【74】よい終末を。
「……今、なんて」
「ですから。私が、『魔王』――10年前、人類の皆さんに倒されて体をバラバラにされた、可哀想な魔王様なんです」
あっけらかんとそう告げた彼女に、その時ゴウライが、動いた。
重鎧をものともしない鋭い踏み込みからの正拳突き。しかしその魔力の込もった一撃は――「彼女」が入り込んだ伯爵、その左の指先ひとつでぴたりと止められてしまう。
ぎりぎりと拳に力を込めたまま、ゴウライは彼女に向かって低く唸る。
「そのどす黒い魔力、たしかにあの時感じたものと同じ……ッ! 貴様――本当に、魔王だと言うのか!」
「あはは。ご無沙汰ですね、【黒騎士】。10年前は貴方のせいで酷い目に遭いましたが――まさか今回も邪魔してくるなんて思いませんでした」
そう言いながら彼女が「それっ」と気の抜けた声とともに、空いた右手でゴウライの胴体を軽く押す。
瞬間、彼の体が凄まじい勢いで吹き飛ばされて、遥か後方の壁面に激突して大きなクレーターを作り出していた。
「ゴウライ!」
「む……大丈夫だ、だが……奴は、やはり」
駆け寄ったラーイールに治癒の魔法をもらいながら立ち上がるゴウライを見て安堵しつつ、俺はメガミの方へを視線を戻す。
伯爵の姿で、その太腕をつまらなそうに見つめながら、彼女は大仰にため息をついた。
「……あー、やっぱりこんな仮の依代じゃあダメですね。全然力が出ません。本当はそっちの勇者のお嬢さんをもらえたら良かったんですが――色々と想定外でしたよ。全部、ウォーレスさんのせいです」
「……そりゃあ気味が良いな」
首筋を伝う冷や汗を無視しながらそう軽口を返し、俺は続けて問いを重ねる。
「……なんでだ。あんたが魔王だっていうなら、なんであんたは俺を……導くような真似をしたんだ?」
【腕輪】と【剣】を手に入れてから、要所要所において彼女は俺にアドバイスをくれた。
俺に【腕輪】によって得た力の、スキルの使い方を教えて、あまつさえあの【十天】――アルノラトリアとの戦いでも、劣勢だった俺に逆転の糸口を示してくれた。
彼女が魔王だとするなら、何故そんなことをする?
そんな俺の問いに――メガミは薄笑いを浮かべたまま、「それはですね」と口を開いた。
「貴方がつけていた【腕輪】と【剣】。あれらがふたつでひとつの遺物だということは、さっきそこの【黒騎士】さんも言っていましたよね。そしてそれが、私の復活のための標だってことも」
「……それが、どうした」
「それだけじゃ、ないんです」
そう意味深に告げて、彼女は手に握っていた【腕輪】の断片を掲げた。
「この【腕輪】――【天啓の腕輪】は、簡単に言うと“電池”。そして今貴方が握りしめてる【天啓の枝】……そちらは“掃除機”とでも言えばいいでしょうか」
「デンチと、ソウジキ……?」
眉根を寄せる俺に、メガミは「ああ」と気のない声を出して続ける。
「この表現だと貴方がたには伝わりませんか、面倒ですね。……少し情報としての正確性は落ちますが喩えを変えましょう。【腕輪】が胃袋、【剣】が食べ物を食べるための口……とでもお考えください。要は貴方が倒した魔族の力が、その【剣】を通して【腕輪】に吸収されていた――と、そういうわけなのです」
彼女の告げた内容に、俺は根本から折れた【剣】を見つめて絶句する。
倒した相手の力を、【腕輪】に集める。
つまり、それは――
「俺を……利用したのか」
「ありがとうございます、ウォーレスさん。貴方が活躍してくれたお陰で、そこそこ【腕輪】にも力が蓄えられました。……最初はこんな弱っちい人間が着けちゃって困ったなぁと思っていたんですが……いやぁ、いい意味で裏切ってくれましたよ、本当にね。まさかアルノラトリアまで倒せるとは思っていませんでしたから」
にこにこしながらそう返して、メガミは己の――否、伯爵の手に視線を落としながらくすりと笑う。
「いやぁ、長かったです。この人をうまく誘導して、この石棺と私の寝床を整えてもらって。……そこまでは良かったですけど、魔王の復活には人の死体が必要だ、って言ったらこの人渋るものですから。なけなしの魔力で無理やり思考汚染を掛けてどうにか集めさせて」
「無理やり、って……」
「困っちゃいますよね。魔族と手を組むところまでしたくせに、『人を犠牲にするわけにはいかない』なんて言うんですよ、この人。……折角ご褒美にと思って、生前の奥さんの顔をした複製人形まで造らせてあげたのに」
そう言いながら、石棺の前で倒れたまま動かないメイドをつまらなそうに一瞥した後、彼女は肩をすくめた。
「ま、どうでもいいですそんなことは。それよりももう少し、私の苦労話に付き合ってくださいよ。この【腕輪】と【剣】……万が一私がこういうことになった時のためにと思ってその昔、あちこちに保険として安置していたんですけれどね。いざ候補の場所を当たっても棺は壊されてたり、安置していた【腕輪】もどっかに持ち去られてたりで全然見つからなくて……もうずっと見つからないかと思って泣いちゃいそうでした。だからこれが見つかったときは、ほんっとうに嬉しかったんです」
その言葉には偽りはないのだろう。メガミは息を切らせてそう話して。
……すると静かに聞いていたエレンが、剣呑な目で彼女を睨んだ。
「……苦労話とやらは、それで終わり? 終わりなら、いい加減ぶち殺させて欲しいんだけど」
「うわ、やだなぁこの勇者。前の奴も嫌だったけど」
そう呟いたメガミの返答を待つ前に、すでにエレンは動いていた。
と同時、様子を窺っていたルインも魔法の詠唱を開始。短縮詠唱によって放たれた雷撃の槍とエレンの蹴りとが、同時にメガミへと突き刺さ……る前に、メガミはエレンの足を掴むとそのまま彼女の体ごと振り回して、雷撃の盾にした。
「っあッ……!」
「エレン……!」
放り投げられたエレンの体がルインにぶつかって、そのまま行動不能になる二人。
メガミはというとそれきりエレンたちには興味を示さず、芝居がかった所作で肩をすくめて呟いた。
「もう、お話が終わる前に攻撃してくるとかお行儀が悪いなぁ。……まあでも、いっか。ネタバラシはこのあたりで、そろそろ終わらせないとね」
言いながら彼女は、伯爵の体のまま石棺の前へと歩いて。そして死体が詰め込まれたその中を見上げると、手に握っていた【腕輪】の断片を掲げる。
すると断片はぼんやりとした光を発しながら、その手から離れて空中へと浮かび上がって――次の瞬間、ひときわ大きな光がその場で弾けたかと思うと、巨大な魔法陣が石棺の表面に浮かび上がる。
「本当はちゃんとした依代がほしかったけど。ま、この中から構成し直せば十分かな」
そう呟くや伯爵の体からメガミ自身が再び飛び出し、そのまま力なく倒れた伯爵の体は気にもとめずにふわりと浮かび上がると、メガミは魔法陣の中央から棺の中へと入ってゆく。
「ありがとうございました、ウォーレスさんに伯爵さん。……それではごきげんよう、よい終末を」
そう言ってメガミが微笑んだ、その次の瞬間。
玉座の間は――まばゆいまでの光と、そしてその後に収束した漆黒によって、塗り潰された。