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花粉は意思を持っている。

作者: 紫雀

崎津市から一時間。

電車に揺られて下坂村に帰ってきた春日井冬樹は、駅に降り立つと、口を覆っていたマスクを外した。

伸びをして思いっきり肺に空気を吸い込む。


「ああ、うまい」

村と都市では空気の味が違うと、冬樹はつくづく思うのだった。


下坂村は盆地だ。

村を囲む山々はたくさんの杉の木が植わっている。

時は春。田んぼにはレンゲ、畑に菜の花が咲いている。加えて山のスギ花粉。

河川敷に満開の桜が咲き乱れ、空気中には花粉が山ほど飛んでるはずだ。

なのに冬樹の知る限り、下坂村の住人はだれ一人、花粉症になった人間がいない。


「なんでだろうなぁ、不思議だなぁ」

と冬樹は一人ごちた。

「田舎だからか」

花粉症は花粉と排気ガスが混ざり合った空気を吸い込むと発症しやすくなるって聞いた事がある。

「結局、大気が綺麗(きれい)ってことなんだよなぁ~」


冬樹は、クリアでない村の景色に眼をやった。

この時期独特の春霞。景色はどこまでもかすんでいた。

十分ほど歩いて、小学校の校門に差し掛かった所でかわいらしい声が響いた。


「お帰りなさい。冬樹さん」

冬樹の真ん前に、中学生くらいの巫女装束の女の子が立っている。

少女は微笑んだ。冬樹は眼を丸くした。


「……ただいま……」

見たことない少女。五百人しかいない村。

全員が親戚のようなものだ。知らない子供なんているはずないのに。


冬樹は首をかしげた。

「……君、だれ?」

少女は冬樹の問いに答えず、じろじろと冬樹を見ていかにもイヤそうに顔をしかめた。

「冬樹さん、ばっちいです」

「は?ばっちい?」

「冬樹さんにはたくさんのバイ菌がついてます」

何を言ってるんだ、この子は。


「ばい菌って」

「なんだかわからないけど、ものすごーく嫌な感じの菌です」

「そ、そうか。どんな感じの?」

「風邪に似てるけどちがう。インフルでもないみたい。息が苦しくなる菌みたいです」


もしかして新型コロナか!中国で発生した呼吸器系をダメにする殺人ウイルスだ。

中国が研究開発したウイルス兵器ではないかと言われている。

世界中に広まり日本にも上陸した。

菌の感染拡大を防ぐために小中高は休校になってしまった。

その菌を貰ってしまったのか?

冬樹は蒼くなった。


「そうか、でも払いようもないし」

「大丈夫です」

少女は微笑むと、ぎゅっと冬樹にだきついた。


「うわっ」

接触したらうつるだろう!

「あ、君、あの、今すぐ離れて」

うろたえた冬樹におかまいなく少女は冬樹にだきついたままだ。

少女からふわりと香が漂った。冬樹は森の中にいるような気がした。


樹木の香り。いいにおいだ。

抱きついていた少女は、5分ほどたって冬樹からはなれた。

眼を閉じて余韻に浸っていると少女は言った。


「冬樹さん、もう村に入って大丈夫ですよ。ばい菌は私が取りました」

彼女はニッコリ笑って宣言した、

とりましたって、ただ、抱きついただけなんだけど。


「……あ、ありがとう」

「お役にたててよかった。これで寒山様に()めてもらえます」

「かんざん……?」

「寒山様をご存じないのですか」

少女は非難がましい眼で冬樹を見つめた。


「えーと、あの」

「酷い!下坂神社のご神木ですよ、ご存じないなんてひどいです」

 少女はしくしくと泣き出した。


「え、いや、あの、知ってるよ。樹齢五百年の杉の木だよね」

「木じゃなくて霊木です!」

木であることに変わりないけど。


少女は、手刀で大きく空中に鳥居の形を描き出した。

冬樹の手を取り、一歩中に足を踏み入れる。

空気は一変した。湿り気のある、清浄なる大気。


冬樹は眼をみはった。

見覚えのある神社。見上げるような高さで林立する樹々。

足元に落ちた木漏れ日が揺らめいて、枝々の間から鳴きかわす鳥の声が耳朶に響いた。


「戻ったか?ゆら」

「はい。寒山様」

冬樹は前方に立つ声の主を見上げた。

太くて高い杉の木の前に、一人の老人が立っている。

年令不詳。あごに長くて白いひげを蓄え、長じゅばんのような着物を身にまとっている。

杖をついたその姿は、まるで仙人そのものだ。


「ご苦労じゃった。ゆっくりお休み」

「はい」

ゆらと呼ばれた少女は輪郭が薄れサラッと眼の前から消え失せた。

「寒山……様。休むってどういう意味なんですか?」

イヤな予感がした。

「少年、文字通り休む。永眠することじゃ」

「そんな、さっきの少女は」


「あの子は花粉じゃ。普段、人々に迷惑をかけてるから役に立ちたいと申してな」

「迷惑って……花粉症の事ですか?」

「そうじゃ。今は町の空気はよくないから、花粉も一緒になって悪さしてしまうのだ」

「そんな、あの子のせいじゃないのに」

「村の入り口で、村に帰ってくる人のよくない菌を包んで眠るように命じた」

冬樹はハッとした。

『そうか、だから、あの子、ばい菌を取ったって言ったんだ』

「花粉に男女の別はないが、おまいさんが男だから、少女の姿をとったんじゃろうのう」


「俺、あの子にお礼を言わないと」

「よい、よい、アレも本望じゃろうて」

「……随分と薄情なんですね」

「アレも儂の一部じゃ、花粉の役割は受粉じゃが、アレは変わった子じゃったわい」

寒山は片手で白ひげをなでながら飄々(ひょうひょう)とした口調でのたまった。


「俺、あの子に叱られました。寒山さまをご存じないのかって」

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉーっ、アレはそんな事いったのか?」

「なんで、寒山っていう名前なんですか」

「よくぞ、聞いてくれた。ある日、神社にやってきたクソガキが儂に向かってこう言ったのじゃ」

……クソガキ……嫌な予感しかしない。

「儂がお前に名前をつけてやる!寒山はどうだ。今日からお前の名前は寒山だ」


ほんとにクソガキだ。

樹齢五百年のご神木に、何つぅー偉そうな。


「それ、何年前のことですか?」

「ざっと、五十年ほど前かのう」

「……やっぱり」

そのクソガキはじっちゃんか。

「つかぬことをお伺いしますが」

「なんじゃな?」

「そのクソガキになんか取られたりとか」

「おお、なぜ、知っておるのだ。大事にしていた水晶の結晶をとられてしもうて」

『ううっ。やっぱりじっちゃんかぁ』

脳裏にVサインを決めたじっちゃんの顏が浮かんだ。


冬樹は背負っていたナップザックから紫水晶の塊を取り出し、申し訳なさそうに寒山に手渡した。

ついこの間、耕したじっちゃんの畑からでてきたものだ。


「おおっ、この水晶はまさしく儂の物。少年、これをどこで」

冬樹は90度に腰をおりまげ頭を下げた。

「そのクソガキはうちのじっちゃんです、ごめんなさい」

「よい、よい。主はあ奴の孫であったか。ふぉふぉふぉっ」

杉の化身は豪快に笑って許してくれた。

アバウトなご神木だ。


でもじっちゃん。なんで「寒山拾得」なんだ。寒山と拾得。二人とも中国の高僧だけど。

寒山って、ボロをまとい、寺の台所に入り込んでは僧たちの残飯を食していたという。

俺には変な事ばっかりやる坊主っていうイメージしかないんだけど。、

ご神木に対して失礼なんじゃないのか。

 

「ほほう、主は寒山を変人と思うたか、儂は主とは違う話を聞いたわい」

その偉そうなクソガキに別な話?


「『寒山は文殊菩薩生まれ変わりだ。菩薩様と同じ名前なんて素敵だろ!

 お前も村を見守ってきた神様なんだから、儂は寒山という名前が良いと思う!』

と胸をはってのたもうたのじゃ」


そうか。じっちゃん、そんなこと、言ったのか。

じっちゃん。博識!グッジョブ!


「ところで少年、よいのか?もう日が暮れるが」

「えっ?」


山の日暮ははやい。辺りは薄暗くなっている。

じき周りは真っ暗になってしまうだろう。


「うわっ、勘弁してくれ!今からあの「参拝者殺し」を降りろというのか!」


下坂神社の階段は七百段ある。別名「参拝者殺し」この階段は狭くて急な上に切れ間がない。

うそだろ。真っ暗な中。その七百の階段を下りるなんて無理に決まってる。

転げてケガするのが関の山だ。


「ふむ。灯りもなしではちと、気の毒じゃな。よかろう、送ってやる」

寒山はおもむろに杖を振りかざし何事か唱えた。

目の前が真っ白になった。

「少年、また、会おうぞ!ふぉーふぉふぉっふぉっ!」」


豪快に笑う寒山様の声が響いた。

気が付くと冬樹は下坂神社の登山口に座り込んでいた。

今日の出来事、じっちゃんに話してやらないと。

立ち上がった冬樹は、神社の方角を向いて一礼した後、家路を辿りはじめた。



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