2:担当柿の種
――白い君が童々(どうどう)と笑う姿が、愛おしくて、欲しくて、けれど、異常な尋常はそれを許さなくて。
君の異常すら、――の尋常を蹴落として……なら、君に見える――の異常を、君の尋常に、――の見える異常に、押し付けるしかないだろう?-を+に変える異常を、外連を、――の惑いを、凡庸と化そうか――。
「好きだよ、裕輔」
――
「ふぅ……よく寝た」
カーテン越しの明るい日が、窓辺の紫菫を照らし、輝いて見える。どこか幻想的な空間で目を覚ました。
まあ、僕の部屋なんだけど。
清々しい快晴だなぁ。この後、夕方から雨が降るなんて考えられないほどの。
「さて」
カーテンの少し上、壁に掛けられた時計に目を向ける。長針と短針は、それぞれ10と、6の手前を指していた。
よし、予定通り、6時前だ。昔から朝は強い。どれだけ疲れていても、朝目覚められるのが、僕のアイデンティティと言ってもいいだろう。
目覚まし時計が遅れてなった。第一回目覚まし時計君との早起き勝負は僕の勝ちだな。ちなみに、第二回の開催予定はない。これじゃ勝ち逃げだね。
「うん、これがいいかな」
全ての準備を済ませ、窓辺の花を一瞥し、部屋を出た。
――
カカッと、黒板を叩くチョークの音が聞こえる。授業中だ。まあ僕は、まるで授業を聞いてはいないんだけれど。代わりと言っては何だが、チャットアプリを介して、一つ下の一年生の女の子に、将来とても役立つ、社会の授業をしてあげているところだ。
:『じゃあ、この後、約束通り頼むよ』
出渕裕考案のハイセンスな既読マークがついた後、5分ほど経った頃に返信が来た。
陽愛:『あの、私、本当にこれで……?』
どうやら、まだ彼女は僕を疑っているらしい。というより、心配なのかな?
:『ああ、きっとうまくいくよ、君も、僕も』
陽愛:『……はい』
:『君は彼女を手に入れるために。そして僕は――ために』
よし、既読が付いた。スマートフォンをスリープっと。
放課後だ。そろそろ準備を始めよう。そろそろ陽愛も彼のもとにつく頃だろう。
いやぁ、しかし、朝からは考えられない天気だなぁ。真っ黒な雲が、辺りの空に密集しているよ。それに、雨臭くもなってきた。雨は、暗さは、人の心を昏くさせる。それと、天と地が繋がったっていう、めでたいことを表す象徴でもあるんだったかな?今日本日この日にはうってつけだ。
「っと」
二世代ほど前の厚めなスマートフォンが、後ろポケットの中で震えた。自分で入れたんだけど、少しくすぐったいな。今度は入れる場所を考えないと。
すぐに取り出し、液晶画面に映る名前を見る。
すべて滞りなく進んでいる事を確認して、通話を開始した。
『で、えっと……』
『陽愛です、佐倉陽愛』
『じゃあ、佐倉。用ってなんだ? 美月が来て待たせちまうと悪いから、手短にな』
電話越しから男女二人の声が聞こえる。一人は彼、もう一人は後輩ちゃん、陽愛の声だ。
『これ、見て欲しくて……』
『これって……赤と黄のヒヤシンス?』
『そうです、それと』
ガサガサと音がする。カバンの中から何かを取り出している音だろう。
『それは、造花? ゼラニウムか』
『ええ、そうです。ゼラニウム、それもピンクの」
『ああ、すげえ良くできてる。要件はそれか?』
『いえ……ピンクのゼラニウム、知ってます?
陽愛の含みの有る、かすかな笑い声が聞こえる。いやあ、怖い怖い。
『え?』
『ドッ』っと、人の体同士ががぶつかり合ったような音が聞こえた。
『ピンクのゼラニウムの花言葉は――』
っと、切れたか。上手くいったみたいだね。
あぁ、そうだ。ピンクのゼラニウムの花言葉は――『疑い』
――
うわあ、これはひどい土砂降りだなぁ……!
斜めを向いた雨が、強く地面を打ち付けている。いくつか水たまりもあって、風で傘がひっくり返ってる人もいる。こんなのがほんとにめでたいことを表す象徴なのかなあと、いささか疑問だ。
こんな中を好んで歩くのなんて、荒れ果て、乾燥した砂漠で路頭に迷った人だけだよね。
うーん、傘を差さずに歩いている人なんているのかなぁ? いないよなぁ? いるわけないよなぁ……。
「っと」
来たね。土砂降りの中、傘を差さずに歩く人が。
今の彼女の心は、荒れ果て、乾燥した砂漠を彷徨っているはずだからね。水を求めているのかな?
冗談はさておき、向こうから来てくれたようだね。どうやら赤いシクラメンを見ているようだ。
「何かお探しですか?」
「あ、いえ」
ずっと顔を伏せている。塩辛い顔を見られたくないんだろう。きっと。
「ちょっと、見てるだけです」
「何かあったら、いつでも声をかけて下さいね」
カバンの中を探っている。多分折り畳み傘でも探してるんだろう。しかし、カバンから出てきた手には何も握られていない。なかったようだ。
と、今度は涙を流し始めた……気がする。雨のせいでよくわからないけど。顔がくしゃくしゃなのはわかる。
「お客様、どうかなさいましたか!?」
「い、いえ……。なんでもないです。その、はい」
なんでもないはずがない。だって、さっき彼女は、彼氏が他の女といちゃついているのを見たんだから。
「辛いことがあるなら、相談に乗りますよ? 僕もうすぐ上がりなので」
「いや、花買いに来ただけなので」
誰が見てもわかるほど見え見えの嘘。
さて。
「ダリアですか。メキシコの国花なんですよね。お好きですか?」
「ええ、まあ」
良い空返事だ。何も聞こえてない風な。虚ろな。
「あなたらしい花ですね。ダリアの花言葉は優雅や華麗、そういった意味があるんですよ」
ずっと暗い表情のままだ。まあ、何でもない男に言い寄られても、うれしくないよね。
「それに、今のお客さんにはぴったりだと思いますよ。ダリアの花言葉には、移り気っていう意味もありますから」
彼女の表情が目に見えて変わった。大方、「何で知ってるの!? 浮気されたなんて!」ってところかな。
計画の型に、全ての出来事がうまくはまる快感に、思わず笑みがこぼれてしまった。しかし、それすらも、今の彼女には効いたようだ。
「吐き出してくださいよ。そしたら、楽になれますよ」
「だけど……」
悩んでいる。どうやらまだ彼と別れていないようだ。
……なら、しょうがないね。
「まあ、水でも飲んで落ち着いてください。後は、リラックス用のアロマでも炊きますよ」
少しすると、彼女の目は虚ろになった。もうどうでもいいって顔。さっきの憂いや惑いすらもない。彼女の目には、もはや何も映らない。ああ、人間ってなんて脆いんだろう。
「行こうか」
「――……」
――
ようやくホテルに着いた。いやあ、修羅の道だった。これで僕もようやく報われる。シャワー浴びよ。
――と、シャワーを軽く浴びて、バスローブを着た。すぐに行動に移ろう。
浴室から、同じく、バスローブを着た彼女が出てきた。
すぐさま彼女を押し倒す。ベッドのきしむ高い音が聞こえた。肩からバスローブを脱がせていく。
確かにきれいな体だ。こんな体をみようものなら、世の男たちは皆興奮するのかもしれないな。
やがて、彼女の体を隠すものは何一つなくなった。僕がここでするべきことはただ一つ。……バッグからスマートフォンを取り出し、カメラモードを起動した。暗い部屋で、眩しいフラッシュがたかれる。それと共に、僕のスマートフォンの写真フォルダに、それはそれは麗しい、彼女の裸体が保存された。念のため、USBメモリにフォルダをコピーしておく。
「疲れたなぁ、寝るか」
彼女に布団をかけて、一応僕も全裸で瞼を落とした。
「寒っ」
――
「ふぅ……よく寝た」
カーテン越しに日も見えない、まだ暗いなか、ほぼ予定通りの時間に、僕は目覚めた。
しかし、良い天気ではあるなぁ。昨夜、大雨が降っていたなんて考えられないほどの。
「さて」
バッグの中からスマートフォンを取り出し立ち上げる。画面には「4:44」の字が表示された。
わお、4だらけだ。僕にはこれが「幸せ」に見えるが、きっと彼女には「死」に見えるんだろうな。
なんて、くだらないことを考えている場合じゃない。しっかり気持ちよく寝ているふりしないと。再び布団で体を覆った。
少しして彼女は目を覚ました。最初は「よく寝た」なんて言って、けど、すぐこの状況に焦り始めて。そのあと、僕が乾かしておいたセーラー服を急ぎ足で着て、僕とするように部屋を出て行った。まあ、この後、その日の朝休み僕は、衝撃展開! 彼女に会いにいくことになるんだけどね。
「……嘘!?」
「やあ。ミモザの花には秘密の恋って花言葉があるんだ。知ってる?」
……そこにいたのは、昨日の花屋の店員、僕なのでした。
「ね、美月」
「……!?」
右ポケットからスマートフォンを取り出し、カメラモードを起動する。
……彼女の顔から、血の気が引いていくのが、これ以上なくよく分かった。
そうだよ。これから始まるのは、「秘密の恋」の物語――。