるので、レギナルドはばつの悪そうに謝る。
「何があったのか私には分からないけれど、もう無茶なことを言わないで」
「それは、約束できない」
「……」
ミラはレギナルドをじっと見つめた。そして、ため息をつく。
「貴方が望むのなら私はその望みをできうる限り叶える。けれど、この国を滅ぼすようなことはできないわ」
「あぁ……」
ミラは、そう言うとレギナルドの肩に寄りかかる。
「ミラ……すまないが、頼みがある」
「なに?」
「世界樹の守護達の元へ行って欲しい」
「……それほど、酷いことが起こるのね?」
「……」
ミラは世界樹の麓に住まい、世界樹を守護する古い一族の出だ。だが、彼女は守護達にとって必用な力を持たずに生まれ、あの場所から飛び出した。
何度かレギナルドが世界樹に祈りを捧げるとしてミラを無理矢理里帰りさせたこともあるが、彼女はあそこを苦手としている。
別に、彼等とミラの仲が悪いわけではない。けれど、あそこはミラにとって苦痛な場所なのだ。
それでも、ミラに世界樹の麓へ行って貰わなければならない。
このままここにいれば殺されるから、なんて理由ではない。もちろん、ミラには安全な場所にいて欲しいとレギナルドは願っているが、きっと彼女はそんなレギナルドの願いを知れば怒って飛び出して行ってしまうだろう。そんな彼女の性格を知っているレギナルドは、彼女を無理に守ろうとは思っていなかった。
「これを渡して、返答をもらって来て欲しい」
急いで書き上げた手紙に封をして、レギナルドはミラに渡す。
その封は、他者に読まれないようにとかなり強力なモノだ。普段ならこんなに強力な封じをしない。
それに気付いたミラは、慎重にその手紙を受け取った。
「私の運命……貴方に祝福を。必ず、届けるわ」
「頼む……」
世界樹の麓まで急いでも丸一日以上かかる。
深夜であるにも関わらず、ミラはすぐに出立の準備を始めた。
めったに世界樹の守護達と関わりを持たないレギナルドが、ミラと守護との関わりを利用などしようとしない彼が、頼み込んできたのだ。決して後回しにして良い事ではない。
たとえ何があろうとも、この手紙を迅速に届けてなければならない。
誰も居なくなった執務室で、レギナルドは一人窓の外を見る。ミラが旅立つのをそこから見送りながら。
彼女を一人で送るのは不安がなかったわけではない。だが、きっと彼女は一人の方が良い。
ミラは、世界樹の守護達にとって一番重要だった能力を持たずに生まれた。だが、その代わりとでも言うように世界樹に多くの祝福をうけている。
この森は彼女の庭。この土地は彼女を害さない。彼女が傷つくとすれば、側に誰かがいる時くらいだ。彼女が森にいるのならば、レギナルドすら彼女の邪魔になってしまうだろう。
そんなことを知っているのは、レギナルドと一部の世界樹の守護達のみだ。
無邪気に笑うミラが、殺されたのはこんな夜だった。
聖女によって洗脳されたエルフによる凶行だった。あの時、ミラは側の者達を庇って死んだのだ。もしも、一人ならばそんなこともなかったはずだ。
一巡目の世界の自分は、あまりにも愚かだった。何もかも遅すぎて、何も守れなかった。
シャノンの怯えた姿を思い出す。
一巡目の世界で、聖女によって処刑された少女。
彼女は、知らない。
自分が死んだ後に何があったのかを。
知らなくて、良いと思う。むしろ、このまま何も知らずにいて欲しい。
だから、彼女がたとえ一巡目の世界でやり直しを望んでいたとしても、この世界で聖女と争うことを望まないのであれば、ソレで良いと思った。
レギナルドの言葉に尻込みするようだったら、適当に記憶を改変するか誰にもやり直したことを告げられないよう契約して、そのまま関わらせないつもりだった。
しかし、彼女は大切な者達を守りたいとレギナルドの前に立った。
それどころか、レギナルドの知らなかった情報をもたらし、本物の聖女の救出するための協力を仰いできた。
「ダメだな。こんな、姿をさらして……落ち着いて行動しなければ……」
なにがエルフの王か。聖女への憎しみで、眼が曇りすぎていた。レギナルドは、ため息をついて眉間にしわを寄せる。
レギナルドは、シャノンに言わなかったことがある。
世界樹セムナディアは聖女降臨まで時を巻き戻して、全てをやり直した。
そんな奇蹟、簡単に叶えられるわけがない。
この奇蹟は、幾つもの偶然と代償をもって叶えられた。
レギナルドも、代償を払った。
あの優しすぎる世界樹が求めたものは、代償とも言えないものだったけれど。
なら、シャノンは?
シャノンもまた、代償を払った。記憶を持ち越してやり直すために、大切なモノを守るために。
彼女は覚えていないようだったけれども……レギナルドは、彼女の払った代償を覚えている。
「キセキを、もう一度起こすことはできない」
やり直したことで、世界樹セムナディアは限界を超えている。もう一度やり直すことなんてできない。これが、最期の機会だ。
レギナルドは、小さな指輪を握りしめる。
ずいぶん昔に、レギナルドがミラに渡したモノ。ミラの死と共にレギナルドに帰ってきた一巡目の世界の約束の指輪。
赤黒く濁ってしまった貴石は、奇蹟のために代償を払った証明だった。
「絶対に……守ってみせる」
かつて守れなかったモノを、今度こそ。
聖女は、レギナルドを魔王と呼んで、殺した。
なら、魔王になってやろう。
偽りの聖女を殺す、偽りの魔王に。
少しだけ、時間はまき戻る。
「……はぁ」
暗い夜道を、エイダンはため息をつきながら歩いていた。
思い出すのは先ほどの事……シャノン・アルフィーの事だ。
たまたま、収穫祭から抜け出すところを、エイダンは見てしまった。何処に行くのだろうと気になりつつ、追いかけるのも彼女に失礼だろうとうろうろしている時だった。
鐘の音と共に何かが落ちる音を聞いた。
周囲の人は鐘の音の方ばかり気にして気付いていなかったが、エイダンは少女が向かった方角から聞こえたソレに気付くことができた。
そこまではよかった。
シャノンが木から落ちてしまっていた。その事に驚きながら、怪我がないかと心配で駆け寄って……彼女に拒否された。
『大丈夫です』と、彼女はエイダンを見ずに言うと、怪我をしているにもかかわらず走って行ってしまった。
突然身知らずのエルフに声をかけられてびっくりしたのかも知れない。ワンピースが破れてしまっていたのを見てしまったせいかもしれない。
「はぁ……」
「なーにため息ついてるの」
考えながら歩いていたが、足はしっかり自らの家へ帰ってきていたようで、お酒のせいか少し顔を赤くした姉ニアラがこちらを不思議そうに見ていた。
「なんでもない」
「ふーん。好きな子にふられたのかと思っちゃったわ」
「……っ?!」
「え、なにその反応。まさか……?」
ニアラはしっかりしているが、巫山戯ることも多い。
今回も、巫山戯て好きな子にふられたのかなんて言っただけだった。だが。
「え、えいだん……お姉ちゃんに内緒で、そんな?」
エイダンは23才。ヒトで言えばもう婚約者がいても、結婚していてもおかしくない年だが、エルフとしてはまだ幼い子ども。
見た目も精神的にもエイダンは大人といっていい。だが、分かっていても子ども扱いになってしまうニアラにとって、エイダンの恋愛は衝撃的なことだった。
一気に酔いも覚めて、ニアラはエイダンの服を引っ張った。
「ね、姉さん、いや、違うからっ。別に、ふられたわけじゃないし」
「そ、それって、好きな子がいるって事だよね? ふられたわけじゃないって、それって、ねぇ?!」
「いや、そのっ。そういうわけじゃ」
「じゃあ、どうしたの?!」
今日もニアラとエイダンの姉弟は仲が良い。近所のエルフ達は、聞こえてくる二人のやりとりを微笑ましく聞いていたらしい。
とりあえずの完結まで毎日投稿を再開します!




