第四話『気付かぬ侠気』
二人、いや、三人。マリアの左右と背後にいる黒服の男達。
チビ、ヤセ、ノッポのトリオだ。いつでもマリアに手を出せる距離にいる。
視線と目付きで解る。
こいつら誰も試合なんか見てねえし、俺よりも彼女の谷間が気になってる様子。
こいつら、仕事じゃなけりゃマリアのほうを拐う気なんじゃねえか。
「あらあら、坊っちゃん、どぉしたんですか? 眠いんですか?」
「まーあー! うーうー!」
「ご機嫌斜めですねぇ、ちょっとお出かけしましょうか。試合はここからが長いんですよぉ。いっつもあの四人が、きゃっ」
来た! 後ろの紳士風のノッポがマリアの肩を掴んだ。
「どちらへ行かれるのかな」
「え?」
「もう少々、大人しく観戦なさっていてはいかがかな」
彼女の耳元で囁いた猿顔のチビの、もう片方の手には鈍く光る得物が握られていた。誰も観戦に熱中していて、事態に気付く者はいない。
彼女は、俺に向けられたそいつを見ると、石のように身を固めた。
「動くな。騒いだりしたら殺す」
両サイドと後ろを固められた俺達。彼女の体の震えを感じる。でも安心しろ、マリア。
殺す気ならとっくに殺られてる。俺をダシに交渉事がしてえだけなんだろう。
広場を見ると、ライアン、アラン、ローザ、シャルロットと他に二名の男。そしてマルムスティーンと不愉快な仲間達が残っていた。
――「やはり残るのはお前達か」
ライアンは二人の男に向かって剣を向けた。
「ハッハッ……ライアン殿、それはこちらの台詞でございます」
雪のような白髪をオールバックにしたナイスミドルが屈託なく笑う。赤い服の上に、銀色に輝く胸元の鎧がカッコいい。
立派な白髭を蓄えていて、まるであの缶コーヒーのオッサンマークのパチもんみてぇな顔をしてる。翔なら気付かずに飲むレベルだ。
ん? このおっさんだけ、シャルロットのような細身の剣、いや、ちょっと曲がってるな。刀か。それを鞘に収めたまま身構えてる。
なになに、もしかして、居合いみてぇな戦い方すんの? 目が見えてねえとか、ねぇよな。
こんな乱戦で、刀ぁいちいち鞘に収めるとか、絶対に意味ねぇ気がするが、それで生き残ってるなんて、ロマンが溢れてるな。
もう一人の方は黒髪の巨体で、こっちも何やらロマンを感じる巨大な剣を肩に担いでいる。マントから何から全身、黒ずくめの装備。顔には無数の切られ傷。
昔、マンガで見たような気がする。左手は義手とかじゃねぇだろうな。
大体、あんなもんどうやって振り回すんだろう。
それより、ああもう、誰でもいいから気付いてくれ!
「――今回は少し、勝手が違うようだな」
黒い剣士は太い声でぶっきらぼうに言った。本当に左手に何か仕込んでそうだな。
「ええい、いつまでも私を無視するでなぁい!」
茶髪の外巻きカールが叫んだ。声が高ぇ。
やっとお出ましか、この野郎。
「おお、これはこれは、氷と炎商会の若旦那か。オヤジ殿は元気か」
「ライアン・ベッテンコート卿! 今日こそは積年の恨み、晴らさせていただくぞ!」
「はて、何のことやら」
「ええい! すっとぼけおって! 者共、かかれぃ!」
マルムスティーンの配下達が剣を構えた。
「俺がいこう」
黒い剣士が前に出た。うおお、これは見逃せねぇ。楽しんでる場合じゃねえけど、男のロマンも大事。
黒剣士はその鉄の塊みてえな剣を後方へ回した。まさか、そのままぶん回す気じゃ……ビンゴ。
……嘘だぁ。五人まとめて剣の平で一発ぶっ叩いて、そいつらはマルムスティーン達の頭上を飛んでった。巨大なハエ叩きだ。
こいつはゴリラよりも強い。間違いない。
「むむぅ! よくも私の部下を!」
「安心しろ。平打ちだ」
なるほど、両刃だからな。そういう言い方か。
なんだか喜多方ラーメンが食いたくなった。こんな時に、俺って奴は。
「ヒュゥ、相変わらずね、ダレス」
シャルロットはローザの光る弾を交わしながら言った。この黒ゴリラ、ダレスっていうのか。
これで奴等の数はたった一撃で三分の一減らされた。
ダレス、いい仕事してる。
「――シャルロット。体は大丈夫なのか」
「ええ。産休でちょっと鈍っちゃったけどね」
――「ゴルァァァァァ!」
アランのほうから斬りかかる姿を初めて見た。
鉄のぶつかる音と共に、リアルに豪快な火花が散る。
ダレスは右手であの塊を振り上げ、アランの剣を受け止めていた。片手で……すげえな。
いや違うぜ。あの黒ゴリラに立ち向かえるアランのほうに正直ビビったんだよ。
「ダレスてめぇ、人の女に何勝手に声かけてんだ? あ?」
「あ? 従兄弟の妻を心配して何が悪い」
今、ダレスはクールに正論を言ったよね。
アランの従兄弟なのか。
――すると俺達を囲んでいるトリオ達は、笑いながら言った。
「そうそう、シャルロット争奪戦の時も、あの二人が最後に残ったんだよな」
「あの時は凄かったな。三日も飲まず食わずでよく闘えるよ」
「まあ、あんな美人、中々いねえからなぁ。幼なじみだってよ、あの三人」
「僕達みたいだね」
「「「そうだね」」」
微妙にハモってんじゃねえよ。
おいおい、なにか? この街では、何か事ある度に広場で斬り合うのか。
――ローザが空中浮遊したまま怒鳴った。
「――貴様らぁ! 井戸端会議しとらんで、まとめてかかってこんかぁい!」
杖から炎の弾が弧を描き、上空から雨のように降り注ぐ。
なんて恐ろしいババアだ。妖怪紫頭巾。
「うわぁぁ!」
「あぢぃ! あぢぃ!」
逃げまどうマルムスティーン一派は、これで数をまた三分の一減らした。盾を持っている奴らと、体捌きの出来た連中だけが残ったようだ。
「こりゃ、そろそろ俺達の仕事のようだな」
俺に刃物を向けているチビが呟いた。
同時にマルムスティーンがこっちを向いて何か合図を送った。あの野郎……
「動くな! お前ら、赤ん坊がどうなっても良いのかぁ?」
マリアから引き離された俺は、紳士風の男に高々と抱え上げられた。
「トドナミクス!」
シャルロットは叫び、そしてその場に崩れ落ちた。アランが彼女に駆け寄る。
「たわけ!」
ローザがこっちの男に向かって怪光線を撃ったが、観客席の前で、まるで見えない壁にぶつかったかのように光は弾けるように消滅した。
なるほど、あの司祭達の魔法か。客を守ってたんだな。それとも、あのチョビヒゲに買収されてんのか。
ここまで用意周到だと、ちょっと判断しかねる。
「おいおい、婆さん。調子に乗るんじゃないよ。大人しくしな」
「むむぅ……」
得意気にチョビヒゲを触るマルムスティーン。
「この卑怯者め!」
ナイスミドルが怒鳴った。
「どうとでも言え! もとはと言えば、貴様らが悪いんだ!」
「あ? 俺達が何をした」
ダレスが眉間にシワを寄せながら訊ねた。
「どれだけ私が、このナルナーク領に貢献してきたと思う? どれ程の大金をこの街にばらまいたって、貴様達は私を、貴族にしてくれなかったではないか!」
呆れた。そんな事で……
いや、待て、違うな。こいつは、まだ何かある。
「貴族になるには王族の許可が必要じゃ。逆恨みも大概にせい!」
ライアンが唸り飛ばした。が、マルムスティーンは逆上するばかり。
「何を言うか! 貴族の紹介や、コネや伝が無ければ、この国で商人は貴族になど成れぬではないか! 税金ばかり増やしよって! シャルロットを嫁にと言えば、一般市民が勝てる訳の無い武家同士で、やれ争奪戦だ何だのとお祭り騒ぎ!
政治屋に金を積んで便宜を図ったって、お前ら貴族、武家どもはダンマリを決め込みやがる……もう、うんざりだ!」
「マルムスティーン……貴様、妻の争奪戦に裏金を積んだっていう噂は、本当だったのか」
アランがマルムスティーンに近寄る。
「動くなっ! 子供を殺すぞ!」
「貴様、どこまで腐ってやがる!」
――俺は、少し、考えてしまった。
もしかすると、こんな化け物みたいな連中が、武家だ貴族だ王族だといって世界を支配している世界なのかもしれんが……
察するに、マルムスティーンよ。テメェは金を力に変えて、ここまでやって来たんだろうな。
しかし、とうとう我慢の限界が来ちまった。そうなのかマルムスティーン。でもな。
いくら金を積んでも、手に入らないものはある。
……どこへいっても、それだけは変わらねえようだぜ。
俺は、言い知れぬ怒りを覚えた。いや、虚しさってやつか。
これは誰に対しての怒りとかじゃねえ。
どこに行っても思うようにいかない、負け犬の人生って奴にだ。
マルムスティーン……お前も、世知辛ぇ世の中の、被害者なんだな……
「――武器を捨てろぉ! 早くしろぉ!」
黒剣士は舌打ちしながら大剣を手放した。続けてナイスミドルも。みんな、俺の為に……
「何してる! 早く捨てろ!」
ライアンも剣を放り投げ、ローザは石畳に着地し、杖を置いた。シャルロットはすでに先程から尻を石畳に着いたままだ。俺を見たまま完全に心を折られているようだ。
残すはあの男のみ。
「どうしたアラン・ベッテンコートよ。なんだ、神威流の剣豪は子供すら見捨てて斬り掛かる技も持ってるのか? ええ? どうなんだ?」
神威流?……なるほど、剣の流派があるのか。
ジジイの詰め将棋みてえな動きとか、母ちゃんの神聖流っていう流派とは、どおりで動き方が違うわけだ。
それより、父ちゃん。お前はどうする。いいぜ、やっちまえよ。って、無理だよなぁ……
歯を食い縛りながら、剣を捨てたアラン。血走った眼で体を震わせている。おっかねえな。ちょっとファーザーの貫禄出てきやがったか。
「――マルムスティーン、お前は、一体何がしたいんだ!」
「まずは争奪戦の勝者を決めようではないか」
マルムスティーンは広場の中央に躍り出た。
「今宵は無礼講なのだろう? 全員、降伏しろ。
俺はこんな血生臭い方法は好かないんだ。平和的な解決方法も、たまには良いではないか?」
なるほどな。マルムスティーン。お前さん、ちょっとだけヤクザの素質あるわ。
だが、一つ間違ってる事があるぜ。
そういう駆け引きは、もっと裏でやるべきだ。やけを起こしちゃいけねえ。
こっちの三人組を広場にでも送り込んで、テメェはこっち側で俺の首根っこ掴んで、さっきの大演説打って民衆を仲間に付けて広場の貴族達を孤立させたらよかったのさ。
それでこそ悪党だろ。
江田島ならそうするね。
そうしなかったのは……テメェは関係ない連中を巻き込む事を良しとしなかった。テメェの命賭けて、一矢報いたかったんだろ。
テメェの心の中にまだ侠気ってもんが残ってんだよ。自分で気付いちゃいねぇだけだ。
しかし、この状態はよろしくねえな。民衆まで敵に回しちまった。
「さっさと鐘を鳴らせ! お前達には行政から身を引いてもらう。この血判書にサインしろ。これからは俺がこの領地を仕切る。俺に爵位を用意するんだ!」
「そんな事したって、俺たちの一存では……落ち着いて話そう。頼む」
アランが懇願する。
「黙れ! 何を今更。血判書さえあればこの街を変えられる! 誰にも文句は言わせんぞ!」
文句は言わせん、だと?
刃物突きつけなきゃ話も出来ねえチンピラが。テメェを棚に上げて何言ってやがる。俺とマリアにはその文句を言う権利があんだろうが。
段々と、苛々が頂点に達した俺は、心の中で叫んでいた。
――おい、クレア! 出てこい! オメェは、この世界の管理人って言ってたよな?
奴隷になるって条件はどうした! 出てこねぇなら、俺はもう降りるぞ! ――
ゴロゴロと、上空から音がした。
――空が……これは……急に暗雲が立ち込めてきた。