一月第一週(木曜日)(三回目)その二【プロローグ】
デパートに着くと、入口すぐのエスカレーターへ向かう。
セールという事もあり、家族連れ、親子連れで賑わっている。
「まずは婦人物から見ようかな……」
そこで二時間三〇分が消費されます。
全体の実に六分の五。残り時間が俺とお父さんの衣類を選ぶ時間です。
それをスムーズにするために買い物リストを作ったと言っても過言ではない。
「いってらっしゃい。俺は七階の『子供待合室』で待機しているわ」
お母さんを見送ってから、クラスメイトの瑛がいる休憩スペースに行く。
「おっ? 直樹じゃねーか。お前も荷物持ちか?」
「荷物持ちって言うか、正確には荷物監視係りだけどな」
結局同じようなくくりには違いない。
瑛が俺のジョークに笑った。
「かーちゃんの買い物なげーんだよ」
どこも同じだ。瑛のお母さんは朝九時の開店からいるんだろ?
「九時前から並んでスタートダッシュしてこの通りよ」
瑛が手で示した一角には巨大サイズの買い物袋が五つ。
最終的に九つになる事を考えると、今が折り返し地点あたりだな……。車のトランクに載せる時に荷物が入りきらなくて、足元や膝の上に置くのはご愛嬌。
「おかげで冬休みの宿題がすげー速度で終わったぜ。あとは工作に色を塗るだけだ」
瑛が本当に勉強していたかは疑わしい。
座っているベンチの上に消しゴムのカスで『ヒマ』と書いてある。勉強に集中していた奴はこんな事はしない。
「俺は明日には全部終わる予定だな」
俺の宿題の進め方は一回目と二回目に時間をかけて問題を解き、三回目に清書をしている感じだ。
二度手間には違いないが、体質上どうしても手間は避けられない。
「そろそろ勉強も飽きてきたところだったんだよ。一緒にゲームでもやらないか?」
俺の返事も聞かずに、勉強道具を鞄に仕舞い、代わりにゲーム機が出てきた。
瑛とゲームをするためにきちんと持ってきましたよ。
「いいぞ。どうせ長丁場だ」
充電はフルチャージ済み準備万端。
俺と瑛はベンチに仲良く腰掛けて、勝負を開始した。
対戦格闘ゲーム。
こういうゲームの瞬間瞬間の動作は後の時間経過に大した影響を及ぼさない。瞬きの回数やタイミング、歩く時に右足が前だったか、左足が前だったか、その程度の誤差だ。
もし、影響があるとすれば、最終結果が勝つはずだったのに、負けた場合。途中でつまらない一方的な展開になり、ゲームが予定よりも早く終了するケースだ。
一時間半が経過。
「直樹、腕を上げたな……」
お前が三回連続同じ手で来るからだ。俺は人一倍経験値を積めるんだぞ。
「今日の勝負は五分五分か、このままじゃ俺が負け越すぐらいか?」
二五戦して一一勝した。一回目はこの時点で八勝。二回目は九勝。今回は結構頑張った方だ。
「まだ直樹に負け越すような俺じゃねー」
「フンッ。言ったな……。瑛の弱点は熟知している。ここから戦況をひっくり返してやろう」
「出来るものならやってみろ!」
二六戦目開始。
「幸穂が近くにいるぞ」
「えっ? どこだよ?」
「画面から目を離すとは馬鹿め!」
「うお、ズリーな……」
幸穂は瑛の想い人だ。好きな子の名前が出て動揺しない奴はいない。
「嘘かどうかはきちんと周囲を見渡すんだな!」
俺はこのフロアに幸穂がいることを知っている。別に嘘を言ったわけじゃない。
「たんま。たんま。ヤバイって、目が合っちまった」
「いえーい。気を取られているうちに俺の勝利!」
狡い手で一勝をもぎ取ってやった。
俺は対戦と対戦のインターバルを利用して幸穂に手招きをする。
「おいっ。ちょっと待てって、直樹。こんなところに呼ぶなよ!」
手招きする俺の手首を掴んで瑛が無理やり下ろす。
瑛は突然の恋愛イベントに慌て出した。しかし、俺が呼ばなくても一〇分後には、ゲームに夢中の俺たちにこっそり背後から近付いて、瑛の脇腹がくすぐられる。どうせ俺たちと同じ理由で暇な幸穂が向こうから忍び寄って来るんだよ。
今は『子供待合室』に行こうとしたら知り合いがいて、声のかけ方に悩んでいたってところだ。
「瑛がどうしても嫌だって言うから、追い返して来る」
俺はわざとらしく立ち上がろうとする。
「悪かった、悪かったって……。幸穂も椅子に座りたいだろ……」
瑛が限界を迎えたレベルで緊張を始めた。ゲーム機の画面の反射を利用して髪型をチェックする。坊主だからいつも同じだと思うぞ?
意中の人か……。俺もいつかそんな人に出会えるのだろうか。
幸穂がツインテールを揺らして、駆けてきた。
将来は婦警になって犯人逮捕に奮闘すると夢見る少女。ジーンズとパーカーが動きやすいそうだ。
俺も瑛も成長期前でまだ身長が低い。そのため幸穂の方が大きくてよくお姉さんぶっている。
「二人はまたゲームなの?」
「負け越し中なんだ。勝つまで瑛の脇腹をくすぐっててくれないか?」
「仕方ないわね。いいわよ。任せて」
腕捲りをして気合充分。元々そのために俺たちのところへ来るんだ。まさに渡りに船の申し出。断る理由など微塵もない!
「これで強い味方をゲットしたぜ」
「ちょっと、やめろ。お前たち二人がかりとはズルいぞ!」
ズルいと言いながら、好きな子に体を触られて満更でもない瑛を俺は容赦なく負かし、勝率をどんどん上げていく。
今日の俺は二回目と同じルートを辿るために『勝ち越し』をしなければならない。
幸穂の援軍があるうちに差を縮める。
それにしてもまだ想いを伝えられていない二人が健気にイチャイチャしている姿は見ていて楽しい。
「くそ……とうとう直樹に負け越しちまった。さ、幸穂、今度は直樹の妨害をするんだ! 行けっ!」
「前神君の妨害……?」
数瞬の睨み合いの末、幸穂は俺への妨害を拒否する。
「…………やめておくわ」
「ここで親の上下関係を持ち出すなよ!」
幸穂のお父さんは俺のお父さんの部下だ。今日の朝、迎えに来たのがまさに幸穂のお父さん。
別に幸穂が俺に嫌がらせをしても、俺がお父さんに報告する事はないし、例え報告したとしても、それで仕事に支障が出る事はない。
「俺のとーちゃんだって直樹のとーちゃんと同期だぞ!」
検挙率の差で俺のお父さんの方が上司だけどな!
「親の話はいいだろ……」
「そうよ。するんなら殺人事件の話よ」
瑛は突然の話題転換に渋々といった感じだったが、それもすぐに消えた。そして得意気に胸を張って言う。
「俺の予想では犯人はもうこの一帯から逃げてるな……」
残念ながら、瑛の予想は百発百中で外れる。
「つまり……まだこの周辺に隠れているわね。買い物が終わったら捜索に行く?」
「子供だけじゃ危ないぞ?」
「柔道初段に勝つ私と、剣道初段に勝つ瑛君がいれば平気よ」
幸穂は黒帯の最低年齢に達すれば、いつでも昇段試験に合格できるほどの実力者だ。瑛も同様。
俺はてんで戦力にカウントされていません。
幸穂が瑛の肩を揉んで『男なら手伝いなさいよ』と圧力をかけている。
「物取りの犯人程度なら、つき、つき、付き合ってもいいんだぞ……。その……刃物は……ちょっとな……」
瑛も万が一を考えると好きな子を危険に晒したくはないようだ。
「サバイバルナイフか包丁のような刃物を持っている可能性があるんだっけ? うーん。親に同行を頼まないと危ないわね。でも、言うと絶対に反対されるわ……」
「きっと今夜あたり解決するから諦めろ」
「「前神君の予想は当たる……!」」
二人の声が見事にシンクロした。
荷物を置きに来たお母さんにジュース代をもらって、みんなでミッションをクリアする。
帰りは瑛のお母さんの運転に乗せてもらい、重たい荷物を運ばずに済む。
「今日は送って下さって、ありがとうございます」
「そんなこといいのよ。瑛も直樹君と遊べて楽しいんだから」
去り際、車の助手席の窓が開かれて瑛が声をかけてくる。
「またゲームやろうぜー。今度は完勝してやる」
「おう。明日には宿題が終わるからいつでもいいぞ」
来週には学校が始まるんだけどな……。
家に入ると、今度はお母さんが声をかけてきた。
「お母さんは夕飯の準備をして、終わったら直人さんにお弁当を届けてくるわね。多分帰りは遅くなるから一人で先に食べてなさい」
「はーい」
俺は自室で考える。瑛は刃物を持った犯人を相手にするのを拒否した。
棒を持たせれば例えそれがホウキやデッキブラシだろうと、瑛は果敢に戦える。
お母さんはこれからナイフを所持した犯人に襲われる……。
本当にアドバイス一つで結果が変わったのか?
「直樹~、お留守番よろしくね」
一階から声がしたので、部屋の戸を開けて顔を出す。
「気を付けて行ってきて」
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
考え事をしていたら、三〇分以上も経っていたようだ。
まだ起こっていない未来はもちろん変えられる。
ここはお父さんの携帯に連絡を入れるか?
いや、ダメだ。署に戻るタイミングが変われば、きっとお母さんの帰宅時間が早まる。その場合は襲われる人物が変更されてしまう可能性が高い。
結局のところ俺にはお母さんを信じて帰りを待つ事しか出来ないな……。
玄関には黒いブーツが揃えられており、お母さん愛用のスニーカーがなくなっていた。
「大丈夫。二回目と同じだ……」
何も心配する事はない。歴史は二回目と同じルートを着実に進んでいる。
あとは……。二〇時二七分を待てばいい。
「残り一分……」
ガチャッと玄関の扉が開き、お母さんが居間に入ってきた。
「ただいま。連続殺人犯を返り討ちにして、お父さんの手柄に貢献できちゃった」
「おかえり。怪我はない……?」
病院に寄った一回目と同じなら、もう少し帰宅が遅いはず。左手を見るが包帯の類いはない。
「もう~直樹は心配性ね。そんなにジロジロ見なくてもお母さんが素人相手に怪我をするわけないでしょ?」
満面の笑みを浮かべている。
「なんてね。直樹がまだこの周辺に潜んでるって言ってたから、警戒しながら歩いてたのよ。犯人は足音を消すために靴を脱いでいたわ。危なかった、ありがとう」
「怪我がなくて何より……」
二回目と同じルート。やはりあのアドバイスの有無で結果が変わるんだ。
俺は安堵の溜め息を吐いた。
お母さんが温め直した夕食を食べていると、玄関から再び声がする。
「ただいま」
「あれ? 直人さん、泊まりじゃなかったの?」
「犯人は逮捕できたし、取り調べは順調に進んでいる。犯人逮捕に協力してくれた綾と過ごしてくださいってみんなが言うからな……」
さすがお父さんの仲間はお母さんの喜ぶプレゼントを知っている。
お父さんはと言うと、わざわざ着替えを受け取ったのに、使わずにそのまま持って帰ってきて、居心地が悪そうだ。
「元婦警という事で感謝状が出ない代わりに明日は特別休暇になった。日帰りでどこかに行こう」
「休めるうちに体を休めて下さっても……」
最近は朝から晩まで仕事をして、定時で帰宅した試しがない。
ここはお母さんに一票! どうせ事件の事が気になって、気を休められない不器用なお父さんだ。
度々携帯をチェックする姿が目に浮かぶ。
「冬休み中は事件事件で、直樹をどこへも連れて行ってやれなかったからな……」
それは警察官の子供の宿命。もう慣れた。
突然、招集されるため、非番であっても警察官は遠出が厳禁だ。
これまで旅行なんてした経験がない。
「それではどこがいいでしょう?」