一月第一週(金曜日)(二回目)
朝六時。
「お父さん、お願いがあります」
「どうした。おはようの挨拶もしないで……」
「今から羽丸空港に連れていってください」
「なんだ、飛行機が見たいのか?」
「違います。直感では……飛行機がハイジャックされます」
「直樹! それは本当なの?」
「綾、落ち着け。子供の戯言だ」
「羽丸空港発、札川行き。朝九時の便。乗員・乗客合わせて四〇〇名が人質となり、東北の山中に墜落します。生存者は……パラシュートで逃げる犯人の一名だけ。名前は『ブッシーノ ポタ』と名乗る外国人の男です」
俺は一回目に知り得た情報を早口で列挙した。
もしここでたどたどしく話せば、それだけ信憑性が失われてしまう。
お母さんは俺の話を聞いて、口に手を当てて目を大きくした。
「直人さん、直樹の直感は当たるわ。まずは警察に電話して乗客名簿を洗ってもらって」
「昨日連続殺人犯が逮捕されたばかりなんだぞ。そんな事をさせる時間はない」
「では、俺が直接空港に電話をして阻止してもらいます」
俺が電話機に向かって歩き出すとお母さんが俺を後ろから抱き締める。
「直樹、待ちなさい。それが真実になるという証拠は何もないんでしょ?」
「……はい」
俺の体質は秘匿している。一回目に見たから今回もハイジャックが起こると説明しても証拠にはならないだろう。
「私はあなたの直感を見てきたから信じるわ。きっとハイジャックは本当に起こると思う。でもね、直人さんが動かなければ私たちにはどうすることもできないのよ……」
俺を諭し終えると、今度はお父さんの方を向いた。
「直人さん、お願い」
「うーん。なら、俺が……署に行って直接空港に問い合わせる」
「それでは空港まで間に合いません」
お父さんは休み休み運転する。それがお父さんだ。
「もし、本当に乗客名簿に名前があればパトカーを走らせる。四〇〇名の命がかかってるんだからな。仮に懲戒免職になったら、その時は警備の仕事でも始めるか……」
「ありがとう、直人さん」
「ありがとうございます」
サンドイッチの作成はこれからだったのか、朝食は焼いた食パンにマーガリンを塗っただけに変更された。いつもの愛情たっぷり玉子料理に比べるとかなり落ちるが一分一秒を争っているので仕方ない。
むしろ出発の準備と並行して人数分を焼き上げてくれたお母さんに感謝だ。
マイカーで署まで移動する。
お父さんが建物に入ってから一〇分。
「直樹……。どんな結果になっても警察を恨んではダメよ?」
「どういう意味……?」
「凶器を持った犯人を相手に絶対は存在しないの。ハイジャックをするほどの犯人なら、それなりに武道の心得がある可能性が高いわ」
「お父さんが犯人に負ける……?」
家には大会で優勝したトロフィーがいくつもある。空手、剣道、柔道と俺と違って多才だ。
「それはわからないわ。警察の応援があれば取り押さえられるかも知れないけど……、今の状況では期待はできないわね」
「俺が空港に電話を……」
「早まってはダメよ。事が起こるまでは誰も信じてくれないわ。事が起こるまではね……」
事が起こってからでは遅い。
未来を知っているのに、手出しができない歯痒さ……。
俺が子供だからいけないのか?
車の扉が突然開いてお父さんが乗車した。
「朝九時の便の乗客名簿に『ブッシーノ ポタ』の名前はなかった」
「「えっ?」」
そんなバカな……。
ラジオで九時の便って……。
「だが、時間を遡って調べると、朝七時の便の搭乗手続き者の名簿にその名前があったぞ」
白い紙にメモってきたのか、それをお母さんに渡す。俺も後ろの座席からメモを見たが『九時』には赤字でバツを、『七時』には丸が書かれていた。
俺たちが空港に到着した頃には、すでに手荷物検査を終えたゲートの向こう側にいる?
「二時間近く空港内に潜伏して何かをしていた?」
「あぁ、恐らく直前で他の便に振り替えてもらった方が足がつかない可能性が高いからな……。まだ七時の便は飛び立っていない。振り替えるならこれからだ。もし誰かが九時の便に飛行機を変更したら署の方へ連絡が来る事になっている」
本当に直感だけでここまで言い当てられるのか、不思議に思っていたのか『七時』から『九時』に矢印を引っ張って、その横に『?』が書かれていた。
座席番号から犯人の名前が特定されたが、もし……機内で座席の交換をしていたらどうする……?
いや、犯人の機内での様子が乗客によってネットに動画がアップされていた。例え名前が違っても俺には顔がわかる。
「パトカーに乗り換えて羽丸空港に向かうぞ」
「パトカーの使用許可は取れたんですか?」
「休暇中の俺に取れるわけがないだろ。綾が直樹の直感を信じるなら、俺も直樹の直感を信じる。そう決めた」
お母さんからメモ用紙をサッと取り上げてビリビリと破ってゴミ箱に捨てた。
「一世一代の大博打だ。止めるなら今だぞ?」
お父さんは今乗っている軽自動車の鍵ともう一つ別の鍵を並べてヒラヒラ見せびらかす。
いつもの生真面目なお父さんとは違いどこか冒険する少年のような顔に見える。
「四〇〇名の命がかかってるのよ。止めるわけないでしょ」
もっと早く伝を作っておけば良かった。
もし、このタイミングで警察が俺の情報を信じて動いてくれたなら、きっとこの事件は簡単に防ぐ事ができただろう。
お母さんはいつも俺の『直感』を一番に優先し、それを世の中のためになる道を示してくれていた。
「ありがとうございます」
何度か警察無線でパトカーに連絡が入るが、お父さんの同僚が市内をパトロール中という事になっているらしい。
瑛のお父さん、ありがとう。
パトカーはサイレンを鳴らして走る。
「直樹、犯人の凶器はわかる?」
俺は目を瞑ってあの時の情景を思い浮かべた。キャビンアテンダントの首に突き付けられた刃物。
「緑色のナイフ」
「緑色のナイフ……? 二時間かけて、凶器を作っているのかもな。もしかしたら空港内に内通者がいる可能性も頭に入れておこう」
「どうして?」
ニュースではそんな事は一言も……。
「怪しい薬品も含めて、手荷物検査で引っ掛かるはずだ。でも、機内に凶器を持ち込むとなれば、手段はわからんが、必ず検査場をパスしているはず……」
きっとそれを調べるのは明日以降なのか、情報の開示が明日以降なのか、俺が見た一回目では報道されていなかった。
もし、内通者が事前にわかっていれば、手掛かりが増えたのに……。
「よし、着いたぞ。下りろ」
警察手帳を使い、パトカーを空港の派出所に預けた。
子連れ、女連れの印象最悪。その上、私服で覆面パトカーを運転する警官というのは聞くが、私服でパトカーに乗る警官というのは聞かない。
きっとこれからお父さんの勤務する警察署に連絡が入り、本当に警察官か確認されるだろう。
不信感を持たれている中で事情を説明するが、残念ながら取り合ってもらえない。お母さんが言っていた『事が起こるまで』とはこういう事か。同じ警察官でも管轄外では支援が難しいようだ。
再び警察手帳を使い、今度は空港の職員に協力してもらう。防犯上の理由からお目付け役として一人余計な若造が宛がわれたが、今は戦力アップしたと思う事にする。ラッシュで込み合っている手荷物検査場をスルーした。
「お父さん、札川空港行きに急ごう」
「そうだな。九時の札川行きの便は何番ゲートからだ?」
「札川行きの便は……北海道行きなのでかなり端ですね。あちらです」
「機内案内までもう時間がないはずよ。走りましょ」
「あぁ」
途中スタッフ専用通路を使って、一〇分ほど走ってようやく到着した。
さすが四〇〇人が乗る飛行機だ。案内時間になるのを今か今かと待つ人でいっぱいになっている。
俺は一人一人の顔をこっそり見て歩く。
「ダメだ、ここにはいない。……あっ!」
いた。動画と同じ顔。トイレから出てきた。
「お父さん。あの男だ」
耳打ちで知らせる。指を差すとか馬鹿な事はしない。
お父さんも声を抑えて確認する。
「間違いないのか?」
「うん、間違いない。右手首に包帯をしている」
あの包帯が何を表しているのかわからない。ただ単純に手首を怪我しているだけかもしれない。
だが、奴はこれからここにいる四〇〇名の命を奪う凶悪な殺人犯になる。
未来に犯罪を犯す人を裁く法律はない。きっとこれから先もそんな法律は存在しないだろう。それでも奴だけはこの場で取り押さえなければならない。
「綾、直樹の事を頼んだぞ」
「はい。お気を付けて……」
えっ? 突然何を言ってるの……?
お母さんが後ろから俺の肩を力強く握る。手の震えから自分を必死に抑えているのがわかった。
お父さんが犯人に近より、職務質問を開始する。
警察手帳を見た男が、懐に忍ばせていた拳銃をいきなり発砲した。お父さんも犯人の動きを注視していたはずだが、まさか対警察用の凶器が拳銃だったとは……。本当にどうやって手荷物検査を通過したんだ。
お父さんの腹部から血が流れ出ているが、致命傷にはいたっていない。
周囲で出発を待っていた人は突然の銃声に悲鳴をあげて逃げ惑う。中には腰を抜かしたり、這いつくばって椅子の陰に隠れる者もいる……。
「んんーさんっ!」
俺は叫ぼうとしたが、お母さんに口を塞がれて、叫ぶことすらできなかった。
あ、そうか。お母さんの言う『事が起こるまで』とは、あの男が犯行に及んで、誰かが怪我をする、もしくは死ぬまで、誰も俺の言う事を信じてくれないって事なんだ……。
お父さんは体を張って、犯人を暴いた。
銃口を睨み付け、お父さんは二発目を何とか避ける。が、気が付くと家族三人が犯人と一直線になってしまった。
「これが現場……?」
ここにいたら邪魔になる。
俺は少しずつ横にずれると犯人と目が合った。
銃口が少し横にずれる。そう、俺の方を向く。
そして再び銃声が鳴り響いた。
お父さんは振り返りながら、犯人に背を向け、銃弾を体で受け止める。
うつ伏せに倒れたお父さんの背中から再び血飛沫が噴き出す。
「お前た……ちは……い……き……」
お父さんは血を吐いて、力を失った。
俺はこの光景を一生忘れない。俺の判断ミスでお父さんを危険に晒しただけじゃなく、死なせてしまった。
「直人さん!」
声をかけて走り寄ったお母さんに銃声が鳴り響く。
俺は何を甘い事を考えていたんだ。
『今夜の出没ポイントは五ブロック先の十字路』
瑛が、お父さんが、お母さんが言ってたじゃないか、凶器を持った犯人を相手にする恐怖を……。
俺はどうすれば良かったんだ……?
お母さんは右肩を押さえて、それでも犯人に向かって行った。
ダメだ……。こんな未来はあってはいけない。
四〇〇名の命と両親の命。
俺に選べと言うのか……?
「家族仲良くあの世に行きな!」
俺は慌てて近くにあった椅子の裏に身を屈めた。が、逃がすまいと俺の隠れた場所に銃弾が撃ち込まれてプラスチック製の椅子に穴が開く。
このままじゃ――死ぬ……。
一歩でも遠くに逃げなくちゃとは思うが、体が言うことをきかない。
息を潜めている間にもう一発銃声が鳴り響いたが、俺のいた方ではなかったようだ。
銃声の音に引き寄せられるように空港警備の人が駆けつけてきた。そして防弾シールドを構えた警察官が犯人を取り囲む。
手荷物チェックを済ませた先での発砲事件。
この男が機内に拳銃を持ち込もうとした事は明白だ。
お父さんとお母さんは?
睨み合う足元に転がる二つの遺体は最後の力を振り絞り手を握りあっていた。
程なくして、完全包囲されて逃げ場を失った犯人が投降する。
遺体は速やかに回収され、身寄りのない俺を瑛のお父さんが迎えに来てくれた。
署に戻ってから瑛のお父さんに調べてもらった事だが、所持品の中に犯人の身元を示すような物は入っていなかったそうだ。
これからハイジャックをするのに、身分証を持ち歩く馬鹿はいない。お父さんの言っていた通りだった。
両親の命の代わりにわかった事は、犯人は特殊メイクで顔を変えており、素顔はネットに流れていた顔とは別人である事。
この事実を覚えていられるのは俺だけだ……。
俺は一生をかけて、奴を見つけ絶対に処刑してみせる。
今はそのための下準備をしなくてはいけない。
今日は二回目。お父さん、お母さん、俺の我が儘を聞いてくれてありがとう。俺は必ず犯人を許さない!