【71】砕けたもの、砕けぬもの
「っつぅ……!!」
頭が痛みを認識し始めたのは、数秒ほどしてからだった。
身悶えするほどの熱が左手を……否、もうないはずの左手を包み込んで、俺はその場で膝をつき歯を食いしばりながら唸る。
「ウォーレスさん!!」
そんな俺に、血相を変えて走ってくるラーイールとソラス。あのメイドは今の衝撃から主人を守るべく伯爵の傍に戻っていたため、ルインもまた俺のほうへと駆け寄ってきた。
「ウォーレスさん! ウォーレスさん! ウォーレスさん……っ!!」
珍しく本気で泣きながら俺の名を呼ぶソラスに、俺は脂汗を浮かべながらもどうにか無理やり余裕の笑みを浮かべてみせる。と言っても、単なる引きつった笑顔にしかなっていなかったが。
「大丈夫だから、大声出すな……傷に響く」
そう返した俺を見て、もう一度大泣きし始めるソラスを残った右手で撫でてやっていると――その時少し離れた石棺の傍から、また別の悲鳴が聞こえてきた。
「ああ、ああ、あぁぁぁ……!! 遺物が……魔王を受肉させるための、標がッ……!?」
顔を真っ青にして叫ぶんだのは、伯爵だった。
俺の傍に無惨に散らばった【腕輪】の断片をまじまじと見つめ、絶望の面持ちでその場で膝をつき、白目を向いている彼に――ゴウライは俺を庇うように立ちながらゆっくりと振り返ると、彼らしからぬ皮肉めいた笑みを浮かべてみせた。
「悪いな、伯爵。……加減がつかず、遺物まで壊してしまった。これでは魔王を復活させることはできないな――ああ、困った困った」
「よく言うぜ」
ラーイールが応急処置的にかけてくれた鎮痛の魔法で傷口の痛みがいくぶんか和らぐのを感じながら、俺はそんなゴウライを見上げて苦笑をこぼす。
あの一撃を放つ直前。彼は俺に向かって、口の動きだけでこう告げた。
……『右へ避けろ』と。
つまるところ彼は――最初から俺ではなく、俺の【剣】、そして左腕の【腕輪】を狙っていたわけだ。
その言葉の意味を俺が理解し、行動に反映させるだけの余裕を持てたのは【須臾の掌握】スキルで体感時間を延ばしていたがゆえ。
そうでなければ、あの土壇場でそんなことを言われても何のことか理解すらできなかっただろう。
「……何で、伯爵についたフリなんてしてたんだよ、あんた」
俺のそんな問いに彼は、神妙な顔のまま口を開く。
「エレン殿や皆を救い出すため、こうせざるを得なかった。それに――奴の計画を知ればなおさら、奴の傍にいた方が止める好機も見いだせると思ったのでな」
「ゴウライ……」
唖然とするルイン、そしてラーイールに彼は向き直ると……その場で跪き、拳を床にがんと打ち付け頭を垂れる。
「……そのためとはいえ、皆に刃を向けることとなってしまったこと――すまなかった」
「……ま、後でたっぷり飯でも奢ってもらうさ。それより」
そう区切ると、俺は彼に向かって無い左手を掲げながら問う。
「あんたの意図に俺が気付かなかったら、どうするつもりだったんだよ。けっこうギリギリだったぞ」
そんな俺の言葉に、ゴウライは重々しく「うむ」と頷いて。
「ウォーレス殿であれば、気付いてくれると信じていた。お主にはそれだけの、視野の広さがある。それは俺も、エレンも――勇者パーティで誰一人として持たない、貴重なものだ」
大真面目にそんなことを言うゴウライに、俺は肩をすくめて「そうかい」と苦笑して。
……するとまた、左腕の痛みがぶり返してきた。
「結局、左腕とはオサラバする運命だったか。……いてて」
こんなことならミザリにあの場で斬り落としてもらっていた方が、結果的には面倒が少なかったかもしれない。そんな俺の内心は知らずに、ゴウライは再び表情を曇らせた。
「……すまんな。できれば【腕輪】だけを砕きたかったが、その余裕もなさそうだった。かくなる上は、俺もこの一件が終わったら腕を落として詫びを――」
「いいっての。あんたの腕と俺の腕とじゃ釣り合わねえ。もちろんこっちの方が安いって意味でな」
そんな会話を繰り広げていると、そこでようやく我に返ったらしい伯爵が、メイドに支えられながらよろよろと立ち上がり――憎々しげな表情で口を開いた。
「……ゴウライ、貴様……よくも。お前であれば、私の成さんとする大義も理解できぬわけではないだろう!」
「ああ、無論。魔王を滅せるならば、たしかにそれは我が本願……だが、先刻にトライバルの娘御が言った通りだ。あの戦いで犠牲になった者たちを想えば――このような軽挙であれを蘇らせるなど、あっていいはずもない」
「軽挙だと! 死んでいった者たちの犠牲を思えばこそ、今度こそ魔王を完全に討滅するのが遺された者の役割ではないか!」
「貴様一人が暗躍したところで、あれを倒せはせん。……実際に刃を交えたからこそ分かるのだ」
責めるのではなく、あくまで説き伏せるようにそう告げるゴウライに、しかし興奮しきった伯爵は青筋を浮かべながら手に握った聖剣の切っ先を向ける。
「……この、愚か者どもが……ッ! もうよい、かくなる上は貴様らを斬り捨てて、再び方策を練り直すまでよ!」
「できると、おもうか」
彼の言葉にしかし、無表情でそう告げたのはルインだった。
杖を構えて臨戦態勢の彼女とラーイール、そしてソラス。対してゴウライは先ほどの撃ち合いで武器を損壊していて、俺に至ってはこのザマ。
剣もなければ腕輪も失った以上、俺のステータスは元々のオール1に逆戻り。はっきり言ってこの場で一番の戦力外である。
そんな俺たちを睥睨して、伯爵は鼻で笑う。
「詠唱職が3人に、武器なしの騎士が1人。少々手こずるかもしれんが……だが貴様ら、忘れてはいないか。私は勇者の身柄を握っているのだぞ?」
そう言って彼は、気を失ったまま拘束されているエレンを一瞥してほくそ笑む。
彼女の足元には、いつでも彼女に刃を向けられる体勢でメイドが控えていた。
「ぐ……」
そんな彼の言葉に、眉根を寄せて唸るルイン。そんな彼女の態度を見て鼻を鳴らしながら、伯爵は軽く剣を振る。
すると――謁見の間の天井、その空間がぴしりと割れて、中から何かが、這い出してきた。
「かつて魔王城の中枢であったここは、防衛機構も万全でな。……主として命じれば、こんなものも呼び出せる」
そんな伯爵の言葉に呼応するように、空間の裂け目から、耳を覆いたくなるような禍々しい咆哮が轟いて。
やがて――真紅色の鱗に覆われた腕、ねじくれた角が生えたトカゲのような頭、そして巨大な翼膜のある三対の翼――それは紛れもなく、
「トビヒハキオオトカゲ……!」
「いや、今度こそドラゴンだろありゃあ!?」
緊張感ががくっと抜けたが、状況的にはわりと洒落にならなかった。
這い出してきたそれを見つめ、伯爵が興奮した様子で両手を広げる。
「魔王戦役当時、かの魔王によって現世に呼び出されし異界の獣――ドラゴン。それもこの“城”の守備システムとして備え付けられた最上位種の【三ツ羽】よ。……さあ、ドラゴンよ。久々の餌だ、喰らうがよい! 食い出はあまりないだろうがな!」
伯爵の言葉に従っているのかは定かではないが、しかし這い出してきたそれは無機質な瞳で俺たちをぎろりと見ると、翼を大きく羽ばたかせながら広間に四肢で着地する。
轟音と振動、そして風圧が俺たちを襲う中で――ドラゴンはその両翼を大きく広げ、高らかに咆哮した。
……どうやら威嚇、あるいは臨戦態勢らしい。
「……どうするよ、ゴウライ。悪いが今の俺はもうチート装備抜きだから、何もできねえぞ」
「むう。……あれほどの規模のドラゴンともなると流石に空き手で倒すのは難しいが、やるしかないか。俺が時間を稼ごう、その間にルイン殿はあれを潰せるだけの魔法を頼む――」
そう告げてゴウライが拳を構え、ルインたちも各々戦闘態勢をとって。
けれど……その時のことだった。
「……ふぁ、よく寝たぁ……」
聞こえたその声に、その場にいた誰もが一斉に目を向ける。
……そしてその反応もまた、等しく同じ。というのも。
「……んー、なにこれ、どういう状況?」
ぼんやりとした声でそう呟いたのは、エレン。
拘束術式で四肢を拘束され、石棺の中に吊るされていたはずの彼女が――いつの間にか下に降りて、そこにいたメイドを下敷きに座りながらのんきなあくびを浮かべていたからだ。
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