⑦待っていてくれた人・未来
今年の冬は暖かいらしい。そう聞いていた。
しかし、十二月入ると吐いた息は白くて身体の芯からじんわりと寒さが広がっていく。
最近はバイトと舞台稽古に忙しくて、部屋にいる時間が短く、帰宅してからすぐにエアコンをつけてもすぐに温まらない。
寒さを気にしないように、真治はパソコンの電源を入れた。
古い型のノートパソコン。
三年ぶりに真治は自身のブログのページを開いた。役者としての仕事が無くなってから、ブログに書くことは無くなっていた。
だから、今さら舞台への出演の告知をブログでしたところで、見る者はほとんどいないだろう。
十二月のクリスマスにある舞台への出演の話は、急遽決まったものだった。
推薦してくれたミナトに、真治は感謝している。
大手プロダクションがスポンサーについている公演で、真治はチャンスだと思って引き受ける事にした。
――絶対に成功させる……
「もう一度、ここから始めるんだ……」
そう呟いた時、ブログの記事にコメントが届いているのを見つける。
日付は当然、三年以上前だった。
広告かもしれないと思いながら、真治はコメントが書かれたページを開く。
それは広告では無かった。
【はじめまして。先日、友達と一緒に観に行きました。舞台なんて今まで見たことなかったから楽しかったです。それに紀村さんの声、演技にとても感動しました。また紀村さんの舞台観に行きます。 ミスズ】
「これって……」
最後の、「ミスズ」という名前。
真治の胸が熱くなる。
「ミスズさん……待っててくれる人が俺にはちゃんといたんだね。ありがとう」
瞼の奥に残っているあの日のバス停での記憶。
ミナホと会えて幸せを感じた最良の日は、ミスズの秘密を知る日でもあった。
三年前に届けられたメッセージ、どうしてもっと早く気づかなかったんだろう。
――それでも、またミスズさんと会えた。
まるで奇跡のような巡り合わせを真治は感じた。
部屋がようやく暖まってきた。
パソコンのキーボードを打つ指先が、なんだか熱い気がした。
十二月二十四日と二十五日。
劇団「のらいぬ」の旗揚げ公演。
舞台の演目は「悲しみの世界と喜びの世界」。
人間の住む世界とは別の世界――その世界は四つに切り取られている。
「喜びの世界」「哀しみの世界」「裏切りの世界」「怠惰の世界」。
そして、それぞれの世界には王が居て支配することで、四つの世界は均衡が保たれている。
人間の世界から迷い込んでしまった主人公は元の世界に戻るために、それぞれの世界の王に会いに行くというストーリーだ。
真治の役は準主役、哀しみの世界を支配する王の役だった。
物語のキーワードにも繋がる重要な人物。
「喜びの世界」の女王が抱える孤独と、「哀しみの世界」の王が望む平和、世界の要素とは裏腹の王自身が抱える悩みを知った主人公が、和解の為に奮闘し、結果として四つの世界が統合されるという話。
真治はバイトの時間を調整してもらいながら、舞台稽古に心地よい緊張を感じていた。
――待ってくれている人がいる。
それだけで、無名に近い真治は何を言われようと頑張れた。
そして迎えた舞台初日は、大盛況で終わった。
公演後、会場のロビーで出演者たちが、関係者やファンと交流している。
真治のもとに、ミナホとその夫が駆けつけてきた。
「はい、これ。ミスズちゃんからよ」
ミナホから手渡されたのは大きな花束。しかし、本人がいない。
「わざわざ観に来てくれて有難う。その……ミスズさんは?」
「なんだか体調が悪いみたいで。先に帰るって言ってたわ。すごく良かったって真治に伝えてって……」
「そっか……うん、有難う」
真治は頷いた。
「じゃあ、私たちも帰るわね。良いクリスマスを!」
一番に感想を聞きたかったミスズに会えなかった事に、真治は内心落胆する。
――それにしても、体調が悪いって……
再会したあの夜のことを真治は思い出す。
――大丈夫かな、ミスズさん。
ロビーに飾られているクリスマスツリーを見ながら、真治はミスズの事ばかり考えていた。